第28話 クロエの出発
その日の夜、アトウッド家の食卓は荒れに荒れた。
クロエはアムネシアと教会に泊まっているため、家にいない。
明日の朝、出発予定だ。
「クロエを連れて来い! あいつをハンセン男爵の嫁として送り込む!」
「六女のくせに生意気よ! 私を! 私を……! なんだと思って……っ!」
領主アーロンはまだ森の使用権をあきらめていないのか喚き、次女ロビンは拳でダンッ、ダンッとテーブルを叩いた。
婿養子アレックスは気持ちの悪い顔で「俺のクロエが……」とかつぶやいている。
母親エラ、長女ボニー、四女ジャスミン、五女ペネロペは、一人輝かしい人生へ足を踏み出したクロエを、複雑な心境で受け止めていた。なぜ自分ではないのか、どうしてあの子がと、煮え切らない思いを抱えている。
「ハッ! ざまぁないわねミーリア! あんたのお姉ちゃんはあんたを裏切ったのよ! 一人で領地を抜けて王都に行くなんてッ! あんたは見捨てられたのよ!」
ロビンはとにかく誰かを攻撃したいのか、ミーリアに木皿を投げつけた。
(重力魔法……! お皿とスープよ床に落ちろ!)
ミーリアはぼーっとした顔をしつつ、冷静に魔法でスープを回避した。
スープと木皿はミーリアにあたらず、床にべチャリと落ちた。
カラカラと木皿が床で回った。
「あの子はここに戻って来ないわ! ミーリア! あんたは一生クロエに会えないのよ!」
「……私、試験を受ける」
「はぁあ?! あんたがァ!? キャーハハハハハハハハッ! とんだお笑い草よ! お金も知恵もないのに受験? 受かるはずないでしょうが!!」
「お姉さまも試験、受ける?」
ミーリアはこのときばかりは言ってやろうと、ロビンが触れてほしくない言葉を言った。
見事に顔を真っ赤にするロビン。
「うるっさいわねぇぇっ! バカのくせに生意気よ!」
「……ロビン、いい加減にしなさい」
「お母さまは黙って!」
「クロエが王都に行ってくれるのは素晴らしいことじゃない。うちにお金を入れてくれるわ。あの子はそういう子よ? 大金持ちになってもらいましょうよ」
母親エラが疲れ切った顔で言った。
(残念だけどお姉ちゃんはそんなことしないよ。変えるなら、根本的にこの領地を変えちゃうだろうな……。でも、アトウッド家のこと嫌いだから一番最後だよ……。はぁ、クロエお姉ちゃんと二年も会えないのか……)
ミーリアはまた寂しくなってきた。
こんな家にはいられない。席を立った。
「話は終わってない! どこに行くつもり!?」
「おしっこ漏れそう」
「…………ふん。バカだわ、本当に」
ロビンはミーリアを自分より下と認識できて、わずかに溜飲が下がったようだった。
◯
ミーリアは家を出て、教会へと向かった。
夜空で星が輝いている。
(日本じゃ見れない空だよね)
ミーリアはセンチメンタルな気分になった。
それでも気配遮断の魔法を使うのは、日々の訓練のおかげだ。
やがて教会にたどり着き、観音開きの大きな扉をゆっくりと開けた。
「ミーリア……? ミーリア!」
「クロエお姉ちゃん!」
教会内にいたクロエに、ミーリアは飛びついた。
クロエもミーリアを強く抱きしめる。
「あら。この子がクロエの妹さん?」
教会の椅子を囲んでクロエと話をしていたアムネシアが、笑みを浮かべた。
「はい。私の可愛いミーリアです」
「……だから寂しがっていたのね」
「大丈夫です。ミーリアとはずっと話をしていましたから……。私とは二年間会えないって」
「二年間?」
アムネシアが碧眼に疑問を浮かべた。
「ミーリアにも王国女学院の試験を受けてもらうんです」
「この子も、クロエと同じ頭脳を持っているの?」
アムネシアに期待の目を向けられ、ミーリアは挨拶をしようと思った。
だが、クロエが離してくれなかった。
(お姉ちゃんの愛が……。にしても、女騎士さんも美人だよねぇ。大人の女性って感じ……。黒髪のクロエお姉ちゃんと並ぶと童話のワンシーンみたいだよ)
まったく違うことを考え始めるミーリア。
ミーリアにクロエ並の頭脳が備わっているのか……ここでは触れないでおこう。
「二年後にわかることなので、期待していてくださいね」
クロエがにこやかに笑った。
アムネシアが面白そうに目を細めた。
「そう。あなたがそう言うなら、ここでは聞かないでおくわ。二年後もアトウッド領を志願しましょうかね。誰も来たがらないから受理は簡単にされるでしょう」
高貴な雰囲気のアムネシアが冗談めかして言った。
ミーリアとクロエは顔を見合わせて笑った。
(和やかな空気だ……クロエお姉ちゃんも安心してる……アトウッド家との差はいったい……)
たしかに、アトウッド家のリビングでは今頃ブリザードが吹き荒れているであろう。
しばらくアムネシア、女騎士二人と会話をした。
クロエが外に行こうと言うので、ミーリアは手をつなぐ。
教会から出ると、肌寒い空気が流れていた。
田舎の新鮮な空気が肺に送り込まれる。
「ミーリア……元気でね」
クロエはミーリアを抱きしめ、何度も頭を撫でた。
いつしか身長差も大きくなっていた。
「お姉ちゃん、私は大丈夫だよ。師匠もいるし、魔法の訓練とか、勉強とか、色々やることがあるから。何かあったらすぐ師匠に相談するね?」
「魔法電話が使えたらいいんだけど」
「師匠に聞いたんだけど、魔法使い同士じゃないとダメみたい……」
「そう……それなら仕方ないわね」
「私の魔力操作じゃ、千里眼も王都まで届かないし……」
会話が途切れた。ホウ、ホウ、と夜行性の鳥が鳴いている。
街灯がない夜の村は、暗くて物悲しかった。
(いつまでも寂しがってちゃダメだよね……。お姉ちゃんには笑顔で領地から出ていってもらいたいよ!)
