12星座ヤンデレ 6 いて座~うお座+α(へび)

@redbluegreen

第1話

タイトル:ご飯の前に

星座:いて座

タイプ:殺害型ヤンデレ




「……………(タッタッタッタ)。

 ねえ。待って、待ってよー。逃げないでー。

 待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ待ってよ。

 何で逃げるのー。どうして逃げるのー。恋人を置いてくなー!

 ちょっとちょっと早いよ早いよ。追いつけないって。

 逃げないで逃げないで逃げないで。

 待って待って待って待って。

 本当に待ってよ、もう。プンスカプンスカ。

 キミがそんなに足速いって、ぜぇぜぇ、知らなかったよ。

 こんなに一生懸命走っても、追いつけない。

 でもでもなんでなんで逃げるのさー。

 恋人の私から逃げるんだよー。

 ちょっと待ってちょっと待って、足止めてよ。

 なんでなんでなんで、どうしてどうしてどうして。

 あ、もしかしてあれ? さっき言ったあれがが理由かな? 理由なの? キミが逃げるのって。

 でもでも、そんなたいした事言ってないじゃん。たわいない事じゃん。ささいな事じゃん。

 ちょっと、


 キミの事が食べたい。


 って、言っただけだよ私。

 ねえ、キミを食べたいの食べたいの食べたいの。

 食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい。

 何が何でも食べたいのどうしても食べたいのとにかく食べたいの。

 食べさせてくれたらなんでもするから。

 食べさせてくれたらなんでもあげるから。

 ほらほらたとえばたとえばあれだよあれ。

 うーんと、うーんと。

 あっ、あれあげるって。

 お酒とかお酒とかお酒とか。

 私の家にある奴ぜーんぶ持ってってもいいからさー。

 だからねえ、キミを食べさせて。キミの全部を食べさせて。キミを余すとこなく全部食べさせて。

 お願いだよー。本当に、お願いだからー、食べさせてよー。

 待ってよ待ってよ。食べさせてよ食べさせてよ。

 キミが食べたいのキミが食べたいのキミが食べたいの。

 キミが食べたいキミを食べたいキミで食べたいキミの食べたいキミは食べたいキミに食べたい。

 食べたい食べたい食べたい。

 食べたいの食べたいの食べたいの。

 食べさせて食べさせて食べさせて。

 お願いだってー。恋人の頼みの一つくらい聞いてってばー。

 ねえねえお願いお願い。

 だから待ってよー。

 ……………(タッタッタッタ、タッタッタッタ)」




「……………ハァ、ハァ、ハァ、ハァ………

 うーん。全然追いつけない。いくら走っても追いつけないよー。

 キミってそんなにスポーツ得意だったっけ?

 それともさっき飲んだお酒がいけない?

 でも酔っ払うほど飲んでないしー。

 缶ビール三十本くらい飲んだだけだしー。

 他の理由かなあ?

 (スタスタスタスタ………)

 ハァ、ハァ、ハァ、ハァ………

 もう脇腹痛いー。おなか痛いー。

 いい加減止まってよー、もう。

 ………本当に追いつかないなー。

 いくら足を動かしてもキミに追いつけない。

 手を伸ばしても、キミには届かない。

 全然キミには届かない。

 届かない。届かない。

 届かない。届かない。

 届かない。届かない。

 届かないよー………

 ………。

 ―――キミと初めて出会ったのは、私が営業先でキミの会社に行った時だったっけ。

 私が用のある部署をキミに聞いたのが、きっかけ。

 最初はなんとも思ってなかったけど、その会社に行くたびに何度もキミの姿を見かけて。

 何となく気になるようになって。

 気付いたらキミを目で追いかけていて。

 しまいにはキミのことを探していて。

 キミを見るたびに胸が熱くなってドキドキして。

 初めてその気持ちになった時、それがなんなのか全然わからなかった。

 その気持ちがどういうものなのか、知らなかった。

 それを同じ職場の同僚に相談した時、吹き出して笑われちゃった。

 だって知らなかったんだもん。しょうがないじゃん。

 それまで通ってた学校がずーっと女子高だったから、本当の意味で、初めての恋。

 それが恋だって、好きだってわかって。ますますキミのことが好きになって。

 最初はまったく何をしたらいいのかわからなかった。でもどんどんキミのことが好きになっていって。

 とにもかくにもまずはと、キミを見掛けたら話しかけるようにして。

 段々と仲良くなっていって。

 何度かデートに誘って。

 思い切って勇気を振り絞って告白したら、キミはいいよって言ってくれたっけ。

 あの時は本当に嬉しかった。わーいわーいって飛び跳ねたいくらいに嬉しかった。

 あ、いや、実際にその時飛び跳ねて、キミに怒られたんだっけ?

 初めての恋。初めての恋人。初めての愛し人。初めての愛人。

 いやいや、最後のは意味が違うか。

 で、恋人になってからは、毎日が色鮮やかだった。

 一人でいる時もそれは楽しい毎日だって思ってたけど、でもそれはまったくの勘違いだった。

 キミと一緒にいるだけで楽しかった。嬉しかった。喜ばしかった。

 キミと映画に行ったり、食事に行ったり、日帰り旅行なんかにも行ったり。

 恋愛映画を見て、美味しいもの食べて、きれいな景色を一緒に見たりして。

 いや、別にそういう特別な場所に行かなくても、たとえばキミの家で一緒にゴロゴロと過ごしているだけでも、キミと一緒なら、キミと一緒だから楽しかったんだけどね。

 キミと出会う前の私は。

 美味しいもの食べて、お酒を飲んで、楽しく生きていければそれでいいかなーって思ってた。

 キミと出会ってからは。

 キミと美味しいもの食べて、キミとお酒を飲んで、キミと楽しく生きていけたらいいなーって思うようになった。

 楽しい楽しいキミとの時間。

 大好きで大好きで大好きなキミとの時間。

 それがこれからはずーっと続いていくって思ってた。

 これからずっとずっと、続いていくものだって思ってた。

 ずっとずっと、ずーっと。

 でも―――」




「(トットットットットットットット)

 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ………ハァー。

 ハァー、ハァー、ハァー………

 いつまで逃げ続けるんだよー。

 いい加減疲れてきたってばー。

 おいこらー。とーまーりーなーさーいー。

 フー、フー、フー………

 (ツルン!)

 ふにゃっ!?

 (ばたーん!)

 いったたたたた………

 うぅ、こけちゃった。膝すりむいちゃったよー………

 いたい、いたーい………

 うぅ、う、う……………

 うわーん!

 うわーん! うわんうわんうわーん! うわんうわんうわんうわんうわーん!

 うわんうわんうわんうわんうわんうわんうわんうわーん!

 何で何でキミに追いつけないんだよー!

 どうしてキミはキミで逃げるんだよー!

 どうしてどうしてどうしてー!

 やっぱり私の事が嫌いになったんだ!

 そうなんだそうなんだやっぱりそうだんだー!

 あの子と浮気してたんだ! キミは違うっていったけど実はそうだったんだー!

 隠れてこっそり会ってたんだ! あの子のことが好きだったんだ! 私よりもあの子の方がいいんだ! 私の事はどうでもいいんだ! もう私は捨てられたんだー!

 私はゴミなんだゴミなんだゴミなんだー!

 うわんうわんうわんうわんうわんうわーん!

 (スタスタスタ………ピタ)

 グスッ………グスッ………もう私はいらないんだ………うぅ……グスッ。

 ………んー? それは違うって? あれはそんなんじゃないんだって?

 うぅ………私だって、そんなのはわかってるよ………

 キミがあの子と食事してたのは、あくまでもあの子の快気祝いだって。

 よく世話してた後輩で恋愛感情がなかったことくらい、わかってるよ………

 でもね、違うの。そうじゃないの。

 キミがあの子と食事しているのを見た時、キミが浮気してるって思った。

 誤解はすぐに解けて、勘違いだっていうのはわかったけど、でもその時の私は、浮気だって思っちゃったの。

 キミがあの子に取られるとか。

 キミがあの子を好きになったんだとか。

 キミはもう私を嫌いになったんだとか。

 キミと一緒にいられなくなるんだとか。

 そういう嫌な想像をしちゃったんだ。

 一度そういう想像をしちゃうと止まらないの。嫌な嫌な嫌な嫌な想像が私の頭の中をぐるぐると回るの回っていくの回っちゃうの。

 いくらそれは違う、そんなことないって否定しても、それは消えないんだ。

 むしろ違うって否定すればするほどどんどんと膨らんで膨らんで風船みたいにぷかーって膨らんで大きくなっていくんだ。

 そうするとね、本当にキミの事が好きなのか、それすらもわからなくなってきちゃうんだよ。

 キミの事が好き。

 でも、キミは私の事が好きなのかなって。

 好きなはずなのに、キミの事が信じられなくなって、不安で不安で、夜も眠れなくて。仕方ないからお酒飲んで。

 好きだって言ってくれてるのに、嘘なんじゃないかって疑って疑って、考え込んで考え込んで。仕方ないからお酒飲んで。

 好きなはずなのに好きなはずなのに好きなはずなのに、キミの事を思い浮かべると、嫌なことばかり、考えちゃうんだよ………

 わからないのわからないのわからないの。

 キミの事が分からないの。

 好きなはずのキミが分からないの。

 キミが好きかどうかも、わからなくなっちゃったんだよう………

 キミは何を考えてるの?

