お墓の人
逢雲千生
お墓の人
毎年八月になると、どこの家もお墓参りに出かけていた。
物心ついた頃からそうしていたので、特に気にしたことはなかったけれど、一度だけ。
たった一度だけお墓参りをしなかった年があった。
高校生の時、友人がどうしても一人では無理だと誘われ、彼女にとって初めての彼氏と三人で出かけた年にだけ、私はお墓参りをしなかったのだ。
母には何度も言われていたけれど、兄と弟がいるので、子供が一人減っても大丈夫だと自分なりに言い訳して、私はさっさと出かけてしまった。
友人である
正直、お邪魔虫だろうと思っていたけれど、全然そんなことはなくて、お互いが異性と付き合うのが初めてだということを知り、仲人のように二人の会話をつなげたりもした。
はじめは気まずかったけれど、慣れれば楽しいもので、自分の立場を忘れて、はしゃいでいたほどだ。
けれど、楽しい時間の終わりはあっという間にやって来て、幸せな気分で帰宅した私を待っていたのは、怒りの形相で門前に立つ、母と祖母だった。
「あれほど言ったでしょう。お墓参りには必ず参加しなさいって!」
母の横で祖母もうなずき、説教部屋と化した仏間には、私が持っていくはずだった線香がきちんと残されていた。
誰かが持っていけば良かったのにと思ったが、紙が巻かれたままのそれは、手つかずのままお盆の上に乗っていたのだ。
私の住む町は、それほど大きなところではなく、村と呼べるほど小規模な町だ。
隣近所だけでなく、少し離れたところに住む人であっても、顔見知りであったり、親しく交流を深めていたりするくらいで、噂話などあっという間に広まってしまう。
祖母は、お墓参りに私が来なかったことを責めることはしなかったが、黙って線香が乗ったお盆を私に差し出した。
「ご先祖様が待ってる。早く行って来なさい」
「今から?」
外はもう暗い。
夏であっても、山に囲まれたこの地区は特に日の入りが早く、他より一時間も早くに暗くなってしまう。
お墓は山の中にあるため、真っ暗な中を歩いていかなければならないのだ。
「やだよ。明日でいいじゃん。明日の朝、早起きしてお供えしてくるから、ね」
「ダメだ。早く行って来なさい」
祖母は言い出したら聞かない。
母に懐中電灯と、ライター代わりの着火マンを渡され、父と弟に見送られながらお墓へと向かった。
お墓までの道のりは長く、一本道でなければ苦労するほど遠い。
家から真っ直ぐに伸びる山への道路を歩き、手作りの鳥居をくぐって山に入ったところからが大変だ。
鳥居の先は砂利道で、長年、人に踏まれてすり減った石が滑り、歩きにくくなっている。
出かけた時の姿のままなので、蚊に刺されもするし足元もおぼつかない。
かかとの高い靴なので、坂道を登る頃になると、もう歩きたくないほど足が疲れてしまった。
途中まではほとんど平らな道だけれど、急に坂道に切り替わるため、暗いとその感覚が不思議に思えた。
まるでいつもと違う場所を歩いているようだと、長い坂道を登りながら考えた。
ここは別の道で、自分は違う場所で歩いているのではないか。
そう考えながら坂道を登り切ると、月明かりに照らされて、墓石が鈍く光るのが見えた。
「やっと着いた――!」
山の一部を切り崩して作られた墓地は、日当たりが良くなるようにと、墓石が建てられた場所から、周囲数十メートルの木を伐採して整備している。
これら全てを、機械が普及していなかった昔の人が人力でやったと聞いて、驚きつつも尊敬したものだ。
自分の家のお墓はすぐに見つかり、持ってきた線香に火をつける。
風が出ていないので、火はすぐについてくれた。
その時、視界の隅に誰かが見えた。
顔を上げて、見えた方向を見るけれど、そこには墓石があるだけだ。
おかしいと思いつつも、線香をお墓に供えると、手を合わせて目を閉じた。
(今日はお墓参りが遅くなってしまってすみませんでした。お線香を供えましたので、どうぞ怒らないでください)
子供っぽいと思ったけれど、母と祖母に怒られた後だったので、これ以上怒られたくない気持ちが強かったのだ。
目を開けて墓石に刻まれた自分の名字を見ると、不思議なことに怖いという気持ちは消えていた。
早く帰ろうと歩き出すと、また視界の隅に誰かを見た。
「……誰?」
こんな時間に誰かいるのだろうか。
おそるおそる尋ねるが、返事はない。
あたりを見回し、お墓の間ものぞいてみるが、人影も動物の影も見えなかった。
気のせいだろうか。
早く帰って寝ようと、お墓の間を歩いていくと、再び誰かが見えた。
急いで見えた方を向くが、やはり誰もいない。
それどころか、そちらにあったのは近所の家のお墓だ。
きちんと手入れされている立派なもので、月明かりに照らされた自分の姿が映ったのだろうと、そう考えて肩の力を抜く。
疲れているのだ、きっとそうだと、足早に墓地から出ると、嫌なのに振り返りたくなった。
振り返ってはいけない。
だけど、振り返りたい。
ドキドキと心臓が高鳴り、やめて、と叫ぶ心とは反対に、目は、体は、墓地の方を向いてしまった。
墓地には、黒い誰かがいた。
ぼんやりとした輪郭のその人は、黒い服に黒い髪の人だということはわかったけれど、男か女か、大人か子供かまではわからない。
ただそこに立っていて、私が通った道を歩いて、家の墓石の前に立った。
何をする気なんだろう。
そんなことを思ったかどうかも覚えていないけれど、あっという間に、一瞬でその人は消えてしまったのだ。
それを見てからの記憶はない。
家にいた弟の話だと、隣町のコンビニまで車で買い物に行った兄に背負われて、真っ青な顔の私が帰って来たとだけ、朝目覚めると聞かされた。
父は何も言わず、私の話を黙って聞くだけだったのだけれど、母は顔色を悪くして怒った。
「そんな話、もう二度としないのよ!」
お墓参りをしなかった時よりも怒られて、とても落ち込んでしまった。
祖母は私の話を聞くと、突然泣き出して、何度も謝ってきた。
ごめん、ごめん、と、すすり泣く声でそう言われ、片方の手の平を何度も撫でられた。
それからは、一度もお墓参りを欠かしていない。
成人してからも、就職して家を離れてからも、毎年お墓参りの日だけは、私も兄も、弟も欠かさず参加している。
あの時見た黒い人については、誰も教えてくれなかった。
私も知りたかったわけではないし、知りたくもなかったので、今では兄も弟も忘れていることだろう。
けれど、お墓参りが近づくと必ず思い出してしまう。
あの時見たものは何だったのか、と。
お墓の人 逢雲千生 @houn_itsuki
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