Link Force

クラン

第一話 シンジュク・リンク・フォース~或る少女の場合~


 シオンは入隊許可証を見つめてうっとりとしていた。憧れの地上奪還部隊。今日からその一員になるなんて、まるで夢のようだった。


 リンク・フォースとして化物と戦うのは正直怖かったが、これで故郷――到狂トウキョウコロニー第49エリア――が潤うことを思うと誇らしい気持ちになった。


 リンク・フォースの隊員には、過酷な任務に就くのと引き換えに、いくつかの特権が与えられる。ひとつは、故郷のエリアへの物資提供の増加。そしてもうひとつが重要だ。故郷エリアから一名が優遇住民として、物資溢れる第1エリアへの移住を許される。そして隊員が兵士としての役目を終えたとき、第1エリアの優遇住民と同居する権利が得られるのだ。


 第1エリアでは食事が娯楽だと言われている。芳醇な香りの肉類は頬の蕩ける旨さであると、人々は噂していた。


 第49エリアの住民から見れば娯楽的な食事は夢のまた夢。二日に一度の完全栄養食の提供があるのみ。あとは毎日毎日粗野な労働に励む生活。そこからの解放を願って、若者はリンク・フォースへの入隊を志願するのだ。志願方法はひとつ。第1エリアからの隊員募集の通達が来てから期日までに志願書を出すのみである。


 シオンは顔を綻ばせ、隅々まで入隊許可証を眺め回した。選ばれたという現実に胸が高鳴って仕方がない。


 その晩、彼女はなかなか寝付けなかった。


◆◆


 翌日早朝から第3エリアへ向かい、そこでの訓練が即日開始した。実践部隊へ投入する前提の、過酷な訓練である。飲まず食わずでの行軍や、水中訓練、はたまた本物の武器を使用した実践練習まで、様々だ。それが約一ヶ月間続いた。生傷は絶えず、身体の痛みで眠れない日々もようやく終わり、訓練終了の証として特製の武器――リンク・メイト――が与えられた。


 シオンが訓練官から与えられたのは長剣だった。『カタナ』と呼ばれる古代武器をベースとしたものである。彼女は身の引き締まる思いで恭しく受け取った。


 リンク・フォースにとって、リンク・メイトは己の命と等価である。死と隣り合わせの戦場に於いて、それは重要な意味を持つ。


 武器の扱いに関する訓練はブリキ製の粗末な代替品で実施させていたので、こうして自分専用のリンク・メイトを手にすることが一層シオンの誇りを強くさせた。


 リンク・メイトは訓練生ひとりひとりに合った特別誂えである。それぞれリンク・エネルギーという特殊な力を宿している、とシオンは聞いていた。リンク・エネルギーは第1エリアで生成され、日々リンク・メイトに充填される。どういったルートを辿ってリンク・エネルギーが注がれるのかは教わらなかったが、それによって化物との戦闘が可能となっていることは事実である。


 リンク・メイトを失った隊員は、地上では動く餌同然。訓練官は日頃からそう言って脅かしていた。


 どうすればこれほどしっくりくる物を作れるのか、と思ってしまうほど長剣はシオンの手に馴染んだ。


 シオンの少女らしい甘えは、厳しい訓練によってすっかり身を潜めていた。戦闘への恐怖もこのごろは薄まっている。それは、退役まで続く辛い責務への心構えが出来たことを意味していた。青い責任感と、第1エリアへの夢想がシオンを駆り立てていたのだ。


◆◆◆


 シオンは、呻熟シンジュク区への配属を報せる訓練官に、震えながら敬礼をした。頭には「なんで私が」という呪詛が繰り返し響いていた。


 到狂とうきょう23区は、化物が特に強力と聞いている。新兵は区外で戦闘になれてから、やがて23区へと配置転換となるのが一般的であるらしい。現に同じ訓練生は皆、区外への配属を命じられていた。


 特別成績が良かったわけではない。訓練官は「囲い込み」と説明した。新兵を23区内での過酷な戦闘に慣れさせ、退役までその区で任務を行うのだと。ひとつの区や地域に対して、部隊がひとつ。囲い込みが行われるのは次期部隊長候補を育てるため、という大義名分である。


 とはいえ、大半は死ぬ。


 新兵の生存率の低さは、訓練のなかで何度も叩き込まれた。卒業後一年以内に命を落とす者が半数以上。三年以内の絶命だと80%まで膨れ上がる。


 とりわけ、23区への配属となった新兵で生き残っているのはごく僅かとの話だ。


 それでも覚悟を決める他ない。シオンは泣き言ひとつ口にせず、なぜ自分が選ばれたのかという疑問も押し殺した。答えのない問いにどれだけ意味があるのか、ということだ。


◆◆◆◆


「地上に出る前に、話すことがある」


 呻熟シンジュク区担当部隊。その隊長なる人物は、冷然とした男だった。まだ三十歳にはならない年齢と聞いていたが、見た目は実年齢よりもずっと若く見えた。後ろに撫でつけた黒の長髪。痩せてはいたが、確かな筋肉を感じられる腕。冷たい眼差しと、固く結ばれた口元。無感情の権化。そのように見えた。


 隊長の部屋に呼び出されたシオンは、居心地悪く感じながらも、それをおくびにも出さなかった。初日から目をつけられるわけにはいかない。


 隊長の説明は淡々としていた。部隊の基本的な動き、敵のバリエーション、地形の特徴から特殊な作戦に至るまで、滔々と語る。隊員としての心構えについては一切触れなかった。


