第23話 月の夜に飛び出す


 リビングに喧騒が響いている。


 壁に寄りかかったミーリアは、酒を飲んで騒いでいる男たちを眺めながら魔法に集中した。

 十五秒ほどで念話魔法、通称・魔法電話がティターニアとつながった。


『もしもし師匠? 寝てました?』

『……ふぁ?』

『師匠? 寝てたならごめんなさい』

『ふぁぁぁああぁぁぁあぁぁあぁっあああぁぁぁああぁぁ〜〜っ………あっふ……全然寝てないわよ?』

『あの……引くぐらい長いあくびでしたけど?』

『私が寝てないと言ったら寝てないのよ。あー身体がダルい。それで、何か起きたの?』


 今は緊急事態だ。

 ティターニアの寝ていない発言はスルーしておく。


『今日、商隊が屋敷に来て、クロエお姉ちゃんの婚約書状を持ってきたんです』

『え? 早くない?』

『そうなんです!』

『婚約すると破棄が大変なんでしょう?』

『そうみたいです。王国に受理されると正式な書類として上がってしまい、破棄には両家のサインが必要になります。一方的に破棄もできるそうですが、かなりの負担金を取られちゃうみたいで……』


 説明をしながら、ミーリアは事の重大さが理解できてきた。


 クロエの婚約が受理されると、結婚可能な十二歳になった段階で、なし崩し的にハンセン男爵領に連れて行かれるだろう。もしそのタイミングで女学院に合格していたとしても、「婚約者だから」と理由をつけられて、ハンセン男爵との結婚を強いられる。


(やっぱり、アトウッド領内でどうにかしないと!)


『人間って本当に面倒くさい種族よねぇ』

『師匠! 婚約書状を消失させてもいいですか?』

『なに? それでクロエが助かるの?』

『はい! 書状をハマヌーレに持ち帰って、ハンセン男爵が確認。教会で手続きをして、婚約成立みたいです』

『あーそういうこと。書状がなければ不成立ってことね。いいじゃない』

『騎士団の人に魔法を使ってもいいですか?』

『いいわよ。どうするつもりなの?』


 ミーリアはティターニアの美しい声を聞きながら考える。

 リビングへ焦点を戻すと、給仕をしている次女ロビンが商隊長にお酌をして、彼の肩を撫で回すように触っていた。


(Oh……見ちゃいけないものを見た気が……)


 商隊長も満更ではない様子だ。


(浮気出戻りの名は伊達じゃないよ……まさか商隊が来るたび……いや、考えるはやめよう)


 ミーリアは目を閉じて、なかったことにした。


『おーい、ミーリア、聞こえてる?』

『あ、すみません。次女の行動につい目が……』

『またぁ? どれどれ……千里眼っと……あらま……あんたの姉もたいがいねぇ……』


 ティターニアが呆れた声を上げた。

 ミーリアは自分の姉だと思われたくない。話を戻した。


『師匠、どうしたらいいと思いますか? 私、人に向かって魔法を使ったことがありません』

『ミーリア、いい子ね。相談してくれて嬉しいわ』

『約束その1、人に魔法を使うときは必ず連絡する。

   その2、身の危険を感じたら迷いなく魔法を使う。

   その3、人助けをするときも迷いなく魔法を使う。

   その4、人前でむやみに魔法を使わない(クロエを除く)』


 ティターニアに言われた約束を復唱するミーリア。


 約束事が家族みたいで嬉しかった。今まで、門限が何時とか、そういったことを決められた記憶がない。ダメ親父はミーリアを家政婦か何かだと思っていたのか、自分の都合だけを押し付けてきた。


 打って変わって、ティターニアは我が子のように心配してくれる。


 それがミーリアにとっては何よりの幸せだった。

 この世界に来てよかったと思える。


「約束はちゃんと覚えてますよ、師匠」


 素直なミーリアの声を聞いて、ティターニアは会話越しに頬をゆるめた。


『いい子ね。約束を覚えていて嬉しいわ。それで話を戻すけど、どうやって書状を破棄するつもりなの?』

『寝ている間に商隊長を念力魔法で動けなくして、ポケットから書状を盗みます』

『うーん……』

『あ、ダメですか? じゃあ重力魔法で足止めして、洋服ごと爆裂火炎魔法で燃やします』

『お願いだからそれだけはやめてちょうだい。危ないわ』

『そうですか? 爆発のベクトルを外側に向ければ平気だと思うんですけど……』


 ティターニアはたまに出てくる「ベクトル」「地雷女」「ヤバ谷園」「GPS」などの、謎のミーリア語録に頭が痛くなった。賢いがゆえ、自分の世界観があるみたいだ。


 彼女の別次元の思考が面白くもあるが、自重させるべきかと迷いもする。

 ティターニアは気を取り直し、爆裂火炎魔法だけは回避させようと考えた。それに、今回の件に攻撃魔法はそぐわない。


『違う魔法を使いなさい。あなたが魔法使いだと露見してしまうわ。それに、手紙が消失したら、新しい手紙を持ってくるかもしれないでしょう? 往復二ヶ月かかるとしても、ちょび髭ハゲデブ男爵はしつこく新しい手紙を送ってくるわよ。手紙だけなら騎士団を編成する必要もないし』

