第11話 ミームの価値

「しかし森下さんが他の人の絵を真似ていたかと思いきや、その作品も昔の日本画を真似たものだったとはねえ」


 荻久保が緩い巻き毛を掻きあげながら感慨深げに呟いた。


 一年生の女子たちと別れた帰り道。


 僕ら四人は教室に戻ってカバンを取ってきてから、校門の方へ向けて並んで歩いていた。


 明彦が思い出したように口を開く。


「そういえばさ。……この間、面白いと評判のアニメ作品を見たんだが『主人公が死ぬと時間が巻き戻ってやり直すことができる能力』を持っていて、来るとわかっているヒロインの危機を回避するために奮闘するという内容だったんだ」


「へえ。それはちょっと斬新な設定かもね」と荻久保が相槌を打つ。


「ところが、だ。その数年前にすでに『時間を戻す力を持った少女が死んでしまうはずだった友人を助けるために、何度も同じ時間をやり直す』という内容のアニメがあって、これはパクリじゃないか、という議論がネットで起こったのを見かけた」


 星原もその話に「設定が似ているわ。どこでもそういう話ってあるのね」と呟いた。


 僕もその議論にまつわる一連の話は聞いたことがある。


「明彦。その話なんだけど。……確か更にそれよりも前に『自分の脳内の記憶を過去の自分に送信できる簡易タイムマシンを作った青年が同じ時間を繰り返して恋人と友人を助ける』というゲームが発表されていたよね」


 僕の言葉に明彦が「ああ」と頷いてから応える。


「さらに言うなら、それよりも数年前に『ある人里離れた山村でおこった殺人事件の謎を、時間を戻す力を持った登場人物の一人が何度もやり直すことで解き明かす』という展開のゲームがあってだな」


 荻久保が「そうなると、その『時間をさかのぼってやり直す設定』はそれが原典ってことになるの?」と首をかしげた。これに対して明彦は「いいや」と首を振る。


「俺の知る限り、九十年代に『恋はデジャ・ブ』っていう同じ一日を繰り返す男が恋人を手に入れるために奔走する話があったし、それより前にも『リプレイ』っていうSF小説もあった。もっと前にもあったのかもしれないな」


「だから、今やループものっていうジャンルが形成されている状態なんだよ」と僕も補足する。


「同じような作品が二作出てきたら『盗作』、三作出てきたら『ブーム』、四作以上出てきたらもうそれは『ジャンル』になるというやつね」


 星原が目を細めて苦笑した。


 かつて誰かが考えた設定が換骨奪胎を繰り返して、時代の移り変わりとともに新しい要素を加えられて続いていく。これもいわゆるミームというものなのだろう。





 晴れてはいるが、冬の寒々とした空気が外に張り詰めるとある日の放課後。


 僕は星原と廊下を歩いていた。いつもの習慣となっている勉強会のため、図書室の隣の空き部屋に向かっているところである。


 森下さんの件が落着して既に数日が過ぎていた。


 僕はふと、思い出して星原に問いかける。


「なあ、星原」

「何?」

「いやこの間、星原が教えてくれたミームのことなんだけどさ」

「ええ」

「ああいう、その『誰ともなく真似を始めて広がっていく文化』というのは最後はどうなるんだろうな」


 彼女は僕の質問に少し沈黙してからこう答える。


「はっきり言えば二つの結末に分かれるわ。一つは定着して誰にでも知られる存在になる。……つまりありふれたものになってしまって文化的な価値が希薄になる」

「定着したのに価値がなくなるのか?」

「ええ、不思議なのだけれどね。価値があるからこそコピーされるのに、拡散するのに従って珍しいものではなくなってしまうから希少性を感じなくなるの」


 僕は「そういうことか」と小さくため息をついた。


「そういえば昔、ある巨匠漫画家が考えた表現が『斬新だ』として高く評価されたのだけれど、影響が強いために色々な漫画家が当たり前のように真似をするようになった。……すると若い世代が読んでもありきたりの表現にしか見えなくなって、あまり評価されないなんて話を聞いたな」

