第32話 騒動ふたたび
初のハマヌーレ訪問から一年が経過した。
時の流れは早いものだ。
ミーリアは十一歳になり、身長が百四十cmまで伸びた。
豊かな髪を木製バレッタで留め、ハーフアップにしている。
顔つきも大人っぽくなった。誰がどう見ても、黙っていれば美少女である。
ラベンダーが蕾をつけるまであと一ヶ月。もうすぐ十二歳だ。
「ミーリア! 集中しなさい!」
ティターニアの檄が飛ぶ。いつになく厳しい声だ。
(異世界に転生して約四年……最終工程……ふう……緊張するよ…………よし!)
「熟成魔法……発動!」
ミーリアの気合いが北の森にこだまする。
自作した樽の前で、親の仇を取らんばかりの表情だ。
パッ――と魔法が発動して樽が輝いた。
(ど……どうでしょう?)
そろりそろりと樽を覗き込む。
中には深い茶色の液体が入っていた。
「……確認します」
「……ええ」
ミーリアは小指を液体につけ、ぺろりと舐めた。そして両目をくわと見開いた。
「せふゆ……せふゆになってます……」
「ミーリア、落ち着きなさい。変な言葉になっているわ……!」
「師匠……完成です……醤油ができました!」
「ミーリア!」
「師匠!」
ミーリアとティターニアはがっしり抱き合った。
研究を進めて一年、ようやく醤油の完成であった。
ハマヌーレで大豆を発見してから、醤油の開発に乗り出した。加熱、撹拌、発酵などを魔法で延々と繰り返し、パターンをすべて記録。何度挫折しそうになったかわからない。食い意地と根性でここまでこぎつけた。
(長い……長い道のりだった……)
感無量のミーリア。
日本の醤油に味は劣るものの、紛れもない醤油の完成だ。
小指を何度も舐めてしまう。
ティターニアもぺろりと舐めて、わお、とつぶやいた。
「これが醤油なのね……独特の風味だわ。エルフの里にはない調味料よ」
「師匠! これで焼き鳥を食べましょう!」
「美味しそうね」
早速、七輪でダボラを焼き始める。
魔法袋からハケを取り出し、醤油を鳥肉に塗る。じゅわ、と炭に醤油が落ちて、おこげの香りが鼻孔をくすぐった。よだれが出そうだ。
(醤油……パない……パないよ……)
涙目になるミーリア。
故郷の香りが望郷の念を呼び起こす。ふいに、祖母が焼いてくれたお餅を思い出した。
醤油味のダボラが焼き上がった。
艷やかに輝いている。
ミーリア、ティターニアがごくりと生唾を飲み込んだ。
(ミーリア、行きます!)
かぶりついた。醤油と鳥肉の風味が口内に広がる。噛めば噛むほど、鳥肉と醤油がミックスされ、舌先でハーモニーが奏でられた。
(美味しい……時が……止まる……うんまい……最高……)
口の中がハッピータイムであった。
「お、美味しいわね……なにこれ……」
ティターニアの時も止まっていた。
彼女は当初乗り気ではなかった。しかし、ミーリアがあまりに熱心に研究を続けたため、弟子のために手伝い始めた。こんなにも美味い調味料をミーリアが作り出したことに、脳天をハンマーで叩かれた気分だ。
「他のエルフに知られたらまずいわ……」
なぜか危機感を覚えるティターニア。
「あー美味しい! よぉし……あとは焼き肉のタレか……」
「ま、まだこの先があるのね?!」
「そうですよ。これは醤油。いわばベースとなる調味料です」
串をぺろぺろ舐めながら、ミーリアが胸を張った。
「醤油は港のような存在です。私たちは必ずここに帰ってくる。ですが、焼き肉のタレはまた別格の存在です。焼き肉に特化した究極の調味料なのです」
「究極の調味料……ですって……?!」
ミーリアの焼き肉理論が展開された。
さて、そんな彼女だが、紙に書いた目標達成も忘れていない。
魔法その1、転移魔法を極める/現在・転移距離五百km
魔法その2、魔力運用を百パーセントにする/現在・八十パーセント
焼き肉その1、美味しい肉を探す/調査中
焼き肉その2、焼き肉のタレを開発する/研究中
焼き肉その3、焼き肉専用の器具を作る/七輪・鉄板・小皿・箸・空気清浄魔道具など多数開発
このような結果だ。
魔力運用が八割まで到達し、いよいよティターニアでも敵わない存在になっていた。
多種多様な魔法を習得している。
勤勉なおかげで魔力操作もティターニア同等レベルにまで成長した。
ただし、千里眼の距離はハマヌーレが限界である。適性の差かもしれない。
仮に、ミーリアが全魔力を爆裂火炎魔法に投入した場合、直径十kmほどの大爆発を生み出すことができる。その気になれば王都を吹っ飛ばせる力量だ。女王陛下に知られたらどんな対応をされるかわかったものでない。
また、防御面も不備はなかった。
魔力操作の修行を毎日欠かさず行った結果、今のミーリアに精神系魔法は効かない。
加えて、膨大な魔力で自動防御魔法を二十四時間稼働中だ。