 キミは何がしたいの?

 キミは私の事が本当に好きなの?

 ねえねえねえねえ。

 (ギュッ)

 こうやって抱きしめて、キミを間近で感じてもね、全然、全然全然、わからないんだ………

 わからないわからないわからない………わからないんだよぉ。

 (バタン。ドカッ)

 だからねだからね。


 私はキミが食べたいの。


 キミを食べたらキミの事が分かるんじゃないかって。


 キミを食べたらキミとずっとずっと一緒にいられるんじゃないかって。


 キミを食べたら他の誰のでもない私の物になってくれるんじゃないかって。


 だからお願い。


 キミを、食べさせて。


 ……………

 ……………………………………

 …………………………………………………………………

 ……………んー? おーい。おーい。聞こえてるー?

 あり? 大丈夫キミ? なんか頭の方から血出てるけど。

 おーい、おーい………

 大丈夫なのー?

 …………………………

 んーと、えーと………つまり、食べてもいいって事かな?

 そうなのかな?

 …………………………

 いいってことだよね! そうだよね!

 うんうん。嫌だったら嫌って言うもんねそうだよね。

 やっとわかってくれたんだありがとうありがとうありがとう!

 これでキミを食べられるやっと食べられるようやく食べられる。

 ああ、ああ、ああ、ああ、もう待ちきれない待ちきれない。

 じゃあ、お手々のしわとしわを合わせて………って、まだしわなんかないよーっだ。ピッチピッチの卵肌ですべっすべっだもーん。………コホン。

 では改めてー、両手を合わせてー、


 いただきます。」






タイトル:体罰? いいえ、これはしつけです

星座:やぎ座

タイプ:洗脳型ヤンデレ




 私(わたくし)は、愛する貴方様とお召し物を求めてそれを専門とする店にやってきていました。

 店の中では色とりどり、たくさんの種類の衣類が並べられており、貴方様は豊富なそれらに目を奪われているようでした。

「どのような物をお求めなのですか?」

 隣を歩く私は貴方様に尋ねます。

 そうです。本日は貴方様がお召しになる物を求めて来たのでした。

 私の質問に貴方様は少しお迷いになってから、普通の普段着かな、と答えます。

 語尾には、微妙に疑問が含まれていました。貴方様は悩んでいるご様子。

 ならば、私がしっかりと導いてあげませんと。

 それが、貴方様に仕える私の役目というものです。

 店の中を行ったり来たりする貴方様の後ろを歩きながら、私は並んでいる品々に目をやります。

 色、形、用途。

 それらを考えた上で、貴方様に似合いそうなものを選んでいきます。

 想像の上で貴方様の全身を浮かべ、そして着せ替え人形のように様々な服を着せ替えていきました。

 ふむ。その中で貴方様に似合いそうなものはというと………

 これなんかどう?

 と、貴方様は一着の衣服を手にとって、それを胸の前に広げます。

「うーん、その服は、そうですわね………」

 私は言葉を濁しつつ、内心で苦笑してしまいました。

 率直に表現するなら、それはまったく貴方様に似合ってはおりませんでした。

 黄色と白の縞模様の、袖や裾の部分に過度な装飾が施された前部で合わせる形の襟付きの衣服。胸の部分には髑髏のような模様が刺繍されておりました。

 クセのある意匠でどこぞの悪役が羽織っていそうなそれ。

 とてもとても貴方様には縁遠い衣服でしょう。

「それより、こちらはどうでしょうか?」

 私はそれをやんわりとよけ、代わりに先に想像した中で最も適したお召し物を貴方様の胸の前に持っていきました。

 白く単純な意匠で装飾も殆どないそれ。使われている素材も脱ぎ着きがしやすいものです。

 いやそれは、ちょっと………

「こちらの方がきっと貴方様に似合いますわ」

 私は表情に笑みを浮かべ、貴方様の言葉を遮り断定の口調で述べます。

 ……………。

「……………」

 しばし無言の対峙。

 時間にして数秒後、貴方様は目をそらすと、わかったよ、と了承の意を唱えました。

 ええ、貴方様なら、わかってくださると思っておりました。こちらの方が、絶対に貴方様にお似合いですもの。

 私は唯々諾々と私の選んだそれを手に、他の品を探す貴方様の後ろに付き添いました。

 店の中を視線をせわしなくうつろいさせながら闊歩する貴方様。

 と、あちらこちらに彷徨っていた貴方様の視線が、とある一方に止まりました。後ろを歩く私はすぐにそれに気が付きます。

 私が貴方様の視線の先を追うと、ひどく均整の取れた体格で、人目を引く容貌と長い金髪をした女性がそこにはおりました。

 貴方様の視線は一向にその方から離れません。

 離れません。

 離れません。

 …………………………

 …………………………

 …………………………

 あらいけません。

 貴方様の心が穢れています。汚れています。錆びれています。

 私が。私が。私が。

 迷える貴方様を正しく導いて差し上げませんと。




「―――――聞いていますか貴方様。

 ですから私は貴方様に謝って欲しいとは言っておりません。

 私は、どうしてあの方に目移ろいしていたのか、その理由を尋ねているのです。

 私という存在がありながら、なぜ、どうしてかと。

 怒っているのかって?

 それは貴方様次第でありましょう?

 貴方様が怒っているように見えるのなら、それはつまり貴方様が私に罪悪感を持っているからこそそう見えるのではないですか?

 ああまた質問をそらしになさって。

 私の質問に答えてくださいまし。いつまでもいつまでも貴方様が言い訳に終始なさるせいで話が前に進みませんではありませんか。

 ………ですから何度も述べているように貴方様の謝罪の言葉が聞きたいのではないのです。

 あの時の貴方様のあの行動の真意をお尋ねているのです。それを私に聞かせて欲しいのです。

 ……………ふんふん。ほう。そうですか。

 そうですかそうですかそうおっしゃりますか、貴方様は。

 『とても綺麗で見とれてしまっていた』ですか。

 はあ、実に愚かしく、嘆かわしいです。

 あの方をそんな邪な邪念を持って見たからといって貴方様はどうするというのです。

 まさか貴方様が、あのような方と本気でお付き合いができるとでもお思いですか?

 貴方様とは住む世界が違う、おそらく使う言葉さえも違う。

 容姿も見た目も没個性の平々凡々の一線からはけっして越える事ができない貴方様が、あんな方と?

 あり得ませんあり得ません。万が一にもあり得ません。

 たとえこの世に奇跡や運命というものが存在するのだとしても、それだけは絶対にありません絶対にあり得ません。

 身の丈というものを少しは考えたらいかがですか、貴方様?