ミーリアは気持ちを入れ替え、ポケットから魔法袋を取り出した。
「お姉ちゃんに贈り物があるの!」
「まあ。私に? 何かしら?」
「まずは……じゃ〜ん。これです!」
魔法袋からブレスレットを取り出した。
魔法訓練で掘り出した水晶を小さく丸く形成し、
透明なビーズのように水晶が連なり、青い玉が一つ付いている。
「素敵ね! ミーリア、いいの?」
クロエが目を大きくさせて喜んだ。
ミーリアは幸せな気持ちになって胸があったかくなった。
「驚くのはまだ早いよ、お姉ちゃん。青い魔石に触れて、シャンプー・リンス・コンディショナーって唱えてみて?」
青い玉は魔石であった。
「え? しゃんぷー・りんす・こんでぃしょなー?」
クロエが疑問符を浮かべながら、言われた言葉を復唱した。
すると、クロエの黒髪がパッと輝いて、一瞬で洗浄された。
(やった! 成功!)
ミーリアがティターニアと共同開発した、髪を自動で洗浄する魔道具だ。
膨大な魔力を惜しみなく使って完成にこぎつけた。
製作に半年ほど要している。
「……ミーリア、これは何? 魔道具?」
クロエは自分の髪に指を通して驚いている。
先ほどよりも艷やかになっていた。指の通りが抜群に良い。
「そうだよ! シャンプー魔道具だね。あと五十回くらいは使えるから、髪を洗うのが面倒なときとかに使ってね!」
屈託のない笑顔をするミーリア。
どう、どう? と首をかしげているのが可愛らしい。
(お姉ちゃんびっくりしてる! サプライズ成功だね!)
クロエは戦慄していた。
サプライズどころではない。
こんな魔道具が存在していると王都でバレたら、ヤヴァイ。確実に出処を探られ、下手をしたら王宮に呼び出されるかもしれない。量産できたらとんでもない利益になりそうだ。
クロエは絶対に人前で使わないようにしましょう、と夜空に誓った。
「あ、ダボラの焼き鳥食べる? 胡椒岩塩味しかないけど」
のんきなミーリアは魔法袋からダボラ焼き鳥を取り出して、ぱくりとかじりついた。
クロエも一本いただいた。
怪鳥ダボラに味をしめたミーリアは、訓練がてら、たまに狩りに行っている。
「あとは洋服も作ったんだ! 師匠と一緒にやったんだよ。王都に行くなら綺麗な格好のほうがいいからね!」
魔法袋から濃紺のジャケット、ワイシャツ、紐リボン、スカート、ローブ、靴を取り出した。
「まあ! すごい……こんな綺麗な……いいのかしら……!」
女学院にふさわしい服装だ。
さらにミーリアはクロエ用のカバンを取り出した。
ゆったり着れるワンピース二着、下着三セット、靴下三足、内緒で銀貨が十枚入っている。
銀貨はティターニアが持っていたものだ。
「カバンは旅の途中で開けてね!」
「まあ! ありがとうミーリア! 大好きよ!」
これにはクロエも大喜びだった。
王都でしばらくはボロいワンピース生活だと腹をくくっていたのだ。
ミーリアは最後にクロエの笑顔が見れて、心に薔薇が咲いたような気持ちになった。
◯
翌日、クロエはミーリアからもらった新品の洋服に身を包んでいた。
クロエはアムネシアの前に座り、馬上から頭を下げた。
「お世話になりました」
教会の前に集合したアトウッド家と、噂を聞きつけた村人が百人ほど。
領主アーロンは「クロエ! 必ず連れ戻すからな!」と息巻いている。
「どこでその服を準備したの?! クロエ! 人を小馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」
次女ロビンは苦虫を百回咀嚼したような顔つきだ。
延々と喚き散らしている。
クロエは事務的な挨拶を家族にして、ミーリアを見た。
「ミーリア、元気で」
その言葉には、万感の思いが込められていた。
ミーリアはこくりとうなずいた。
皆が見ている。ぼんやり七女は崩せない。
(……お見送りをしなきゃ……)
頬に力を入れていないと、今にも涙がこぼれそうだった。
「元気で……」
クロエがつぶやくと、アムネシアが「それでは」と礼をして、手綱を引いた。
馬が颯爽と歩き出した。
(クロエお姉ちゃん……ありがとう……二年後に会おうね……)
ミーリアは白馬の後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。
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