p8.宰相到来

 とおる君が不在の今日。


「……あらあら、まぁまぁ」


 とおる君の机の上には、昨日よりは少ないとはいえ、書類の山があった。


 ほとんどは財務部会計課から。その他も財務からが多く、法務部からもちらほら。

 二番目に多かった総務からは来ていない。なのに、これだけの山になっているということは。


「……やっぱり会計課からはそのまま。しかも色をつけて帰ってきてるわね」


 とおる君は居ませんよ、と伝えたのに。バカだなぁ。


 ちなみにとおる君は本当に来ない。今も死んだように眠っているそうだ。しっかり休め。


「仕方ないわね。急ぎっぽいので私ができそうなものを抜き出しましょう」


 私ができるのは、王太子のサインが必要なだけの書類。計算間違いがないかの確認。下書きはできているものの清書。などなど。

 その他はわからないが、これだけでもけっこうな量だ。やりがいがあるというものよ。


『王太子執務室』専用の用紙を出して、どんどん進めていく。



 するとしばらくして、昨日の総務の下官が、同じような服装の男二人をつれて現れた。


「おはようございます。王女殿下のお手伝いをするよう、宰相様から言いつかって参りました。どうぞお使いください」


 礼をする三人に、顎に指を当てる私。


「そうね……。宰相のお気遣いはありがたいわ。じゃあ、ニ人はこちらの書類を乾かして各所に持っていってちょうだい。あなたはあそこの書類から急ぎのものを抜き出してくれるかしら。その中から、執務に慣れない者でもできるものを持ってきて。あとのもので、あなたのできるものは任せたわ」


「は? ……はっ、かしこまりました」


 一瞬呆けたものの、すぐに取りかかってくれる。

 助かるわ。インクが乾くのって時間がかかるから、どんどん書類が広がっちゃって。とおる君たちは、品質は悪いけど乾きやすいインクを使っているらしいのだけど、それを王太子が使うわけにはいかないしね。


 昨日の下官が書類の抜き取り、他の二人が乾かしては纏めて、ある程度まとまったものから運んでくれる。まぁ、素敵。早くて便利。



 やがてまた、人がやって来た。

 昨日の会計課の文官だ。しかもまた書類持ってきてるじゃない!


「おはようございます、王女殿下……会計課より追加だと言われてお持ちしました。また昨日のように持っていきます……よね……?」


 中の様子を見て、目をぱちくりさせる彼を、席から立ちあがり捕まえる。


「ちょうどいいわ。今日も手伝いなさいな」


 にっこり笑ってやると、昨日の下官と同じ抜き取り作業をさせる。会計課の文官であるので、私のぶんを抜き取ったあと、できる書類の量が段違い。

 二人は乾きやすいほうのインクを使っているから、処理速度も早い。しかしそれでも山は三分の一しか減らない。



 まぁまぁ。どういうつもりなのかしら。



 やがて……もう一人予定外の来室があった。


「王女殿下、おはようございます。……何ですかな、これは」


 宰相閣下きたー!? 中の様子に、訝しそうにしている。あらあら。


「まぁ、宰相。わたくし、ここで会う約束は明日だと思っておりましたわ」


 出迎えるものの、応接用のテーブルは、乾かす書類、持っていく書類でいっぱい。机は私の執務机ととおる君のもの以外はないから、文官ともう一人の下官は、可動式のチェストを出してその上で作業をしている。昨日も使ったから、慣れたものよね。


 お茶も出せないわ。どうしましょう。


「ええ、明日のお約束です。ですが……」


 宰相は部屋を見渡すと、困惑の表情で山と積まれた書類に近づいた。


「……こちらを……見ても?」


 宰相の眉間のシワがひどいことになっているのを見ながら、どうぞ、と答える。どうせ明日は見てもらうつもりだったしね。山を崩さぬように、そっと上から書類がとられていく。会計課の彼の顔色がひどいわ。

 宰相がぽつりと落とす。


「……実は、普段の執務室の様子が見たいと思いましてね。わざと先触れをはぶいて参りました」


 はぁ。抜き打ちテストみたいな? だったら、よけいに明日の方が良かったのでは? ふだんは一人、とおる君が頑張っているだけで、こんなに散らかってはおりませんのよ。


「明日にしようと思っていたのですがね、殿下。今日来ておいて正解だったと思います」


 後ろに重低音でも響いているような雰囲気で、宰相は私を見た。


「なぜ、他部署の書類がこのように積まれているのか、お教え願えますかな?」


 睨みを利かせる宰相を見て、同じ部屋の四人が真っ青な顔をしている中、私はニッコリと笑った。


「いつもはこの倍は、積まれていますの。昨日のうちに書類を持ってくるすべての部署に、『トゥール・ヴェーレの不在』を直接知らせに参りましたから、会計課以外は少し、ご遠慮くださったみたいですわ。特に総務からはほとんど来ておりませんの! 宰相のご指導でしょう? ありがたいですわ」