 貴方様は所詮、社会の波に飲まれ、使い捨て去られ、誰からも存在を忘れ去られるような人でしかないのです。

 社会にとって、無価値で無意味な人。

 何の役割も持たない、脇役にさえ抜擢されないような人。

 それが貴方様なのです。

 ………ええ、ですが、そんな無価値で無意味な貴方様ですが、私は、この私だけは、貴方様を見て差し上げられます。

 他の誰もが貴方様を見放しても、私だけは、けっして貴方様を見放したりしません。

 永遠に、これから、ずっと。

 それはけっして変容しない事実です。

 万に一つもそれは変わりません。私は神の名の下にお約束いたします。

 おわかりいただけますか、貴方様?」




 私は愛する貴方様と、誰もがその名を知る評判高いお店にてお食事を召し上がっておりました。

 私達の目の前には、白い大きな布巾で覆われた台の上に、様々な料理の乗ったお皿が並べられていました。

 どれ一つとってもふくよかな味わいを口内を巡る絶品の数々。それらを一つ一つ、食していきます。

「この度はこのような場所につれてきていただいてありがとうございます。貴方様」

 食を進める傍ら、私は貴方様に感謝の弁を伝えます。

 別にいいよ、そんなこと。

 貴方様はそっけなくお答えになりますが、表情ではまんざらでもないご様子。

 やはり私達のような人種が食事を摂る場所は、こういった場所が相応しいのです。

 この場に連れてきてくださったのは貴方様の意思ではありますが、先日からそれとなく、この場所の事を再三にかけ話題に上げ続けた甲斐があったというものです。

「あら、口元が汚れていますよ。貴方様」

 私は懐から手ふき用の布巾を取り出すと、それを使いその汚れを取って差し上げます。

 無事にその汚れを取り終えると、ありがとう、と貴方様は言いました。

「いえいえ。どうしたしまして」

 ただ、貴方様はこういう場に慣れていないのか、ところどころ、その所作にぎこちない部分がありました。付いた汚れもそのせいだと思われます。

 私は貴方様が間違った所作をする度、それとなく伝えて正しい方法を指導します。

 貴方様は、私にとって相応しい殿方になっていただきませんといけません。

 私が貴方様を愛しているからこそ、それが私の担う役目なのです。

 歓談に花を咲かせつつ、時折指導を挟む最中、私はある事に気付きます。

 それは、貴方様の皿の上におかれた、一つの野菜。

 その料理が運ばれてから随分と経つというのに、貴方様は一向にそれを食べようとしていなかったのでした。

「貴方様。その料理がまだ残っていますよ」

 と、私は指摘しましたが、貴方様は曖昧な笑みを浮かべるのみで、手をつけようとしません。

「料理を残してはいけませんよ。貴方様」

 私は顔面に笑みを貼り付け、きっぱりと言います。

 仮に好き嫌いがあるのだったとしても、このような場でのそのようなはしたない行為は、紳士たる貴方様がとるべき行為ではありません。

 ……………。

 しばらくした後、私の意図をご理解なさったのか、貴方様はしぶしぶといった表情で残ったそれを口へと運びます。よしなに。

 それからも貴方様の不甲斐なさを私が補佐しつつ、やがてすべての品を私達は食べ終わりました。

「とても美味しかったですね。貴方様」

 私達は感想を言い合いつつ、さて帰ろうかという段になったところで、あれ、久しぶりー、と私達に声をかける者がおりました。

 正確には、私達ではなく、貴方様に向けて。

 それは給仕服を召した方であり、性別は雌でした。

 ……………。……………。……………。……………。

 親しげに話しかける給仕服の方と、それに気安く応じる貴方様。

 脇で会話に耳を傾けますと、どうやら給仕服の方は、貴方様の昔馴染みの友人であるご様子。

 ……………。……………。……………。……………。

 近況を伝え合っております。雑談に花を咲かせております。昔話に場を沸かせております。

 嬉しいご様子の貴方様。ほんのりと顔面を赤らめる給仕服の方。

 …………………………

 …………………………

 …………………………

 あらいけません。とてもいけません。

 清らかなはずの貴方様の心に影が差しています。

 精錬された貴方様の心がしけっています。

 晴れやかに澄み切った貴方様の心に雲が浮かんでしまっています。

 戻れなくなる前に。引き返せなくなる前に。一線を越えてしまう前に。

 私が。私が。私が。

 迷える貴方様を正しく導いて差し上げませんと。




「―――――(バシッ! バシッ! バシッ!)

 痛いですか貴方様。

 (バシッ!)

 痛いですか貴方様。

 (バシッ!)

 痛いですか貴方様。

 (バシッ!)

 ………痛いですかそうですか。

 もちろん、痛くしているのですから当然です。

 (バシッ!)

 なぜ私がこんなことをしているか貴方様は理解していますか。

 どうしてこんなひどい目にと、被害者妄想を浮かべてはいませんか。

 いいえ、それは違うのです。

 (バシッ!)

 真の被害者はこの私なのです。

 そう、貴方様はれっきとした加害者なのです。

 (バシッ!)

 貴方様にわかりますか? 私の心がどれだけ傷ついたのかを。

 私の心がどれだけ悲しみに暮れていたことを。

 (バシッ!)

 ええ、ええ、ええ、ええ。わかっていないでしょう。わかっていないでしょう貴方様は。

 (バシッ!)

 故に私は、私の心に負った傷を少しでも貴方様に理解してもらうべく、このような行動を行っているわけです。

 (バシッ!)

 ………もうわかった? だからやめてくれ?

 いいえ、貴方様はわかっておりません。

 (バシッ!)

 私はこの痛みの何倍も、何十倍も、何百倍も深い傷を負ったのです。

 貴方様のせいで。貴方様のおかげで。貴方様の行動で。

 私の痛みを理解するまで、私と同じくらいの痛みを背負うまで、私はこれを続けます。

 (バシッ!)

 (バシッ!)

 (バシッ!)

 ですがご理解ください。

 私も、貴方様を傷つけるのは心が痛むのです。

 (バシッ!)

 あくまでも貴方様のために。

 (バシッ!)

 貴方様が、より真人間へと近付くために。

 (バシッ!)

 貴方様が、私により相応しくなるために。

 (バシッ!)

 私は、心を鬼に致します。

 (バシッ!)

 これは、

 (バシッ!)

 貴方様のためなのです。

 (バシッ!)

 それをいつか、

 (バシッ!)

 貴方様も、理解してくださる時が来るはずです。

 (バシッ!)(バシッ!)(バシッ!)(バシッ!)(バシッ!)

 (バシッ!)(バシッ!)(バシッ!)

 (バシッ!)――――――――――」




 私と、私の愛する貴方様は、景色の素晴らしい地にある宿泊宿の温泉場にて共に湯につかり、旅路の疲れを癒しておりました。

 周囲は生い茂る草木が立ち並び、ほのかな明かりが灯されるのみの、夜の帳が下りた静謐な空間。湯が湯船にこぼれる音だけが鳴り響く、心地よい場所。

 そんな所に二人きりで、思う存分に心地よい気分に身をうずめております。

 私が肩を寄せる貴方様の温もりが、心音が、高温のお湯を介して伝わってきておりました。

 貴方様の心臓は、熱い湯のせいかはたまた別の要因か、激しく波打っているのが、すぐ隣の私にはわかりました。

 ……………。

 しばし続いた安らかなる時間は、貴方様がおもむろに立ち上がったことで終わります。

 貴方様は湯船から出て、洗い場へと体を移します。

 私もその後を追い、

「貴方様。お背中を流して差し上げますわ」

 と、貴方様の背後に腰を据えました。

 ああ、と貴方様が返事をするのを耳にした後、私は白布を手に、貴方様の背中を洗い始めます。

 可もなく不可もない、ごくごく平均的な体格。あまり日焼けせず白さの残る肌には、ところどころに赤い痕、私の愛の証がまだ残っているようです。

 時折貴方様が私の愛の証に体を振るわせる背後で、私はその背中を洗い続けます。

 ……………。

 おおよそ半分ほど洗った頃でしょうか。私は手を動かしたまま、貴方様の頭に顔を近づけて、口を開きます。

「そういえば、貴方様。昼間の間、ずいぶんと電話機にご執心のようでしたが、一体誰からの連絡だったのですか?」

 そう問うた瞬間、貴方様はわざとらしい咳払いを何回も発し、動揺を露わにしておりました。

 どうやら貴方様は、私に露見していないと思い込んでいたようでした。

 しかし残念かな、私は三歩後ろを歩く大和撫子のように、いつも貴方様を気にかけているのです。

 時折挙動不審気味に場を離れたかと思えば、陰に移動してこそこそとなにかを操作していたのは、私にすべてお見通しでした。

 さすがにその内容までは把握できませんでしたが、熱心に操作していたのは明らかでした。

 私の問いかけに貴方様は、

 ………もう洗わなくていい。

 と、返答ではない返答を返して立ち上がると、そのまま温泉場から出て行ってしまわれました。

 あくまでも白を切るご様子。

 仕方ありません。この場での追求は諦める他なさそうです。

 その後、私は一通り自分の全身を清めてから、温泉場を後にします。

 貴方様と入るからこそ心地良い空間なのであって、一人で湯船に浸かる気は起きなかったのでした。

 浴衣を身につけ、宿泊宿の通路を程なく歩いた所で、私は貴方様の背中を見つけます。

 私が出るのを待っててくれていたのか、とすわ一瞬歓喜が湧き起こりそうになりましたが、しかしすぐに剣呑な雰囲気に気が付きました。

 すぐ前に立つの貴方様。

 と、その向こう側に立つ、一人の女性。

 私から見ることのできるその女性の表情は、見るからに怒り心頭に発し、獣を思わせる形相で、貴方様に大声を張り上げておりました。

 対する貴方様の声は、まるで蛇ににらまれた蛙の如く、ひどく弱弱しい、か細いものでした。

 私は、そんな二人の会話に登場した、たった一つの台詞に頭の中が一杯になってしまいました。

 『浮気してたんでしょ!?』

 浮気。

 浮気。浮気。浮気。

 浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。

 浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気浮気。

 浮気。

 うわ、き?

 …………………………

 …………………………

 …………………………

 あらいけません。とてもいけません。これはいけません。

 この世界は、邪悪なるこの世界は、貴方様を壊してしまいます。

 憎たらしい醜い退廃した世界は、貴方様にとって害悪に足りえます。

 ありとあらゆる悪意が、悪戯が、意地悪が、悪魔となって貴方様に降り注いでしまいます。

 早く早く早く。急いで急いで急いで。この世の中から。

 私が。私が。私が。

 迷える貴方様を正しく導いて差し上げませんと。




「―――――あら、お目覚めのようですね、貴方様。

 ずいぶんと長く眠りつかれていたようで、私、とても心配しておりました。

 ………ここはどこか、ですか?

 ここは私が所有する屋敷の地下牢です。

 ………どうして自分がこんな所に?

 もちろん、私がここに連れてきたからですよ。丁重にお運びしましたから、ご安心ください。

 ………ここから出して?

 いいえ、それはなりません、貴方様。

 いいですか、貴方様。

 外の世界は邪悪なもので満ち溢れているのです。

 外の世界のものはすべて、貴方様の敵なのです。害悪を与えてくる者なのです。被害を及ぼす輩なのです。

 外の世界は実に危険。ひとたびその世界に身をさらせば、貴方様の身が危機に陥ってしまうのです。

 ですから、貴方様は本日よりこの場所が、猫の額しかないこの場所が、貴方様の世界となるのです。

 ………そんなことはいいから早く出せ?

 きちんと私の話をお聞きください、貴方様。

 この世界にいれば貴方様の身の安全は私が保障致します。

 食べるもの、身につけるもの、その他貴方様が望むものはすべて私が用意して差し上げます。

 貴方様に何一つ不自由な思いはさせません。

 なので不安に思うことは何もないのです。

 この場所にて思う存分自由に生涯を遂げてくださいませ。

 一生を、この場所で。

 もちろん、貴方様を独りきりになんてさせません。

 この私も一緒です。

 私と二人、共に一生を添い遂げてまいりましょう。

 ………訳のわからないことを言うな、ですか?