「ジーンズもゴールドラッシュの時にアメリカで擦り切れにくい作業着として作られたのよね。それでそのまま丈夫で便利ということで日本でもファッションミームとして流行したけれど、もはや当たり前のものになってしまったものね」


 確かに今でもファッションとしては存在しているが、なにかデザインやプレミアなどの要素がなければ、ジーンズそれ自体を「斬新な服」とは誰も思わないだろう。



「もう一つの結末は?」

「飽きられるか、他のものにとって代わられるかして消えていくのよ」


 彼女は肩をすくめて言った。


「ルーズソックスにパンタロン。厚底サンダルみたいに消えたファッションミームなんていくらでもあるわ。過去の流行語なんか見てもそうでしょう。一部の人に知られ始めたぐらいのときが一番勢いがあって、テレビでも流行が報道されて半分くらいの人たちが真似をするようになったころにはもう衰退が始まっているってやつ」

「なるほど」


 定着してありきたりな存在になるか、飽きられて廃れるか。


 どちらにせよ存在感が希薄になっていくのだろう。


 僕らがそんな会話をしていたとき、唐突に廊下の反対側から見知った顔の一年生が現われる。


 黒く長い髪に大人しそうな雰囲気の少女、森下さんだ。


「森下さん」

「ああ、月ノ下さん。それに星原さんも。……こんにちは」


 彼女は丁寧にお辞儀をする。


「調子はどうかな。絵は楽しく描けている?」

「ええ。でも……あれからあの犬のイラストは流行らなくなってしまったみたいです」


 彼女は少し寂しそうに呟いた。


「え? どういうこと」


 彼女の語ったところによると、あの後も大島はメッセージスタンプの販売を続けていた。実は森下さんが作ったものらしいということは一部のクラスメイトにも知られつつあったが、本人は気にしていないということもあって、そのまま一年生たちの間では愛用され続けていた。


 しかしある日、飯田橋先生が「生活指導のお知らせ」というプリントを配布した際に、なんとこの犬のイラストが使われていたのだそうだ。


 さらに「繁華街に寄り道しちゃダメ」のような指導的なセリフまで吹き出し表現で犬のキャラクターとして喋っている描写になっていたという。


 一年生たちからすると「角刈りでいかついおじさん教師が自分たちと同じ犬のイラストを使っている」というのはなんとも微妙な影響を与えられる感覚だったらしく、それからだんだん使うものがいなくなってしまったらしい。


「それは、また何といったものか……。あれだな。自分たちで使っているうちは洒落が利いていてキュートでポップなイラストに見えたけれど、『大人である先生』に使われると急に冷めちゃったってことなのかな」

「それもあるけど、飯田橋先生が使ったことでおじさん臭いイメージが定着して使いたくなくなったんじゃない?」

「……やめてあげてくれ。多分飯田橋先生としては生徒に親しみを持ってもらおうと思ってやったことなんだぞ」


 僕と星原のやりとりに森下さんは困ったように「はは……」と曖昧な笑みを浮かべる。


「あ。それじゃあ大島はどうしたんだ」

「ええ。彼女はイラストでもらえる収入を当てにしてお金の使い方が荒くなっていたみたいで。急に売れ行きが悪くなったから何とかしてほしいって私に泣きついてきました。まあ私にもどうにもできないので断りましたが」

「そうか」


 あの傍若無人を絵に描いたような大島が困った顔をして泣きついてくるとは少し想像しづらいが、そもそも人のイラストを盗用して儲けていたのである。上手くいかなくなっても自業自得ではないだろうか。


「別にもともと私はお金目当てではなかったですし、そもそも販売目的で描いていなかったから良いんですけどね。……でも一度は皆、あれだけ私の書いたイラストに親しんでくれたのにもう忘れちゃったみたいでそれが少し寂しいな、なんて思うんです」

