第7話 四女ジャスミン・中


 重々しい空気の中、夕食の合図がかかった。


 食卓を囲むのは脳筋当主のアーロン、事なかれ主義の母親エラ、長女ボニー、婿養子アレックス、次女ロビン、そして四女ジャスミンである。


 七女ミーリアがいなくなり、食卓はずいぶんと静かになった。


 アトウッド家の食事が盛り上がることは一度もなかったのだが、小さなミーリアがマスコット的な意義を果たしていたのかもしれない。彼女がいたときは、いい意味でも悪い意味でも、皆がミーリアを見ていたように思う。


 今の食卓には、花も、救いも、何もなかった。


 当主アーロンは機嫌が悪いのか、乱暴に鹿肉へフォークを刺している。いつもなら、どれだけ自分が優れた狩りをしたか自慢するのだが、今日は成果がゼロだったらしい。


 母親エラ、長女ボニーが言葉を発することはほぼなく、ロビンはミーリアが王都に行ってからイライラしっぱなしだ。


 ジャスミンは誰とも目を合わせないように、硬い黒パンを口の中へ入れた。


「今日は不猟でしたね。山の風に湿気が多く含まれていたからでしょうか?」


 重々しい食卓の空気に耐えられなかったらしい婿養子アレックスが、愛想笑いをアーロンへ向けた。不自然な笑い方のせいで、そばかすの散った頬にしわが寄る。


「なんで湿気で不猟なんだ?」


 伸ばしっぱなしの髭を気にもせず、アーロンがじろりとアレックスを睨んだ。


 アーロンは物事を多角的に考えない。文字も簡単なものしか読めず、計算などまったくできなかった。領主より山賊の親玉が似合う人物であった。


 湿気などと言われても、理解できないのだろう。


「それはですね、湿気が多いとロングホーンディアーは巣にこもるからですよ。他の動物にもそんな傾向があるのかもしれません」

「聞いたことねぇな、そんな話」

「推測ではあるんですけど……」


 アーロンがまったく聞く耳を持たないので、アレックスは声が小さくなっていく。


「関係あると思いませんか?」

「ごちゃごちゃうるせえ。明日も朝から行くぞ。早く食って寝ろ」

「……承知しました」


 不機嫌なアーロンに何を言っても通じない。


 アレックスは何かを堪えるように奥歯を噛みしめ、ちらりと斜め奥の席を見た。

 長テーブルの奥に座っていたのはミーリアだ。今はそこには誰もいない。


 アレックスは顔をしかめて、ジャスミンを見やった。身体のラインを見るような不躾な視線を向け、満足したのか、自分の鹿肉へと取り掛かった。


 そんな旦那の様子を、妻である長女ボニーは死んだ魚のような目で見ていた。


「……」


 ジャスミンはアレックスが自分を見ていることには何となく気づいていた。

 極力、アレックスと二人きりにならないように気を付けている。


 ほとんど話すことのなかったクロエが、「あの人には気を付けてください」と何度か言っていたのを思い出した。ラベンダーの収穫中にしつこく話しかけられたり、抱きしめられそうになったりと、かなり嫌な思いをしたらしい。


 そういえば、ミーリアは八歳になってから、アレックスから逃げるのがうまくなった。前まではぼんやりしているところを、後ろから抱きしめられたり、無遠慮に頭を撫でられたりされていたのだ。


 八歳で自我が覚醒したのだろうか。

 そんな想像をジャスミンはした。


 しばらく無言のまま食事をしていると、家の外がにわかに騒がしくなった。


「夜分に失礼! こちらはアトウッド騎士爵の邸宅で間違いないでしょうか!」


 男性の呼ぶ声に、全員が食事の手を止めた。


 この時間に大声で自宅を確認するのは、領外から誰かがやってきたことに他ならない。


 何も起きない田舎の村だ。

 領外からの来訪だけで一大ニュースである。


「はい。少々お待ちくださいませ!」


 母親エラが血相を変えて立ち上がり、さっと髪型を直して駆けていった。


 玄関先で話声が聞こえたあと、騎士らしき服装の男性が入ってきて、アーロンを見て一礼した。


 魔物領域の街道を抜けてきたからか、ローブや服は汚れている。


「お食事中に失礼いたします。私はダレリアス準男爵家の騎士、ウィルと申します」

「おう、いきなりどうした?」


 アーロンが山賊の首領みたいな返答をする。


 騎士ウィルはアーロンの不作法に面喰った。たとえ騎士爵持ちだとしても、準男爵の騎士を無下に扱ったりはしない。これが格上の伯爵とか侯爵ならまだわかるが、騎士ウィルにはアーロンの態度が理解しがたかった。とにかく田舎だから仕方ないかと、咳払いをした。


「……ごほん。此度は我がダレリアス家次男、ギルベルトさまとの婚約のお話をお持ちいたしました。書状はこちらにございます。何卒、ご精査いただれば幸いです」


 背後で恐縮しきっているエラがさっと出てきて、ぺこぺこと頭を下げて受け取った。


 ロビンが「婚約」と聞き、黙り込んだままギラギラした目で書状を見つめる。


「そうか。で、どんな条件でどこの領地なんだ?」


 アーロンがストレートに聞くと、騎士ウィルが頭を下げた。


「大変申し訳ありませんが……詳しいお話は明日あらためていかがでしょう? 私も部下も休みなしで参上したのもので……まずは手紙の内容を確認していただければ幸いでございます」


 最果ての街道と呼ばれるアトウッド家への唯一の道は、魔物領域の中ある。


 騎士ウィルは疲れ果てていた。

 立ったまま眠れそうである。


 手紙を渡しておいて失礼ではあったが、アーロンの態度から、構うものかと思ったようだ。


「はい、それはもう、どうかそのようにしてくださいませ。今、湯を沸かして身体を拭けるよう準備いたします」


 エラが弾かれるようにして準備を始めた。

 長女ボニーも後を追う。


「ご厚意痛み入ります」


 騎士ウィルはアーロンに一礼して、外に待たせている部下たちと合流した。

 部屋に残ったのはアーロン、アレックス、ロビン、ジャスミンだ。


「ロビン、おまえも手伝ってこい」

「いやですわ」


 アーロンの言葉をロビンが一蹴した。


「それよりお父さま、書状をお見せくださいませ。わたくしが読んで差し上げます」


 食事もほどほどに、ロビンが立ち上がってアーロンから手紙を受け取り、読み始めた。


 ロビンは難しい表現の文章は読解できないが、普通の文なら読める。字も書けるには書けるが、下手である。


 ジャスミンはできれば朗読してほしいと思った。

 ひょっとしたら自分宛ではないのかと、胸が高鳴った。

 誰でもいいから、この領地から連れ出してほしかった。


 ロビンは書状を読み進めるにつれ、眉間にしわが寄り、読み終わる前に手紙を床に叩きつけた。


「ミーリアがドラゴンスレイヤーですってぇぇぇえぇっ?!」


 家の壁を切り裂くような叫び声がアトウッド家に響いた。


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