 訳がわからないなんてことはありません。

 私は理路整然と、はっきりとした事実を述べているまでです。

 貴方様は邪悪なる外の世界の影響を受けることなく、安らかなる安寧したこの世界で、一生を過ごす。

 貴方様は、何もする必要はありません。

 この場所で、貴方様はただ私を愛していれば良いのです。

 私はそれ以上は、何も求めません。

 私もただ、この場所で貴方様を愛します。

 愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して差し上げます。

 だから貴方様も、私を、

 愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛してください。

 私達の世界には、ただ愛があればそれで良いのです。

 それ以外は何もいらないのです。それ以外は何も必要ないのです。

 それ以外は何もかもがいらない。それ以外は何もかもが不必要なもの。

 不純なものは、不潔なものは、この世界にはありません。

 純粋な、純潔な愛のみがある世界。

 そんな愛に満たされた世界。

 愛だけがある世界。

 (………ギィ)

 さあ、貴方様。

 愛し合いましょう。

 愛のみが存在する、この世界で。

 思う存分、いつまでも、永遠に。

 今はまだ、外の世界に未練があるのかもしれません。

 しかしいつか、どうでもよくなる時が来るはずです。

 私が、私が、私が。

 忘れさせてさしあげます。

 貴方様。

 私だけを、見てください。

 私の差し出す愛のみを、見てください。

 私は、貴方様を愛しています。

 死が二人を別つその時まで、貴方様を愛します。

 ですから貴方様も、

 私を愛してください。

 私への愛を、見せてください。

 共に手を取り合い、永遠の愛を築き上げましょう。

 ねえ、貴方様?」






タイトル:この世界で一番素晴らしいもの

星座:みずがめ座

タイプ:崇拝型ヤンデレ




 彼女は考えています。

「うーん。うーん………」

 彼女には好きな人がいました。

 とってもとってもとっても超が付くほど大好きな彼。

 天才的な研究家である彼女は、日夜与えられた研究に取り組む研究一筋の人間でした。

 研究だけに没頭し熱中し埋没して、毎日毎日研究していたので、それまで誰かを好きになることはありませんでした。

 そんな中で、好きになった彼。

 昼夜独創的なテーマの研究漬けの彼女を周囲の人間が変人扱いする中、彼は彼女の事を変人扱いしませんでした。

 他の誰に対してもするような普通の対応を、彼は彼女はしていました。

 そんな彼を彼女は好きになったのです。

 しかし彼女は、どうして彼を好きになったのかがわかりませんでした。

 変人扱いしない、というのはきっかけでありトリガーであり、他にも彼女を変人扱いしない人間が少数ですがいるにも関わらず、その中でなぜ彼を好きになったのか、彼女にはわかりませんでした。

 彼女はわからないことを、理解できないことを、疑問に浮かんだことを、そのままにしておけませんでした。

 研究家たる彼女には。

 故に、彼女は考えます。考えます。彼に好きになった理由を。

「ん。そうだ」

 そこで彼女は思いつきました。


 数日後。

 彼女はそれまで取り組んでいた研究をすべて放棄して、彼について調べました。調査しました。

 新たな研究テーマとして、彼についてのあらゆる事を研究し始めました。

 彼のDNAを採取し、彼の身体的に優れた点。体のどんな所が人間的に優れているのか。最良なのか。特異的なのか。それを調べます。

 また、彼の生まれてから今日まで、どのように成長を遂げたのか、あらゆる資料を入手しこれまで彼が手に入れた栄誉、褒章、善行を探し出して、どれほど精神が優良なのかを調べます。調べ上げます。

 彼の造形をデータベース上に上げ、どのくらい美形であるのかを、ランキングにあげます。順列に組み込みます。順位をつけます。

 彼が身に着けた衣服や文具、はたまたハンカチや使用済みのティッシュ等を可能な限り手に入れ、彼の送っていた日常生活を細かく、鮮明に徹底的に洗い出します。浮かび上がらせます。

 彼を好きになった理由を探るため、彼女は彼をあらゆる方向から研究したのです。


 彼の事を理解する人間は彼女しかいませんでした。

 彼女のそんな奇行とも言える行動は、彼女の周囲の人間は理解しませんでした。

 そんな彼女を、彼は見守っていました。




 彼女は考えています。

「うーん。うーん………」

 彼女は彼についての研究は終わらせました。

 彼についてのあらゆることを調べ上げ、調査して、研究し終えて、彼がどれほど優れた人間なのか、どれほどまでに素晴らしい人間かを理解していました。

 だけれども、研究が終わった後でも、彼女には疑問が残っていました。

 彼の素晴らしさは理解出来た。

 しかし、本当に彼の素晴らしさはこれだけなのか。

 彼女の好きな彼は、もっともっと素晴らしい彼なのではないか。

 『彼への好意』と『彼の素晴らしさ』が彼女の中ではイコールで結ばれておらず、『彼への好意』が圧倒的なまでに比重が置かれていて、『彼の素晴らしさ』がそれとまったく比例していなかったのです。『彼の素晴らしさ』が全然まったくこれっぽっちも足りていなかったのです。

 彼女の好きな彼はもっともっと素晴らしいはず。

 しかし彼に対する研究は終わっていました。それ以外の、彼の素晴らしさを示すものは一体なんなのか。どうすれば『好き』に比例する『素晴らしさ』を見つけることができるのか。

 彼女は考えています。

「ん。そうだ」

 そこで彼女は思いつきました。


 数ヶ月後。

 彼女は世界各国の著名な人物を集めて行われる学会の場で、研究した彼について、彼の素晴らしさを大々的に発表しました。

 彼の素晴らしさを一つ一つ、多くの人間に熱く語りました。

 また、世界一有名な監督に声をかけ、彼の人生を描いた映画を巨額の資金を投じて制作させ、全世界で放映しました。

 彼の素晴らしさをあらゆる国の映画館で上映しました。

 はたまた、エッセイ、ノンフィクション、生態など、彼に関するあらゆる方面からの本を出版し、翻訳して全世界の書店へと並べました。

 彼の素晴らしさを述べた本が、多くの人の手に触れました。

 さらには、彼の全身の造形をかたどった銅像を、世界のあちこちに数十体、数百体、数千体と立てました。

 彼本人の素晴らしい姿を多くの人の目に触れさせました。

 そうやって彼の素晴らしさを全世界の人が理解し、それを共有し共通認識にすれば、彼の素晴らしさはより上位のものなると彼女は思ったのです。ランクがアップすると思ったのです。


 しかし、彼の素晴らしさは彼女以外には理解できませんでした。

 彼女の彼の素晴らしさを伝える行動は、まったくと言っていいほど理解されませんでした。

 そんな彼女を、彼は静かに見守っていました。




 彼女は考えています。

「うーん。うーん………」

 彼女は地球に住む全世界の人々に彼の素晴らしさを伝えました。伝達しました。伝書鳩を送りました。

 彼女の行動によって全世界の人々は彼という人間を少なくとも一度は見る機会があったはずなのです。

 それによって、世界中の人々が彼の素晴らしさを理解し、彼という素晴らしい人間がより、素晴らしくなる。

 そのはずでした。

 けれどもしかしどういうわけか、彼の素晴らしさは世界の人々には伝わりませんでした。

 彼女の理解する、彼女だけが理解する、彼の素晴らしさは、まったくと言っていいほど伝わりませんでした。

 なぜでしょう。どうしてでしょう。どういうわけでしょう。

 こんなにも彼は素晴らしいにも関わらず、どうして彼の素晴らしさをみんな理解しないのか。

 彼女にはまったくもって、理解できませんでした。

 彼の認知度をが少なからず上がったので、彼の素晴らしさは多少は上がりましたが、しかしもっともっと、みんなが彼の素晴らしさを理解しなければ、『彼女の好意』は『彼の素晴らしさ』にはまったくちっとも届かないのです。

 みんなにもっと彼の素晴らしさを知ってもらうにはどうすればいいのか。

 彼をもっともっと、素晴らしい存在にさせるにはどうすればいいのか。

「ん。そうだ」

 そこで彼女は思いつきました。


 数年後。

 彼女は人間のクローンについての研究を始めました。

 どうすればDNAレベルで同一の人間を作ることができるのか、それを研究しました。

 彼女はまた、人間の成長を通常よりもより早くする成長促進の方法を研究しました。

 数日で数か月分。数ヶ月で数年分。数年で数十年分人間を成長させる方法を研究しました。

 彼女は更に、人間の記憶に関する研究を行い、それまでその人物が歩んできた人生の記憶を脳からデータ上に取り出す方法。またデータとなった記憶を別の人間の脳に植え付ける研究を行いました。

 それらの研究を同時進行、平行して行い、そしてついには完成までこぎつけました。驚異的な速さで彼女はそれらを机上の空論ではなく、実際に現実で実行できるレベルにまで実現させたのです。

