第37話 グリフィス公爵家


 困っているミーリアを見て、当主が口を開いた。


「貴女がミーリア・ド・ラ・アトウッド嬢ですね。私はグリフィス家当主、ウォルフ・ド・ラ・リュゼ・グリフィスでございます。此度の件、ディアナとアリアから聞いて、どれほど感謝すればいいかわからず、こうして失礼を承知で女学院まで足を運ばせていただきました」


 グリフィス家当主、ウォルフは膝をついたままミーリアを見上げた。

 隣にいる夫人は膝をついた姿勢でハンカチを出し、目頭を押さえている。


「石化解呪のレシピを探し出し、魔古龍バジリスクの討伐に行ってくださるとお聞きいたしました……友であるアリアを助けるためだけに……そこまでしてくださるとは……誠……誠に……信義に厚きレディです」


 ウォルフは感動が身からこぼれそうなほど、喉を震わせている。


 隣の夫人も涙を拭きながらうなずいている。


(レ……レディって……)


 ミーリアはレディ呼びに困惑した。

 レディはバジリスクの蒲焼きを熱望したりしないと思う。


「い、いえ、あのぉ、私はただ、アリアさんに頼まれてお手伝いしただけで……アリアさんが優しくて素敵な方だったので、何かせずにはいられなかったというか……」

「なんと……!」

「……」


 ミーリアの発言にウォルフはさらに感動で身を震わせた。

 ご夫人はハンカチを左右交互に当てる。

 アリアは真面目な顔つきだったが、どこか照れていた。


(と、とりあえず立ってもらおう。いや、お立ちになっていただきござる)


 この状況がいたたまれない。混乱して脳内口調が武士になる。

 学院長、魔女っぽいキャロライン教授、ディアナ、クロエ、公爵家騎士たちの視線が痛い。


 ミーリアは公爵夫妻の前にしゃがんで手を取った。


「お立ちになってください。お膝が痛くなってしまいます」


 どうにかこうにか気持ちを落ち着かせて普段の口調で言うと、二人が礼を言ってゆっくりと立ち上がった。


 立ち上がるとわかるが、公爵家当主と夫人の二人はかなりの迫力だった。立ち姿だけで気品のようなものが漂っている。公爵フレグランス的な何かがあるのかとミーリアは思った。


(リアルファンタジーお貴族さまだよ。アトウッド家と比べたらA5和牛と雑草だよ)


 公爵家の威光がまぶしい。


 二人が立ち上がってくれたので、学院長たちが安堵のため息をもらした。

 ミーリアはアリアがいいとこ出のお嬢さまだと、あらためて思い知らされた。


「あの、公爵さま。お礼を言わなければいけないのは私のほうなんです」


 ミーリアは自然と言葉が口から滑り落ちた。


「アリアさんは公爵家のご令嬢であるのに、ど田舎騎士爵家出身の私と仲良くしてくださいました。友達だとも言ってくださいました。だから、これぐらいのお手伝いは苦にもなりません。デモンズマップが解読できたのもアリアさんがいたからです」

「……ミーリア嬢……」

「あと、魔古龍バジリスクはさっき討伐してきました。石化解呪の薬も完成しています。ね、アリアさん?」

「なんですと?」「は?」「なんですって……?」「ああミーリア」


 学院長、キャロライン教授、ディアナ、クロエが各々違う反応をした。


 クロエはミーリアが魔古龍バジリスク討伐に向かったことを知ってはいたが、いざこうして本人の口から聞くと心配で胸の鼓動が速くなった。小声で「なんてことを……次は絶対に相談してから行ってもらいましょう」とつぶやいている。


 ミーリアに話を振られたアリアは誇らしげな動作で魔法袋から小瓶を取り出し、ウォルフに手渡した。


「お父さま、こちらが石化解呪の秘薬です。ミーリアさんがとあるツテを利用して、調合してくださいました。わたくしも立ち会っていたので本物に間違いございませんわ」

「おお……これで母上が……」


 ウォルフが小瓶を手に持ち、夫人と顔を合わせた。

 ご夫人は感激屋なのかずっとハンカチで目元を拭いている。


 あの気の強い次女ディアナもポケットからハンカチを出して顔を押さえていた。


 アリアの祖母である、エリザベート・ド・ラ・リュゼ・グリフィスの石化解呪が、公爵家の悲願であることは間違いないらしい。


「はい、こちらでおばあさまを元の姿に戻すことができます」

「そうか……。ミーリア嬢、あなたは誠に……」


(アリアさんも、ディアナさんも、ウォルフさんも、本当によかったね……!)


 ミーリアはいいことをしたと嬉しくなった。

 自分の力で誰かを救う。そんな経験は今まで一度もない。

 前世ではダメ親父から逃げ出して毎日を生きることで精一杯だった。


「ミーリアさん、本当にありがとうございました」


 アリアが笑顔で礼を言った。


「いいんですよぉ。これからも私にできることがあったら協力しますから」


 ニコニコとミーリアが笑う。


「……」


 ウォルフは純真なミーリアの瞳を見て、心から感激した。


 石化解呪の捜索で公爵家の資金は底をつきかけている。ここ数年で、弱った獲物を狙う政敵から悪意ある提案などを幾度もされ、ウォルフはミーリアの存在を疑わざるを得ない状態になっていた。


