第66話『もう一つの顔-桐花さん編-』

 ――あたしが桐花です。桐花としては初めましてだね。……低変人さん。


 華頂さんは俺に視線を逸らすことなく、しっかりとした口調でそう言ってくれた。その瞬間、桐花さんと話すようになったこの2年間のことが、走馬燈のように頭に思い浮かぶ。

 中間試験の日程が同じだったり、同じ日に勉強会をしていたり、『ひまわりと綾瀬さん。』を観に行っていたりと、最近は桐花さんが近くにいそうな感じはしていた。だけど、まさか……こんなに近くにいたなんて。


「やっぱり、とても驚いたよね。何も言わないし」

「……驚いたのもそうだし、桐花さんと話すようになってからのことを思い出していたから。まさか、桐花さんの正体が華頂さんだったなんて。もしかして、華頂さんは俺が正体を明かすずっと前から知っていたのか?」

「……うん」

「……そうか」


 ずっと前から、華頂さんが『低変人=低田悠真』であると分かっていたと知ると、何だか恥ずかしい気持ちになってくる。


「えっ、低変人だって?」

「お前も聞こえた? 俺の聞き間違いじゃなかったんだ」


「もしかして、低変人さんって東京中央線沿いに住んでるの?」

「どうなのかなぁ。ファンの誰かが話題にしているだけじゃない? 最近も新曲が公開されたし」


 華頂さんが低変人の名を出してしまったからか、周りがざわつき始める。男女の会話の中で低変人の名が出たのもあって、こちらを見てくる人もいる。


「ど、どうしよう。ゆう君……」


 華頂さんは焦った様子に。段々と顔色が悪くなっていく。

 俺は華頂さんに顔を近づけ、


「ここで走り去ったりしたら、低変人かその関係者だと疑われるかもしれない。こっちを見ている人もいるし。落ち着いて行動しよう」


 耳元でそう囁いた。すると、華頂さんはすぐに俺の目を見て頷いてくれる。


「ところで、華頂さんは昨日、2人きりで話したいって言っていたよな。場所は決めているのか?」

「南口を出てすぐ近くにある喫茶店。個室もあるから、午後1時半から2時間で予約を入れてあるの」

「分かった。じゃあ、とりあえずはカップルのフリをしてここを離れよう」

「そ、それがいいね」


 俺がカップルという言葉を言ったからなのか、華頂さんは顔を真っ赤にしながら俺の右腕を抱きしめる。そのことで右腕は温もりや柔らかな感触に包まれる。


「ゆう君! きょ、今日もデートを楽しもうねっ!」

「そうだな。……く、胡桃」

「うんっ! さあ、お店に行こう!」


 俺達は身を寄せ合って、南口から駅の外へ出る。

 カップルらしい演技の効果があったようで、俺達についてくる人はいない。


「とりあえずは大丈夫そうかな」

「何とかなったみたいだね。もし、このことで東京中央線沿線とか武蔵金井駅住みだって話が広まっちゃったらごめん」

「気にしないでいいさ。次からお互いに気を付けよう」


 駅の改札前という人が多く行き交ったり、待ち合わせに使われたりする場所で、低変人の名を出したらどうなるか想像していなかった自分も悪いし。ただ、新曲を公開して日も浅く、単に話題に上がっただけと考えた人もいたのが幸いか。

 南口を出てすぐ近くと言っていただけあって、華頂さんが予約している喫茶店のあるビルへと到着する。

 お店の中に入ると、個室以外のスペースもあるのか、ムーンバックスに似た落ち着いた雰囲気のフロアが見える。南口にこういった喫茶店があったとは。

 レジで華頂さんが個室を予約していたことを伝えると、俺達は店員さんによって個室へと案内される。

 中の広さは俺や華頂さんの部屋と同じくらい。中央には長いテーブルがあり、両サイドに黒くて長いソファーが置かれていた。これなら2時間ゆったり過ごせそうだ。正面には窓があり、武蔵金井駅周辺の景色を一望できる。金井高校の校舎も見える。


「ご注文の際は、テーブルの上にあるボタンを押してください。お伺いいたします」

「分かりました。ありがとうございます」


 店員さんが去ると、俺と華頂さんはテーブルを挟んで向かい合うようにしてソファーに座った。だからか、華頂さんが桐花さんだった驚きよりも、密室で華頂さんと2人きりでドキドキする気持ちの方が強くなってきた。