 研究を終えた彼女は早速、それら研究の成果を使い、彼女の好きになった彼と身体的にも精神的にも記憶もまったく同じのいわばコピー人間を作りました。

 そんな彼のコピー人間を数多く作り上げては、それを全世界へと送りました。

 世界には彼という彼。彼が彼して彼に彼にする彼の彼は彼を彼も彼で彼をも彼。

 彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼。

 世界中のいたるところに、彼がいたのです。

 みんながみんな、彼女の好きになった彼を、とてつもなく素晴らしい彼の存在を実際に目の当たりにする事になったのです。

 伝聞や映像だけでは彼の素晴らしさは理解できない。ならば実際の彼を見てもらえば、彼の素晴らしさを見れば、彼の素晴らしさを理解して、彼の素晴らしさは世界へと広がる。彼女はそう考えていたのでした。


 だがしかしそれでも、彼の素晴らしさを理解できる人間はいませんでした。

 奇天烈とも呼べる行動を起こした彼女を理解する人間もまた、いませんでした。

 そんな彼女を、彼はラボの真ん中から、静かに見守っていました。




 彼女は考えています。

「うーん。うーん………」

 世界中にとてもとても素晴らしい素晴らしい彼とまったく同一のコピー人間を広めました。

 ありとあらゆる場所に広め、どこにいても彼の姿が見えるくらいにその数を増やしました。

 ですがまだ足りない。

 彼女の好きになった彼はもっともっと素晴らしい存在であるはず。もっともっと素晴らしい存在でなければならない。

 もっと素晴らしく。もっともっと素晴らしく。もっともっともっと素晴らしく。

 そんな素晴らしい彼のはず。彼女の好きになった彼は。

 彼をもっと素晴らしい存在にするには。素晴らしさをより世界に広げるにはどうすればいいのか。

 世界中に彼という素晴らしさを広めるにはどうしたらいいのか。

 世界中を彼という素晴らしさで埋め尽くす方法とは。

 素晴らしい素晴らしい彼だけで世界を覆いつくすには。

「ん。そうだ」

 そこで彼女は思いつきました。


 十数年後。

 彼女は感染すればたちまち命を落とす空気を介して拡散するウイルスを開発して、それを全世界に広めました。

 感染した人間が新たな感染源となって感染が連鎖するウイルスは、瞬く間に広まって多くの人間は死に至りました。

 人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が人が死にました。

 更に彼女は難を逃れ生き残ってしまった人間を全滅させるために、地球上の酸素を二酸化炭素へと変える装置を開発、生産し、それを使って生き残り達の人間を根こそぎ死滅させました。

 人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人という人がいなくなりました。

 そうして人類が滅亡し空っぽになった地球に、あらかじめ避難させておいた彼のコピー人間を再び配置し、さらに余った時間で新たに作り上げたコピー人間をも送り込み、地球上を彼という彼で埋め尽くしました。

 地球は、

 彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼がいるだけの世界になりました。

 彼という素晴らしい人間だけで埋まった地球。

 素晴らしい彼だけが住んでいる地球。

 地球上は彼という素晴らしさで埋め尽くされたのでした。

 彼の素晴らしさは地球のすべてといっても過言ではなくなりました。

 彼女はそうやって彼女の頭の中で思い描いた地球を、彼女が開発し研究室を兼任した宇宙船の中から見つめ、ひとしおの満足感を得ていました。


 こうして彼の素晴らしさを理解できる人間はいなくなりました。

 彼女の行動を理解できる人間もまた、一人もいなくなりました。

 そんな彼女を、彼はガラス越しにラボの真ん中から、静かに見守っていました。




 彼女は考えています。

「うーん。うーん………」

 彼の素晴らしさは、素晴らしい彼は、地球全土へと広げることに成功しました。

 地球そのものが彼で埋め尽くされたので、彼の素晴らしさはまさに地球の大きさと等しくなりました。

 しかし彼女は宇宙船の研究室の中でまだ悩みます。

 彼の素晴らしさはまだ足りないのではないか。彼女の好きになった彼はまだまだ、素晴らしいのではないか。もっともっと素晴らしくなければ、彼女が好きになった彼ではないのではないか、と。

 地球程度の大きさまで素晴らしさを広げても、まだ足りていない。

 もっともっと、まだまだ。

 それこそ、宇宙全体まで彼の素晴らしさを広げなくては。

「ん。そうだ」

 そこで彼女は思いつきました。


 数百年後。

 彼女は宇宙にある星を宇宙船に搭載したワームホール装置によって移動させます。

 またある星は宇宙船に搭載した超巨大な大砲によって破壊して適当な大きさに分裂させます。

 とある星に対しては宇宙船に搭載した破壊力抜群のレーザーによって粉砕し消滅させます。

 そうして数々の惑星、小惑星、その他諸々の星々を頭の中で思い描いた場所に配置し、納得いかなければ移動させることを繰り返し繰り返して、繰り返し繰り返して、繰り返して繰り返して、宇宙のどこからでも超然と輝いて見える、新たな星座を作り上げたのです。

 彼の姿形をかたどった星座。

 数百個の星を使って、綿密に彼を再現した星座。

 星座の名前はもちろん、彼の名前そのものを彼女はつけました。

 その星座を彼女は、毎日毎日、ずっとずっと、肉体の老いを止めるべく自ら入ったコールドスリープ装置の中から目を閉じたまま見守ります。

 永遠と素晴らしい彼を見守り続けます。


 彼の素晴らしさを理解する人間は、彼女以外にはいません。

 彼女を理解する人間は、宇宙の中を探しても誰もいません。

 そんな彼女を、彼はコールドスリープ装置のガラス越しにラボの真ん中から、静かに見守っていました。

 素晴らしい彼は、素晴らしい彼のまま、彼女が好きになった当初から、きれいにその装置の中に保存されてたのです。

 そして彼女が好きになった当時の姿形のまま、永遠に素晴らしい彼を装置の中でいつまでもいつまでも保ち続けます。

 彼女の傍らで。

 永遠に。永久に。

 ずっと。ずーっと。ず―――――っと。

 彼女の隣で、彼女の好きになった素晴らしい彼はその彼のまま、いつまでも彼女の研究室にあり続けていたのでした。






タイトル:妄想の世界の住人

星座:うお座

タイプ:妄想型ヤンデレ




 ハーブティーの味はどうですか、王子様。

 と、あたしは向かい側に座る王子様に尋ねました。

「ん、ああ。普通」

 王子様はそう答えてカップに入ったお茶をごくごくと飲みます。

 ああよかった。

 お城のお庭で育てたハーブを使ったお手製のハーブティ。王子様に喜んでもらえて何よりです。

 あたしはほっと安心し、同じハーブティーの入った自分のカップに口をつけます。

 あたしは、あたしのお城で王子様とお話していました。

 王子様。

 あたしの運命の、王子様。

 優しい優しい王子様。

 あたしがお城の外で困っている時に、手を差し伸べてくれたのが王子様でした。

 一目見た瞬間に、ああ、この人はあたしの王子様だと、あたしにはわかりました。

 とっても優しく、とっても格好良い、あたしの王子様。

 あたしは王子様と楽しくお話します。

 お城の庭で育てているお花のこと。

 最近見かけた動物のこと。

 美味しかった果物のこと。

 王子様は、「はあ」とか「ふーん」とか「へえ」とか相槌を打ちながら楽しそうに聞いてくれました。

 あたしはあたしのことについても王子様にお話します。

 生まれた時からずっとこのお城の中で住んでいること。

 お城の庭でお花を育てていること。

 毎日毎日、絵を描いていること。

 王子様は「ほー」とか「うん」とか「ああ」とか合いの手を入れつつ興味深そうに聞いてくれました。

 あ、そうだ。

 パンと手を叩いて、あたしは思いつきます。

 イスから立ち上がって、王子様の手を取り、こっちだよ、と連れて行きます。

「おい、どこいくんだよ」

 見ればわかるよ。

 と、あたしはあえて答えをはぐらかしつつお城の中を歩いて、とある部屋に王子様と一緒に入りました。

 絵。絵。絵。絵。絵。

 その部屋は、あたしの描いた絵が飾ってある部屋でした。

 追いかけっこができそうなくらい広い部屋のいたるところに絵が置いてありました。

「……………」

 王子様は声を出すのも忘れて部屋の中を見渡します。あたしの絵に目を奪われているのでしょう。

 さらにあたしは王子様の手を引いて、一つ一つの絵の前に移動し、王子様にそれぞれ紹介しました。

 色とりどりのお花の絵。

 真っ白な雲と真っ赤な太陽が浮かぶ青空の絵。

 楽しそうにじゃれあっている動物達の絵。

 その絵を描いた時のことを思い出しつつ、楽しかった感情を心に浮かび上がらせつつ話していきました。

「風景とか植物ばっかなんだな………」

 ポツリと王子様がつぶやきました。

「スポーツやってる絵とかは描かねーの?」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「………あー、いや。もっと別の絵がないかって聞いたんだよ」

 ああ、なるほど。

 それならこっちこっち、とあたしは王子様の手を引いて、最近描いた絵を並べた所に王子様を導きます。

「…………………………」

 そこにはたくさんの王子様がいました。

 笑顔の王子様。

 窓辺に立つ王子様。

 お菓子を食べている王子様。

 最近あたしが描いている絵は、王子様の絵がほとんどでした。

 あたしはあたしが大好きなものを描きます。

 大好きなもの以外は描きません。

 なのでここ最近は王子様の絵ばかりを何枚も何枚も何枚も描いていました。

 すごいねって言ってくれるかな。

 上手いねって言ってくれるかな。

 素敵だねって言ってくれるかな。

 そんな王子様の言葉を、あたしはニコニコしながら待っていました。

 ですが、王子様の言葉は違いました。

「……………うわ、きも」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。




 ほら、王子様、こっちこっち。

 あたしはただっ広い草の上で背後を振り返り、王子様を手まねきします。

「………ああ」

 王子様はゆったりした足取りであたしの方に来ます。疲れているのでしょうか?

