第1話 現状把握
まずは現状把握をすべきだ。
ミーリアは部屋を出ることにした。
起きたばかりで歯も磨いていない。
記憶が確かならば、何もせずに昼まで寝ていると、出戻り次女ロビンに怒鳴られる。
八歳児であるミーリアの記憶を辿ると、次女ロビンは父親に似たのか気が強くて強情な性格をしているようで、みそっかすのミーリアは事あるごとに嫌味を言われていた。
ミーリアは日本人であった記憶がよみがえる前まで、ぼんやりしている女子だった。何を言われても言い返さないことから、次女ロビンからは体のいいストレス解消の道具に見られていたのかもしれない。
(次女ロビンにはかかわらないほうが良さそうだね)
洗面所へ下り、謎の枝で歯を磨く。
歯ブラシ草という植物だ。
柔らかい毛のような葉が生えており、いかにも歯ブラシっぽい。
ミント系の香りがすることから古くから歯ブラシとして使われている。
(王都に行けばちゃんとした歯ブラシがあるのかな? これも悪くないけど、なんか物足りない)
自分用の歯ブラシ草でしゃこしゃこ歯を磨き、洗面器にある水を木製コップですくって、口をゆすいだ。
蛇口をひねれば水が出る。そんな魔道具もあるようだが、このど田舎に高級品が置いてあるはずもなく、村の人々は井戸水をくんで生活水にしている。
洗面器の水が綺麗で安堵した。
病気にはなりたくない。
ついでにと顔を洗い、タオルはなかったのでぷるぷると顔を振って乾かすことにした。着ているワンピースで拭いてもいいかと思ったが、あまり清潔ではなさそうなのでやめておいた。ところどころ汚れている。あとで洗いたての服に着替えたい。
居間に入ると朝食は終わっていた。
キッチンに入ると、母親のエラ・ド・ラ・アトウッドが懸命に肉をさばいていた。
ミーリアと同じ薄紫色の髪をひとつ結びにした、地味な女性だ。
五十代前半に見える。
(人んちの母親って感じだよねぇ)
前世の母親が記憶に深く残っているため、どうにも自分の母親だと思えない。
髪の色は母から遺伝したんだな、となんとなく思った。
(この人、領主アーロンに反論しない事なかれ主義みたいだ。言い返してる記憶が一切ないよ)
「おはよう」
ミーリアは以前の性格を踏まえてぼうっとした目つきで母親に挨拶をした。
母親が顔を上げ、寂しげな笑みを浮かべた。
「おはよう。歯は磨いたの?」
「うん」
「そこにパンがあるでしょ。手が離せないから一人で食べて」
「うん」
言われるがまま、キッチンの脇に置いてあったパンとイチジクらしき果実を取って、居間に戻った。
誰もいないのはありがたい。
(パン硬っ。水がないと無理)
キッチンの水瓶から木製コップに水を入れ、またテーブルに戻る。
品質を度外視して栄養面だけに特化したようなパンを頬張りながら、ミーリアは思考を巡らせた。
(ミーリアはぼーっとして手伝いはほとんどしてなかった。これだけは大きなアドバンテージだよね。今頃、他の姉たちは仕事をしているはずだ。自由に動けるうちに何か打開策を考えなきゃ)
思い出せる限りの記憶を引っ張り出し、この世界について確認をしていく。
アドラスヘルム王国は貴族による中央集権国家だ。
成人は十五歳とされているものの、結婚は十二歳から許可されている。婚約については年齢など関係ない。乳幼児と婚約、なんてこともザラだ。
さすが貴族社会とミーリアは独りごちる。
(って感心している場合じゃないよ。やばいよ。このままだと商家(笑)に嫁ぐバッドエンドルートまっしぐらだよ!)
