第21話 ラベンダージャム


 ティターニアの訓練が座学中心になってから一週間――


 ミーリアは読書部屋で、魔力操作の練習をしていた。


 ラベンダーの収穫が終わり、庭では毎年恒例の高級ジャムを作っている。

 ロビンが村人に指示を飛ばす声が響いていた。


(細胞に魔力が行き渡るイメージで循環させる。魔法はイメージ。イメージは魔法。心と密接な関係がある。細胞の次は、心にも魔力をまとわせる……)


『魔力操作を極めると、精神魔法が効かなくなるわ』


 ティターニアは精神系の魔法に強くなるよう、さらなるステップの訓練をミーリアに教えていた。いったい何と戦うというのだろうか。それは誰にもわからない。


「ふぅ……」


 呼吸も重要だ。

 深く吸って、長く吐く。

 それを何度も繰り返す。


「スゥ〜……ふぅ〜……」


 心に魔力をまとわせていく。

 実態のない“心”に魔力を送り込む――これもイメージであった。


 ミーリアはピンク色のハートが胸の中心部にあることを想像して、魔力を循環させた。


 十五秒で呼吸を一回。それを四十回行う。

 一セット十分になる計算だ。


「ふぅ〜…………よし」


 ミーリアは一セット終わらせて、身体を椅子の背もたれにあずけた。

 庭から聞こえるロビンの怒鳴り声をバックサウンドに、ティターニアの授業を思い返してみる。


(師匠はこの世界の童話を話してくれるようになったよね。おむすびころりんっぽい話とか、浦島太郎的な話とか、異世界も似た童話ってあるんだね)


 ミーリアをいい子に育てたいという、ティターニアの努力がうかがえる。

 そんな師匠の気持ちを知らないミーリアは、自分の夢へ想いを膨らませていた。


(可愛いお友達を作ること。焼き肉食べ放題生活をすること。魔法があればどうにかなるよね。王都にはお肉の専門店があるみたいだし、そこに行けるぐらいのお金がほしいよ)


 ミーリアは魔法使いになって、自分の夢が現実になりつつある手応えを感じた。


(将来、クロエお姉ちゃんの商売のお手伝いもしたい。魔法……もっと上手くなろう!)


 ミーリアは自分が並の魔法使いだと思っている。

 実のところ、エルフであるティターニアの魔法技術も王都では超ハイスペックなのだが、ティターニアはどんぶり勘定する性格だ。


「私の魔法? ま、その辺の人間よりは得意ね。私ぐらいになって初めて一人前よ」


 そんなエルフ視点で、曖昧な評価を下している。

 よって、ミーリアは自身を大幅に過小評価していた。


(師匠がよく言ってる“魔力操作が下手くそなやつは魔法使いじゃない”って言葉、忘れないようにしないと)


 ミーリアは厳しい指導を受けている。

 これもティターニアが、自制心のある人間に育ってほしくて言っていることだ。


(魔法が下手で女学院でバカにされたら困るし……でも、成績が良くても一目置かれるし……、はぁ……高校で完全にハブられた記憶が……つらみ)


 暗黒の高校生活を思い出した。ため息が漏れる。

 ミーリアはクラスメイトの女子から距離を置かれた最たる原因である、イケメンをこっぴどく振ったことなどすっかり忘れていた。


(保有魔力は多いけど、それだけじゃダメなんだよね。転移魔法もまだ十メートル先までしか行けないし)


 高校時代の記憶を脳内から追い出し、再び魔力操作に集中する。


(師匠が言うには、先に精神力を鍛えるって話だけど……なんでそういう方針になったんだろう。転移魔法を覚えてからでも遅くない気がするんだけどなぁ……)


 しばらく目を閉じて魔力へと注意を向けていると、外から叫び声が聞こえた。


「な、なんじゃこりゃぁ?!」


(村人のおじさんの声?)


 ミーリアは読書部屋の窓から顔を出した。

 村人数名とクロエ、母親エラ、ロビンが鍋を覗き込んでいる。


(魔力循環……鷹の目発動!)


 遠見魔法でミーリアは大騒ぎになっている鍋を拡大した。

 そして、仰天した。


(ラベンダージャムが光ってる?! ど、どういうこと?!)


 煮詰まって紫色になったラベンダージャムが薄っすら発光し、神々しさすらにじませている。

 ロビンがクロエの肩をつかんで盛大に揺すっていた。


(お姉ちゃんが地雷次女に問い詰められてる!)


 あわてて集音魔法を飛ばし、鍋に不可視の魔法マイクを貼り付けた。

 バレないようにクロエを守ろうと、ミーリアは魔力を練り込んだ。


『クロエ! あんたが摘んできたラベンダーの鍋よ?! いったい何したの?!』

『痛いですお姉さま! 私にもわかりません!』

『あなた何か隠してるでしょう?! 私の目はごまかせないわよ!』

『そうは言ってもジャムが光るなんて、そんな、魔法みたいなことあるわけ――』


 クロエはそこまで言って何か思いついたのか、目を瞬かせた。ちらりと読書部屋を見てすぐに視線を戻す。


(え? 私? ラベンダーを光らせる魔法なんて――ああっ!)