「ほとんど……」


 宰相は眉を潜めた。そうよ、ほとんどよ。


「とりあえず、それでも持ってくる、ということはこれは『王太子執務室』でするべきお仕事なのだと思いましたので、今なんとか私たちだけでできるものだけでも進めているのですわ。いつまでもトゥール・ヴェーレに頼りきりでは、いつか彼が倒れてしまいますからね。出来たものから、持っていってもらっています。この下官たちの手配も宰相でしょう? 助かりました。わたくしだけだと、まだ持っていくところまではできてなかったでしょうから」


 現状を『物事をよくわかっていない、けれどがんばり屋な王女殿下』視点で、とっても機嫌よく説明しておいた。

 下官たちの震える音が聞こえそう。


「……なるほど」


 低く呻くようにそう言った宰相は、もう一度部屋を見渡して尋ねてきた。


「殿下はこの全てを、やりきるつもりで?」


 それには首をかしげるしかない。


「いつものペースで追加されれば無理ですわね。できるだけ、ですわ」


「いつものペース……」


 考え込んだ宰相は、やがて大きく息を吐き出した。


「かしこまりました、殿下。こちら、殿下が今作業されている分までで、あとは私が預かりましょう」


「まぁ、宰相のお仕事をまた増やしてしまいます」


 私が今日来られないだろうと思っていたのも、彼が忙しいからだ。何だったら、国で一番忙しいのは彼じゃないかな? 次点が父王でさ。


「今さらですよ。第一、うちの優秀な部下を使いますので、何とかなりましょう」


「そうね、彼らも頑張ってくれているけれど、さすがに宰相の生え抜きの部下とは比べられないわね」


 そんなに忙しい彼らの回りを堅めるのは、当然のようにとんでもなく優秀な側近や武官文官たちで、そんな国一番の能力者たちの心配は、する方が無礼かもしれない。


「あとは、やはり明日にと思っておりましたが、王太子執務室に人員を追加いたします。まずはこの下官三名を」


 まぁ! 総務からの臨時人員だと思っていたら、執務室付の下官なのね!


「嬉しいわ。ルーサー、ロット、ベンパリ、よろしくね」


 あら? 三人がびっくりしているけど、今は置いておく。まだ宰相の話が続いてるし。


「本来、王太子執務室には、執政官一人、文官二人、それぞれに一人ずつの下官が最低人数です。執政官ともう一人の文官は今日は引き継ぎのため、明日からとなりますが信用のおけるものを用意しておりますので、ご安心を」


 あらまぁ。これは嬉しい誤算だわ。

 私はさらに笑みを深くして礼を言った。


「これにともない、様々なところを調査中でございます。殿下もご協力いただけますかな?」


「お父様はご存知なの?」


「もちろん。内密の調査といえ、王の勅命にございます」


「ならば、わたくしに選択の余地はないですわ。それに当事者ですもの。しかたないですわね」


 ころころと笑えば、宰相が深く礼をとった。




 ◆



 そのあと、宰相の要請で下官三人が、とおる君の机の上にあった書類を撤収していった。聞けば本当に宰相の執務室に持ち込んだそう。

 執務室付の文官たちが阿鼻叫喚だったと、ぽつりと漏らしたのがロットで、その頭を叩いたのがベンパリだ。そして昨日から手伝ってくれてたのが、ルーサー。彼が一番年上で、だけれど部署は少し違う所にいたよう。


「しかし、殿下に名を覚えて頂けるとは思いませんでした」

「そう?」


 彼ら三人がびっくりしたのは、ジセが下官たちの名前を覚えていたから。部屋にきたときに一通り自己紹介してくれていたのだから覚えたのだけど、自分付の侍女の名前も覚えていないジセだからまぁ仕方ない。と思っていたら、侍女や文官はともかく下官の名前を覚える貴族は稀なのだとか。


「下官は低位貴族がほとんどとはいえ、平民も珍しくはありませんので」


 現に、ルーサーは平民出身なのだとか。まぁびっくり。


「では、わたくしと初めて会話した平民はルーサーなのね」


 そう、にこにこと返せば、首を振られた。


「確かトゥール・ヴェーレは平民出身と聞きました。一番は彼かと」


 そう言ってルーサーが目線を向けたのは、会計課の文官。

 彼はまだ青い顔で、ゆっくりと頷いた。

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