引退した冒険者はギルドにとって最後の希望……だった

風間義介

引退した冒険者はギルドにとって最後の希望……だった

冒険者。

それは危険と隣り合わせの仕事ではあるが、魔獣から採取できる素材や迷宮から発見される宝物を売却することで一攫千金を狙うこともできる、まさに夢とロマンの職業だ。

だが、今日、一人の熟練冒険者が引退することとなった。


「そうですか……フェンさんには残っていてほしかったのですが、残念です……」

「すみません」

「い、いえ……では、新天地でも頑張ってください」


フェンと呼ばれた壮年の冒険者は、すでに三十路を超えているのだが、そのランクは第三級。

五つあるランクの中でも下の方だ。

この年齢であれば、熟練者のランクである第二級であってもおかしくはないのだが、フェンはまだ見習いだった頃に負った怪我の影響で左腕にうまく力が入らず、その影響か、クリアできる仕事は見習いが行うような下水道の清掃や薬草など薬の原料の採取、あるいは村の周囲に出現したゴブリンなどの低レベル魔獣の討伐くらいなものであったため、ランクアップの試験に合格することができず、いまのランクに甘んじている状態だった。


そのため、ギルド内でついたあだ名は、案内人とか引率者あるいは指導員という、まるで保護者にでもつけるかのようなものだった。

だが、それはまだましな方。

口さがない冒険者たちは、掃除屋とか雑用係、もっとひどいと万年見習いなど不名誉な呼び方をしている。

もっとも、そんな呼び方をするのは第三級から以上を目指すための努力をしない者たちだったり、問題行動が目立つ者たちだけだったりするのだが。


そんな風に呼ばれていても、村で畑を耕しているよりも稼ぎがいいため、出稼ぎのつもりで冒険者を続けていたが、生まれ故郷の村から残してきた両親が危篤状態であることを知らせる手紙が届いたため、里帰りすることにした。

いい加減、冒険者稼業にも限界を感じていたため、これを機会に冒険者を引退することを決意し、こうしてギルドから退会することを伝えていたのだ。


なぜか、退会を告げられた受付嬢は残念そうな、本当に残念そうな顔をしていたのが少しばかり気になったが、もう決めたことなので譲るつもりは毛頭なかった。

フェンは少しばかりの荷物を背負い、冒険者ギルドを出ると、すれ違うようにして金髪の若い冒険者がギルドに入ってきた。

若い冒険者はそのまままっすぐ受付へと向かい、依頼修了の報告とその証明となる品を提示した。


「なぁ、さっき雑用係が出てったけど、ついに引退か?」

「……えぇ。生まれ育った村に帰るそうよ」

「やっとかよ。は~まったく、いっつも辛気臭い顔見てたからいい加減、うんざりしてたんだよなぁ」


どうやら、この金髪の冒険者はフェンを悪く言う、口さがないほうの冒険者のようだ。

受付嬢はその態度に、一瞬だけ顔をしかめたが、すぐにいつもの顔に戻り、手続きを済ませるため、受付裏へと戻った。

受付裏に戻り、ドアを閉め、自分に割り当てられた机に座ると、この世の終わりが来たかのような絶望的な声を上げながら突っ伏してしまった。


「ど、どうしたのよ?シルフィ」

「……フェンさんが……」

「フェンさんがどうかしたの?」

「引退するって……ギルドやめるって……」

「……へ?こ、ちょ、ちょい待ち!それまじ?マジで言ってた?!」


シルフィと呼ばれた受付嬢は同僚の問いかけに、机に突っ伏したまま頷いて返した。

その証拠に、とばかりに、ギルドを退会するための手続きに必要となる書類とそこに記されたフェンのサインを見せた。

それを受け取り、中身を確認した同僚の顔は徐々に青ざめていった。


「……シルフィ、あたしちょっとギルマスのとこ行ってくるわ」

「……うん、そっちはお願い……」


シルフィはまだショックから立ち直りきれていない状態ではあったが、いつまでも金髪冒険者を待たせるわけにもいかないので、依頼完了の確認証と報酬を準備し始めた。

その間に同僚はギルドマスターが仕事をしている部屋へと早足で向かっていった。


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「マスター、今よろしいでしょうか?」

「どうした?見ての通り、書類と格闘中なんだ。手短に頼む」


報告を引き受けた同僚がギルドマスターの部屋を訪ねると、彼の机には大量の書類の山が積み上げられていた。

他の地域のギルドからの情報や町民からの要望書、商人たちからの素材買取の要望など、その種類は実に様々で、これらに対する最終判断をギルドマスターが一人で行っていた。

秘書やサブマスターを置けば少しは楽になるのだろうが、以前、サブマスターが職権を乱用した事件があって以来、サブマスターは置かずに自分の最終判断が必要な書類以外は、事務員の責任者たちの裁量に任せている。

とはいえ、近隣の村からの依頼や行商人の護衛など、ギルドとしても依頼として捉えることのできるもの以外は、やはり判断が難しいらしく、ギルドマスターに最終判断を委ねているというのが現状なのだが。


