第十四話 ブンキョウ・リンク・フォース~生きてゐる人~


 紊叫ブンキョウ区。せた赤土の廃墟の前庭でアランは佇んでいた。廃墟の上部に埋め込まれた時計は当然の如く止まっている。流れる時間から置き去りにされてなおり続けていた。


 自分もまた停止しているようにアランは感じた。


 僕は、と彼は思う。僕はというと、儚く思い描いていた穏やかな人生から放り出されてしまった。時を刻む事のない時計のように、一切が滅びてしまうまでこうして生きるだけ……。そう考えてゾッとした。


 今、アランは酷く厭世的えんせいてきな気分になっていた。そして比喩ではなく、死に場所を求めている。


 紊叫ブンキョウ区に配属されてから数ヶ月が経過した。そろそろ23区の化物に慣れたという頃、紊叫ブンキョウ区の隊長――シキという名だったが皆からは先生と呼ばれていた――に呼び出された。先生はいつもの地味な浴衣姿で、殊更ことさら神妙な口調で告げたのである。


◆◆


 リンク・メイトである鎖鎌を胸に抱き、伸びすぎた下草に隠れるように座り込む。赤土の廃墟は朽ちながらも威厳を保っているようにアランは感じた。


 先生に教わったのは主に二つである。まず、リンク・メイトには文字通り人の魂が籠っている事。そして、その魂は自らが指名した優遇住民のものである事。彼らの肉体は第1エリアで一括管理されており、武器を失ったときにはその命も散る。


 地上で化物との戦闘を繰り広げる部隊――リンク・フォースはその労の見返りとして、指名した相手に地下コロニー第1エリアでの生活を贈る事が出来る。働かず、餓えずに生きる権利。愛する人間を指名するのは当然の事だ。それが実は、リンク・メイトにエネルギーを注ぐ半死半生の道具として扱われているなんて、アランは夢にも思わなかった。


 そんな悲惨な事実など知りたくなかった。自分がそれまで振り回していた鎖鎌に愛する妹の魂が入っているなんて、信じたくはない。


 先生は悪趣味な冗談など口にする人ではなかった。すなわち彼の告げた悲劇は事実であり、自分はいかにも間抜けな男というわけだ。何も知らず、妹の魂によって化物を引き裂いていた。兄として、いや、人として失格である。そのようにアランは考えて、身の内が凍るような諦めを感じた。


 生きていてはいけないが、自死は妹の死をも意味している。リンク・メイトは人間の手にあって初めて力を得るものである。人の手から離れたそれが単なるブリキになってしまう事はアランも知っていた。ブリキになるとは、つまり、優遇住民の死を意味するのだろう。


 優遇住民として半死半生の妹を想うと、アランは兄として、罪人としての責任に囚われたのである。妹をこのまま生かしておくのは、真綿で首を絞めるようなものであろう。ならいっそ、自死によって妹も死なせてはどうだろうか。


 心中しんじゅう。それは甘い響きだった。


「こんなところで何をしているのです」


 ふと声のした方を向くと、地味な浴衣姿に無精髭、そして上背のある男――先生が立っていた。身体は病的に痩せ細り、薄い顔立ちもどこか儚さが漂っている。


 アランにとって、今一番会いたくない人物だった。


「自然を眺めていたんです」


 きっぱりと答えると、先生はアランの真横に立って赤土色の廃墟を眺めた。


「立派な建物ですからね。惹かれるのも分かります。……私は君が死に場所を求めているのだと思いましたよ」


 早合点でしたね、と付け加えた。


 妙に鋭い人だ、とアランはため息をつく。先生はかんのいい人だが、こちらの体調や心情には特に敏感だった。たった数ヶ月の関わりだけでもそれは充分理解出来る。


 だからこそ会いたくなかったのだ。このまま地下拠点に戻る事なく、死に場所を見つける旅をしたい。残酷に食い散らかされた希望の、最後にのこった一片が死への願望なのだ。それだけが唯一の動力源なのである。