 あたしと王子様はお城の外の野原にお散歩に来ていました。

 あたしの足元くらいの高さの草が一面に広がっている野原。大きな木も近くにはなく、見渡す限りの青空がどこまでも目に映ります。

「こんななんもねー公園で、どうしてそこまではしゃげるんだか………」

 よくわからないことをつぶやきつつ、王子様はあたしの元まで来ます。

 さて、何をして遊びましょう。

 地面に咲いたお花を愛でましょうか。

 あるいは、遠くの方に見える池まで行ってみましょうか。

 それとも、

「キャンキャン!」

 ああ、動物と戯れるのもいいかもしれません。

 あたしはその場にしゃがみこんで、足元に寄ってきた子犬の頭を撫でてあげました。

「クゥーン………」

 子犬はあたしにされるがまま、どこか甘えるように小さく鳴きます。

 なんて可愛い子犬でしょう。

 あたしはその子犬をよいしょっと抱き上げます。

 よしよーし。

 子犬はあたしの腕の中でおとなしく丸くなっていました。ふさふさの毛が心地良いです。生き物独特の温かさが両腕から伝わってきます。

 とっても可愛い!

 王子様もそう思うかな、と王子様の方を見ると、

「どこん家の犬だよ………」

 なにやら難しそうな顔をしていました。何か、別のことを考えているのでしょうか。

 ん? あれ?

 そこであたしは、あることに気が付きました。

 腕の中の子犬の、首元。

 そこに、奇妙なものがくっついていたのです。

 赤く細長いそれは、一周して子犬の首に巻きつくようにくっついていました。

 子犬自身が外そうとしても決して取れないであろうそれ。

 どうしてこんなものが付いているのでしょうか。

 苦しくないのでしょうか。辛くないのでしょうか。痛くないのでしょうか。

 あたしは子犬についていたそれを外しました。

 さあ、これで余計なものはなくなったよ、と子犬に微笑みます。

「あ、おい。何やってんだよ」

 しかし、そんなあたしに王子様はなぜか咎めるような声を上げます。

「これ、人ん家の犬だろ。何勝手に首輪取ってんだよ」

 そう言うやいなや、あたしが折角取り外したそれを王子様は再び子犬の首に取りつけると、あたしから子犬を引き剥がして、地面へと下ろしました。

 あ。

 とあたしが思う間もなく、子犬はどこかへと走り去っていってしまいました。

 あたしは子犬の背中を名残惜しく見送ります。

「………ったくさあ、そのくらいの常識くらいもってろっつーんだよ」

 そのあたしの脇で、王子様が何かを言っていました。

「つか、こんな何にもないとこいてもつまんねーし、ゲーセンか映画館でもいかねーか?」

 何を言っているんでしょう。よくわかりません。

「………あー、やっぱいいわ、もう。俺、ちょっと向こうのベンチで休んでくるから」

 王子様はそれだけを言い残すと、その場を去って行ってしまいました。

 王子様はどういうわけか、どこかつまらなさそうでした。

 どうしてでしょうか。

 あたしと一緒にいるのに、どうしてそんな顔をしていたのでしょうか。

 うーんうーん、と考えましたが、よくわかりませんでした。

 しかし、王子様には笑顔でいてほしいです。

 どうすれば笑顔になってくれるか。

 うーんうーん。

 そうだ。

 ポン、とあたしは手を叩いて思いつきました。

 王子様に贈り物をしてあげるのです。

 そうですそうです。それをしてあげれば、王子様はきっと笑顔になってくれるに違いありません。

 何を贈ろうかと考えつつ、あたしは辺りを見渡します。

 と、そこで足元に生えた花に目が止まります。赤に青、黄色に緑の色々な色をした花々の数々。

 そうだ。

 このお花で、首飾りを作ろう。

 思いついたあたしはさっそく辺りの花を摘み取り、その花をちょうどよく組み合わせつつ、首飾りを作りました。

 せっせせっせと手を動かし、太陽がちょっと低くなった頃に、それは完成しました。

 できましたできました。

 自分で言うのもなんですが、とても良い出来栄えに出来上がりました。

 あたしはそれを持って王子様の元へと向かいます。

 王子様は喜んでくれるかな。

 王子様は嬉しく思ってくれるかな。

 王子様はありがとうって言ってくれるかな。

 ワクワクドキドキしながら、王子様に近付いていきます。

 そして、腰を下ろした王子様の元にたどり着くと、これあげる、と言って首飾りを王子様に差し出しました。

「あー、何これ?」

 不思議そうな王子様の言葉に、お花の首飾り、とあたしは答えます。そして、王子様が受け取ってくれるのを待ちました。

 待ちました。

 待ちました。

 待ちました。

 が、なぜか王子様は受け取ってくれず、

「いや、そんなもんいらねーよ」

 と低い声で答えました。それから、

「………今日はもう帰るわ」

 と言い残すと、立ち上がって、その場を離れていってしまいました。

 あたしは首飾りを差し出した状態のまま、しばらくの間、その場を動くことができませんでした。

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。




 ぬりぬりぬりぬり、ポチャン。

 あたしは水できれいにした筆に、新しく絵の具をつけると、再びそれをキャンパスへと触れさせます。

 顔の輪郭、髪の毛、耳たぶ。

 最初は真っ白だったキャンパスに徐々に人の顔が浮かんできました。

 あたしはあたしのお城の中で絵を描いていました。

 もちろん描いているのは、今まさに正面にじっと座っているあたしの王子様。

 いつもは頭に思い浮かべた王子様を描いていましたが、今日はこの目で見ながら王子様を描いています。

 頭の中で思い描く王子様もいいですが、こうして実際に見ながら描くのも実に楽しいです。

 王子様が目の前にいる。

 それだけであたしの心は躍り、そして描いている筆も生き物のようにキャンパスの上を踊っています。

 ぬりぬりぬりぬり。

 キャンパスの中の王子様は徐々に完成に向かっていっています。

 大まかには出来上がりつつありますが、まだその顔の中は、描けていませんでした。

 あたしは言います。

 こっちを向いて、王子様。

「ん、ああ」

 ですが、王子様はこちらを向いてくれません。

 あたしは言います。

 こっちを向いて、王子様。

「おー」

 ですが、王子様はこちらを向いてくれません。

 あたしは言います。

 こっちを向いて、王子様。

「はいはい」

 ですが、王子様はこちらを向いてくれません。

 なぜでしょう。どうしてでしょう。

 王子様はこちらを向いてくれませんでした。

 不思議に思って筆を置いて見てみると、王子様は手に持った四角いものにずっと目を落としていたのでした。

 時たま光や音を発している手の平くらいの大きさの何かに、王子様はじっと目を注いでいます。

 あれは一体なんなのでしょうか。

 あれのせいで、王子様はこちらを向いてくれないのでしょうか。

 あたしはスタスタと王子様に近付くと、王子様の持ったそれを取ります。

「は、あ? お、おい」

 これのせいでこれのせいでこれのせいで。 

 あたしの王子様はあたしに振り向いてくれない。

 いらないものいらないものいらないもの。

 あたしはそれをポイっと近くの窓から外へと投げ捨てました。

「は、はぁ!? 何してんだよ!」

 さてさてこれで、絵の続きを描くことができます。

 なぜかそれを捨てた窓へとかけよる王子様の脇で、あたしはキャンパスの前と戻り筆を持ちました。

 それではさてさて、王子様の顔はというと、

「………ッ、………ッ、………ッ!」

 とてもとても、怖い顔をしていました。今にも、何かが爆発しそうだという顔。

 どうしてそんな顔しているのでしょうか。

 王子様はしばらくそんな顔をした後、城中に響き渡るかのような大きな声で言葉を発しました。

「あー、あー、あー、あー、もう! もう我慢ならねえ! もう限界だ! もう無理だ!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「前から前からもう無理だ無理だって思ったけどもうマジで無理! 限界限界だって! もう付き合いきれねーんだよ、このお花畑女!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「何でそんなにお前は常識がねーんだよ! 普通わかんだろスマホぐらいさ。知ってろよそんくらい。誰でも持ってて必要不可欠なもんなんだよアレは! それを捨てるやつがあるかこの馬鹿女!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「つかなんだよこの家! 金ぴかで馬鹿でかくてどっかの絵本に出てくる城かっつーんだよ! 都会の真ん中にこんなん建ってんの場違いすぎるわ。空気読めなさすぎだっつーの! 頭おかしいんじゃねーのか!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「頭おかしいっていえば、何でどっかでかける時山とか海とか川しか選択肢がねーんだよ! どんだけ自然が好きなんだよ。どんだけ町中嫌いなんだよ。おかしいおかしいおかしいおかしいわ!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「それにそれにさあ、なんだよ王子様王子様って! いまどきそんなの気持ち悪いんだよ。気色悪いんだよ。寒気が立つんだよ。鳥肌が立つんだよ。きもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい! ちょっと道路で倒れた時に手貸してやっただけでなんで俺が王子様なんだよ。王子様のわけねえだろうがこの妄想女!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

