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紫夏
本編
ある日の昼下がり。
「おかーさん、ぼくお外で遊んでくる!」
そう言って靴を履くと、男の子は玄関から元気よく飛び出した。
窓から、お母さんの声が飛んでくる。
「まーくん、車に気を付けて。夕方には帰ってくるのよ」
「うん!」
大きな声で答えたまーくんは、近所の公園に向かって走る。
「あっ、ねこさん!」
道の途中で猫を見つけたまーくんは、その猫に近づいていく。やがて走り疲れたまーくんが走って追いかけると、その猫は小路へと入っていった。
大人には通れないくらいの細い道を、猫はするすると進んでいく。まーくんも、時々つまづきそうになりながら追いかけていく。
夢中で猫を追いかけていると、いつの間にか広い所に出た。
「…あれ? ここ、どこだろう」
家の近くのはずだが、まーくんが見たことのない景色だった。
たくさんの人が行き交っており、その人たちの髪の色は、金、赤、茶と様々だ。黒髪の人もいたが、日本人ではないようだった。
道の両側には、白い壁と三角屋根の、同じような家がたくさん並んでいる。
テレビで見た事のある、外国のお家みたいだと見上げているまーくんの耳に、行き交う人たちの話し声が聞こえてきた。
喧噪の中で周りの会話を聞き取ろうと耳を澄ませるが、なかなか聞き取れない。まるで日本語じゃないみたいだ。
「あ、ねこさん」
まーくんが辺りを見回すと、今まで追いかけていた猫が細い道に入っていくのが見えた。
慌てて追いかけるが、見失ってしまった。
聞いたことのない言葉と、知らない場所。そして、ここまで追いかけてきた猫がいなくなってしまったことに、段々心細くなってくる。
「ここはどこなの?」
きょろきょろと辺りを見回すが、知っている人はいない。道を歩く人たちも、小さなまーくんには気付かずに、さっさと歩いて行ってしまう。
溢れてきた涙を服の袖で拭っていると、「おやおや、どうしたんだい。坊や」と声が聞こえた。
まーくんが顔を上げると、白髪のおばあさんがこちらを心配そうに見ていた。
「おかーさんもおとーさんもいないの」
「はぐれたのかい。お母さんたちが来るまで、この店で待っていたらどうだい? 町を守ってくれる方々に知らせておけば、夕方までには迎えが来るだろう。きっと大丈夫だよ」
「…うん」
「さぁ、お入り」
促されるがままに木の扉を押すと、ギィと音を立てて開いた。
店の中には木で作られたおもちゃや家具がたくさん置かれている。売り物らしく、きれいに棚に並べられていた。
「入ってもいいの? ありがとう、おばあちゃん」
「ありがとうが言えて偉いねぇ」
おばあさんが目を細める。
靴を脱いで店の奥まで歩いていくと、白髪のおじいさんがいた。おばあさんから簡単に事情を説明されると、まーくんの頭を撫でた。
「小さいお客さんだねえ。いらっしゃい。ゆっくりしていくといい」
「おじゃまします!」
「どうぞ。ほら、ここに座りなさい。お母さんが来るまで、おじいちゃんと遊んでいよう」
それから、まーくんは今までしたことのない遊びをたくさんした。
木でできた汽車やパズルで遊んだり、綺麗な石を相手の陣地から弾く遊びや、木箱の上に書かれた線に五角形の木片を置いていく遊びもした。
今まで、室内ではテレビゲームしかしたことのなかったまーくんには、すべてが新鮮で面白かった。
途中でおばあさんも混じってみんなで陣取りゲームをしたり、おばあさんから布でできた球を投げる遊びを教わったりと、とても楽しかった。
しかし、楽しい時間はすぐに過ぎていくものだ。
「まだお母さんは見つからないのかねぇ」
そんなおばあさんの呟きに、まーくんがはっとして窓の外を見る。
町はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「ぼく、帰らなくちゃ」
「帰るって、家への帰り道は分かるのかい?」
「うん」
心配だからと途中まで送ってくれようとするおじいさんに「大丈夫!」と答え、まーくんは二人にお礼を言った。
「今日はありがとうございました。また来るね。おじいちゃん、おばあちゃん」