「昨日の話はこたえましたか?」


 残酷な人だ、とアランは内心で呟く。リンク・メイトの成り立ちを知って絶望しないわけがない。真相を知って平然としていられるのは気が狂った奴だけだ。


「先生はリンク・メイトの事を知ったとき、どうなりましたか?」


 訊くと、先生は動く事のない時計を見上げたまま、静かな口調で答えた。


「誰にも告げず、地上を彷徨うろついていました。……ひと月くらいでしょうか。野草と水ばかり口にしていましたね」


「何のためにそんな事を……?」


「それは」先生は言葉を切ってやや俯いた。「死に場所を求めたんです」


 アランは思わず眉間に皺を寄せた。先生らしくもない。常に超然と佇む彼の姿は、いかなる精神的な嵐にも動じない静けさがあった。


「死を求めた一ヶ月間の旅で、私は自分の生き方をさとったのです。……生きたい人間は殺すのに、死にたい者は生かされる。地上は奇妙な場所です」


 風が吹き、雑草が一斉に囁いた。


「死にたいのなら止めません。貴方は貴方の方法で始末をつければいいのです。……私としては生きてくれる事を願っていますが」


 そう言い残して先生は去って行った。


 その後ろ姿を眺める。彼の腰に下がる双剣が気にかかった。先生もまた、のっぴきならない苦しみを抱えているのだろう。


 アランは地に胡座あぐらをかいたまま、長らく時計を見つめていた。


◆◆◆


 結局、死に場所を見つけるための旅に出るのは一旦やめた。地上で生きていれば死ぬタイミングなんていくらでも訪れる。それに、時が経つ事によって罪悪感や厭世感が消えないかも試したかった。


 たとえば一年、死への義務感が残り続ければやはり死ぬべきである。逆に霧散するか、恐怖の方が大きくなればそれまでの衝動だったという事だ。そうなれば薄汚く生きるほかない。


 地下拠点に戻ったアランを迎えたのは先生の微笑だった。哀れみのこもった安堵の表情。アランは何故だか先生が途轍とてつもなく嫌いになった。


 だからこそ先生の私室に呼び出されて「良かった」と言われても感慨は湧かず、この下らない同情はいつ終わるのだろうかと繰り返し思うばかりだった。


 それからというもの、アランはただただ抜け殻のように働いた。どんな任務をも遺漏いろうなくこなし、部隊の中でも確固とした信頼を得た。にもかかわらず、進んでアランに近寄ろうとする者はいなかった。彼は自分の愛想の悪さに気付いていたし、孤独な方が気が楽だったのでいて愛嬌あいきょうを振る舞う事もなかった。むしろ、信頼される事自体を滑稽こっけいに感じたくらいである。棺桶に自ら片足を突っ込んでいるような男を頼るなんて、と。


 アランの心はすっかり諦念ていねんに覆われていた。他の隊員が笑うたび、身体の奥底が酷く冷える。笑顔を浮かべる奴の顔に、何やら不純物を感じてならない。まだ俺は笑える、大丈夫。そんな空元気が漏れ出ている。人生にべったりと貼り付いた悲劇を、粗悪な塗料で塗り替えようとしているのだ。上手く騙したつもりでも、薄っぺらな虚飾きょしょくの奥には罪が息をしている。


 悲劇に鈍感な人間は長生きするだろう。地下も地上も、精神的に鈍い奴が生き残っていくのだ。


◆◆◆◆


 アランが死を想って半年が過ぎた頃、新人が隊に加入した。まだ年端としはもいかない少年で、ジゼルという名前である。彼にもまた、隊長は例の真相を告げるのだろうか。だとしたら血も涙もない。幼い心には重過ぎる内容だ。


 アランはあえて先生とジゼル少年を静観する事にした。先生の人格を判断する良い機会だと思ったからである。


 果たして数ヶ月後、少年は隊長からの呼び出しを受けた。アランはそれとなく、少年が先生の部屋から出てくるのを待っていた。


 二十分も立たないうちにジゼルは廊下に現れたのだが、彼の顔には別段変わったところは見られない。


 アランは思い切って声をかけた。「やあ、ジゼル」


「アランさん……どうも」と答えるジゼルの声にもやはり普段と変わったところは見られなかった。


「隊長にお説教でも受けたのか?」


「いえ。リンク・メイトの事を教わっただけです」


「リンク・メイトの事?」


「ええ。優遇住民の魂がリンク・メイトに宿ってるとかなんとか。……下らない事ですよ」


「……隊長の言葉を信じてないみたいな口振りだな」


 ジゼルは短く首を振って否定した。


「違います。先生は事実を教えたんでしょう。だけど、それがどうしたって言うんです? やる事は変わらない。地上に来た時点で地下の事なんて全部捨ててます」


 アランは絶句した。リンク・メイトには、志願の際に指名した優遇住民――つまり、それまでの生涯で最も幸せにしてやりたい人間の魂が籠っているのだ。騙された事に怒りはないのか? 哀しみは? 絶望は?