「もう付き合いきれねーよ! こりごりだこりごり! もう一生こんな所になんかこねー! もう一生お前となんか会わねえ! 絶対絶対絶対来てやるもんか! 会ってやるもんか!」

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

 何を言ってるんでしょう。よくわかりません。

 急に一体、どうしてしまったのでしょうか、王子様は。

 うーん、うーん。

 なおも大声を出す王子様の前であたしは考えます。考えます。

 ……………………………………………………あ、わかりました。わかっちゃいまいた。

 ポン、と手を叩きつつあたしはピーンとひらめきました。

 きっと王子様は、悪い妖精さんに心を操られているに違いないのです。

 だからこうしてあたしの王子様があたしの王子様でなくなったのです。

 そうですそうです。間違いありません。

 ならば、あたしが王子様を助けてあげないといけません。

 あたしを助けてくれた王子様を、今度はあたしが助けてあげる番なのです。

「は、あ? なにお前、手掴んで……」

 大丈夫だよ、王子様。妖精さんの魔法は、そう長くは続かないはずです。

 たとえ魔法が解くのが難しくても、ゆっくりじっくりと時間をかけていけば、いつかはその呪縛からは解き放つことができるはずだから。

「離せよっ! おい、離せって! 人の話聞けって! おいコラ!」

 そう、あたしの王子様はちゃんと、戻ってくるはずなのです。

 真実の愛があれば、きっと、必ず。

 あたしは諦めない。王子様が戻ってくる、その時までは。

「おい、おい! どこに連れてく気なんだよ! おい! おい! おい、お―――――」

 ―――――バタン。




 王子様、ハーブティーの味はどうですか?

 と、あたしは向かい側に座る王子様に聞きました。

「ああ、とってもおいしいよ」

 王子様はそう言って、カップに入ったハーブティーをごくごくと飲みました。

 ああよかった。

 お城のお庭にあるハーブを使って淹れたハーブティー。王子様はとてもとても喜んでくれました。

 あたしはとても嬉しい気持ちになりつつ、自分のカップを持ち上げて王子様と同じそれを口に入れます。

 あたしと王子様は、あたし達のお城の中で話しています。

 あたしはお城の庭に咲いている花や、最近見た動物、美味しかった果物の話をします。

 それを王子様はとても興味を持ちつつ深く頷いたりして、にこやかに聞いてくれます。

 あたしも楽しく、どんどんと話を花咲かせました。

 ひとしきり話し終えた後、王子様が思いついたように言いました。

「ああ、そうだ。今日は天気も良いし、よかったら白馬に乗って出かけるのはどうかな? 海へ行って泳ぐ魚達を見に行こうよ。ああ、いや、山でも良いかもしれないな。仲間達と共に遊ぶクマやリスを見てくるというのも」

 うん。それはいいね。

 あたしは王子様の提案に喜んで賛成して、さっそく出かける用意を始めました。


 こうしてあたしは、いつまでもいつまでもあたし達のお城で、王子様と二人、仲良く幸せに暮らしていきました。

 おしまい。






タイトル:言葉のすれ違い

星座:へびつかい座

タイプ:自己犠牲型ヤンデレ




「君はボクが守る」

 彼は当初、彼女を普通の彼女だと思っていた。

 理想の彼女だと思っていた。

 一緒にいて楽しい彼女だった。

 一緒にいて心地の良い彼女だった。

 けれど今現在―――




「ボクは君のそばで君を守りたい」

 ひと月前、彼がそう告白を受けた時、彼はそれを額面どおりの言葉としては受け取らなかった。


 彼女は彼のクラスメイトだった。

 彼女はいつも、教室の隅に座ってじっとしていた。

 一日中誰とも会話せず、必要以外に席を外さず、終了のベルが鳴ると同時に帰っていく。

 彼の知る限り、彼女が他の誰かと会話をしているところは見たことがなかった。

 当然友人知人の存在も皆無だった。

 他の大半のクラスメイトの女子達は、常に群れを作り、団体で行動し、集団から離れることがない。

 自分達の輪の中で常に嘘と欺瞞と無価値と無関係に満ちた会話を繰り広げる。

 そんな枠からはみ出した存在の彼女。

 彼が彼女に声をかけたのは、最初は興味本位だった。

「何か用?」

 会話をしてみると、彼女は思いの他普通だと彼は思った。

 いやもちろん、彼の見立てどおりそれほど社交性が高くない彼女だったので、口数が少なく消極的であまり感情を表に出さず、会話のキャッチボールはやりづらかった。

 しかしちゃんと質問をすれば答えるし、つっかえつっかえながらも自分の言葉はきちんと形にするし、いくら質問を重ねても嫌な表情はしない。

 なんだ、思ったよりも良いやつだな。

 その日からたびたび、彼は彼女に話しかけるようになった。


 それから徐々に会話を積み重ねていく内、彼は彼女との会話にプラスの感情抱くようになった。

 当初は、クラスで一人ぼっちの相手をする自分が格好良いといった同情の念を理由に話しかけていたが、それは次第に彼女と会話する彼自身が楽しいからとシフトしていた。

 彼女は口数こそ少ない方だったが、しかしその分、一言一言には重みがあった。

「この前読んだ本に書いてあったんだけど………」

 彼女は成績はパッとしないのだが、ずいぶんな読書家らしく、様々な知識が豊富だった。

 彼の知らない事柄を次々と語っていく彼女。

 彼が問えば必ずといっていいほど答えを出し、また、余分の豆知識も付け加える。

 彼女の話はすべてがすべて新鮮だった。

 普段友人達としている薄っぺらな会話とは雲泥の差。

 勉学にこそ役に立たない知識ではあったが、逆に役に立たないからこそ、彼には新鮮に聞こえたのかもしれない。

 彼女が読む本の中ではとりわけ、中世の時代の騎士が活躍する小説に傾倒しているようで、口数が少ない彼女がその類の話をする時は熱がこもっていた。彼がお薦めの本を聞くと必ず、その手の本を彼女は紹介した。

「これはどう?」

 小説の類は普段読まない彼だったが、彼女が薦める本なら読んでもいいかなと、そう思った。


 そんな日々が続いたある日、彼は彼女から呼び出され、告白を受けた。

 告白を受けた時彼はまず驚いた。

 よく話すようになってはいたが、彼女はあまり物事に積極的という性格ではなかった。

 事実話しかけるのはいつも彼の方からであったし、会話をしている時も彼女から話題をふることは少なく、なんらかの理由で会話を中断せざる終えない時はあっさりと会話を終了させる。

 単なる話し相手のクラスメイト、くらいにしか思われていないと彼は思っていた。

 そんな彼女の方から、という点が彼には衝撃だった。

 ただ衝撃は衝撃であっただけで、その告白を受けて嫌な気持ちはまったくなかった。

 むしろ反対に嬉しい。

 彼はそう感じていた。

 その告白こそ少々曲がった方向で、先に先述したような「君を守りたい」云々だとか、「君の命が危機である」云々だとか、「死の運命が近付いている」云々だといった、回りくどい台詞ではあったものの、彼女の趣味や性格を知っていた彼はこれが彼女なりの告白なんだなと解釈した。

 よろしくね。

 と彼はそう返事をした。

 彼女は直接的に感情を表情に表す事はなかったが、しかしそれでも、口元がわずかに緩んでいのが、彼にはわかった。




「必ず君を守ってみせる」

 数週間前、彼女のその宣言を、彼は受け取ることなく聞き流していた。 


 彼と彼女が付き合いはじめても、二人の関係はあまり変化がなかった。

 告白される前と同様、普段は学校で話すくらいの関係。

 たまに彼が文房具を忘れて彼女に借りたり、彼が何かを忘れていると彼女が指摘してくれたり。

 彼氏彼女の関係になったということで、一緒に登下校をしたりデートにいったりということもなくはなかったが、根本的なところで彼と彼女の関係が変わったということはなかった。

 けれど彼は特にそれを不満になどとは思っていなかった。いやむしろ、その方が良かった。

 彼女持ちの友人などの話を聞いていると、女性というのは付き合い始めるととかく自己主張が激しくなり、自分の思い通りにいかないとすぐに怒るし、かといって彼氏の言うことにはおざなりだったりと、友人いわく面倒な生き物に変化するらしかった。

 そんな友人の話を聞いていた彼は付き合い始めの頃は多少身構えていたのだが、しかしそれは杞憂だった。

 付き合う前と同じ態度を貫く彼女。

 話している時は自分の話を押し付けることはまったくない。

 弁当を作ってきてくれた時は感想を強要しない。

 デートに誘った時も嫌な声一つ出さない。

 逆に彼の行動で彼女に不満を積もらせているのではないかという方を不安に思うくらいだった。

 しかし彼女はそんな感情などまったく出さずに、むしろ嬉々として彼のそばで彼と接していた。

 その彼女の表情は彼の胸の内の懸念を霧散してくれる表情だった。

 もちろん彼の前では不満を出さないだけかもしれなかったが、しかしそう考えることの方が彼女にとって失礼だと、彼女の事を信じていないことになると彼は思った。

 彼のそばにいて彼女は単純に嬉しく思ってる。

 彼にはそう確信できた。


 ただ、そんな彼にも彼女に不満、いや、不満というか疑問に思うところが多々あった。

 告白され付き合い始めてからというもの、彼が彼女に対して思う感情を、彼女が彼に対し口にすることは一度もなかった。

 自己主張がないとか消極的とか性格的な問題もあるのだろうが、それにしたって一度もその感情を口にしないのは少し変ではないのか。

 無論彼はそれを強要する気はさらさらなかったのだが、しかしそれでも、一度も聞いたことがないというのは、不満まではいかなくても、少々頭の中でもやもやするものがあった。

