第30話『この上ない場所』

 5月15日、水曜日。

 昨日とは違い、朝からずっと青空が広がっている。再び暖かい気候になった。寒いよりかはよっぽどいい。

 今日も登校時に、昇降口前で高嶺さんが告白されているところを見た。もちろん、高嶺さんはその告白を断った。すっかりと見慣れた光景になったのに、少し胸がざわつく。この1週間で、高嶺さんと一緒にいる時間が急に増えたからだろうか。

 告白を遠くから見届けた後、俺は1人で1年2組の教室へ向かう。ただ、その途中で、


「あっ、低田君」


 女子用のお手洗いから出てきた華頂さんと出くわした。華頂さんにとっても予想外のことだったのか、華頂さんは見開いた目で俺を見ている。

 昨日の放課後に、告白された場面を見たり、高嶺さんに2年前の話をしたりしたから何だか気まずいな。華頂さんを直視しづらい。


「おはよう」


 華頂さんは微笑みながら挨拶してくれた。

 2年前の嘘告白があってから、中学を卒業するまでは今のような挨拶さえもしなかった。それを考えれば、今は結構マシになったと思える。

 俺は華頂さんの目をしっかりと見る。


「おはよう、華頂さん」

「……うん、おはよう」


 微笑む華頂さんの顔がほんのりと赤く色づいた。

 俺は華頂さんと一緒に、お手洗いから1年3組までの僅かな道のりを歩く。


「あ、あのっ! 低田君!」


 普段よりも大きな声で俺の名前を呼ぶと、華頂さんは緊張しい様子で立ち止まった。もしかして、昨日の放課後について話したいことがあるのかな。


「きょ、今日も授業頑張ってね! またね!」


 華頂さんは小走りで1年3組の教室に入ってしまった。

 俺に何か話したいことがあったように見えたけど、華頂さんの後を追いかけてまで訊く勇気はなかった。中学のときに連絡先は交換したけど、スマホで訊く勇気もない。そもそも、俺の持っている華頂さんの連絡先が現役なのかも分からないし。