 幾つも胸にいた疑問は、しかし、アランの口から出る事はなかった。気が付くと彼は地下拠点の廊下に立ち尽くし、薄汚れた壁を見つめていた。ジゼルの姿は既にない。


 胸苦しい感覚が彼の中に残っただけである。


◆◆◆◆◆


 アランが見る限り、ジゼルは特殊な人間だった。真実を知っても刃は衰えないどころか、より勢いを増していくように見えてならない。若さから来る無謀とは感じなかった。寧ろ、嬉々として化物と戦っている。そんなジゼルを見る度に、アランは自らの心の弱さを見せつけられているようで苦しみを感じるのだ。


 ジゼルは間違いなく内側に狂気をはらんでいる。もしかすると、地上で生き残るためには狂気こそが唯一にして絶対の柱なのではないだろうか。


 ただ、行き過ぎたものは破滅を辿る。


 ジゼルが喪失ロストした理由もそれに尽きる。


◆◆◆◆◆◆


 アランとジゼルは二人で資源回収の任務にいていた。アランは黙々と地上の遺物を集めていたのだが、ジゼルは勝手に方々を飛び回り、化物がいれば倒し、また化物を探すといった行動していた。


 アランは強いて止める気にならなかった。ジゼルにはジゼルの衝動があり、それは他人の言葉で簡単に変わるものではない。


 それに、ジゼルはリンク・エネルギーのコントロールに秀でていた。エネルギーが危険域に到達するまでは全力で戦うが、動力が低下すると速やかに撤退する。たとえ味方が任務中だったとしてもだ。その辺のしたたかさも地上向きである。


 資源が充分に集まったのでアランが帰還をうながすと、ジゼルは拒絶した。


「アランさんだけで帰ればいいですよ。僕はまだまだ力が余ってますから、もう少し化物を退治しますよ」


「いや、駄目だ。無茶な遊びは別の任務でやれ」


 するとジゼルは冷えた軽蔑の眼差しを送った。「……まるっきり臆病者じゃないか。そんなだからいつまで経っても地下生活者なんだよ」


 侮蔑されようと知った事ではない。アランは静かに呼びかけた。「帰るぞ」


「溜まったエネルギーを使わずにおくなんて。繰り越しが出来るわけでもないのに。……あんたらは馬鹿だよ」


 いい加減にしろ、と言いかけて身体が固まった。廃道路の先に揺らめく影が見えたのだ。


 異様に長い四肢しし。乳白色の肌。体長は三メートル程だろうか。本来顔があるべき位置は、つるりと何もない。


 人でも化物でもない存在。『人型』だった。先生を初め他の隊員も、遭遇したら逃げるよう何度も言っていた。化物よりもずっと強く、厄介な相手。


「逃げるぞ!」


 叫んで駆け出したアランは、思わず足を止めた。ジゼルが人型へと向かっていったのである。彼と擦れ違う一瞬、嬉々とした表情が見えた。


「馬鹿! 戻れ!」と怒鳴ってもジゼルは足を止めない。ノッポの人型へと一直線に疾駆している。


 アランはやむを得ず、加勢のために人型へと向かった。ジゼルのリンク・メイト――なたが人型の肌を裂くのが見える。彼は容赦など一片も感じさせない速度で人型を斬りつけた。


 加勢のために鎖鎌を構えて、嫌な感覚に覆われた。何かおかしい。


 どうして人型は抵抗しないんだ?


「ジゼル! 攻撃を止めろ!」


「はぁ!? なんでさ!? こいつ、斬れば斬るほどエネルギーが溜まっていくんだ! レアな雑魚かもしれな――」


 彼の言葉が途切れる。アランは咄嗟に鎖鎌を放った。


 ジゼルの鉈は、内側から崩壊するように砕け散ったのだ。その一瞬の空白を突いて、人型が大口を開けて彼を呑もうとしたのである。


 鎖鎌でジゼルを捕らえ、一気に引っ張る。間一髪、喰われる寸前に助け出せた。


 青ざめた顔で絶句するジゼルを抱え、アランは駆けた。人型から逃げるために。そして、安全な地下拠点に戻るために。手に入れた資源を全て捨ててでも、速度優先で駆けた。


 アランが人型に遭遇したのはこれが初めてだった。あんな醜く、そして奇怪な攻撃をするとは思っていなかった。自分の肉体をわざと斬らせ、リンク・エネルギーを注ぎ込む。飽和ほうわした力はやがて決壊を迎え、武器が喪失ロストしたのである。


