第37話『思い出-華頂さん編-』

「結衣。この英訳の穴埋め問題……どれが正しい答えなのか全然分からないのです」

「どれどれ……あっ、これは慣用句だね。『be short of~』で『~が不足している』っていう意味なの。だから、答えは『イ:short』だよ」

「なるほど! さすがは結衣なのです。ありがとうございます」


「ゆう君。この最短経路の問題が分からないの。点Pを通らない経路の総数の求め方なんだけど。どうやって考えていけばいいのかな」

「えっと……これは余事象の考え方で解くんだ。まず、全ての最短経路の総数を求める。そこから、Pを通る最短経路の総数を引けば求められるよ」

「そっか! ありがとう。頑張って計算してみるね」


 試験勉強を始めてからおよそ1時間。

 1年生4人はこうして助け合いながら、順調に試験勉強を進めている。

 俺は今まで1人で勉強するのが当たり前で、たまに芹花姉さんに分からないところを訊くくらいだった。こうして、誰かと一緒に勉強するのもいいな。


「あははっ」


 唯一の2年生である中野先輩は……漫画を読み続けている。何度か小さな声で笑うだけだから、試験勉強の邪魔にはなっていない。たまに、華頂さんや伊集院さんの分からないところを教えることはあるけど、この感じからして自分の試験勉強はしなさそうだ。

 ちなみに、『鬼刈剣』の第1巻を読み終え、今は美少女日常4コマ漫画『なないろサンセット』の第1巻を読んでいる。『鬼刈剣』は面白かったそうで、これから第1巻を含めて購読していくとのこと。


 ――コンコン。

「はーい」


 華頂さんがクッションから立ち上がって、部屋の扉へ向かう。夏芽さんかな? それとも、お姉さんの杏さんだろうか?

 華頂さんが扉を開けると、そこにはパンツスタイルで黒いカーディガン姿の杏さんが立っていた。


「お姉ちゃん、おかえり!」

「ただいま、胡桃。低田君達も遊びに来ているのね。こんにちは」

「こんにちは。お邪魔しています」


 俺が挨拶すると、高嶺さん、伊集院さん、中野先輩は「お邪魔していまーす」と声を揃えて言った。高嶺さんはそれまでと変わらないけど、伊集院さんはとても素敵だと思っている杏さんが目の前に現れたからか目を輝かせ、のんびりと漫画を読んでいた先輩はベッドの上で正座する。


「家に遊びに来てって昨日言ったから、さっそく遊びに来てくれて嬉しいよ。低田君達から誘った? それとも胡桃から?」

「結衣ちゃんが最初に行ってみたいって言ってくれたの。そのときにお姉ちゃんが家に遊びに来てって言ったのを知ったんだよ」

「そうだったんだ。私の目の前で低田君が千佳ちゃんに叱られたから、それを強く覚えていてさ」


 そう言って苦笑いをする杏さん。俺にとっては何度も叱られたうちの1つだけど、杏さんにとってはインパクトがあったのかも。


「中学のときも友達を連れてくることはあったけど、4人も来てくれたのって久しぶりじゃない? 親戚以外だと、男の子が胡桃の部屋に入るのは初めてな気がする」

「確かにそうだね。あと、お姉ちゃん。実は……」


 華頂さんは、下校時に校門を出たところで将野さん達と会ったときのことを話す。将野さんのことだからか、杏さんは真剣な様子で聞いていた。


「……そっか。胡桃は将野さん達と縁が切れたか。良かったね」

「うんっ!」


 優しい笑みを浮かべながら華頂さんの頭を撫でる杏さんの姿は、まさしくお姉さんって感じだ。昨日、杏さんは華頂さんは将野さん達と距離を取った方がいいと言っていたからな。付き合わなくてもいいくらいだとも。その通りになって安心したのだろう。

 そういえば、芹花姉さんも今の杏さんのように、俺の頭を優しく撫でてくれたっけ。特に俺が小学生くらいまでの間は。


「低田君も少しは気分が晴れたかな」

「将野さんからの謝罪はなかったですけどね。本来は良くない行為ですけど、将野さんの頬を叩いて少しスッキリしました。一つ区切りを付けられた感じです。それに、華頂さんと友達になれましたからね。高嶺さん達もいますし、もしこれから将野さん絡みで何かあっても大丈夫だと思います」

