第17話 ジャスミンを連れ出そう
ミーリアはアトウッド家の真上で停止した。
微風が吹いており、パタパタとスカートがなびいている。
(これから行くと思うと悪寒が……誰かに会うのはいやだなぁ……。特に脳筋)
空から見下ろすアトウッド家の屋根は、古ぼけていて、何度か修繕したあとが見えた。
(迷っててもしょうがない。魔力循環――ソナー魔法!)
ソナー魔法を打ち出して、家に誰がいるか確認する。
タイミングよく、ジャスミンだけが家にいるようだ。
脳筋領主アーロン、ロリコン婿養子アレックス、母親エラ、長女ボニー、全員が不在だった。
ミーリアは安堵して、ゆっくりと降下していき、ログハウスのような家の玄関から中に入った。
(うわぁ……この感じだよ。じめっとした空気ね……肉とラベンダーの香りが染み付いてる気がする……)
ミーリアはしかめっ面で、音を立てないようにリビングへと向かう。
リビングにある大きなテーブルの隅で、ジャスミンが編み物をしていた。
(付き添いのお婆さんはいない……ということは、ジャスミン姉さまはこれから出かける用事はないってことだね)
ミーリアはラベンダー色の髪をした四女の姉を見つめる。
長い前髪とうつむいている姿勢のせいで、表情は見えない。
ジャスミンが息をひそめ、気配を消しているようにミーリアには見えた。ずっと何かに怯えているみたいだ。
(ジャスミン姉さま……)
クロエが王都へ出発してからの二年間、ミーリアはジャスミンと暗黙の了解で協力し合ってきた。
ロビンが近づけばどちらかが牽制していたし、ミーリアはロリコンの娘婿アレックスとジャスミンが二人きりにならないよう、アレックスの居場所をソナー魔法で定期的に探ったりもしていた。
もし二人きりになりそうであれば、自分がそれとなく家にいるようにするか、母親エラか、長女ボニーを呼ぶようにしていた。
おそらく、ジャスミンはミーリアの気配りに気づいていたと思う。
ただ、ミーリアはぼんやり七女を演じていた手前、込み入った話をすることはなかった。
七女と四女の同盟関係は、ミーリアが王都に行くまで続いた。
(私は自分のことで必死になって、ジャスミン姉さまの存在を後回しにしてた……)
ミーリアが一歩近づくと、古いリビングの床が、ぎしりと軋んだ。
「……!」
ジャスミンがびくりと肩を震わせて、バッと顔を上げた。
「誰?」
「……」
「その髪色……、ミーリアなの……?」
編み物をテーブルへ置き、長い髪の隙間から覗くようにして、ジャスミンがミーリアへ視点を合わせようとする。
視力が極度に低いため、ぼやっとした輪郭と色しか判別できていないみたいだ。
ミーリアは自分と似た細身の姉を見つめ、何を言うか逡巡し、舌で唇を舐めた。
「……ええっと……はい、そうです。ミーリアです、ジャスミン姉さま」
「ああ、そうなの……ミーリアなのね……」
口数の少ない姉だ。
何を言うわけでもなく、口もとに薄っすらと笑みを浮かべてうつむいた。
「――ッ」
ミーリアはジャスミンの笑みを見て、前世の自分を強烈に思い出した。
高校生になる前の自分そのものだ。
鏡に向かって、「自分は大丈夫、我慢できる」と言い聞かせ、無理に笑みを作っていた。中学生になって、父親の堕落ぶりはいよいよひどくなっていき、ミーリアは鏡で何度も何度も「大丈夫」と言い聞かせていた。
「ジャスミン姉さま。私と一緒に王都へ行きましょう。今すぐに」
気づけば、するすると言葉が滑り出た。
ミーリアはぎゅっと拳を握って、ジャスミンに近づいた。
「この家にいる必要はありません。私が、姉さまを連れ出します。私にまかせてください」
「……ミーリアは……ぼんやりした女の子じゃなかったのね……?」
「あ……」
なんの説明もなく、いきなり本題を話してしまい、ミーリアは固まった。
順序よく話したほうがいいとクロエから言われていたことを思い出した。
「……黙っていてごめんなさい」
「八歳くらいのときからよね? あの頃から雰囲気が変わったもの……」
「気づいていたんですか?」
「なんとなくだけど。そんな気がしたの」
ジャスミンが優しい声色で言って、顔をしっかり上げ、瞳をミーリアへと向けた。