 恐怖。心にあるのはそれだけだった。


 抱えたジゼルは死んだように動かない。それもそうだ。アランは奥歯を噛み締める。


 リンク・フォースにとって武器をうしなう事は二度と地下に戻れないのと同義である。地下拠点へと続く入り口と地上はゲル状の膜に覆われている。それを突破出来るのはリンク・メイトを所持した者のみ。


 喪失ロストした者は地上で化物に殺される事になる。


 振り向くと、人型の姿は消えていた。アランはジゼルを肩から降ろし、荒い息をしながら地面に横たわった。人型に遭遇して尚、死なずにいる。まるで奇跡のように思えた。


 伸びすぎた下草が風にそよぐ。アランは赤土の建物の庭にいた。この場所目指して駆けたわけではなく、滅茶苦茶に走った結果偶然辿り着いたのだ。


 皮肉なものだ、とアランは思う。死を想った場所で、生ある事に安堵する。今ならはっきりと死を断ち切れそうだった。あんな存在を目にして死ぬ事なんて考えられない。


 呼吸が落ち着いていくにしたがってアランの思考もまた内省的になっていった。


 真相を知って生きる事は身勝手だろうか。多分、そうだろうな。けれど、生きる事それ自体が大変身勝手なものなのかもしれない。変心へんしんむくいが訪れるなら、甘んじて受けよう。


 ――報いは、アランが想像していたよりも早く訪れた。


 ジゼルが立ち上がり、青ざめた顔でアランを見下ろした。その表情には逼迫ひっぱくした感情が見受けられた。


 ジゼルの口がゆっくりと開く。糸を引く唾液が見えた。


「アランさん……あなたの武器を僕に下さい」


 アランは面食らって何も言葉が出なかった。彼が発した言葉の意味すら、よく分からなかったのだ。


 リンク・メイトを寄越す?


 何のために?


 地下へ戻るためのゲル状の防壁が脳裏をぎる。防壁を通過して安全な地下に戻るためにはリンク・メイトを手にしている必要があった。それを所持していなければ防壁を突破する事は叶わない。


「それは……」


 それは、自分の代わりに地上で死ねと言っているのか。アランは言葉に詰まり、最後まで口にする事が出来なかった。


「寄越せ!」


 ジゼルの叫びが下草の囁きを裂く。アランの目には、馬乗りになって武器を奪おうとする少年が映った。彼の力は尋常ではないほど強く、体型も年齢も自分のほうが上なのに跳ねける事が出来なかった。


 必死の力。生への渇望。リンク・フォースとして戦いに飢える獣性。そんな狂おしいまでの衝動が、ジゼルの全身からみなぎっていた。


 アランとて、リンク・メイトを喪うわけにはいかない。たとえ半死半生であろうとも、大切な妹なのだから。


 リンク・メイトを抱く腕を、ジゼルが引き剥がしにかかる。食い込んだ爪が皮膚をえぐっても、アランは腕の力を弱める事はなかった。


「やめなさい!!」


 冷水を浴びせるような鋭い怒号が飛んだ。アランの目は、先生の姿をとらえた。いつ現れたのか全く分からない。その浴衣姿が救い主のように見え、アランは吐息を漏らした。


 先生は厳格な表情で佇んでいる。それまで一度も目にした事のない表情。普段の柔和さからは想像の出来ない雰囲気だった。


 ジゼルもアランも、身じろぎひとつせず先生に目を奪われていた。


「これはどういう事ですか。ただの喧嘩ではないでしょうね? ……ジゼル。どうしてアランのリンク・メイトを奪おうとしているのです」


 ジゼルはふらりと立ち上がった。そして俯きがちに先生を睨む。なんて獰猛な形相ぎょうそうだろう。


「武器がないんだ。地上で戦うための武器が」


 ジゼルはぼそぼそと呟く。先生は冷然と彼に視線を注いでいた。


喪失ロストしたからといって、他人のリンク・メイトを奪う理由にはなりません。……大切な人の魂が籠っているのですよ」


「でも今は武器で……地下への鍵だ。魂なんて関係ない」


「ジゼル。貴方にとってリンク・メイトは単なる武器かもしれませんが、アランも同じ価値観だとは思わないで下さい。……貴方が地上で生きるためのサポートはします。だから、無茶な行為をやめなさい」