 何か裏があるかもしれない。

 公爵家の名をほしがる連中は後を絶たない。


 海千山千、老獪な貴族を相手にしてきたこともあって、無条件に石化解呪のレシピを教えてくれるなどありえないとまで考えていた。


 だが、蓋を開けてみればどうだ。

 ラベンダー色の髪をした少女は、純粋な気持ちでアリアを手伝ったと言っている。しかも嘘をついているように見えない。秘薬まで作って提供してくれる。頑固者のアリアが明らかにミーリアを慕っている。


 ウォルフはミーリアを見て自分を恥じた。


 グリフィス公爵家は信義に厚いことで有名だ。その懐に入ることは困難であるが、一度認めてもらえれば家が滅びようとも味方をしてくれる。そんな熱い血の流れる家である。


 ウォルフは何かを決断したのか、力強い視線をミーリアへ向けた。


「ミーリア嬢の穢れなき瞳を見て、私は目が醒める思いです。グリフィス公爵家はいついかなるときもあなたをお助けすると、天と大地とセリス神に誓いましょう」


 それを聞いた学院長、魔女教授、ディアナ、アリアは驚いた顔をした。グリフィス公爵家当主の後ろ盾など、受けたくても受けられるものではない。


 クロエだけは顔を青くしていた。


「え? そんな、恐れ多い……あはは〜……」


 ミーリアは分不相応な気がして尻込みし、顔が引きつった。


「ミーリア嬢に敬礼!」


 背後にいた騎士たちが、ザッと足を揃えて胸に手を当てた。


(いやぁ……そんなにしてもらわなくても……)


 友達の家に遊びに行ったらフレンチのフルコースが準備してあった。そんなノリだ。


 ミーリアからしたら、いやいや、そこまでしなくてもという気分で、ただアリアの役に立ちたかっただけである。事態が大事になってきて頭痛がしてきた。


(何かあったらグリフィス公爵家に助けてもらえるって言うのはいいことなんだよね? これってラッキーなことじゃ……)


 ちらりと姉クロエを見ると、小刻みに首を横に振っていた。

 ミーリアは察した。


(お姉ちゃんがアカァンって感じの顔してる! ど、どういうこと?!)


 ミーリアは貴族の政治に疎い。


 グリフィス公爵家の後ろ盾を得るということはすなわち、その派閥、グループに入ったと他からはみなされる。魔法使いは特にそうで、貴族同士で取り合いとなる存在だ。


 強い魔法使いは強大な戦力となる。

 自家で雇用していればそれだけで大きな牽制ができるのだ。


 本人が「公爵家とは関係ありません」と言い張っても後ろ盾になってしまえば、他の貴族は信じないだろう。ミーリアは学院生だが貴族に仕える気があると勘違いされ、引き抜きから牽制から、かなり面倒なことになる。


 しかも現在のグリフィス公爵家は経済的に弱いため、他からの手荒い引き抜きが予想される。


 クロエはミーリアが貴族同士の面倒な争いに巻き込まれると予想して、顔を青くしていた。


 ミーリアが困り顔全開にしていると、アリアが前へ出た。


「お父さま、ミーリアさんに対するお気持ちは私も同じです。どれほど感謝していいかわかりません。ただ、そちらにいらっしゃるミーリアさんのお姉さま、クロエお姉さまと約束をいたしました……。ミーリアさんを公爵家に取り込まないでほしいのです」


 美しい相貌をキリリとさせ、アリアが父を見つめた。

 アリアから、絶対に引いてなるものかという気迫を感じる。


 学院長、キャロライン教授は公爵家の後ろ盾を断る流れに驚いていた。


 グリフィス公爵家に認められたとなれば名声は高くなる。衰退していても公爵家は公爵家だ。


 粘るかと思ったが、ウォルフにはミーリアを面倒な貴族争いに巻き込むつもりはなかったらしい。一も二もなく承知した。


「ミーリア嬢、大変申し訳ない。貴女を困らせるつもりはなかった。あまりの感謝に冷静さを欠いていたようだ」


 ウォルフが上品に一礼した。

 ミーリアもあわてて返す。


「貴女から申し出があった場合のみ、グリフィス家はあなたをお助けしよう。これは内々の約束だ。ここにいる面々は今の話を決して口外しないでくれたまえ」


 クロエがほっとした顔をし、学院長、キャロライン教授も了承する。

 アリアとディアナも安堵したのか目を合わせていた。


「ありがとうございます。何かあったときは、お願いいたします」


 ミーリアが無難に返答する。

 ウォルフは笑みを浮かべ、さらに口を開いた。


「だが、これだけでは我々の感謝は収まらないな……。ミーリア嬢、グリフィス公爵家は貴女に謝礼として――金貨一万枚を支払おう」

「お父さま、それは」

「い、いちまんまい???」


 今度はアリアが顔を青くし、ミーリアは口をぱくぱくと動かした。

 金貨一万枚――日本円に換算すると十億円である。


「アリア、私たちの誠意をミーリア嬢にお見せしたいのだ。お借りした金貨二千枚と合わせて返済させていただきたい。すぐにとはいかないが、必ず、お返しする」

「お友達のお父さまに、そんな……そんなそんな」


 ミーリアが両腕を突き出してぶんぶんと首を横に振った。

 厄介払いした金貨二千枚が一万枚になって返ってくるなど意味不明だ。


(いきなり十億円もらっても本気で困るよ! しかもアリアさんのお父さんにもらうとか……胃が痛いでござる……断り方教えて……ヘルプッ、ヘルプミィィィ!)


 ――お姉ちゃん助けて!


 ミーリア、必死の口パクである。


「……その言葉を待っていたわ」


 クロエがぼそりとつぶやいて、話の輪に加わった。

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