(ジャスミン姉さまの目、おっきい。いつもうつむいていたから……きちんと目を見て話すの、初めてかも)
ミーリアはジャスミンの瞳を見て、王都で見た宝石を連想した。
「あなたが来てくれて、今、とても嬉しいの。でも、こういうとき、どんな顔をすればいいのかわからなくて……。ごめんなさいね」
「ジャスミン姉さま……」
ミーリアは寂しそうに言うジャスミンに胸が痛くなり、彼女の手を取った。
ジャスミンの手はひんやりと冷たかった。
「ミーリア。何もしてあげられない姉でごめんね……、あなたとこうしてお話ができて、とても……とても嬉しいわ……」
「ごめんなさいジャスミン姉さま……ぐすっ……ごめんなさい……」
「……私のことはいいわ。お父さまが帰って来る前に、早く帰りなさい……」
ジャスミンは、アーロンがミーリアを見たら面倒を起こすと考え、ミーリアの手を自分から離した。
「ミーリアがいないと、寂しいわね……」
気づけば、ジャスミンの頬には涙が流れていた。
「……この家にいると……息苦しくて……」
ジャスミンが幼い頃は姉妹七人、全員がいて、ぎくしゃくした空気もそこまでなかった。
貧乏には変わりなかったが、どこかへ嫁ぐと考えれば、生きる希望もあった。
「……」
ジャスミンは曇った視界で七女の妹を見つめる。
三女クララ、五女ペネロペが嫁ぎ、六女クロエが家から出ていった。そして――ミーリアがいなくなってからが本当の絶望の始まりだった。
ロビンから悪質ないびりを受け、アレックスからは貞操を狙われるという恐怖の毎日だ。かばってくれる人もいない。自由もなく、まともな結婚相手も見つからない。そんな真っ暗な絶望がジャスミンの心を支配していた。
ジャスミンはミーリアに再会して、溜め込んでいた感情が涙となって流れ出た。
それでも、ジャスミンはミーリアに再会し、姉らしいことをしてあげたいと心から感じ、自分でもどうしてそんな想いが湧き出てくるのかよくわからずに、ミーリアの腕をそっと押した。
「ミーリア……もう、あなたが、お父さまやアレックスさまと会う必要はないわ……早く、行って。私のことはいいの。こうしてお話ができて、あなたがぼんやりした女の子じゃないとわかって……とても、嬉しかったわ……」
涙を拭くこともせず、ジャスミンは座った姿勢から手を伸ばし、手探りでミーリアの二の腕あたりをつかんでから、優しくぽんぽんと叩いた。
「ロビン姉さまはいなくなったもの……私は、大丈夫よ……」
「ジャスミン姉さま……!」
アトウッド家にいる最悪の状態であるのに自分を心配してくれるジャスミンに、ミーリアは涙がぽろぽろとこぼれた。
自分を大切に思ってくれていることへの感謝と、今まで本当のことを言えなかった申し訳なさで頭がいっぱいになる。ジャスミンを信用していなかったわけではないが、クロエが念には念を入れて、ぼんやり七女の演技を続けるようにとミーリアに提案しており、それをミーリアは実行していた。第一優先はやはりアトウッド家からの脱出であった。
ミーリアは衝動的にジャスミンに抱き着いた。
ジャスミンの身体は細かった。ふわりとした優しいラベンダーの香りに包まれる。
「……ミーリア……、ダメよ……もうすぐ猟から、帰ってくるわ……」
「一緒に行く。絶対一緒に行く。ジャスミン姉さま、こんな家から出て行こう!」
「え、ちょっと、え、え、浮いてる?」
ミーリアはジャスミンに抱き着いたまま、飛翔魔法を使った。
二人はリビングで浮いていた。
ジャスミンは足をぱたぱたさせている。
「魔法ですよ、ジャスミン姉さま!」
ミーリアは顔を涙で濡らしたまま、にかりと笑った。
(絶対に姉さまをこの家から連れていこう……!)
決意も固まり、ミーリアは素早くソナー魔法を打ち出した。
家族に見つからず、抜け出すのが最善だ。
(ソナー魔法――反応アリ…………げっ、脳筋とロリコン玄関に……!)
間の悪いことに、父アーロンと婿養子アレックスがすぐそこまで来ていた。
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