第19話 最後のヒント

「なあ、小宮。チョコレートを渡した相手についてなんだけどさ」


 小宮くんの手当てが一段落したところで、明彦が彼に近づいて声をかけた。


「はあ」と若干疲れた表情で応える。


「ここまでの流れを踏まえて、もう一度だけ考えたらどうだ?」

「ここまでの流れを……?」

「そうだ。まず、最初はお前が見た羽村か誰かA組の女子かと考えていたが、その子は贈り主じゃあなかったし、他の誰かでも入れるチャンスはある。だからそこにこだわるべきじゃない。そうだろ?」

「そ、そうですね」

「だから次にチョコレートを渡したことを話した同じ料理部の誰かが怪しいと考えた、ここまでは良いな?」


 明彦の言葉に小宮くんは「はい」と首を縦に振る。


「でも、昭島でもないし立川でもなかった。それじゃあ後は誰が考えられる。身近でお前と親しい女子の中で」

「え?」


 小宮くんは明彦の言葉に虚を突かれたような顔になる。


「えっと、でも拝島先輩は彼氏がいると聞いたことありますし。それじゃあ、一体」


 何故ここまで来て出てこないんだ、という風情で明彦がじれったそうに小さく唸った。


「ほら、いるだろ?」

「いるって誰が?」

「だから、例えば『な』の次に『か』がついてその次に『が』がついて『み』が付く奴なんていないか?」


 さりげないヒントとはそれなのか? ほとんど答えを言っているんじゃないかな。


 小宮くんは流石に思い当たったようで「あっ」とショックを受けたような顔になる。


 それから数秒間、黙り込んで「あー……」と声を漏らして首を振った。


「僕って馬鹿ですね。……何で今まで気が付かなかったんだろ。自分が恥ずかしいです。僕のことをずっと前から気にかけてくれた女の子が近くにいたのに」

「なに今からでも遅くない。言ってやれ」

「はい」


 意を決した小宮くんの姿に、それまで黙って様子を見ていた中神さんが少しどきまぎした様子で彼に向き直った。


「僕にチョコレートをくれたのはなかがみ……」


 明彦がよっしゃ、とガッツポーズをとる。


「中賀みさきさんだったんですね」

「誰だ、それ」

「B組の子です。中学の時に同じクラスだったんですけど、その時に授業中に消しゴムを貸してあげたことがありまして。……きっとその時から恩を感じて僕のことを見ていたんですね」


 明彦の質問に小宮くんがよどみなく答える。


「いやいや、ないから」と昭島さんが右手を左右に振って見せる。


 僕も同感である。同じ中学だったというその子と小宮くんがどんな関係か知らないが、いくら何でもそんな数年前の些細なことをいまさらバレンタインデーという形で恩返しするなど不自然すぎる。


「えっと。……小宮くんって、そんな昔に女の子を助けたことをいちいち覚えているの? 消しゴムを貸したくらいの事を?」


 星原が奇異なものを見る目で小宮くんに尋ねる。


「いやあ。僕ってどういう訳か、昔から人に助けを求められることが多くて。でもたまに可愛い女子とか助けると、つい印象に残って記憶しちゃうじゃないですか。いつか向こうから恩を感じて惚れてくれないかなあ、なんて」

「ああ、そう」


 この場にいる女子の間で小宮くんの株が絶賛暴落中なのだが、本人は気づいていないようだ。


 一方、中神さんは無言で教室を出て行こうとしていた。


 僕は「あ」と小さく声を漏らしながらも教室から出た廊下のところで彼女を引き留めた。


「ちょっと中神さん」

「もう十分です」

「え?」


 中神さんは目を潤ませて僕を睨み返した。


「小宮くんの中では私なんて、昭島さんよりも立川先輩よりも、中学時代の知り合いよりも存在感がないんです。そんな私からもらったって喜ぶわけがないじゃないですか」

「な、中神さん」


 言いながら彼女は手に持っていた小物入れから、ピンク色の箱を取り出した。赤いリボンがかけられたそれは、小宮くんのために作ったチョコレートだろう。


「元々、私がしたことが原因で彼に期待を持たせて、傷つけてしまったのがいけなかったんです。だからお詫びに渡しておいてください。彼の机の上に返してあったとか適当に言ってください。……もっとも誰からもらったのかはわからないでしょうけど」


 言いながら彼女は僕にチョコレートを押し付けて走って行ってしまった。


 僕らの様子に小宮くんが不審に思ったのか、教室から出てくる。


「月ノ下先輩。どうかしたんですか?」

「あ、いや。なんでもない。……ところでさ。言いそびれたが、さっき君の教室でこれを見つけたんだ」


 僕は内心どうしたものかと考えあぐねながらも、ぎこちない笑みで中神さんのチョコレートを小宮くんに見せる。


「ああっ! これですよ、これ! 僕がもらったのは。でも、どうして……」

「さあね。色々あってやっぱり贈ることにしたんじゃないか?」


 僕は言いながら彼にピンク色の包装紙に包まれたそれを渡す。小宮くんは嬉しそうにそれを受け取って箱を開けた。中には抹茶のチョコレートを使ったらしいクッキーが詰め込まれている。


 しかしメッセージや贈り主の名前がわかるものなどは何も入っていないようだ。


「これだと誰がくれたのは結局わからないままですね」

「そうだな。……ところでさ、小宮くんから見て中神さんってどんな女の子かな」

「え?」


 彼は唐突な質問に首をかしげながら答える。


「性格は優しいしおしとやかで、クラスじゃ気づいている奴は少ないかもしれないけど顔だって可愛いと思います。……でも自分に自信がないみたいで、何か取り柄が欲しいからって料理部に入ったらしいです。その成果もあって料理だって上手だし、こんな女の子が彼女だったら良いなとは思いますけど」

「ほほう」


 何とはなしに「それを本人の前で言ったれ」という空気がここにいる全員から漂いはじめているのだが当の小宮くん自身はまるで意に介していない。


「ちなみに、中神さんが君にバレンタインの贈り物をくれるとは思わないのかな」


 小宮くんは僕の言葉に「あはは」と笑いながらこう答えた。


「僕にはもったいないくらい素敵な女の子ですし、それはないですよ。それに彼女はよく自分が作った料理の試食を僕にさせるんですよ? 本命の相手を練習台にはしないでしょう」

「そうか」


 それは君の気を引きたくて自分の作った料理を食べさせているんじゃないかな、と僕は思ったが伝えるべきなのかどうかはわからなかった。


 つまるところそういう関係にはならないというイメージができていて、彼女を贈り主の候補とは考えられなかったということなのだろうか。


「まあ、誰かわからないのは残念ですが、せっかくなのでいただきます」


 そう言って彼はチョコレートクッキーを口の中に放り込む。そして何故か「あれ?」と眉をしかめた。

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