「低田君がそう言ってくれて嬉しいよ。あと、胡桃とはとりあえずお友達として仲良くしてくれると嬉しいわ」

「え、ええ。妹さんとこれからも仲良くしたいと思います」


 俺がそう言うと、杏さんは俺に固く握手を交わしてきた。

 一部分、気になる言い回しがあったけど、華頂さんと仲良くしてほしいというのは確かなので別にいいか。


「それで、今は試験勉強? 約1名、ベッドで漫画を楽しんでいるみたいだけど」

「来週に中間試験があるからね。中野先輩も漫画読んでるけど、あたしや姫奈ちゃんの分からないところを教えてくれて」

「そうなのね。せっかく、みんなが家に来てくれたし、アルバムでも見る? 低田君以外は高校で出会った子達だし」

「胡桃ちゃんのアルバム見てみたいです!」

「あたしも見てみたいのです。胡桃だけでなく杏さんの写真も……」

「華頂ちゃんの写真は興味があるな。金井高校の制服も似合っているから、中学時代の制服姿とか」


 華頂さんと高校で出会った高嶺さん、伊集院さん、中野先輩はみんな見たがっているので、休憩がてらアルバムを見ることになった。これまでもそうだったけど、初めて友達の家に行ったり、招いたりするとアルバムって一緒に見たくなるものなのかな。

 その後、杏さんが自分の部屋からアルバムを持ってきた。そのアルバムは家族中心に写真が貼られており、杏さんが産まれてから時系列の形になっている。なので、序盤は華頂さんが登場しない。ただし、


「幼い頃の杏さん、とっても可愛いのです……」


 伊集院さんがうっとりした様子で写真を見ている。前に杏さんのことを素敵だと言っていただけある。


「小さい頃の写真でこんなに可愛いって言われたのは初めてだね」

「だって、とても可愛いですもの!」

「ふふっ、そんな姫奈ちゃんも可愛いよ」


 杏さんが優しい笑みを浮かべながら伊集院さんの頭を撫でる。すると、伊集院さんは至福の笑顔になって。とても美しい光景が目の前に広がっているな。

 アルバムをめくっていくと、いよいよ華頂さんが登場する。その1枚目は赤ちゃんの華頂さんが、夏芽さんに抱かれている写真だった。


「赤ちゃんの胡桃ちゃんかわいい!」

「ありがとう、結衣ちゃん。赤ちゃんのときでも、写真を見られると照れくさいね」


 華頂さんははにかみながら、俺をチラチラと見てくる。女子ならまだしも、男子に見られるのは恥ずかしかったりして。


「ゆ、ゆう君はどうかな?」

「えっ? ああ……赤ちゃんの頃から可愛いな。あと、夏芽さんって華頂さんと雰囲気が似ているから、華頂さんも将来はこういう感じの女性になるのかなって思うよ」

「……きっとそうなるんじゃないかな。お母さんと似ているって何度も言われているし。大人になったら、実際に確認してくれると嬉しい……かな」


 頬は赤くなっているけれど、華頂さんは柔らかな笑みで俺のことを見ながら言った。

 華頂さんの言う「大人」が何年後のことか分からないけれど、友達になったからか、いつかは訪れる未来だと思えるようになったのが嬉しい。華頂さんの目を見て一度頷いた。

 時系列なのもあって、ページをめくっていく度に華頂さんと杏さんも成長していく。


「杏さん、金井高校の制服姿も可愛いのです!」


 伊集院さんは興奮気味に言う。金井高校の入学式に撮影された杏さんの写真が貼られていたのだ。


「ありがとう。卒業式はまだしも、入学式は随分と前のように感じるよ。胡桃達1年生のみんなとは……4学年違うのか。2年生の千佳ちゃんとは3学年だね」

「そうですね。あたし、この写真を見るまで知りませんでした。3学年だと気付きませんよね。去年からムーンバックスに杏さんが来てくれていますけど、大学に進学していますもんね」