 そして「地上に出る前に、話すことがある」と呟いて、武器を取り出した。


 大鎌。それが隊長のリンク・メイトだった。大振りの刀身は刃こぼれひとつない。大事に扱われていることは一目瞭然。


「俺は優遇住民に、弟を指名した。それについて、話す。他の隊長は説明なしに戦場へ出しているようだが、俺はそれをしたくない」


 したくない、と彼の口から発せられたので、シオンは意外に思った。この冷酷で無感情に見える男にも拘りがあったのか、と。


「はい」とシオンは答えたが、一体なにが語られるのか見当がつかなかった。


「第1エリアになにがあるか、知っているか」


「我々の指導者である『先導者』様と、その一族が暮らしておられます。そして、優遇住民がいます」


 隊長は頷いて答えた。「正しい認識だ。指導者たちも、優遇住民もいる。しかし、優遇住民は暮らしていない」


 妙な謎かけだった。


「それは、どういうことなのですか」


 シオンの質問には答えずに、隊長は続ける。「第1エリアには大規模な施設がある。俺たちの武器の出力を維持するものが、設置してあるんだ」


 武器について、訓練官に繰り返し注意されたことをシオンは思い出した。リンク・メイトは生涯で一度きりしか渡されない。それゆえ、武器のロストは死に直結する、と。加えて、リンク・エネルギーを消費し過ぎるとリンク・メイトの寿命を減らすことになるから適度に使用せよ、とのことだった。


「リンク・エネルギーの生成装置が、第1にエリアにあることは存じています」


「そうか。なら、その源は知っているか?」


 シオンは首を振って否定した。原理について教わることは一切なかった。必要なのは用法のみ、とのことだった。


「リンク・エネルギーの生成について話そう。それはなにも、無限に力を作れるものではないんだ。生成可能な量が決まっており、ひとつひとつの……耐用年数も限界がある」


 シオンは頷いた。それはそうだろう。いかなる装置であれ、必ず劣化し、使用にえなくなる。それは物事の道理であり、厳めしい顔付きで告げるべきこととは思えなかった。


「率直に言おう」


 隊長の眼差しが鋭く、そして冷たくなった。


 その口から流れた言葉は、あまりに冷酷だった。


「リンク・エネルギー生成装置は、優遇住民だ。彼らを培養液に浸け、生かさず殺さず、ただ繋がりの活力リンク・エネルギーのみを吸い出す」


 シオンは呆然と隊長を見つめた。そして、その言葉を頭で繰り返す。優遇住民、培養液、吸い出す……。

「隊長……今、なんと言いました」


 隊長は手をひらりと振るだけでシオンの問いには答えなかった。「リンク・メイトは優遇住民の魂がブリキの塊に宿った物だ。武器が壊れたら優遇住民も死ぬ」


「死ぬ……?」


「魂が喪われて尚、生きている人間はいない」


「退役した際、第1エリアで優遇住民と暮らすという話は……」


「出鱈目に聞こえるだろうが、シオン、お前は退役という意味を知って使っているのか?」


 シオンは、退役という言葉に引退程度の意味しか認めていなかった。


「俺たちの言う退役は、リンク・メイトが破壊され、自分自身も物理的に死ぬことを意味する。そして、逃げ出したらリンク・エネルギーの源は即日処分だ」


 シオンは眩暈を覚えた。間違っている。とてつもなく。それでは、なにもかも夢想でしかなく、蜃気楼より儚い幻だった、というのか。


 猛烈な後悔が、シオンの胸に広がった。私が入隊許可証を受け取ったあの日から、運命は決まっていたのだろうか。ああ、きっと、そうだ。


「……繰り返すが、俺が優遇住民として指名したのは実の弟だ。無論、リンク・エネルギーについては知らなかった。……弟は手足に麻痺があって、まるっきり働けなかったんだ。第40番台のエリアで労働できない人間はどういう末路を辿るか、知らないわけではないだろう。……俺は弟をなんとか優遇住民として生かしてやりたいと思った。それだけだ」


 隊長は立ち上がり、酷く慎重な手付きでリンク・メイトを納めた。そして去り際、シオンの肩に手を置いた。


「好きなだけ吐くといい。お前がこの先どうするかは任せる」


 隊長が部屋の扉を閉めるまで、なんとか耐えたシオンは、ひとしきり吐いた。どろどろと不健康な吐瀉物が隊長の部屋を汚すのを、しかし、一向に気にしなかった。


 反吐の中に倒れ込み、長剣を見つめる。


 そして恋人の面影を心に思い描いた。


◆◆◆◆◆


 十年後。

 

 本日は新兵の入隊日である。初々しく、そして痛ましい瞬間が訪れるだろう。


 やがて扉が開き、新兵が入室し敬礼をした。「呻熟シンジュク区担当部隊隊長シオン殿。私は――」


 退屈な自己紹介が終わる。シオンは冷ややかに新兵を見つめる。頬の赤い青年。ウブだ、こいつはなにも知らない。可哀想、とは微塵も思わなかった。同情はするし、自由意思は尊重する。ただ、坊やが大事に下げた武器は、文字通り命の重さを持っている。


 シオンはソファに座るよう、手で促した。彼は一礼し、ゆっくりと腰かける。


 さて。


「地上に出る前に、話すことがある」

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