第六十二歩 【悪意の臭い】
「なぜあっさりと戻るんですか? 皆さん本当は困っているはずなのに……」
横穴の道案内を頼んだコタロウが振り返りながら俺に聞いてくる。
その問いに不安そうな表情を浮かべたリンも頷いた。
「あのままあそこに留まるのはお互いに不味いかと思っただけさ」
俺が答えるとコタロウは再度、首を傾げる。
「畏怖の対象である我々があそこへ留まれば、憶測や不安が広がり、我々の動きを制限しかねない。更に言えば、その畏怖の対象を呼び込んだあの親子にも――」
ウルドさんが静かに腕を組みながら俺の意図を看破し説明すると二人も納得したようだった。
「その通りです。それに、彼らは人間との争いを望んでいない種族にも関わらず俺たちが自分たちのテリトリーに入ることを極端に恐れていました。それもこの一件と何か関係があるのではないかと……まぁ、すぐに分かると思いますが」
俺がそう言った辺りでコタロウは来た道とは別の道へと進路を変える。
そのまましばらく行くとコタロウが足を止め、俺たちの方に振り向いた。
「ここです! ここから変な臭いがしました!」
そこは岩に囲まれた大きな道の曲がり角。
辺りには鉱石を掘ったであろう痕もあり、見ては何も変なところはない。
俺はその場にしゃがみ込み、スキルを発動させる準備を始める。
「あぁ! 皆さん、どうしてここに?」
俺が声をした方を見ると、別の小さな横穴からダリアが顔を覗かせていた。
「ダリアこそ! 群れの皆と一緒にいなくていいのかい?」
「さっきはお父ちゃんが失礼なこと言ってごめんなさい! でも、私はボス……おじちゃんをどうしても助けたくて……皆さんに頼れないなら私一人でって」
頭を下げながらダリアは目に涙を浮かべる。
「さっきは何も言わずに出て行ってごめんよ。でも、俺たちは君たちを見捨てるつもりはないから、安心して。一応、確認するけどここは――」
「うん、ここがおじちゃんが最初で暴れた場所なんだって。食料の鉱石が残っていないかを群れの仲間と探しているうちにって聞いたけど、詳しいことは教えて貰えなくて」
俺は頷くと、コタロウにダリアを任せ、聴覚に全神経を集中する。
「君は過去視ができるのか?」
「いいえ、俺ができるのは――声を聴くことだけです」
ウルドさんの問いにそう答えた俺は〝〟言語理解のスキルを呼び出した。
〝言葉の記憶〟発動!
俺が心の中でそう念じるとここで発せられた言葉が次々と俺の耳へと入ってくる。
坑道を偵察に来た番兵の会話、遠くからボスを探しに来た群れの叫び声と何かが暴れ狂う様なをするような轟音、そして――
『おやおや、これは素晴らしい実験体だ。これならばきっと良い結果が得られるでしょう』
『人間? しかし、炭鉱夫たちではない……』
くぐもったガラガラ声に似つかわしくないゆったりとした口調が響いた後にダリアの父とよく似た低い呟きが聞こえる。
恐らく後者がダリアの伯父、群れのボスの声であろう。
『取り押さえろホムンクルス!』
ギギギギギギ
『な、なにを! 我らに貴様ら人間と敵対する意思はない!』
ボスは叫び声を上げ、バタバタと抵抗しているようだが人間にその声は届かないはずだ。
『流石は〝グラトニル〟が誇るホムンクルスですねぇ! 実験体を押さえる重しには事欠かないというわけですか! では、遠慮なく』
『やめろぉぉぉ! ぐあぁぁぁぁるぅぅぅあぁぁぁ!』
ボスの悲痛な叫びと共に何か液体を流し込むような音が聞こえ、ボスの悲鳴は次第に理性無き魔物の咆哮のように変わっていった。
『ボス! 大丈夫ですか!』
『貴様ぁ! ボスに何をした!』
『うわぁ! ボス! 俺たちです! やめてください!』
慌てて駆けつけてきた群れの仲間たちの阿鼻叫喚が聞こえ、辺りが一気に騒がしくなる。
あまりの騒音に鼓膜が破れそうになる感覚を覚えた俺はスキルを停止させた。
俺はまだ痛みが残る耳を押さえながら目を見開き、その場から立ち上がる。
「ルイ! 大丈夫なの? 顔が真っ青よ!」
リンが駆け寄ってきて、ふらつく俺を支えてくれた。
俺が岩場に座り、少し落ち着いたのを見計らってウルドさんが声をかけて来た。
「君のその能力は便利なものだが、どうやら使用者の感覚に多大な負担を強いる様だ。多用していいものではない」
俺はその言葉に頷く。
