ひとつ空の下

佐武ろく

須川 真梨乃の惚れた男は既婚者

須川すがわ真梨乃まりの 25歳>


「はぁー」




『会いたいな』というメッセージに中々既読が付かないLINEを見つめながら自然と零れるため息。



「仕事中かなぁ」




そう呟きながらベッドに倒れる。するとすれ違うようにスマホから返信の知らせが聞こえた。飛びつくとすぐにLINEを開く。期待に胸を膨らませ返信を見るがそこに書かれていたのはいつもの返事。



「今日は無理って。あたしが誘うといつもじゃん」




少し拗ねながらそう呟き再びスマホをベッドに投げ捨てる。



「結局あたしは2番。ただの遊び」




そんなことはわかってる。分かっててこの関係になった。あの人にとってあたしはただの都合のいい女。だけどこのままこんな関係を続けても苦しいのはあたしだけ。奥さんに申し訳ないと思いつつあなたの一番になることもない。ただ辛い。もう彼が振り向いてくれないのならこんな関係終わらせたい...。何度そう思っただろうか。


気が付いたら眠ってしまっていた。目尻からベッドにかけて残る涙の跡。ほんのり濡れたシーツ。



「また泣いちゃってた」




涙に濡れた部分を手でなぞっていると着信音があたしを呼ぶ。スマホを手に取り緑色のアプリを開いた。そこには『やっぱり今から会えないか?』の文字。そのメッセージを読んだ途端、自然と口角が上がる。



「単純な女」




そう言いながらも心は踊り指は『今すぐ行くね』と返信していた。結局、どれだけ泣こうともどれだけ苦しくてもあたしはあの人から離れられない。だってどうしようもなく好きだから。


返信を終えるとすぐに準備を始めた。無理だと分かっていてもあの人に振り向いてもらえるようにあの人好みの化粧をしてあの人好みの服を着る。そして会いたいという気持ちが時間より早く家を出させた。


早めに待ち合わせ場所に着くと身を震わせる冷たい風の中、フェイスパウダーの鏡で最後のチェックをする。チェックが終わってもまだ有り余る時間。やることもなく辺りを見渡しているとショーケースに並べられた純白のウエディングドレスが目に止まった。あたしの目は釘付けにされ誘われるように立ち上がり目の前まで導かれる。



「きれい...」



ドレスに見惚れているとガラスに顔が映りまるで自分がウエディングドレスを着ているように見えた。思わず顔がニヤける。いつかあたしもこんな風に...。するとショーケースに映った後ろのカップルの会話が聞こえてきた。



「えーほんとにー?」

「本当だって」

「ほんとに今の女の人見てなかった?」

「見てなかったよ。俺が愛してるのはゆきちゃんだけだよ」

「も~、恥ずかしいじゃん」




幸せそうなカップル。あの人達もこのままうまくいけば結婚とかするのかな。もう一度ガラスの中のウエディングドレスを着た自分を見る。



「あの人の隣でこれを着ることはできないよね」




その現実を突きつけられると先ほどまで輝いて見えたウエディングドレスも叶わぬ夢を見ているようで辛い。それから待ち合わせ時間を少し過ぎたころ。



「おまたせ」




スーツとその上からコートを着た年上のあの人が来た。細くも逞しい長身にシンプルな眼鏡とスーツ姿が良く似合うあたしの好きな人。他の女性を愛し、他の女性に愛されている人。



「待った?」




そう言いながら腕時計を見る。



「ううん。今来たとこ」




定番の答え方。



「ならよかった。じゃあ行こうか」

「あたしお腹すいちゃったなぁ」




甘えるようにそう言いながら彼の腕に抱き付く。今この時間だけあたしはこの人の女になれる。だけど太陽の下で堂々とではなく隠れるように夜空の下でしかこの人の隣を歩けない。



「じゃあフレンチでも行こうか」

「やったぁー」




そう大袈裟に喜び彼に寄り添いう。彼に少しでも気に入ってもらえるように振舞う。もっとあたしを見てほしくて。少しでも彼に喜んでほしくて。だけどそうやって必死に彼にしがみついているような自分が情けなくてキライ。でも彼の前でそうやって振舞っちゃうのはきっとどうしようもなく彼が好きだから。どうしようもなく彼を愛しているから。


彼につれられてきたのは少し高そうなフレンチレストラン。予約はしてなかったけど席が空いててすんなりと入れた。彼が手慣れた様子で注文を済ませる。



「急にごめん」

「いいよ。先に会いたいって言ったのあたしだし」




そこへ赤ワインが運ばれてきた。店員さんがそれぞれのグラスにワインを注ぐ。お互いグラスを持ち上げると彼の指に指輪が付いているのが見えた。まるで、彼は私のものと主張するように泥棒猫と罵るようにその指輪はあたしに睨みを利かせる。その視線に彼が気が付いた。



「あっ。ごめん」




そう言うと指輪を外しポケットにしまった。



「全然大丈夫」




思ってもないことを平然と言ってのける。めんどくさいって思われたくないから。そして静かにグラスの触れ合う音が響いた。それからは他愛のない会話をしながら料理を食べていた。



『周りから見たら今のあたし達はカップルに見えてるのかな?』



食事も終盤、ワインを飲みながら周りのお客さんを見ているとついそんなことを考えてしまった。だけどもしそうなら嬉しい。



「どうしたの?」

「え?」

「なんだか嬉しそうな顔してたけど?」

「ううん。ただ会えて嬉しいなって思っただけ」

「良かった。俺も嬉しいよ」




思わず笑みが零れた。彼の声でそう言われると自然と嬉しさが込み上げてくる。



「この後はどうしようか?」

「んー。夜景とか見に行きたいな」

「じゃあそうしようか」




そして次の予定に心を躍らせながらデザートを待っていると彼のスマホが鳴った。手に取った画面に視線を落とす。そして彼の上げた顔を見た瞬間、何を言うか分かった。お願い何も言わないで。そう願っても針は進む。



「ごめん。帰らないと」




本当は『嫌だ』って言いたい。『行かないで』って言いたい。もし『今夜は、あたしに恋をして』なんて言ってその手を引いたら彼はどうするだろうか。今夜はあたしの傍にいてくれるだろうか。もしそうなら...。



「大丈夫だよ」




いや、ただ彼を困らせるだけ。だからあたしはいつも通り平気そうな顔をしてそう言う。



「支払いはしとくからデザートも楽しんで」

「ありがと」

「じゃ、また連絡する」

「待ってるね」




あたしは見えなくなるまで彼の背中を眺めた。そして少しして店員さんが持ってきてくれたデザートを口に運んだ。あたしを慰めるように口の中に広がる甘さ。おいしい。だけど彼と食べたほうがもっとおいしかったのかもしれない。なんて考えてしまう。でもおしい。そしてあたしもレストランを出ると寒い中1人、家に帰った。

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