 さとすような口調だった。地上で生きられるように助力するという申し出は、ジゼルにとって光明だろう。これで馬鹿な衝動が霧散すれば――アランはそう考えた。


 ジゼルはふらふらと先生に寄る。そして力なく、その胸へ倒れ込んだ。


 先生はジゼルをひしと抱き、やはり、諭すように言う。


喪失ロストは大変哀しい事です。今まで何度も見てきましたから分かります。彼らは一様に地上で命を散らす目に遭いました。……ジゼル。貴方だけは無事に生きられるよう、私たちが守ります」


 うああ、とうなるような声がした。


 アランは初め、それがジゼルの慟哭どうこくだと思った。


 呻りは段々と大きくなり、やがてジゼルは膝から崩れ落ちた――ように見えた。


 ジゼルは膝を折り、先生の腰から剣を抜き取ると一瞬にして距離を取った。


 先生は咄嗟に彼の姿を目で追う。


 そしてジゼルの呻りは哄笑に変わった。地の底から響いてくるような、酷く邪悪なわらい声。


「先生、あんたは勘違いしてる。僕は地下に戻りたいわけじゃない。化物が怖いわけでもない。――連中を殲滅出来る武器が欲しいだけなんだ。先生は剣を二本も持ってる。ひとつくらい貰ってもいいじゃないか」


 人間はこうも醜くなれる生き物なのか。アランは奥歯を噛み締めてジゼルを睨んだ。


「今すぐ手を離しなさい! 何が起こるか――」


 先生の言葉が途切れた。


 理由は明白である。剣とジゼルの手が溶け合うように一体化を始めたのだ。彼は悲鳴を上げて剣を振りほどこうとしたが、既に後戻りの出来ないほど一体化は進んでいた。その破滅的な力は腕をのぼり、彼の身体へと向かおうとしている。


 一陣の風が吹き、彼の腕が肩ごと切断された。


「ジゼル。すまない」


 呟いた先生の手にはリンク・メイトの片割れが握られていた。


 先生が戦闘する場面を目にするのはこれが初めてだった。化物に囲まれたときなど、先生はいつも他の隊員を帰還させる。そうして自分ひとりで化物を退治して地下拠点に姿を見せるのだ。


 先生が具体的に何をしたのかアランには分からなかった。ただ、ジゼルの片腕が吹き飛んだのが先生の刃によるものである事は確かだと思う。


 地に落ちた腕は、すぐさま分離を始めた。肉片が溶け、骨と剣が現れる。一体化したような様子など見せず、武器は刀身をぬらぬらと輝かせていた。


 先生は自分自身のリンク・メイトを大事そうに拾い上げ、腰の鞘に納めた。


 ジゼルの悲鳴は消えている。彼は切断面をかばうように握り締め、先生を睨んでいた。猛獣の目付きとは、きっとこんな具合だろう。


 そんな彼に一切ひるまず、先生は告げた。「ジゼル。貴方のした事には目をつむります。もう二度とリンク・メイトを奪おうだなんてしない方がいい。……貴方の命は私たちが繋ぎます。化物と戦おうとする意志は結構ですが、冷静に物事を判断なさい」


 ジゼルはまばたきひとつせず、獰猛な視線を注いでいた。手負いの獣。何故そこまで彼が化物との戦闘にこだわるのか、アランには理解出来なかった。


「誰がお前らみたいな臆病者の助けなんか借りるか」


 吐き捨てるように口走り、ジゼルは去っていった。アランは小さくなっていく彼の背を眺める。心中しんちゅうには安堵が広がった。


 不思議なのは先生である。彼もまた、佇んでジゼルを見送ったのだ。てっきり隊長として後を追うのかと思ったのだが。


 不意に先生が長い息を吐いた。


 瞬間、アランは自らの思い違いに気が付いた。先生は常に超然と皆を導く存在だと確信し、だからこそ嫌っていたのだ。しかし実際の彼は他の隊員と同じく、迷い、哀しみ、独りがりに酔い、身勝手で、そして卑怯なのだ。