『やっぱり何か知ってるんじゃない!』


 ロビンの追求が厳しくなっていく。

 ミーリアは窓枠から顔を突き出して頭を抱えた。


(なんてこった、パンナコッタ……私、クロエお姉ちゃんの手伝いでソナー魔法を使ったよね? なるべく魔力を内包したラベンダーを選別して……まさか……そのせいじゃ……??)


 ミーリアは首を引っ込めて床を転がった。


(落ち着け。落ち着くのよミーリア。まだそうと決まったわけじゃない……!)


 再び、ミーリアは窓枠から顔を出して遠見魔法で庭を見下ろした。

 次女ロビンがクロエのワンピースを締め上げている。

 母親エラが見かねて止めに入った。


『やめなさいロビン。神父様にお見せしましょう。きっと知恵をいただけるわ』

『お母さま、よろしいんですの?! このジャムを売れば一儲けできそうじゃないですか!』

『とは言ってもね。長年やってきて、ジャムが光るなんて初めてなのよ。私も原因が知りたいわ』


 ロビンはようやくクロエから手を離し、鍋の前に立った。誰にも渡さない構えだ。


『そこのあなた、走って神父様を呼んできなさい。早くっ!』

『へ、へい!』


 村人が転がるように庭から出て行った。

 二十分後、八十歳の神父がやってきた。

 好々爺の神父はラベンダージャムを見て、ふむ、ふむ、とうなずいた。


『神父様、このジャムはなぜ光っているのでしょう?』

『純度の高い魔力を含んでいるねぇ。これを集めたのは誰だい?』


 全員の視線が一斉にクロエへ集まった。


『おや、クロエお嬢さまかい。どういうわけか、魔力が含まれたラベンダーを集めたみたいだね。ラベンダーにも魔力が内包されるんだねぇ』

『そ、そうなのですね。知りませんでした』


 クロエは表情筋を全力で動かして笑みを浮かべた。

 今にも苦笑いになりそうである。


(ぎぃやあああぁあぁぁっ! やっぱ私のせいだった! ミーリアッ、アウトーッ!)


 ミーリアは脳内で自分にツッコミを入れて、苦虫を食べたような表情になった。


(お姉ちゃんごめん。本当にごめんなさい。師匠に魔法をみだりに使うなって言われていたのに……)


 反省して読書部屋で一人正座をするミーリア。

 ちょっと泣きそうになった。


 魔力を循環させ、千里眼魔法を飛ばし、庭の様子を見る。

 呼吸するように魔法を使うミーリア。反省はどこにいったのだろうか。


『ほっほっほ。知らず知らず魔力を内包したラベンダーを集めるとは女神のような子だよ。セリス様のご加護があらんことを』


 神父が嬉しそうに言う。

 クロエが、顔の前で必死に手を振った。


『そ、そんな。そんなそんな。私なんか、どこにでもいるただの平凡な貧乏六女ですわ』


 次女ロビン、母親エラが何か言いたげな視線でクロエを見ている。


『はぁ〜、ありがたや』『クロエお嬢様は女神やったのかぁ』『セリス様のご加護だよぉ』『ふつくしい……』『女神さまッ』


 村人たちは今にも拝みそうな勢いだ。

 気の早い若者は、胸の前で十字を切っている。


(クロエお姉ちゃんが女神なのは間違いないね)


 ミーリアは同調して一人でうなずいた。早く魔法でどうにかせいと言いたい。

 面白くないのは次女ロビンだ。


『クロエ……どういうことかしら? あなた魔力適性はないわよね?』

『ありません……』

『やり方を教えなさい。つべこべ言わず、洗いざらい話しなさい』

『困ります。ジャム用のラベンダー摘みは村内でも選ばれた者だけが知り得ることです。お父さまとお母さまの許可があって、初めて知る権利が得られます』

『ロビン、クロエが優秀なのは知っているでしょう? あなたにできるはずないわ』


 母親エラがちくりと釘を刺した。

 ロビンが案の定、激昂する。


『お母さま! 聞き捨てなりませんわ!』

『クロエを男爵家の嫁にやるのは考えものね……』


 母親エラは高く売れそうなジャムを見下ろし、表情を消そうとしているクロエを見てため息をついた。


(な、なんかいい展開になってる……?)


 婚約を延期する母親の発言に、ミーリアもクロエも顔を上げた。


『何にせよ、あの人に報告が必要ね』


 その後、母親エラが神父に礼を言い、光るジャムが小瓶に取り分けられた。

 小瓶に入れても光っている。さすが高純度の魔力ラベンダージャムだ。

 クロエは村人から「女神クロエお嬢様」と呼ばれて、なんとも言えない表情をしている。


(よかった……一大事にならなくてよかった……)


 また一つミーリアは学ぶのであった。


 安堵して正座を崩し、窓枠によりかかると、村人が庭に駆け込んできた。よほど急いだのか息を切らしている。娯楽や事件のない領地ではめずらしい光景だった。


『ハンセン男爵様の商隊が来ました! あと、クロエお嬢様に手紙を渡すよう頼まれました!』

『私に?』

『はい! 必ず読むようにとのことです。騎士様がお話されたいとおっしゃっておりました』


(お姉ちゃんに手紙?)


 クロエは受け取った手紙の蝋を丁寧に取り、手紙を取り出した。


 次女ロビンと母親エラが横から覗き込んでいる。

 クロエは手紙を読んで、顔面を蒼白にした。


『うそ……婚約の手紙……?』

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