第14話『温泉』

 午後5時。

 防災チャイムが聞こえて5時になったのを知り、海水浴はこれで終わることにした。海や砂浜で遊ぶのが楽しくてあっという間だったな。

 海や砂浜でたくさん遊んだから、ビーチパラソルやレジャーシートなどを片付けている間にどっと疲れが襲ってきた。それは俺だけではないようで、結衣達は「疲れたね~」と言葉を漏らしていた。

 伊集院さんの提案で、旅館に戻ったら温泉に入ることに決まった。



 一旦、俺達は宿泊する部屋に戻り、着替えやタオルなど入浴に必要なものを用意する。

 海へ行くときと同じように、部屋の前で待ち合わせをし、みんなで1階にある大浴場の前まで向かう。


「悠真君とはここでお別れだね。1人で寂しくない?」

「ちょっと寂しいな。今日はこれまで、誰かと一緒にいることが多かったから」


 大浴場は男性と女性で分かれるから、こればかりは仕方ない。それでも、一緒の時間が多かったので寂しい気持ちが生まれる。もし、俺の年齢が一桁だったら、一緒に女風呂へ行けたのになぁ。1人で温泉をゆっくりと楽しもう。


「混浴はないけど露天風呂があるから、そこでお話ししようね!」

「ああ、そうしよう。じゃあ、また後で」


 結衣にキスをし、結衣達に手を振り、向かって左側の入口にある『男性』と描かれた青い暖簾をくぐる。

 スリッパを脱いで脱衣所に行くと、そこには年配の方を中心に数人くらい。チェックインの開始時間から3時間以上経っているし、もう入浴した人が多いのかな。それとも、夕食後に入る人が多かったりして。

 服と下着を脱ぎ、タオルを持って大浴場へ向かう。


「おおっ……」


 かなり立派な大浴場だ。だから、思わず声が漏れてしまった。大浴場だから、その声が響いてしまうけど、中にいる人がこちらに振り向くことはなかった。

 中には檜で作られた大きな浴槽がある。だから、入口付近のこの場所でも、檜の香りがほのかに香ってきた。

 大浴場の中も……10人弱くらいだろうか。これならゆったりとできそうだ。

 洗い場で髪と体を洗う。シャワールームで汗や砂などは流したけど、海や砂浜でたくさん遊んだのでしっかりと洗うことに。

 そういえば、小学校の1、2年くらいまでは旅行に行くと、芹花姉さんと母親と一緒に女風呂に入っていたっけ。姉さんに連れて行かされたと言う方が正しいか。姉さんや母親と髪や背中を洗いっこしていたな。


「向こうではそんなことをやっているのかねぇ」


 結衣と柚月ちゃんは洗いっこしそうなイメージがある。誰かの家で女子同士でお泊まりすれば2、3人一緒にお風呂に入ることはありそうだけど、7人一緒に入る機会は旅行くらいしかないと思う。旅行に来た記念とか、思い出作りという名目で洗いっこしていそうだ。

 髪と体を洗い終えたので、俺は檜でできた浴槽へと向かう。

 浴槽の近くに行くと檜の香りがより強くなる。今入っているのは、年配の方々や、30代くらいの父親と小学校低学年の子供の親子くらい。

 湯気が結構立っているから、熱さの確認のために右足の先端を少しお湯に入れる。……うん、そこまで熱くないな。ホテルや旅館によっては、大浴場のお湯はかなり熱い。小さい頃、熱さを確認せずに入ったら凄く熱かった経験がある。泣いてしまったこともある。だから、初めて来る旅館やホテルの大浴場では、足や手を少し入れて熱さを確認することが多い。昔に比べたら熱いのも大丈夫になったけどね。

 あまり人のいないスペースに行き、俺は肩までお湯に浸かる。


「あぁ……気持ちいいな……」


 俺にとってはちょうどいい熱さで気持ちがいい。海でたくさん遊んだから、温泉の熱さが全身に染み渡る。こんなに気持ちいいと、結衣と混浴したかったなぁと強く思う。

 壁の方に何やら文字が書かれた木の看板が見える。近づくと、書かれている文字がはっきり見えてきた。この梅崎温泉についての説明が書かれているのか。


「効能も書いてあるな。どれどれ……」


 疲労、腰痛、関節痛、肩凝り、冷え性、筋肉痛、神経痛、不妊……など、この温泉には様々な効能があるとのこと。効能一覧を見たら、より温泉の温かさが身に沁みてきた気がする。この温泉と檜の香りで、海水浴で疲れて冷えた体を癒そう。


