第26話 元新聞部員は語る
大泉先輩は唐突な質問に一瞬神妙な顔で僕を見る。
「良く知っているな」
「同じ学年の清瀬という新聞部員から聞いたんです。意見が合わなくて辞めてしまった大泉という三年生部員がいたと」
清瀬自身が直接聞いて否定しているのだから大泉先輩が犯人ではないのだろうが、この至極明朗快活な人物が清瀬と対立するに至った経緯をこの人自身の立場からも聞きたいと僕は思ってしまったのだ。
「その……。清瀬からはこう聞いていました。彼女自身の『報道は声なき大衆の代弁者であるべきだ』『知られていない社会の歪みを多くの人に伝えることが役目だ』という主張に対して、先輩が『報道がするべきことは事実をありのままに伝えることだ』『歪みかどうかは読んだ人間が判断するべきだ』と応えて意見が対立した、と。そして新聞記事の評価で互いの意見の優劣を決めたと聞いたんですが」
「んー。ま、間違いじゃねえやな」
大泉先輩は難しそうな顔で小さく唸った。
「月ノ下といったな。……なあ、お前は集団の中に個人個人の考え方を超えた大きな意志があると思ったことはあるか。集団意識っつーのかな」
「大きな意志?」
この間、星原と話した集合的無意識とか国民性という感覚の話だろうか。
「例えばだな。人間は一人一人考え方が違うもんだよな。でもな、サッカーや野球で自分の国のチームが決勝リーグまで進もうものなら多くの人間が一体になって熱狂的に応援したりするだろ?」
「はい」
「それに今でこそほとんどのマスコミは戦争というものについて否定的だが、第二次世界大戦のさなかの日本の新聞は戦争を肯定的にとらえているところの方が多かった。『欧米がアフリカや南アメリカに多くの植民地を持っているのに、同じように日本が獲得した大東亜共栄圏をなぜ奪われないといけないのか』ってな。多くの国民もそれに賛同していたんだ」
「そうですね。その当時はみんながそれが正しいと思い込んでいたってことでしょうね。熱に浮かされたみたいに」
ここで大泉先輩は「それだ」と僕を指さした。
「俺が言いたいのはそういう事なんだよ。『声なき大衆の代弁をする』? まあ、社会問題を取り上げるという意味では意義があるかもしれねえ。でもよ、その大衆の考え方が全体的に間違った方向に進んでいたら明らかにまずい。……読者に与える影響にしたってそうだ。自分の思っていることと同じ考えを新聞やテレビが大きな声で代わりに主張してくれることにはある種の快感が伴うんだよ。一体感とか自己肯定感とかそういうのを味わえるわけだ。それが後から評価して正しいか間違っているかに関わらずな。だが、それはあくまで『結果』であって新聞の役割は読んだ人間にそういう快感を与えることじゃあないはずだ」
話を聞いていてなるほどと納得するものがある。
衆愚政治という言葉もある。多数派の意見が常に正義という訳じゃあないのだ。
彼は無言で頷く僕にさらに話を続ける。
「記事とかを発信しているとたまに感じるんだ。何かを批判した時に『よく言ってくれた』『俺もそう思う』と肯定するのに加えて『前からあいつは気に入らなかった』『いい気味だ。スカッとした』と自分の中の正義感を満足させるコメントを、な。……そういうときに俺は何かこう間違っているんじゃないかっていう違和感を覚えるんだよ。だが清瀬は俺と同じようには思わなかったみたいでな」
「そうでしょうね」
彼女はそんなふうに自分の書いた記事に読者が感情を動かされるのを見て、むしろ自分が正しいと思ったことだろう。
「あいつは俺と同じように集団意識の存在を認めながら、逆にそれを煽ることが正しいんだという風情だった。大衆というのは悪役を求めているんだ、と。そうすることで自分たちは正義の側に回りたいんだとな。実際、記事を書くときに問題点を『わかりやすい個人』に絞ったあいつの記事は人気があった。対して、感情的な結論を避けて客観的な立場から『なぜこういう事件が起きたのか』という経緯をまとめようとした俺の記事は人気が出なかった」
目の前の元新聞部員はどこか遠い目をしていた。
「だから一つの集団が共有している意識というのをリアルタイムで反映してキャラクター化したらどうか、なんて思ったね。そうしたらみんな自分たちの考え方を客観的に省みるんじゃねえかな」
そう言えば数年前に国家を擬人化した漫画やアニメが流行したことがあったな、と僕は思い出す。
「なるほど、国民性とかをキャラクターとして擬人化して創るわけですか。確かに集団的な意識を生身の人間ではない何かでリアルタイムで反映して見られるような形にすれば、みんなその場の雰囲気に踊らされずに冷静に考えるようになるかもしれませんね」
この時、僕はこの大泉という先輩の考え方にある種の面白みを感じていた。少なくとも清瀬よりはこの人の方が僕と話が通じる気がする。
と、内心でそんなことを考えていた時だ。
「あの、あたしからも聞きたいことがあるんですけど良いですか?」と日野崎が手を挙げた。
「ん、何だ?」
「実はあたし、数日前にパソコン教室でこんな忘れ物を見つけまして……」
日野崎がゴソゴソとポケットから取り出したのは、先日新聞部のところで持ち主を尋ねていたUSBケーブルだった。
「誰かが置いて行ったみたいなんですけど、結局わからなくて。大泉先輩ならパソコンとかに詳しいからひょっとして、こういうのに心当たりあるかなって」
「どれ、ちょっと見せてくれ」
「はい」
大泉先輩は日野崎からUSBケーブルを受け取ってまじまじと観察する。
「……これはUSBタイプCだな」