それはともかく。


書類に視線を落としながら、訪ねてきた同僚に問いかけると、同僚は少し焦った様子で用件を伝えた。


「ふぇ、フェンさんが、フェンさんが引退しちゃいました!!」

「そうか、ならそれは……は?ちょっと待て、もう一度言ってくれ」

「ですから、フェンさんが引退しちゃったんです!退会しちゃったんです!!」

「証拠は?!」

「手続き書類がこちらに!」


ギルドマスターは動揺して事実を確認するため、証拠、と口に出した瞬間、同僚はシルフィから受け取っていた手続き書類を手渡した。

ギルドマスターはその書類を受け取ると、穴が開くほどじっくりと見つめながら、二度、三度と読み直した。

だが、書類に不備がないことを理解すると、力なく椅子の背もたれに寄りかかり、天井を仰ぎ見た。


「まじか……まじかぁ……」

「ど、どうしましょう?!」

「今夜、緊急招集をかけて対策を練る。仕事はそれまでに終わらせておいてくれ。他の事務員たちにも連絡を」

「りょ、了解です!」


ギルドマスターの指示を受けて、同僚は職場へと戻っていった。

同僚を見送ると、ギルドマスターは再び天井を仰ぎ見て、長いため息をついた。


「いつか来るとは思ってたけど、よりによって今か……ちょっと、いや、少し恨むぞ、フェン……」


ため息をつきながらそう呟き、ギルドマスターは再び仕事に取り掛かった。

だが、フェンの引退がよほどショックだったらしく、あまり仕事に集中できず、結局、ギルド職員全員に招集をかけた時間までに片付けられた仕事は、町民の要望書に目を通すことだけだった。


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夜。

ギルドマスターの招集により、職員全員が大会議室に集まっていた。

むろんそこにはギルドマスターの姿もあるし、シルフィや同僚の姿もあった。


「マスター、緊急招集ってなどういうことだ?」

「何か問題でもあったのかい?」

「それをこれから説明するが、先に言っておく……絶対、とは言わんが、できる限り、動揺しないでくれ」


ギルドマスターがそう頼んでくるということは、よほどの案件なのか。

会議室にいるシルフィと同僚以外は全員気を引き締めて、ギルドマスターから提示される議題を待った。


「集まってもらったのは、今後のことを決めたいからだ……"最後の指導者"フェンが引退した、その穴埋めのことをな」


ギルドマスターから提示されたその議題を聞いた瞬間、できる限り動揺するな、と言われた職員たちはどよめいた。

普通、第三級冒険者が引退した程度ではこのような動揺は起きないし、まして緊急会議が招集されることもない。

それだけ、フェンという冒険者は重要な存在だったのだ。

少なくとも、ギルドにとっては。


「まずいんじゃないか?」

「おいおい、これからどうすんだよ?町の人たちの信頼はギルドじゃなくフェンにあったようなもんだろ?」

「最近は三級に上がったらすぐに別の町に行くか、討伐や採掘の依頼しか受けない連中が増えたからなぁ……フェンは貴重だったってのに……」

「何か、あいつを怒らせるようなことしたのか?」

「いや、実家の都合らしい。両親が危篤状態なんだとさ」

「なら仕方ないが……まずいな」


ギルドマスターから告げられた事実に、職員たちの口からそんな言葉が飛び交っていた。

冒険者ギルドに寄せられる依頼は実に様々で、先述のように行商人の護衛や魔獣の討伐、資源の採取などのほかに、遺跡やダンジョンの調査、鉱石の採掘などがある。

だが、ギルドが重視しているのはそれらの依頼ではなく、下水処理や修理、簡単な素材の採取など、町民や町に住む職人たちから寄せられる依頼だ。

彼らから寄せられる依頼があるということは、町が冒険者を受け入れてくれているという証拠であり、町民と冒険者の間に信頼関係が築かれている証明でもある。


だが、この町のギルドに所属する三級以上の冒険者の多くは町民から寄せられる依頼をないがしろにし、より報酬の高い依頼ばかりを受領している。

それらの依頼はたいていが外部の依頼か、貴族たちがギルドを通して出している依頼であり、町民には何ら関係のないものばかりだ。

むしろ、生活に直結する下水やごみ処理、あるいはスラムの治安維持などのほうが町民にとってはよほど重要であり、ギルドにとっても町民からの信頼に直結する重要案件なのだ。


町民からの信頼がなければ、ギルドにとっても冒険者にとっても不都合なことが多い。

依頼をもらえないというのはもちろんのことだが、この町に住んでいる商売人が立ち寄った行商人にこの町の冒険者の評判を伝えてしまったら、護衛任務の依頼はもちろんのことだが、誰も商売をせずに帰って行ったり出て行ったりする可能性もある。

行商人が町で商売をするということは、その町にはない珍しいものを入手できる機会であるだけではない。

この町で仕入れたものを他の町に売ってもらうことで、この町の宣伝にもなり、人が移住してくることや定住してくれる商売人が増える可能性にも繋がるのだ。


「とにかく、ギルドだけでも町の人からの信頼を失うわけにはいかない。どうにかして、町の人たちからの依頼を解決する奴らを育てるか見繕う、でなけりゃ定期的な受諾を義務付けるような制度を作る必要がある」