人様の商家をかっこ笑い扱いとは失礼な気がしないでもないが、ミーリアにとっては死活問題であった。
パンを食べ終わり、イチジクっぽい果実にかぶりついた。
ほのかな甘味が口に広がった。
(まずくもなく、美味しくもないって感じ)
栄養が取れるなら万々歳だと言い聞かせ、無言で果実を飲み込んでいく。
(この世界、人間以外にも魔物がいるみたいなんだよね……、詳しくは調べないとダメだな)
八歳児の知識には限界があった。
世界の有り様についてはこれ以上わからない。
(魔物がいる世界……完全にファンタジーだね……)
魔物がいて、人間に危害を加える。ということだけははっきりしていた。
(あとは家族についてだ。家族構成、年齢、性格を確認しよう)
ミーリアは果実を食べ終わり、細い指についた汁をなめた。
貧乏だから取れる栄養は限られている。
少しも無駄にできない。
ミーリアはかなり食い意地が張っているらしく、何かを食べろと鮮烈に脳内で警鐘のように鳴り響いていた。たくさん食べたい、いっぱい食べよう。そんな思いが膨らんでいく。ちょっと不思議に思うも、日本人であったミリアも食べるのは好きだったため、この気持ちを抑制しないでおいた。誰も見ていないなら指をなめるくらいいいだろう。
何にせよ、毎日焼き肉食べ放題のできる小金持ちが目標だ。
貧乏、ど田舎、婚約寸前と尻に火のついた現状である。時間は無駄にできない。
新鮮な水を飲んで一息つき、家族へと思いを巡らせる。
(領主はアーロン・ド・ラ・アトウッド。年齢はたぶん五十九歳。ガサツで脳筋。人の話を聞かずに勝手に物事を進める。……なるほど、父親に談判して婚約をなしにするのは難しいかもしれない。私、ミーリアのことは厄介者と思ってるみたいだし……)
ミーリアは男運のなさを呪った。
どうやらこの異世界でも父親に恵まれていないようだ。
(しかしねぇ……子どもが全員女ってどうなの……? 貴族として残念すぎるよ)
七人の子どもは全員が女だ。
家族構成を脳内にまとめるとこんな感じになった。
領主 アーロン・ド・ラ・アトウッド 59歳
嫁 エラ 49歳
長女 ボニー 22歳 婿養子 アレックス・モルガン・ド・ラ・アトウッド(子なし)
次女 ロビン 19歳 嫁ぎ先 コープランド家(出戻り)
三女 クララ 15歳 嫁ぎ先 クルティス家(子なし)
四女 ジャスミン13歳 嫁ぎ先 未定(保留中)
五女 ペネロペ 12歳 嫁ぎ先 未定(保留中)
六女 クロエ 10歳 嫁ぎ先 未定(保留中)
七女 ミーリア 8歳 嫁ぎ先 村の商家(笑)予定
(そっか、長女ボニーが婿養子を取って、その子どもに騎士爵を継がせるって魂胆か……ああ、思い出してきた! 長女ボニーに跡取りが生まれないから父親アーロンの機嫌がずっと悪いんだった。ひどい話だよ。ボニー姉さま、何も悪くないのにさ……)
毎晩毎晩、食事中に「子どもはできたか」と確認する脳筋な父アーロン。
デリカシーのデの字もない。
長女ボニーが小さな声で「まだです」と言うたびに、アーロンは婿養子のアレックスにガンを飛ばす。
こうして楽しくない晩餐の出来上がりであった。
しかも調味料が塩のみの悲劇的なキッチン事情だ。
すべてが塩味。完全なる飯まずであった。
考えれば考えるほどミーリアとしての記憶が鮮明になっていく。
(えっ……これはッ……!!?)
がたん、と立ち上がって、夢ならばと木製テーブルに頭を打ち付けてみた。
頭蓋骨とテーブルのぶつかる音が響いて眼前に火花と星が舞った。
(やばいよっ……このアトウッド家、想像以上にアカンよ……やばさがツヴァイでヤヴァイよ……!)
くらくらする頭を押さえ、意味不明な心の叫びを全身に響かせてミーリアは走り出した。
母親の声が後ろから聞こえた気がしたが構っている暇はない。
さして大きくない屋敷を飛び出し、裏庭を駆ける。
(長女ボニーの婿養子アレックス二十五歳……まさか四女以下、義妹の貞操を狙っているなんて……!)
婿養子にやたら身体を触られた記憶がよみがえった。
あれはアレだ。アレのアレだ。
確信が持てる。
想像を絶するアトウッド家の惨状に、日本にいた頃のほうがまだマシだったような気さえしてきた。
領主は脳筋でアホ、母親は事なかれ主義、長女は針のむしろ、次女が浮気出戻りで性悪女、婿養子がロリコンときた。魔の巣窟も尻尾を巻いて逃げていきそうな錚々たるラインナップだ。最強打線が組めそうな勢いに、ミーリアはカキーンと脳内でボールの飛ぶ音を聞いた気がした。
(四女ジャスミンは目が悪くて使用人の婆さんといつも一緒だ……相談は難しい。となると頼りになりそうなのは……六女クロエ姉さまだ!)
六女クロエ。
この時間はジャムに加工するラベンダーの花摘を行っているはず。
ミーリアは懸命に足を動かした。
体力がないのかすぐに息が上がってくる。
本来ならば走る姿を家族に見せないほうがいい。ぼんやりしている七女を演じるほうが、家族に注目されずに済む。
しかし、ミーリアの足は止まらなかった。
ミーリアが言うところの、やばいがツヴァイでヤヴァイ状態に突き動かされていた。
(この身体……体力なさすぎ…………もしものとき脱出するなら……体力はつけておかないと……)
今後の課題に体力向上を追加しておく。
自分に課した課題をクリアするのは得意だった。
「はあ…………ふう…………」
(聞かないと……クロエ姉さまに……魔法について……!)
美しく広がるラベンダー畑。
ざわざわと風が吹き、遠くで作業をしている六女クロエの長い髪が揺れる姿が見えた。
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