「またおいで。それにしても、本当に大丈夫かい?」
「うん!」
「そうだ、まーくん。これを持っていきなさい。お土産だよ」
「わぁ…! 機関車だ!」
木でできた汽車のおもちゃを受け取ったまーくんは、笑顔を浮かべた。
「お家に帰ったら、なくさないように名前を書いておくね!」
「それなら名前を彫ってあげようか」
「ほんと? あのね、ぼくの名前はたなかまさき! おじいちゃんたちの名前を一つずつもらっているんだ。えっとね、たしか、お父さんの方のおじいちゃんの名前がまさひろで、お母さんの方のおじいちゃんの名前がのりゆきなんだって。漢字はまだ難しくて読めないけど、お父さんがそう言ってた!」
「…そうなのかい。いい名だね」
「ありがとう! あのね、お父さんの方のおばあちゃんとおじいちゃんは元気なんだけど、お母さんの方はどっちも、ぼくが生まれる前になくなっちゃったんだって」
「そうか、まーくんはまさきと言うのか。――ほら、彫れたよ。まーくんの名前だ」
「うん。…うわぁ、すごい! ありがとう、おじいちゃん」
「どういたしまして。気を付けて帰るんだよ」
「うん! おばあちゃんもありがとう。お菓子、おいしかったよ!」
「それは良かった。――じゃあね、まさきくん」
「うん、またねー」
振り返って何度も手を振ると、二人とも笑顔で手を振ってくれた。
二人が人に紛れて見えなくなった後に、まーくんはきょろきょろと辺りを見回した。
「ねこさん、どこ? あれ。ここらへんだと思ったんだけどなぁ」
自分が抜けてきた小路を帰れば、家に帰れるはず。
自分が抜けてきた小路はどこだったかと一つ一つ確認していくと、何個目かの小路に、あの猫がいるのが見えた。
まーくんが日の当たらないところに座っている猫に近づくと、その猫は逃げずにこちらを見上げていた。
おじいさんからもらったおもちゃをそっと地面において、ねこに触れる。ふわふわとした毛並みにへにゃりと笑顔を浮かべていると、小路の奥から「まーくん、どこにいるの?」と声が聞こえた。
「あ、おかーさんだ!」
遠くから聞こえるその声を目指して駆け出す。
走って小路を抜けると、近くにエプロンを着たままのお母さんの姿があった。
勢いそのままに抱きつくと、お母さんが抱き上げてくれた。
「おかーさん、ただいま」
「おかえり。少し遅いから心配したのよ。公園にもいないし、どこに行ってたの?」
「おじいちゃんとおばあちゃんの所。面白い遊びをいっぱい教えてもらったんだよ! お手玉とか将棋とか」
「それは良かったわね。どこの家の方かしら。後でお礼を言いに行かなくては」
「うん!」
まーくんは、お母さんに抱きかかえられて家へと向かう。
夕日を背に、お母さんへと報告をしているまーくんの耳に、「にゃー」というかすかな猫の声が聞こえた。
「あのねこさんだ!」
笑顔になって振り向くが、夕日が眩しくて猫の姿は見えなかった。
数日後に、小路に忘れたおもちゃの事を思い出したまーくんは、家を出て小路へと走った。
昼間でも薄暗い小路を進んでいくと、地面の上に木のおもちゃが置かれているのが目に入った。
「あった!」
おもちゃをひっくり返してみると、『まさき』という彫がちゃんとあった。
まーくんは大切にそれを抱えると、そのまま小路を進む。
やがて小路を抜けた。
「…あれ?」
そこには、見慣れた景色が広がっていた。
あの町の風景ではなく、まーくんの近所の公園が目の前にはあった。
首をかしげるまーくんに、声がかけられる。
「まーくんだ。一緒に遊ぼうよ!」
「あ、みーちゃん。うん、いいよ」
「そのおもちゃはなぁに? 木の電車?」
「うん。もらったんだ」
「へぇー。ねぇ、今日はおままごとをしようよ。みーちゃんがママで、まーくんがパパね。おっきなお家に住んでて、犬と猫を飼っているの。お庭にはきれいなお花がいっぱい咲いていて…」
楽しそうな笑い声が、青空に届く。
未来に期待を膨らませる子供たちの間を、柔らかな風が通り過ぎていった。
パス 紫夏 @sinatsu
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