以前、ニーズを救う時に使った時は直近の声だけを読み取ればよかったから気にしていなかったが、今回の〝言葉の記憶〟は二週間程前まで遡らなければならなかったせいか、終盤には頭がパンクしそうになり、騒音で耳が千切れんばかりの激痛を伴った。
多用するのは危険だと、自分でも理解できる。
でも、今重要なのはそこではないのだ。
「今回の一件、〝グラトニル〟が関わっています」
俺がおもむろに発した言葉にダリア以外の全員が驚愕の表情を浮かべた。
ウルドさんも仮面をつけていて表情は分からないが身を乗り出しているから、驚いているのは分かる。
「それは……確かなのか?」
「えぇ、ボスが暴走するときの会話に〝グラトニル〟という名前が出てきました。そして、奴らが先兵として使っているホムンクルスの存在も……首謀者がどういう立場にせよ、関与していることは間違いありません」
「あの……その〝ぐらなんとか〟って一体?」
事情を全く把握できていないダリアが俺たちを見回す。
その目は俺で止まるが、俺はすぐに答えを発せなかった。
人間の業で敵対しない種族を陥れたという事実。
これを彼女にどう語れば良いものか――
「その問いに答える必要はない」
低い声が反響し、答えを待っているダリアの耳に届く。
通路の向こうから姿を現したのはダリアの父だった。
「と、父ちゃん!」
「あなたはこのことを知っていたのですね?」
ウルドさんの問いにダリアの父は頷き、付いて来いというジェスチャーをした。
俺たちが後に次いで歩き出すと、彼はゆっくりと口を開く。
「この事実は俺と妻、そして義兄を捜索しに行った一部の者しか知らない。もしこのことが明るみになれば群れは人間と敵対する道へ進んでしまうかもしれないからだ」
「そ、そんな――」
「もちろん、俺も妻もそんなこと望んじゃいない。何より、義兄が一番望まないだろうからな」
俺はそのことに小さな疑問を感じた。
人間の俺が言えたことではないが、この一件は完全に人間側の悪行によるもの。
なぜ、彼らはそれほどまでに人間を庇ってくれるのだろうか?
俺の疑問を察してか、ダリアの父はこう続ける。
「人間が全て傲慢だと決めつける気はない。俺も義兄もそれを身をもって知っている」
「どういうことですか?」
「俺たちの群れはずっと昔、人間助けられたことがあるんだ。そのことをいつも他の奴らに嬉しそうに話していたよ。俺と義兄がちょうどこの娘くらいの頃だったか……坑道の拡張が決まり、俺たちの住処までそれが及んでな。危うく危険な魔物として討伐されそうなところだったんだ。しかし、その時に町に来ていた旅人風の人間があんたみたいに俺たちの言葉を理解できるやつでな。俺たちが危険な魔物じゃないって他の人間たちを説得してくれたのさ。おかげで俺たちは今も平穏に暮らすことができている。だが――」
ダリアの父は表情を曇らせる。
「近頃は採掘のやり方が異様に激しくなってきてな。俺たちのわずかな食糧まで根こそぎ持って行っちまう。そのおかげで昔の事を知らない連中は人間すべてを敵と見るようになり始めてしまった。それにこの一件が重なってみろ。俺や義兄でも若い連中を抑えることは不可能になっちまう」
ダリアの父が一通り話し終えたところで、目の前に大きく暗い大穴が現れた。
「ここは人間が魔法で爆破した新しい坑道だ。この穴を作る時、地盤沈下が起きて、群れの仲間が巻き込まれたこともあった。その時も俺たちが必死に群れを抑えたが……まぁ、今はどうでも良い」
俺たちは人間の業の深さになんと返したらよいか言葉が見つからずただ、下を向くしかなかった。
しかし、ウルドさんは――
「それで……ここに我々を連れてきた理由を聞かせてもらおうか?」
「あぁ、正直言って群れは限界だ。これ以上、鉱石が取れなきゃ飢え死にする者も出てくるだろう。だから、俺は群れの長としてお前たちに頼むことにした」
俺は振り返った彼の目を見て、何となく察しが付いた。
これから彼が何を頼むのか――
群れの長として何を犠牲にしようとしているのか――
「この先には大量の鉱石を貪り食っている義兄がいる……頼む、義兄を楽にしてやってくれ」
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