『たしかにそうですね……。今回手紙を消しても、また持ってくるかもしれません』

『ああ、それならこういうのはどう?』


 ティターニアが明るい声で、思いついたことを話し始める。


『……で……こうして……』

『……はい……なるほど……』


 ミーリアはいいアイデアだと思い、騎士団商隊がアトウッド家を出発するまで待つことにした。

 リビングでは宴会の声がずっと響いていた。



      ◯



 ハンセン男爵の騎士団商隊が来て四日。


 大量の塩と小麦が、干し肉、ラベンダー加工品と交換された。

 千人分なので相当量だ。


 商隊が運べる物量は限られているため、一つの家族に配分される量はせいぜい十kgだった。まったく足りない量である。村人は狩りや雑穀で栄養を補填しているのが現状であった。


 村人たちはアトウッド家に納めた物品と引き換えに、小麦、塩、銅貨を受け取った。


「ありがとうごぜえます!」「ありがとうございますです」


 半年に一回の楽しみだ。

 村人たちの表情は明るい。

 これでまた半年間、食いつなぐことができる。


「では、今夏もこちらでお願いいたします」

「ああ。金はたしかに受け取った。持っていけ」


 アトウッド家唯一の商家、ジャルーダと息子ジャベルが大きな荷車に、塩、小麦、香料、布製品、鉄などを運び込んだ。


(ぎえっ……商家(笑)親子だ……)


 ミーリアは読書部屋から庭を覗き込んだ。


(今日、商隊が出発するんだよね)


 四日間かけて行われた商品の受け渡しが終わった。

 商隊の大きな馬車には、ラベンダーなどの商品が詰め込まれている。


(あ、お姉ちゃん)


 クロエが黒髪をなびかせ、沈んだ表情で荷運びを手伝っていた。忙しかったせいであまりクロエと話せていない。


(どうにかするとは伝えたからね。今夜だよ、お姉ちゃん。魔力循環……追跡魔法。婚約書状は……商隊長の胸ポケットか……)


 ミーリアは決意を胸に、クロエを見つめる。


 一時間ほど経過し、積荷を確認して、騎士団商隊が出発の準備を終えた。


 昨晩の内にほぼ準備を済ませていたようだ。

 庭先で、ロビンが商隊長と話していた。ちょっと気になってしまった。


(……遠見魔法、鷹の目。あと集音魔法!)


『商隊長様、また半年後、お待ちしております』

『達者でな……そうだ、これをやろう』

『まあ……嬉しい……商隊長サマぁ』


 とんでもない猫なで声で、ロビンが商隊長から香水の入った瓶を受け取った。


(ひいいぃぃぃぃっ。背筋がぞわぞわするぅぅっ)


 ミーリアは聞いていられなくなって、魔法を切った。


 この数日で何があったのか、あまり想像しないほうがよさそうだ。

 しばらくして、商隊が隊列を組んで、移動を開始した。


(出発していったね……あとは夜まで待つだけだ……)


 ミーリアは気持ちを落ち着かせるため、魔力操作の練習をする。


 深夜に作戦を決行するので仮眠も取っておいた。



      ◯



 夜更け、ミーリアは目覚まし魔法で、目を覚ました。


(師匠を起こすための魔法だけど、覚えていてよかったよ)


 薄い掛け布団から這い出した。

 すると隣のベッドが動き、クロエがそっと起き上がった。


「ミーリア、行くの?」


 囁き声でクロエが聞いてくる。


「うん。婚約なんてさせないから、安心して」

「ああ、ああ、ミーリア」


 クロエは感情がこみ上げてきて、ミーリアを抱きしめた。


(お姉ちゃん……私が守るよ……!)


 ミーリアはクロエのぬくもりをしっかりと覚えて、離れると、そっと窓を開けた。

 月明かりに照らされた不安げなクロエの表情と、寝息を立てている四女、五女のベッドが見える。

 ミーリアは笑顔でうなずいた。


 クロエが手を伸ばそうとし、胸に戻して、両手を組んだ。


「……気をつけて……危ないと思ったら引き返して……お願いよ……?」

「……うん」


(魔力循環……飛行魔法……フライ!)


 窓枠を蹴って空中に飛び出した。


 ひゅうと風切り音が両耳に聞こえ、視線を下へ向ければ、月がアトウッド家を照らしていた。

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