「高校生の頃からムーンバックスに通ってるけど、大学に入学した去年から、凄く可愛い子が店員さんになったなって思ったもん」


 凄く可愛いと言われたからか、中野先輩は照れ笑いをする。バイトで仕事を教えてもらっているから、普段は大人っぽくて頼れる先輩だけど、今は幼く見えた。


「俺の4学年上ということは、俺の姉・低田芹花は知っていますか? 姉は杏さんの1学年下で金井高校のOGなんですけど」

「話したことはないけど、知っているよ。低田君と同じくとても綺麗な金髪だよね。最初に見たのは、高2の今ぐらいの時期に、駅前のドニーズだったかな。金髪の店員さんだなと思って名札を見たら『低田』って書いてあって。後に学校でお姉さんを見かけて、お姉さんが黄金色の天使って呼ばれているのを知って驚いた。ちなみに、ドニーズには黄金色の聖母もいるの」

「……その聖母、俺の母です。母もドニーズでパートしているんで」

「そうだったのね」


 黄金色の天使と聖母、3年前には既に広まっていたのか。聖母の息子であり、天使の弟である俺はこの間、高嶺さんから教えてもらうまで全く知らなかった。

 そこからページを何枚かめくり、華頂さんと俺の母校である金井第一中学校の制服を着た華頂さんの写真が。同じクラスになった中学2年の頃を思い出すなぁ。


「華頂ちゃん。この紺色のセーラー服って中学校の制服かな?」

「はい。金井第一中学校の制服です」

「そうなんだ! 凄く可愛いね!」

「可愛いですよね。セーラー服というのがまた可愛らしいです。あたし達の卒業した金井南中学は灰色のブレザーでしたから」

「そうだね。今もブレザーだから、私はセーラー服にちょっと憧れてる。本当に胡桃ちゃん可愛いなぁ。好きになった悠真君の気持ちが分かるかも」

「制服姿が可愛いとは思ってたけど、初恋をしたきっかけは華頂さんの笑顔だからな」

「……ふえっ」


 可愛らしい声を漏らすと、華頂さんは今までの中で一番と言っていいほどに顔を真っ赤にする。触れているところはないけど、心なしか、華頂さんから熱が伝わってきているような。

 今の華頂さんの反応を見て、俺もかなりのことを言ってしまったと分かった。心臓の鼓動が激しくなり、頬が熱くなっていくのが分かる。優しげな笑顔を見せる杏さんはまだしも、ニヤニヤする伊集院さんと中野先輩を見て、頬の熱が全身に伝わっていく。


「す、すまないな。突然こんなことを言って。みんなの前なのに」

「……い、いえいえ。恥ずかしさはあるけど、決して嫌じゃないので……」


 そう言う華頂さんの口元が緩んでいるように見えた。きっと、今の言葉は嘘じゃないだろう。


「そういえば、この前も胡桃ちゃんの笑顔に恋をしたって言っていたね。悠真君、こっち向いて!」


 高嶺さんがそう言うので高嶺さんの方を向くと、高嶺さんは俺に向けてニッコリとした笑顔を見せる。


「どうかな? 少しは私のことが好きになったかな?」

「……現状維持だな。あと、不思議とドキドキしていた気持ちが収まってきたよ」

「そうなんだ。笑顔を見て気持ちが落ち着くのって、恋人として付き合ったり、夫婦として過ごしたりする上では大事だと思ってる。だから、私は嬉しい。そんな私はドキドキしちゃっているけど」

「ドキドキしちゃっているのかよ」


 本当に前向きに捉えるなぁ、高嶺さんは。高嶺さんと中学時代から友達になりたかったと改めて思う。もしそうだったなら、将野さんが嘘の告白について俺を嘲笑したとき、すぐさまに将野さんの頬を叩いて黙らせそうだ。

 あと、高嶺さんや伊集院さん、中野先輩が金井第一中学校のセーラー服を着たらどんな感じか興味があるな。想像してみると……とても似合いそうだ。

 それからもアルバムを見たり、お菓子を食べたりするのを楽しみ、華頂さんの家にいる間は試験勉強をしなかった。

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