「話す前に何か頼もっか」

「そうだな」


 俺はアイスコーヒーとガトーショコラ、華頂さんはアイスティーと苺タルトを注文する。ここのコーヒーがどんな味なのか楽しみだ。


「武蔵金井駅の近くにこんなお店があったとは。南口の方には全然行かないから知らなかったよ」

「前に美玲ちゃん達とこのお店に来たことがあってね。ゆう君、コーヒー好きだし、ムーンバックスでバイトをしているから、こういう雰囲気のところが好きかなって。もし、予約が取れなかったら、カラオケボックスかあたしの家にするつもりだったの」

「そうだったのか。ここなら、周りを気にせずに話せるな」

「そうだね」


 落ち着いた笑みを浮かべゆっくりと頷く華頂さん。

 初めて来たお店だからか、窓から武蔵金井駅周辺の景色が見えるけど、どこか遠いところへ来たような感覚になる。

 それにしても、目の前にいる華頂さんが桐花さんだったとは。それを知ると、どんな言葉を華頂さんにかければいいのか段々分からなくなってくる。これまで、ネット上で桐花さんに好きな作品や日常生活など、たくさん話してきたのにな。現実では、華頂さんと話すことが増えてきたのに。

 それから程なくして、俺達が注文したものが運ばれてきた。華頂さんは嬉しそうにスマホで写真を撮り、アイスティーを飲む。

 俺は華頂さんの真似をして、アイスコーヒーを一口飲む。


「……美味しいな。苦味が結構強くて俺好みだ」

「良かったね。……うん、苺タルト美味しい! そろそろ本題に入ろうか。……低変人さん」

「そうですね、桐花さん。……何か、正体が華頂さんだって分かると、敬語で話すことに違和感があるな」

「ふふっ、2年前に話すようになってから、敬語なのはずっと変わらないもんね。最初は違和感もあったけど、顔を合わせていないし、あたしも桐花として接していたからすぐに慣れたよ」

「そうか。華頂さんはいつ、俺が低変人だって知ったんだ? 今の話からして、2年前によく話すようになったときには、既に知っているように思えるけど」


 俺がそう言うと、華頂さんは俺の目をしっかりと見ながら首肯する。


「中学2年生になってすぐの頃かな。昼休みに美玲ちゃん達とお昼ご飯を食べていたら、ゆう君から凄く可愛らしい鼻歌が聞こえてきたの。美玲ちゃん達はうるさいとか、気持ち悪いって言っていたけれど、あたしにとっては凄く印象に残るメロディーだった。あたしの知らない曲だし、もしゆう君自身が作ったのなら凄いと思ったの」

「たまに、昼休みにふとメロディーが湧いて、口ずさむことがあったな」


 そのせいで、たまにうるさいと睨まれたり、因縁を付けられたりしたけれど。そのメロディーを華頂さんはいいと思ってくれたんだ。嬉しいな。


「そのメロディーが何なのか、数日くらい経って分かった。当時の低変人さんの新曲『かわいうつくし』のメロディーに使われていて。それが分かったとき、衝撃を受けた。ゆう君が低変人さんじゃないかって」

「そうだったのか。桐花さんが最初に曲の熱烈な感想をくれたのは『かわいうつくし』だったな。覚えてるよ。コメント欄に物凄く熱く語る人がいるなって」

「衝撃を受けたと同時に、いい曲だから感動もして。だから、その勢いで感想を書いたんだよね。さすがに本名だと恥ずかしくて。上手いハンドルネームを思いつかなかったから、自分の名前から考えたの。胡桃の桃の字は『とう』って読むから同じ読みで『桐』。華頂の華と同じ読みの『花』と組み合わせて『桐花』に決めた。あの曲に感想を送ったのは、昨日のことのように思い出すよ」