 それをおくびにも出さなかった先生を思うと、アランはしっとりと重たい尊敬に包まれた。


◆◆◆◆◆◆◆


 三日後、アランは先生の私室で彼と向かい合っていた。


 硬い椅子。埃っぽい空気。切れかけのランプに照らされた先生の顔は疲れきっているように見えた。


「ジゼルは見つかりませんでした」


 そう口火くちびを切ると、先生は苦しげに顔をゆがめた。


喪失ロストしたんですから、仕方ないです」


「貴方の言う通りです」


 沈黙が部屋に満ちる。息苦しい静寂だった。


「先生」とアランは沈黙を破る。今ならどんな事でも訊けた。「何故あなたはリンク・メイトを二本も所持しているのですか」


 先生は自分の腰に手を伸ばし、鞘に収まった二本の剣をテーブルに置いた。まるでガラス細工を扱うように慎重な手つきで。


「私は娘を優遇住民に選びました」


 そう呟いて、両の柄を優しげに撫でた。


「私は早くに妻を亡くし、親類からもろくな援助を得られない立場にいました」


「それは何故です」


 先生はアランの目を一瞥いちべつし、小さく答えた。その声は追想に沈む憂いを帯びている。「身分違いだったからです。妻は第9エリアの人間で、私は第10エリアでした。……桁がひとつ違うだけで、隣り合ったエリアでも絶望的な身分差があります」


 それはアランも知るところである。エリアをまたいでの結婚は稀にあったが、一桁エリアの人間とそれ以外が結ばれた話など聞いた事がない。


「馴れめは容赦して下さい。……妻と私は第10エリアの果てでつつましく生き、そして子を成しました。残念な事に、出産から数年で彼女は亡くなりましたが。……それまでの家庭は私と妻の稼ぎで何とか回っておりましたが、到底私ひとりの痩身そうしんで子供の栄養まで得ていけるとは思えませんでした」


 言葉を切り、先生は息を吐いた。


「……魔が差したのでしょう、きっと。私はり良く募集していたリンク・フォースに志願したのです。……却下される事は分かっていました。ほんのおまじないのつもりだったのですよ。こんな痩身の男が、ルールまで破ったんですから」


「ルール?」


 訊くと、先生はゆっくりと頷いた。


「優遇住民に我が子を指名したのです。双子の娘を」


 ランプが切れ、辺りが闇に包まれた。


 優遇住民に指名出来るのは一人まで。それが原則だった。先生は初めから却下されるつもりで、二人の娘を指名したのだ。


 そしてどういう間違いか彼の書類は受理され、双子は第1エリアで保護される事となった。


「勿論、優遇住民がどうなるかなんて知りませんでした。幸せを約束されたと思い、神に感謝したのですよ」


 しかし神は存在せず、彼は二人分の呪いを受けたのだ。


「こうなった事は、長い時間をかけて後悔しました。今でも志願書を出した日に戻れたら、と思います。けれど、嘆くだけでは娘に申し訳が立ちません。だから――」


 二人の魂を愛す事に決めました。彼はそう呟き、更に続けた。


いびつかもしれませんが、私に出来るのはそれだけです。だからこそジゼルにリンク・メイトを奪われたとき、我を失いました。……私が彼の腕を切ったのは、変異が起きていたからではありません。娘に触れて欲しくなかったからです」


 きっぱりと先生は言い切った。


「先生も、普通の人なんですね」


 アランは思わず返す。先生は弱々しい笑いを漏らした。


「私を何だと思っていたのですか。貴方と何も変わりませんよ」


◆◆◆◆◆◆◆◇


 アランは草地の上に寝転んでいた。青々した匂いが鼻に心地良い。


 ジゼルは一週間経っても姿を現さなかった。紊叫ブンキョウ区のどこかに彼はいるのだろう。生きているか死んでいるかはともかくとして。


 あれから先生は何も変わらず、日々の勤めを果たしている。相変わらず達観した雰囲気をまとって。


 しかし、アランはもはや先生を嫌ってなどいなかった。


 自分が卑屈になっていただけだ。


 赤土色の建物を眺め、止まった時計を想う。それは停止しているがゆえ、一日二回、正しい時を示す。


 リンク・フォースとして生きる事は呪いを背負うのと同義だ。そこから逃げ出したい気持ちが消えたわけではない。けれど――。


 風が吹き、下草がそよいだ。アランは目を閉じる。


 まぶたの裏に妹の面影が浮かんだ。

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