「あぁ……いいなぁ……」


 思いっきり脚を伸ばせるのが大浴場のいいところだな。そのことでよりリラックスできる。結衣達も温泉を楽しんでいるだろうか。


「……そういえば、露天風呂があるって言っていたな」


 露天風呂がどんな感じが気になるし、結衣達と話せるかもしれない。行ってみるか。

 俺は檜の浴槽から出て、浴槽の側にある扉から露天風呂に向かう。


「おぉ」


 露天風呂は岩風呂なのか。風情があっていいな。木製の屋根で日陰になっており、濡れた体に風が当たるので涼しい。

 広めの岩風呂からはモクモクと湯気が出ている。中の檜風呂よりも熱そうだ。今は……白髪が若干生えているおじいさんだけか。

 扉の近くにある高い竹垣の向こうからも湯気が見える。おそらく、女風呂があるのだろう。耳を澄ませてみると……結衣達の声は聞こえてこないな。まだ、露天風呂には来ていないのだろう。ただ、露天風呂で話そうと結衣が言っていたし、風呂に入りながら結衣達を待つか。

 さっきと同じように、右足の先を少し岩風呂に入れる。俺の予想通り、中の浴槽のお湯よりも熱い。


「あぁ……」


 ゆっくりと岩風呂の中に入り、肩まで浸かる。結構熱いけど、風が吹いていて涼しいのでこのくらい熱さでいいかも。のんびり浸かろう。

 岩風呂の側に木の看板が立てかけられている。そこに書かれている効能からして、中の大きな浴槽と同じ温泉のようだ。


「こちらが露天風呂なのです」

「うわあっ、素敵だね! 露天風呂は岩風呂なんだ」


 伊集院さんと胡桃の声が聞こえてきた。向こうの露天風呂も岩風呂なんだ。


「おっ、本当だね、華頂ちゃん」

「こういう岩でできた露天風呂って、まさに旅館のお風呂って感じがするわ」

「ですね、杏樹先生。湯気もたくさん出ていますし、中のお風呂よりも熱そうです。昔、熱いお風呂に入ったユウちゃんが泣いたのを思い出しますね……」


 続いて、中野先輩、福王寺先生、芹花姉さんの声が聞こえてくる。姉さんは何をさりげなく俺の温泉恥ずかしエピソードを語っているんだ。笑い声が聞こえてくるから結構恥ずかしいんですけど。


「露天風呂も変わらないね、お姉ちゃん!」

「3年ぶりだからね、柚月。結構覚えているものだね。確か、中のお風呂よりも熱かったはずだよ」


 柚月ちゃんと結衣の声も聞こえてきた。一度来たことのある2人は懐かしみながら温泉を楽しんでいるようだ。

 こちらと同じくらいの広さがあれば、7人一緒でもゆったりと浸かれるんじゃないだろうか。


「悠真君、もう露天風呂に来ているかなぁ?」

「呼んでみようか、結衣ちゃん」

「そうですね、お姉様。そっちに悠真君いますかー?」

「ユウちゃん、いるー?」


 結衣と芹花姉さんが大きな声で俺のことを呼んでくる。おじいさんが迷惑がっていないかどうか確認すると、温泉が気持ちいいのか、それとも結衣達の声があまり聞こえていないのか、まったりとした様子だった。とりあえずは大丈夫そうか。


「ああ、いるよー」

「悠真君いた!」


 俺がいたと分かったからか、竹垣の向こうからは結衣達の元気そうな声が聞こえてくる。胡桃達も俺の名前を呼び、そのたびに俺も返事する。


「ねえ、悠真君。温泉気持ちいい?」

「ああ、気持ちいいよ。そっちも結構熱いと思うから、気をつけて入って」

「はーい。……じゃあ、入りましょうか」


 結衣のそんな声が聞こえた直後、お湯の音と同時に『あぁ……』と黄色い声が聞こえてきた。温泉の熱さに思わず声が出てしまったのだろう。


「気持ちいいね、悠真君!」

「ユウちゃん、気持ちいいよ!」

「ああ、気持ちいいな」


 結衣と芹花姉さんの今の一言を聞いて、温泉がより気持ちよく感じられるよ。姿は見えないけど、こうして話すと少しは混浴気分を味わえる。きっと、竹垣の向こう側は素晴らしい光景が広がっていることだろう。