 華頂さんはにっこりと笑って、アイスティーを一口飲む。

 俺も桐花さんが『かわいうつくし』に熱烈な感想をくれたのを、昨日のことのように覚えている。あれが桐花さんとの出会いだと捉えている。

 あと、桐花っていうハンドルネームは本名が由来だったのか。漢字が違うからか、華頂さんが桐花さんじゃないかって全然考えなかったな。


「ただ、メロディーだけだと確信できないから、次の日の昼休みに確かめようと思って。当時から学生中心に人気だし、美玲ちゃん達も低変人さんの曲は聴いていた。新曲も出たから、昼休みの話題として出すのは簡単だったよ。私が『低変人』とか『かわいうつくし』って言葉を少し大きめの声で言うと、ゆう君の体がピクッと震えて。だから、ゆう君が低変人だなって確信したの」


 楽しげに話す華頂さん。そんな華頂さんを見ながら、当時のことを思い出す。


「当時から、新曲を公開すると、クラスでは話題になっていたな。華頂さんが低変人の話をしていたのも覚えてる」

「嬉しいな。……低変人として活動しているゆう君ともっと話したい。でも、当時から美玲ちゃん達はゆう君を馬鹿にしていた。当時は席が隣じゃなかったし、臆病なあたしはゆう君に声をかけることができなかった。それなら、せめてもネット上で『桐花』として話そうと思ったの。話すきっかけになるように、まずは他に好きな曲のコメント欄に長文の感想を送った。そうすれば、低変人さんの目にも留まるんじゃないかと思って」

「色々な曲に、とても長い感想を書いてくれるのは、当時は桐花さんくらいだった。だから、印象に残って、個人的に話したいと思うようになったんだ」


 ただ、当時、桐花さんがくれた長文の感想は、本当に曲についてそう想っているのだと分かった。俺と個人的に話したいからという思惑を知っても、その印象は変わらない。

 あと、席が隣同士になったときは、華頂さんは俺に話しかけていたな。ネット上で話すようになって少し経ってからだし、席が隣同士なら、将野さん達が見える場所でも話して大丈夫だと思ったのかな。


「Tubutterのダイレクトメッセージで、ゆう君から『ありがとう』ってメッセージをもらったときは凄く嬉しかった。『これからも話しませんか』って言われたときはもっと嬉しくて。メッセンジャーで話すようになってからは、ゆう君と気楽に話せる居場所ができたんだって幸せな気持ちになったよ」

「そうか。……じゃあ、活動休止期間に入って、しばらくメッセージを交わさなかったのは……」

「……うん」


 活動休止、という言葉を口にしたからか、華頂さんの表情が曇る。


「嘘の告白をしてゆう君を傷つけたこと。あの前日に美玲ちゃんから命令を聞いたけど、ゆう君に事前に何も言えなかったこと。ネット上なら伝えられるかもしれないと思ったけど、桐花があたしだって知ったら、ゆう君にどんな反応をされるのかが恐くて。そのことで命令通りにしなかったら、美玲ちゃん達に何をされるのかも恐かった。結局、ゆう君じゃなくて自分を守ってしまったの。……ごめんなさい」


 だから、将野さんが命令した嘘告白は未然に防ぐことはできず、予定通りに実行されてしまった。その結果、華頂さんがしてくれた告白とは違って、本当は華頂さんが俺を好きではないと知った。華頂さんと付き合えるわけがないと将野さんに馬鹿にされ、大半のクラスメイトから嘲笑された。そのことに俺は酷くショックを受け、結果として低変人としての活動を3ヶ月ほど休止する事態になってしまった。

 もしかしたら、この前、『道』を制作する際に相談に乗ってもらったことのお礼を言ったとき、桐花さんが『心が救われる』と言ったのは、2年前の嘘告白の罪悪感があったからだったのかもしれない。


「でも……あたしの気持ちとしては、その『嘘告白』は嘘なの」

「えっ?」


 華頂さんの気持ち的には嘘告白は嘘だった? 将野さんの命令で、俺を好きではないのに好きだと告白したのが嘘だったってことは……まさか。

 頬をほんのりと赤くして見つめてくる華頂さんにドキッとした。


「今日、伝えたいことは実は2つあるの。1つはあたしが桐花だってこと。もう1つはね……」


 華頂さんはソファーからゆっくりと立ち上がる。俺の座っているソファーまでやってきて、俺の隣に腰を下ろした。そして、両手で俺の左手をぎゅっと掴み、上目遣いで俺を見つめてくる。


「低変人さん……低田悠真君。あなたのことが2年前からずっと好きだということ。ゆう君のことが大好きです」

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