卵
麺
1話完結 卵
21時。安アパートの2階。ピンクとハートで取り繕うように飾り付けられた表札に一瞥をくれ、俺は同棲する彼女の家に帰ってきた。
彼女には男友達と遊ぶと言って、この前知り合った女の家に行ってきた。これからまたセフレと会う約束があるから、すぐ行かなければならない。すぐ出るつもりで、電気をつけるのも面倒で薄暗い部屋を歩く。なのにソファの前のテーブルには、頭の悪そうな字で「ネットスーパーから物とどくから冷蔵庫いれといて!」と書いてある。なんで俺がそんなことしなきゃいけねぇんだ。見なかったことにして、着替えをする。女の匂いが染みついた服を着ていけば、いくらセフレといえど機嫌を損ねてしまう。彼女によって綺麗に畳まれた服をてきとうに取り出して、脱いだ服は洗濯カゴに投げ入れる。彼女は鈍感だから女の匂いが付いていてもどうせ気づかない。つくづく頭が悪い、だから俺みたいのに利用されるんだと冷ややかに思う。飲み物を飲もうと居間に戻ると、玄関のチャイムが鳴った。タイミングが良い、これで彼女から面倒臭い小言を言われなくて済む。ドアを開けると、表札からは予想されなかった家主に驚いたのか、意外そうな宅配員の顔が現れた。うろ覚えな彼女の苗字をサインして、荷物を受け取る。中身はレトルトの白米やパックの卵、牛乳やトイレットペーパーなど食品から日曜日まで様々だった。最近のネットスーパーはすごいな、と思わず感心してしまった。
一通り出して、食品類は冷蔵庫に入れていく。と、食べ物を見て、自分の空腹に気がついた。そういえば、昼を食べていなかった。いつもは遊びに行った女が、アピールするかのように手料理に見せた惣菜を食わせてくるのだが、こんな日もあるな。卵も飯もあるし、卵かけご飯でも食べてさっさと行こう。
レトルトの白米を電子レンジに入れ、卵をパックから取り出す。皿を出して縁に卵を叩きつけると、繊細な殻が綻びるように割れる音がした。でも、違和感があった。白身が出てくる水っぽさを感じない。
なんだろう。手を返し、ひびを覗いてみると、暗闇のように黒かった。しかし重さ的に中には確かに何かが入っている。少なくとも液体には思えない。
不気味に思ったが、怖いもの見たさで卵をもう2回縁に叩きつけた。広がったひびから何かが垂れ下がるように出てきた。
手を返すと、それは、
明らかに、人間の人差し指だった。
手から卵が滑り落ちる。床に落ちた衝撃で一層殻から指が這い出る。呼吸が詰まる。自分でも目が見開いていると分かる。叫ぼうと思っても声がかすれて上手く出てこない。
しかもこの指。白く傷のない指には似合わない蛍光色のネイル。趣味の悪いじゃらじゃらつけた指輪。知っている。見覚えがある。そりゃそうだ。この指の持ち主は、今日、さっきまで会っていた女の指だ。間違いない。
床の上で惚けていた指。殻から見える指。どうすればいいか分からない。理解の及ばない恐怖で胃から無いはずの何かが込み上げる。
パキッと音がした。
何もせずに、その卵に、ひびがはいった。
人差し指が、ぴくりと動く。眠りを覚まされたように。
ぱきぱきぱきぱきぱきと。新たに出来たひびから、中指が出てきた。蛍光色の爪が覗く。
人差し指が芋虫さながら這って動き出す。明らかに殻の容量は越している。
ああああああああ。逃げなきゃ、早く、逃げないと、動いてる、こっちへ向かってくる、のどが開かない、こえにならない声が、かすれてくうきの音だけになる。
ぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱき、ぐしゃ、ぐしゃぐしゃぐしゃと
同じ音が無数に響いた。台所の上、パックの中に残っていた卵が一斉に割れ始めていた。その亀裂からはやはり指が飛び出ている。そして、全て見覚えがある。薄いピンクの爪、ふっくらとしたやわらかそうなあの指、彼女だ。黒と黄色で虎のような模様をした刃物のような長い爪。黒い肌の目立つ指。これから会いに行こうとしてたセフレだろう。
ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ、プラスチックのパックが音を立てて潰されている。殻を被った指達がパックから這い出ようと潰している。それらの先頭を切るように、最初に割った指が、這い寄る。少しづつ。
どうしよう、声が出ない、足腰が立たなくなって、あとずさることしかできない。
やめろ、くるな
俺の言葉に耳を貸さないように、物音は大きくなる。ぱきぱきぱきぱきぱきひびの入る音がプラスチックのぐしゃっと潰す音が、だんだん早くなる。ぺたぺたぺたぺた指が迫ってくる。数が増えていく。ぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぐしゃぐしゃっぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた
卵 麺 @Yu_za_mei_pasta
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