「あぁ……温泉の熱さが体に沁みるぅ……」


 福王寺先生の可愛らしい声が聞こえる。気持ちよさそうに入っているのがよく伝わってくる。


「さすがは杏樹先生。大人だけあって、一番気持ちよさそうに入りますねぇ」

「ちょっとからかわれている気がするけど……まあ、気にしないでおくよ、千佳ちゃん。年齢を重ねると、熱いお湯が気持ちよく感じられるようになってね。もう26だしねぇ。あと、海水浴をしただけじゃなくて、ここまで運転したのもあるかな」

「お疲れ様でした、杏樹さん。あと、26ってことは……あたしの倍ですか」

「ってことは、柚月ちゃんは私の半分の年齢か」

「もう、当たり前のことじゃないですかぁ」


 結衣のツッコミに女風呂からは楽しげな笑い声が。人によっては年齢の話題は地雷になるけど、福王寺先生はどうやら違うようだ。先日、先生の誕生日を祝ったのもあるかもしれない。


「そっかぁ。私の年齢の半分の子って、この春に中学入学したのかぁ。まあ、受け持っている結衣ちゃんや姫奈ちゃん達とも10歳違うもんね。そりゃ年も取りますわ……」

「杏樹さんは素敵な女性ですよ! とても美人ですし、スタイルもいいですし。中学にいる女の先生も、杏樹さんほどの人はいませんって」

「……柚月ちゃん本当にいい子だわ。柚月ちゃんマジ天使。柚月ちゃん抱きしめてもいいですか?」

「もちろんですよ! 嬉しいです!」


 そんな柚月ちゃんの返事が聞こえてからおよそ10秒後。


「あぁ、柚月ちゃん抱き心地いい! 可愛すぎる!」


 という福王寺先生の甲高い声が響く。俺と同じく、柚月ちゃんが天使のように思う人がいるとは。お互いに裸の状態で抱きしめたら、福王寺先生があんな声を上げるのは当然なのかもしれない。先生の幸せそうな顔が思い浮かぶ。


「杏樹先生に抱かれている柚月ちゃんを見たら、露天風呂で足を滑らせて私の胸の中に飛び込んで、『お姉ちゃんありがとう!』ってお礼を言ってくれたユウちゃんを思い出すわ。あと、今の柚月ちゃんのように、ユウちゃんはずっと可愛い笑顔を浮かべていたな」

「羨ましい思い出ですね! お姉様!」

「ユウちゃん覚えてる?」

「……そんなことがあった気がする」


 とは言ったけど、はっきりと覚えている。

 女湯に入ったとき、大浴場の浴槽や露天風呂で足を滑らせて、芹花姉さんや母親に抱き留められたことが何度かあった。姉さんの場合は、その流れでずっと抱きしめられたことも。このことを姉さんも思い出しているのだろうか。ふふっ、と姉さんの笑い声が聞こえてくる。


「あたしも小さい頃、家族旅行のとき、足を滑らせたあたしをあんずお姉ちゃんが抱き留めてくれたことがありましたね」

「あたしも同じような経験ありますよ、胡桃さん」

「小さい頃の柚月は、大浴場ではしゃぐことが多かったからね。私も一緒にはしゃぐときもあったけど」

「ふふっ。私も妹のはるかが滑って転ばないように手を繋いだことがあったなぁ。遥は可愛いから、今みたいに抱きしめて一緒にお風呂に入ったこともある」


 兄弟姉妹がいると、同じようなエピソードがあるんだなぁ。


「あたしは一人っ子なので、そういったお話は全然ないのです」

「伊集院ちゃんと一緒だなぁ。あたしも一人っ子だからかな。ただ、小さい頃に大浴場の浴槽に入ったとき、足を滑らせて知らない女性の胸に顔から飛び込んだことはある」


 中野先輩のその話を聞き、俺も小さい頃に湯船で親世代と思われる女性の胸に飛び込んでしまったことを思い出した。その人の胸……凄く大きくて柔らかかったな。

 温泉や大浴場にまつわることを色々と思い出したらドキドキしてきた。のぼせてしまわないように気をつけないと。

 それから少しの間、結衣達の話を聞いたり、たまに話したりして、露天風呂の時間を楽しむのであった。

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