不意打ちで魔法を打ち込まれても、猫型魔力防衛システムが弾き返し、自動追尾で敵を捕縛する。猫型なのはミーリアの趣味だろう。
誰と戦う気なのか……何を目指しているのか……それは誰にもわからない。
戦闘面だけ見ると、ミーリアは並の魔法使いでは歯が立たない凶悪な存在になりつつあった。
「私の理想の焼き肉セットが完成したら、師匠を絶対に呼びます!」
「お願いするわ。エルフが肉を嫌うとか、そんなのは迷信よ。信じないで」
「わかってますよ」
ミーリアがにかりと笑った。
傍から見れば、のんきな性格をした普通の女の子だ。
「こうなると大量の大豆がほしいですね。ハマヌーレでは目立たないように、買う量を抑えていたので……足りません」
「うーん、王都で買うのがいいんじゃない?」
「ですよね。ハマヌーレで買うのはやめておきます」
しばらく二人は醤油と焼き肉タレについて話し合った。
仲のいい師弟だ。
二人は風呂に入り、一度さっぱりしてから、ティターニアの家のリビングでくつろぐことにした。
「あっふ……眠いわね……」
ティターニアが大きなあくびをした。
「もう寝ます?」
「そうねぇ……二日ぐらい寝ておこうかしら」
「わかりました」
「身体の調子もよくなってきたから、多めに寝ておくわ。寝溜めよ、寝溜め。……それより、家は大丈夫なの? あなたが試験を受けること、騎士が来ると露見するのよ?」
「先に伝えると次女ロビンの妨害がきつそうです」
「それもそうよねぇ……」
「あの……五女のペネロペお姉さまが結婚して領地を出て行ってから、ロビンの様子がおかしいんです」
「前からおかしいじゃない」
つい一週間前、五女ペネロペがクルティス騎士爵家へ嫁に行った。
向こうもよく輿入れを了承したものだ。
一ヶ月かけて迎えに来る費用を考えると馬鹿にならない。
騎士爵家は金がない。農民に毛が生えたような存在だ。
(三女クララお姉さまが働きかけたと思うんだよねぇ……。なんにせよ、嫁に行けてよかったよ。こっそり餞別に胡椒岩塩をあげたらバレッタをくれたし、ペネロペお姉さまは人畜無害ってだけじゃなくて、いい人だったんだね)
気に入らないのは、もちろん次女ロビンだ。
迎えに来たクルティス家次男に「私も連れて行け」と怒鳴り散らし、周囲をほとほと困らせた。地味な母親エラが叱責するほどである。
最終的には領主アーロンと婿養子アレックスで縛り上げて、家に軟禁した。
(あれは大変だった……)
ロビンの荒れっぷりは鬼気迫っている。
最近ではミーリアを見ると、本気の右ストレートを打ってくるほどだ。
実のところ、ミーリアが健康的な食生活を送っているため、肌艶が良く、村一番の美人と囁かれていることも原因の一つであった。ぼんやり七女でなければ、結婚の嘆願が殺到していただろう。
何にせよ、ひどい女であった。
(鉄板魔法で頭を防御してるからいいけどね)
痛いのはロビンである。二つの意味で。
あと一ヶ月の辛抱。そう思えば、ロビンのいびりなど大したことはないと感じた。
「何かあったら、いつでも起こしていいわよ」
ティターニアが優しくミーリアの頭を撫でた。
「はぁい! 師匠、大好きです」
「私もよ」
ミーリアは時間ギリギリまでティターニアとおしゃべりをし、家を出た。
(さて、ぼんやり七女を演じないとね。これにも慣れたなぁ)
口を開け、目はうつろに。ぼんやりした顔を作って、村の道をてくてくと歩いていく。
「ミーリアお嬢様、こんにちは」
「こんにちは」
たまに村人が挨拶をしてくるので、ぼんやりした声色で挨拶を返す。
花を咲かせていないラベンダー畑が、風で揺れている。
ざわっ、ざわっ、と風になびいて、何かの到来を予感しているようだ。
(さて、ロビンはどこだっと……)
家に帰り着くと、真っ先にソナー魔法を使ってロビンの居所を探る。
(よし、まだ仕事中だね)
ミーリアは手桶で手を洗い、リビングの席についた。
母親エラが食事の支度をしている。
「ミーリア……いるならいるって言いなさい」
「ただいま」
「……あなたに話があるの」
「なに?」
「おめでたいことよ」
地味な母親エラがキッチンからやってきた。
めずらしく、笑顔をミーリアに向けた。
(嫌な予感がぷんぷんだけど……?)
「――あなた、ハンセン男爵のお嫁さんになるのよ? よかったわね」
「ほっ?」
思わず素が出そうになるミーリア。
「商隊長さんが、あなたの美しさをハンセン男爵に伝えてくださったの。そうしたら、ハンセン男爵が乗り気になってくれてね……。私としてはあなたがいないと困るんだけど……」
(いやいやマミィ! 胡椒岩塩食べたいだけなのがダダ漏れだよ!? 困るなら止めてくれる?!)
急展開に、椅子からずり落ちそうになった。
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