 その代わりというかなんというか、告白された時と似たような台詞を彼女は口にすることがあった。

 「君を守ってあげるね」とか、「必ず死の運命から回避させる」とか、「ボクが守ってあげるから大丈夫」とか、普段会話で口にするような別の台詞の時とは違い、それらの台詞は多少なりとも彼女の熱がこめられたものだったのだが、彼が求めるような直接的なものではなく、まわりくどいものはまわりくどかった。

 それに類して、少々奇妙な点が彼女には見受けられた。

 例えば彼女に文房具を借りた時、彼女は実に多種多様な、ハサミとかカッターナイフとか彫刻刀とかペーパーナイフとか千枚通しとかコンパスとかの文房具を一式取り揃えていたのだが、それを持ち歩いている理由が、

「いざという時に君を守るためだよ」だった。

 例えば彼女に宿題を忘れていることを指摘された時、お礼を言った後どうしてそれが分かったのかと、聞いてみると、

「君の危機に駆けつけられるよう君の事をいつも見てるから」という返事だった。

 例えば彼女の弁当を堪能している時、どうしていつもいつも作ってきてくれるのか、その訳を尋ねたら、

「君が食べるものに万が一にも毒が入ってたら大変だから」と返された。

 例えばデートに誘った時、誘ってすぐ、それこそ瞬く間の内に彼女が彼の前に現われ、どうしてそんなに早く到着したのかの説明が、

「何があってもいいように君のそばにいたんだ」であった。

 その時こそ彼女の照れ隠し程度の言い訳だとしか彼は思っていなかった。

 ただこうしてそれが積み重なると、奇妙は不可解へと転じた。

 まあ不可解は不可解なのだが、それを不満に思うことは、この時の彼にはなかったのだが。

 この時の彼にとっては。




「ボクの命に代えても君を守るよ」

 数日前、彼女が放った心からのそんな想いを、彼は両手で耳を塞いで拒絶していた。


 彼女は変だった。

 彼女はおかしかった。

 彼女は異常だった。

 奇妙や不可解なんてレベルではなく、彼にとって彼女は変でありおかしくあり異常だった。

 彼女は常に彼のそばにいるようになった。

 昼間学校にいる時はもちろん、登下校や彼の外出時は常時隣に在中し、彼が自宅にいる時も彼女は彼のそばに居続けた。

 朝昼晩、二十四時間営業でさながら彼のボディガードであるかのように彼女は彼に張り付いた。

 食事風呂就寝その他もろもろの時も彼から離れず、片時も彼女は彼から目を離さなかった。

 彼からはもはやプライベートという言葉は消え失せていた。

 もちろんそんな彼女の行動は異常そのものであり、そんな行動はやめて欲しいと何度も何度も苦言を呈したのだが、彼女は「君を守るため」の一点張りで頑固としてその行動をやめようとはしなかった。

「君には命の危機が迫ってきている」

 まったく危険なんてない、君がいなくても大丈夫だと言っても、彼女は自分の主張を曲げなかった。

 むしろ彼が言えば言うほど彼女の澄んだ表情の裏面で火が付くようであり、彼女の行為はより頑なに、より頑固に、より強固になっていく節すらあった。

 自己主張がない、消極的だというのは、まったくの勘違いだった。

 自分に関係ない、あるいはどうでもいい事に対してはおざなりであり、逆にこれという決めた事には一筋に貫き通す。

 彼は彼女の異様な行動に辟易する中、彼女の性格をそんな風に分析した。

 分析した所で何かが変わるわけではないのだが。むしろ分析した事がより彼を絶望へと追い込むのだが。

 そんな風に考える彼の横には、当然のように彼女がいた。


 彼女のそんな行動に際して彼は周囲に助けを求めた。

 これこれあれあれどうだと友人に、教員に、親に、見知らぬネットの誰かに、誰彼かまわず彼は相談した。だがしかし。

 友人は自慢話かのろけ話かと羨ましがられた。(相談の際も彼女が隣にいた為)

 教員はろくに話を聞いてもらえなかった。(保守的な事なかれ主義のため)

 親は彼女の愛情だと逆に諭された。(自宅を空けることが多く彼女の実情を知らないため)

 見知らぬネットの誰かは嘘や妄想だと断言した。(彼女の言った台詞を詳細に書いたため)

 誰一人として彼の言葉を聞き入れなかった。

 異常な彼女がすぐそばにいるというのに。

 自分がこんなにも被害を被っているというのに。

 どうして誰にも理解されないのかと彼は嘆いた。

 そのように嘆く彼の横には、もちろん彼女がいた。

「君はボクが守ってあげる」

 いつ訪れるかもわからない、彼の命の危機の時のために。

 彼がそんな彼女がもうこりごりだった。

 最初は普通の彼女だと思っていたのに。

 恋人としては理想的な彼女だと思っていたのに。

 話していて楽しい彼女だったはずなのに。

 一緒にいて心地良い彼女だったはずなのに。

 今や彼にとっては彼女は異次元の怪物のようにすら思えていた。

 その内パクリと食べられてしまうような、そんなありない被害妄想すら思考の中に浮かんでいた。

 爆弾を抱えた危険人物。

 一時は彼女の事を恋人だと思っていた過去の自分が、はるかかなたの遠い人のようだった。

 むしろどうしてこんな人間を彼女だと思っていたのか、過去の自分こそがおかしかった気分にすらなっていた。

 もしタイムマシンがあれば、彼女に声をかける分岐点まで戻りたかった。

 だから彼は―――




「君はボクが守る!」

 現在、彼女が放った狂気すら交じったその声を、彼は背中越しに聞いていた。


 彼は彼女から逃げていた。

 彼女の監視から逃れるために。

 彼女のいない場所に行くために。

 彼女から逃れられる所を目指して。

 しかしもちろん考え無しの当てもない短絡的な彼の逃走であり、逃げる彼を彼女は追いかける。

 彼がどこまで逃げようとも彼女は追いかける。

 彼女が貫き通す信念のために。

 ただ逃げる彼と、強固な意志を心に持つ彼女。

 彼は直感的に、逃げられないことを心の片隅で感じていた。

 だがそれでも逃げるのをやめられないのは、彼なりの意地だった。

 ここで足を止めたら。心が折れたら。彼女に追いつかれたら―――

 その先の未来を想像したくなかった。

 故に彼は懸命に逃げ続けた。

 だが、そんな彼の欠片くらいの小さな意思とは別に、彼の体のほうが先に根を上げた。

 具体的には、警報の鳴り響く線路の欄干を超えた時に、ぼっきりと。

 ジャンプして欄干を飛び越えた時、着地に失敗した足が、ぽっきりと折れてしまった。

 カンカンカンと警報が鳴り響く中、彼は懸命に足を前へ動かそうとするものの、激痛が絶えず神経を巡り、思うように動かせない。

 その間にも、電車は刻一刻と彼へとせまってきていた。

 せまってきて。

 せまってきて。

 せまってきて。

 ようやく異常に気付いた電車の運転手がブレーキを操作し、甲高い金属のこすれる音が響き渡り、電車の車体は彼のいる場所を通り過ぎた。

 否、彼の『いた』場所を通り過ぎていった。

 命からがら九死に一生を得た彼の背後で、欄干のある所から数十メートル先で、ようやく電車は停止した。

 激しい息遣いが彼の耳へと届く。

 それは彼自身のものも含まれているが、しかしもう一人分、そこには含まれていた。

「よかった………君を守ることが、できて」

 それは彼女のものだった。

 電車がせまり来る直前、彼女は自分の命を顧みる事無く欄干を飛び越え、彼を両手で抱えて再度足を踏み切り、両者ともどもなんとかその場を逃れたのだった。

 道路に横たわる彼。

 その彼に覆いかぶさるようにして見下ろしている彼女。

「やっぱり、」

 彼女の息は中々整わない。それもそのはずで、その直前まで全力疾走で、彼女は彼を追いかけていた。

「ボクの言った、通りだったね………」

 彼を追いかけていて、そして彼は運悪く転倒した。

 彼の命が危機にさらされ、それを間一髪、彼女が救い出した。

 そんな展開が現実が、事実となり真実となった。

 以前の妄想や幻想が、事実となり真実となった。

 多くの彼女の言葉が、事実となり真実となった。

 重ねた狂気の台詞が、事実となり真実となった。

「でも、安心して」

 彼女が言う。

 とても慈しみの持った声音で。とても安らかな音質で。とても清らかな肉声で。

「ボクが君を守るから。永遠に、君の事を。ボクの命が尽き果てるその時まで」

 ―――必ず、君を守りきってみせる。

 ポキリ。

 それは、彼の心がへし折れる音だった。

 真っ二つに。

 粉々に砕け散る音。

 彼女の声と同時に、それは確かに、彼の耳の奥に届いた。


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