「森下さん……」


 窓の外に目を向けて黄昏れる彼女の姿に僕は少し同情した。


 と、その時だ。


「あの、森下玲美さんって君?」


 彼女の背後に一人の男の子が立っている。髪を切りそろえてお洒落なデザインの眼鏡をかけたサブカル系男子という雰囲気だ。ネクタイの色からして一年生のようである。


「はい。そうですけど」

「そうなんだ。僕、一年C組の篠崎っていうんだけど。この犬のイラストって森下さんが描いたって本当?」


 彼は携帯電話を操作して、例の犬のメッセージスタンプの画像を見せた。


「あ、うん。元のデザインは私。……といってもそれだって他の人の作品に影響を受けたものだけど」


 消え入りそうな小さな声で彼女は答える。しかしそんな遠慮がちな彼女に構うことなく篠崎と名乗った彼は「凄いな!」と称賛の声を上げる。


「そ、そう?」

「こういう素敵な絵が描ける人って、繊細で綺麗な人なのかなって思ったけどイメージ通りだった」

「せ、繊細? 綺麗? わ、私が?」


 森下さんは顔を真っ赤にしてもごもごと呟く。


「あのさ、僕もこういうの描きたいんだけど、今からでも美術部に入部ってできる?」

「……え。うん。部員少ないし男手欲しがっているから、みんな喜ぶと思う」

「本当かい? それじゃあさ、入部したらイラストの描き方とか森下さん教えてくれないかな?」

「え、うん。私なんかでよかったら」


 話が盛り上がり始めた二人を見て、星原が僕の袖を引っ張る。


「……邪魔したら悪いし、行きましょう」

「そうだな」


 僕らは森下さんと篠崎という男子を残してその場を通り過ぎた。



 

 ミームというのは、誰かが始め、他の誰かがそれを真似して広がっていく文化である。


 いずれ流行が過ぎれば廃れるか、定着してありふれた存在に成り下がるか、そんなものだ。


 しかし。


「江戸時代の絵師に美術部の卒業生が影響を受けて作品を創り、それが時間を超えて森下さんにも感銘を与えた。その森下さんの絵を見て心を動かした人間が自分も美術を志そうとする、か」


 僕は何となく感慨深い心持で呟いた。


 ミームという言葉は「真似をするという単語」と「遺伝子という単語」から作られた。


 文化の遺伝子。言い換えれば人を通じて伝わっていく想いの形だ。


 人から人に伝わっていく想いは途切れてしまうこともある。しかしまた誰かが再発見して価値を見出すこともある、ということなのだろう。


「森下さんの描いたイラストも一度は皆忘れてしまったけれど、彼女に小さな自信が芽生えたのは事実でしょうし、ああやって彼女が描いた感動を受け止めて賛同してくれる人だっていた。ちょっと素敵なことかもね」


 隣を歩く星原も呟きながら「あーあ」と聞こえよがしにため息をつく。


「どうかした?」

「いいえ。私も小説家志望でしょう」

「ああ。そうだな」


 もともと僕が彼女と一緒にいるようになったきっかけは星原から「自分が書いた小説を読んで感想を聞かせてほしい」と言われたからだ。


「私もあんな風に人の心を動かすことができたら素敵だなあって思ったの」


 もしかして彼女はさっきの森下さんを見て羨ましかったのだろうか。


「何を言うんだ。星原だって十分に凄いさ」と僕は彼女を励ました。


「そ、そう?」

「うん。僕は星原の小説を読んで、こんな素敵な文章を書く人は繊細で綺麗な女の子だろう。ああ、まさにその通りだったと思ったね」


 星原は僕の言葉に軽く顔を引きつらせる。


「月ノ下くん。誉め言葉か口説き文句のつもりか知らないけれど、そういうのは丸ごと真似しないで、自分の言葉で伝えてちょうだい」


 言いながら彼女は僕の足を軽く蹴飛ばした。


 そして「まったくもう」と不機嫌そうな声で呟いて、僕を置いていきそうな勢いで歩き去っていく。


 ううむ。ああいう言葉を求めていたと思ったのだが、丸ごと使いまわしたのがいけなかっただろうか。僕の場合は人から人に伝播していくようなミームよりもまず目の前の女の子に想いが伝わる言葉を考える方が先のようだ。


 心の中でそう呟くと僕は彼女を急いで追いかけたのだった。

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