「簡単なのは見繕うことだが……聞かないだろうな、現在進行形でフェンに世話になってる奴でない限り」

「かといって、自主的にやってくれそうなのはもう二級や一級に上がってる奴らだしな」

「呼び戻して常駐させる、なんて無理はできんな……」


二級以上ともなれば、国の一般騎士と同等あるいはそれ以上の実力を持つ人材ということになる。

そのため、他の町に派遣したり、護衛任務で外に出ていることが多く、常駐させることは難しい。

かといって、三級は見習いを卒業したばかりで一旗揚げることに躍起になっている連中が多く、報酬も低い町からの仕事を請け負うような奇特な人間は、少し前まではフェン以外いなかった。


だが、その奇特な人間ももういない。

このままでは町民からの依頼は解決せずにたまる一方となることは、誰の目で見ても明らかだ。

かといって、今すぐにフェンの代役が務まる冒険者が見つかるとも思えない。

少しの間、話し合った結果。


「とりあえず、問題行動が目立つ冒険者はランクを問わず、罰則として町民からの依頼を解決してもらう。普段からある程度は稼いでるんだ。たまには町民に貢献してもらおうや」


ということになった。

むろん、これは一時しのぎでしかないことはこの場の全員がわかっていたため、本格的に町民からの依頼を解決する制度の施行や冒険者の育成を急ぐ必要があることに変わりはなかった。

が、ひとまず後日の会議までに案を考えてくる、という宿題を出して、その日の会議は終了した。


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それから数日。

やはりというべきか、町民からの手紙が何通も届いていた。

どれも、ギルドに対して依頼を送ってくれていた人々からであるだけに、事務員たちは胃が痛む思いをしていた。


曰く、薬草に混ざって役に立たない雑草が入っていた。曰く、いつまで経っても下水道がきれいにならない。曰く、中途半端で終わったのか終わっていないのか全く分からない。


どれも、問題行動が目立つ冒険者たちに罰則として与えていた町民からの依頼に対する苦情で、これでは報酬を減額させてもらうよりほかない、という言葉までついてくる始末だ。

もともと素行が悪いために、ある程度、このような苦情が寄せられるのは覚悟していたのだが、それでもやはり数が多い。

中には、見習いを派遣した方がまだまともな仕事をする、フェンさんにやってもらっていたときのほうがずっとよかった、とまで言われる始末だ。


当然、苦情は手紙で送られてくるものばかりではなく、依頼を受領した冒険者に直接言ってくるケースもある。

そうなってしまえば、素行の悪い連中であれば依頼主であろうと暴行を振るい、我慢強い冒険者であれば、依頼主ではなくその文句をギルド職員に文句を言ってくる。

内と外の二つからの板挟みに、職員たちの胃袋は穴が開く寸前であった。

実際、激しい腹痛とギルドに向かう気力がわかないせいで、何人もの職員が休みを取っている。

現在はこのままではフェンに顔向けできない、と気合と根性でどうにか耐えている少数の職員でギルドの業務をこなしているような状況だ。

しかし、それも長く続けばギルドそのものが機能しなくなってしまう。

どうにか、臨時で追加の人員を増やせないか、ギルドマスターも奔走しているが、なかなか難しい状況だった。


そんな職員たちの状態なぞつゆ知らず、冒険者たちはより実入りのいい依頼ばかりを受領し続けていた。

むろん、中には仲間が療養している間、少しでも稼いでおきたいという理由で町民からの依頼を受領してくれる冒険者もいるのだが、絶対数が少ない上に、不定期であるため、なかなか数が減ることはなく、たまる一方だった。


「……本当に英雄なんてのがいるなら、フェンさんこそ私たちにとっての英雄だよ……」

「シルフィ、文句言っても仕方ないでしょ……否定はしないけど」


フェンに甘えていた部分があったかもしれない、と思い、必死に頑張っていたシルフィだったが、休憩時間にぽつりとそんなことをつぶやいていた。

同僚はそれに対してため息をつきながらも同意した。


人々にとって英雄とは、例えば災害級と呼ばれるような魔物の討伐に成功したり、戦争で大きな戦果をあげたり、あるいは封印を破った悪魔を、二度と蘇ることがないよう肉片はおろか、塵すらも残さず消滅させたりすることができるものを言うのだろう。

だが、この町のギルド職員にとって英雄とは、周囲から何を言われても町の人から寄せられた依頼を完遂し、冒険者にとって必要な心得を行動で示し続けた"最後の指導者"フェンただ一人だった。


だが、その英雄はもうこの町から離れてしまった。そして、その英雄の後を追いかける者は、今のところ誰もいない。

果たして、第二のフェンが現れるのはいつになるのだろうか。

まだ見ぬギルドの希望の再来を待ち望みながら、町民からの苦情と冒険者からの苦情に板挟みにされる日々を過ごすのだった。

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