「何ですか、それ? 普通のと何か違うんですか?」
「USBにはいくつか規格があんだよ。例えばマウスとかUSBメモリを差し込むのに使うのが一番大きい『USBタイプA』だ。プリンタとかをつなぐのに使う差込口が正方形っぽい形なのが『タイプB』。その他にもデジカメとパソコンを繋ぐのに使う、少し小さい『MiniUSB』とか携帯電話とかに接続する『MicroUSB』があるんだが。このタイプCは何年か前に出てきたやつでな。電力もデータの転送もできるってやつだ」
話を聞いて僕は疑問を口にする。
「それくらいだったら今までの携帯電話とパソコンをつないだりするMicroUSBとかでもできるんじゃあないですか?」
「もちろんそうだが、こいつは転送できる容量が大きくてな。パソコン同士でも使えるんだよ。……もちろん規格が違う場合には変換機がいるけどな」
日野崎が「へーっ」と感心したように声を漏らした。
「要はパソコンでも携帯でも、規格が合えば何にでもつなげられるんだ。便利だねえ。それなら無くしたらちょっと勿体ない気持ちになるだろうに、どうして名乗り出ないのかな。誰かに持っていかれたからって諦めちゃったかな」
彼女は不思議そうに首をかしげる。
「そろそろ良いか? これからオンラインゲームを仲間とプレイすることになってっからよ」
言いながら大泉先輩は立ち上がる。
「あ、はい。ありがとうございまし……あれ?」
「ん、なんだ?」
大泉先輩の使っていたノートパソコンが「小さな薄い箱のようなもの」に繋がっているのが僕の目に入ってくる。あれはいわゆる外でもインターネットにつなげられるモバイル用のルーターというやつだろう。
「えっと、大泉先輩はそのルーターでノートパソコンをネットにつなげているんですね」
「そりゃあ、そうだろ。学校のサーバーは『パソコン室でLANケーブルに繋がないと使えない』からな。だがあんなところでゲームをしたら人目につく。あ、先生たちには内緒で頼むぜ?」
「あ、はい。それは別に」
「用事はすんだか?」と後ろで様子を伺っていた明彦が声をかけてくる。
「……ああ、大丈夫」
僕は動揺を抑えて彼に答えると「そ、それじゃあありがとうございました。失礼します」と大泉先輩に一礼して部屋を後にした。
「ねえ、どうかしたの? 何か焦っているみたいだけれど」
教室を出てすぐに日野崎が心配そうに僕に声をかけてくる。
「……とんだ見落としをしていた」
「何の話だ?」
明彦も不審な顔で僕を覗き込む。
「僕はてっきり犯人は去年のパソコンの買い替えの時に古いパソコンをくすねて、そこからボットを使って新聞部のホームページに悪意あるコメントを書き込んでいる、とそう思っていたんだ。だから『ドメインがうちの学校なのにIPアドレスがパソコン教室にある端末と一致しないんだ』とね」
「違うのか?」
「私もそうなんだと思うけど?」
明彦と日野崎は口々に尋ねる。
「でもさ。パソコンを持ち出して他の場所でネットを使おうとしたらどうする?」
「そりゃ、さっきの大泉先輩みたいにモバイル用のルーターを繋げばいいんじゃないの」
日野崎があっさりと応える。
「そのとおりだ。そしてその場合『ドメインは自分のルーターを使っているんだから学校のものにならない』んだよ」
「あっ、そうか」
彼女は僕の指摘に顔をしかめつつ頭を掻いた。
そう、罵倒を書き込んでいたアクセス元のドメインがうちの学校だということは、つまり犯人はうちの学校のサーバーにアクセスしていたことになるのだ。しかし大泉先輩が言っていたように学校のサーバーを使うにはパソコン教室でLANケーブルに繋がないといけない。
「いや、でもよ。それじゃあ他の所に持ち込んでいたんじゃなくて『パソコン教室でつないでいた』ってことじゃあないのか?」
「ところがパソコン教室は普段は授業で使っているし、放課後は新聞部がいるんだよ。買い替え前の古い学校のパソコンを使うにしても、それを持ち込んで人目につかないように使うなんて不可能だ。……五分程度で済むような作業なら話は別だが、新しいコメントを追加してボットの設定の調整をするのも単純な作業じゃないはずだ。おそらく数十分はかかるんじゃないかな。それに電源の問題もある」
「電源?」
「耐用年数を超えている古いノートパソコンなんだ。バッテリーも多分死にかけていると見て間違いないし、代わりのバッテリーも簡単に手に入るものじゃない。だから使うとなったらコンセントに繋がないといけない。でもパソコン教室のコンセントは各席に一つあるほかは、プリンタ用のものが隅にあるだけだ。つまりあそこで使うとなったら他のパソコンのコンセントを引っこ抜いて使わないといけないだろうけど、授業中にこっそりやるにしてもそれは流石に目立つだろう」
横で話を聞いていた日野崎がため息をつく。
「じゃあ、つまりパソコン教室でボットを使って悪口を投稿しているのならば、古いパソコンを持ち込んで、コンセントとLANケーブルを繋ぎかえるという目立つ作業をした状態で小一時間そこにいないといけないはずだ、とこういうこと。確かにそんなことをしている誰かがいたらとっくに見つかっていそうなものだよね……」
明彦が眉をしかめて僕に確認する。
「要は犯人を特定するつもりが、そもそも実行できる人間がいないという結論になったというわけか」
そういうこと、と呟いて僕は頭を抱えたのだった。
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