 1年2組の教室に到着すると、高嶺さんと伊集院さんが俺のところにやってくる。高嶺さんはとっても嬉しそうだ。


「おはよう、悠真君!」

「おはようございます、低田君」

「……おはよう。高嶺さん、伊集院さん」


 昨日の放課後に2年前の話をしたからか、こうしてクラスメイトが自ら挨拶してくれるのが嬉しい。あと、高嶺さんが俺に笑顔を向けてくれることにほっとする自分がいた。



 昼休み。

 今日も高嶺さんと伊集院さんと一緒にお昼ご飯を食べるんだろう。そう思いながら、弁当と水筒を机の上に出したときだった。


「悠真君。今日は天気がいいし、屋上でお昼ご飯を食べようよ!」

「……うちの高校って屋上に行けるんだ。初めて知った」

「昼休みと放課後だけだけどね」


 てっきり、屋上に行ける高校は創作の中にしかないと思っていた。ただ、思い返してみると、芹花姉さんが在学中に、屋上で友達とお昼ご飯を食べたと言っていた気がする。


「来月には梅雨になってしまいますし、今を逃したら、外で気持ち良く食べられる時期は1学期の間にはないと思うのです。胡桃も誘っているので、4人で食べましょう?」

「華頂さんも一緒なのか。……分かった。今日は屋上で食べるか」


 高嶺さんと伊集院さんも一緒なら、華頂さんとお昼ご飯を食べても大丈夫か。

 俺は弁当と水筒を持ち、高嶺さんと伊集院さんと一緒に教室を後にする。

 教室を出たところにランチバッグを持った華頂さんが待っていた。華頂さんは可愛らしい笑みを浮かべながら小さく手を振る。その際、俺のことはチラッと見る程度だった。

 3人と一緒に第2教室棟の屋上に行くと、そこにはベンチやテーブルなど、生徒や職員がくつろげる施設がしっかりと備わっていた。だからか、生徒がちらほらといるな。


「あぁ、陽差しと風が気持ちいい!」

「絶好のお弁当日和なのです」

「そうだね! ここからでもいい景色が見られるし、お昼ご飯を食べるにはこの上ない場所だよね! 屋上だけに」

「ふふっ、結衣ちゃん上手だね」


 華頂さんは上品に笑う。

 屋上だからこの上ない……か。そこまで面白くはないけど、高嶺さんらしいギャグだと感心した。

 テーブルは全て埋まっていたので、俺達はベンチに座ってお昼ご飯を食べることに。華頂さん、俺、高嶺さん、伊集院さんという並びで座る。


「あっ! バッグに水筒ない。どうりで軽いと思ったよ」

「……普通、もっと早く気付かないのですか?」

「うっかりしちゃった。お財布はあるし、せっかくだから自販機で買おうかな。姫奈ちゃん、ついてきてくれない?」

「仕方ないのです。胡桃と低田君、何か飲みたいものがあれば買ってくるのですよ」

「俺はいいよ、水筒あるし」

「あたしも。2人ともいってらっしゃい」

「うん! 先に食べ始めていいからね!」


 高嶺さんと伊集院さんは飲み物を買いに屋上を後にする。その際、高嶺さんはこちらを向いてウインクをした。どういうことだろう。

 それにしても、華頂さんと2人きりか。昨日の放課後に告白された場面を見ていたこともあって、緊張するし気まずいな。


「……た、高嶺さんがいいって言っていたから、先にお昼ご飯を食べ始めるか」

「……その前に低田君に話したいことがあるんだけど、いいかな?」


 そう言われたので、弁当箱の蓋を開けるのを止める。

 華頂さんの方を見ると、華頂さんは真剣な表情をして俺を見つめてくる。


「……2年前。あたしが嘘の告白したことを謝りたくて」

「……もしかして、高嶺さんに謝れって言われたのか? 実は昨日の放課後、高嶺さんにそのことを話したから、それで……」


 さっきのウインクが、謝れというサインだったのだろうか。


「ううん、違うよ。あたしから結衣ちゃんに頼んだの。その……低田君に謝りたいから、2人きりで話せる時間を作ってくれないかって。結衣ちゃんなら、低田君もあたしも一緒にいる機会を作りやすいし。あと、飲み物を忘れたっていう口実で、あたし達を2人きりにする状況を作るのは、結衣ちゃんのアイデアなの」

「そうだったのか」


 さっきの飲み物の件はわざとなのか。高嶺さんから2年前の話を聞いているかどうかはともかく、伊集院さんもきっと、華頂さんが俺と2人きりで話したいことがあるのは知っているだろう。


「昨日、告白を断ったときに見えた低田君の切なそうな様子が気になって。だから、昨日の夜、一緒にいた結衣ちゃんに訊いてみたの。あの後、低田君はどんな感じだったのか。結衣ちゃんの話によると、あの後、結衣ちゃんと家に帰って、2年前のことを話したそうだね」

「……告白を断った場面を見たとき、将野さんから嘘の告白だって嘲笑われたことと、華頂さんが凄く申し訳なさそうに、ごめんって言ってくれたことを思い出したんだ。だから、胸が苦しくなって」

「……そうだったんだね」


 そう呟くと、華頂さんはあのときと同じく申し訳なさそうな表情になり、両眼には涙を浮かべる。そんな華頂さんを見ると、昨日ほどではないけど心苦しくなる。


「ごめん。あたし、泣いちゃいけないのに……」

「気にするな。それに、その涙は……嘘じゃないだろう?」


 2人きりになってからの華頂さんの言葉も表情も、嘘じゃないと信じている。2年前のあのとき、嘲笑う声の中で聞こえた『ごめん』って言葉も。

 華頂さんは右手で涙を拭う。


「あのとき、『ごめん』って言ったけど、改めて謝りたくて。でも、低田君にどんな反応されるか恐くて。もし、謝ることができても、それを美玲ちゃん達に知られたら何をされるのか恐くて。臆病なあたしは結局何もできなかった。中学を卒業するまで、声を交わすことすらほとんどできなかった。それが心苦しくて」


 華頂さんは将野さんがリーダーのグループに入っていた。だから、嘘の告白について俺に謝罪することは、グループに造反するとも言える。そのことで、リーダーの将野さんやグループのメンバーからどんな罰を受けるのかが恐かったのだろう。


「それでも、高校生になったら、少しずつだけど話すようになったよな」

「うちの高校に美玲ちゃんがいないしね。入学したのをいい機会に、少しずつ状況を変えようと思って。そのためには、まずは挨拶するのがいいと思って。だから、入学式の日に低田君に声をかけたの。そのとき、低田君が返事をしてくれたのが嬉しかった。バイト中に会ったときは、お互いに頑張ってって言い合えるようになったことも嬉しくて」


 そう言う華頂さんの口角は上がっているから、今の言葉が本当なのが分かった。

 高校に入学した日、華頂さんから声をかけられて、今までと違う時間が流れ始めたと思った。それは華頂さんの勇気のおかげだったんだ。あのとき、きっと俺からは挨拶できなかったと思うから。


「連休が明けて、結衣ちゃんと姫奈ちゃんが低田君と楽しそうに話しているのを見ていいな……って。あたしも、隣同士の席になったとき、低田君と話したのが楽しかったから。そのためにも、まずはちゃんと謝らないといけないって思ったの」


 華頂さんは再び真剣な様子になって俺のことを見つめてくる。


「2年前。嘘の告白をして、低田君を傷つけてしまってごめんなさい」

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