36 もういいねの『AIR』 03

 分かっていたのに、気づいていなかったとか言い訳だと思う。

だけど、だからどうすればいいのかとなると、ゆうみの思考は一時停止する。

この先が思い浮かべる事ができない。

言うなれば、夏休みがはじまったということで。

だからといって、ゆうみの家でやることが変わることはない。

受験勉強というものが、加わったとしても。

うさぎとあれから、会話がなかったとしても。

ゆうみは、自室の机に向かって、勉強していた。

ノートを広げ、教科書を広げて。

手始めに、と始めた夏休みの宿題に手をつけようと思っている。

「……はずだったんだけどなぁ~」

一行も、一文字も書かれてはいなかった。

かれこれ一時間は経過するのに、目は、教科書の文字を追っている。

問題のプリントをも、見てるのに、書けなかった。

わからないということもある。

だが、それ以上に頭のなかは別のことを、考え続けている。

ゆうみは、机に突っ伏すと呻いた。

うさぎのことが、気になってしまう。

いつかのように、走って家まで行く勇気が出ない。

ちらり、と自室のドアを睨む。

兄はちょっと高校の友達と出かけてくると言って、いない。

余裕があるわけではなく、目的は参考書を買うため、なのだが。

「なんじゃ、だらしのない。そんなに、気が進まんのなら、さっさと片付けてこい」

主語がなくても、分かるから、嫌になる。

「軽く言ってくれるよ。これはね、デリケートな問題なのよ」

突っ伏したまま、返事を返してゆうみは、そっぽを向く。

言われなくても分かっている。

踏み出せなくて、イライラしているのが、新には分からないのだろうか。

「デリケート?お主にそんなものがあったとは知らんかったのう」

「なによ!悪い!」

椅子を倒す勢いで立ち上がったゆうみを、新は一仕事終えたような顔をした。

うれしいことに、椅子は倒れずに済んだ。

「昼じゃ。とりあえず、なにかを食べてからにしろ」

「新はそんなに、帰りたい?」

再び椅子に腰掛けて、突っ伏して聞く。

新は、早く帰りたいのかもしれない。

こんな子供みたいにうじうじしている中学三年生なんて、興味がないのかもしれない。

そんなことはないのだと、分かっていても新に当たりたくなった。

バカなことを聞いているなという自覚はあったのに、止められなかった。

「アホか、お主は」

ポン、と頭を撫でられる。

ゆうみは、初めて自分が泣いていることに気がついた。

「おぬしにとって御巫殿は、大切な友達なのであろう。いま、仲直りせんでいつする?このまま、卒業してしまえば、永遠に会えぬようになるかもしれんのだぞ?」

それに、と新は続けた。

「嫌いといわれたらそりゃ、悲しいしつらい。大切な友達ならば、なおさらじゃ。じゃがのう、どうしてあやつがそなたを嫌いなのかは聞いておらぬではないか。聞いておればよい。吉田殿の時と同じじゃ」

屁理屈だと、ゆうみは思った。

でも、優しい声と頭を撫でる感触に、イライラが収まっていく。

兄や祖父母に言われたら、余計に腹が立つのに。

新の言葉だと、素直に自分の中に入ってくる。

「なにか、買っていってくるよ」

それでもなにか、言い訳をしていくのは新に対して癪だから。

情けなく思う。

ゆうみは、心の中でうさぎの名を呼びながら、小さく謝った。

新が部屋から立ち去り、ゆうみも後に続く。

台所のテーブルの上には、冷やし中華が二人前、置かれていた。

「あれ?ゆうにーちゃんの分はいらないの」

「あぁ。食べてくるそうだ」

人見知りの激しいゆうみと違う兄は、社交的で友達も多い。

そうならざるを得なかった、というべきか。

ゆうみから見て、苦痛に感じていないのならいい。

ゆうたは、高校最後の夏をがんばっているのだなと思った。

自分はこんなところで、悩んで、新に当たっているなんて、バカだ。

席につくゆうみの対面に、新が座る。

いつから自分の対面に新が座るようになったのだろう。

あまりにも自然だったから、気づかなかったのだろうか。

ゆうみの対面は、ゆうただったのに、今それに気づきたくはなかった。

新は、きちんと手を合わせてから食べるから、ゆうみも習ってそうする。

食べ方も綺麗だから、ゆうみも習ってそうした。

そうなったゆうみをゆうたは、喜んだし、彼女自身もむずがゆかったが、嬉しかった。

だからと、冷やし中華に箸を入れて、口に運ぶ。

「うまっ!」

思わず声が出るほど、おいしい。

しょっぱすぎないし、野菜はしゃきしゃきしてて、汁に絡む。

それを麺と一緒に啜ると、箸が止まらなくなる。

おいしい、おいしいとしか言えなくなる。

新の手料理をこれまで、何度か食べたことはあるが、完璧の一言。

これがもう、食べられなくなると思うと切なくなる。

箸休めに顔を上げる。

うさぎにも、食べさせてあげたいな。

だってこんなにも、新の手料理は、おいしいんだから。

「あっ………」

うさぎに対して、どう自分に大切か。

おいしいものを食べたとき、一緒に騒げる相手。

一緒に、キャーキャー言ってはしゃぐ。

(ゆうみ!)

うさぎがゆうみを、呼ぶ声。

「ゆうみ?」

新の声が重なる。

頭がずきずきしてきた。

目頭が暑くなって、こみ上げてくるものを慌てて飲み下す。

今、新の前で泣いてしまうのは自分が許せない。

そんなことは、絶対にダメだ。

目に力を込めて、ゆうみは大急ぎで冷やし中華をかっ込む。

早く、食べなくては、と思っていると新が少し笑って、落ち着いて食べろと言ってくる。

関係ない、ハムスターみたいに頬をぱんぱんにさせたゆうみを、新はそっとテーブルに置いてあるティッシュ箱を押し出してきた。

それを二三枚、勢いよく取って口元に当てる。

ただでさえ、頭がぱんぱんで考えられない頭なのに、心が叫ぶ。

後ろ向きな考えがバカみたいに言う頭の声を、ゆうみは全力で振り切るように無視した。

心が従うまま、うさぎに会おう。

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