p5.王太子執務室のとおる君
リスティナから手紙が送られてきたのは、一週間後のこと。
美麗な時候の挨拶と私への気遣いで飾られた、手紙の要件だけを抜き出すと、かの婚約者に「君と婚約できれば嬉しい」と言われたので、ご報告と相談をしたいというものでした。
うふふ。倒れてから十日ほど。婚約者はジセの元には現れず、リスティナには二度もあっているようです。ふふふふ……見舞いに来るふりぐらいしろ。
ほら見て。リスティナってば「お姉様からの忠告を戴いてから見てみれば、同志と思っていたものが得たいの知れない化け物のようです」ですって。めっちゃ怖がられてんじゃん。言葉も崩れるわ。
私は、「是非とも近いうちに会いましょう。ひとまずこの事態は王に報告させてもらいます」と返信した。第一王女の婚約者の浮気は、国家にとってよそ事ではない。庇うにしろ揉み消すにしろ、王には私たちのことを知っておいて貰わなくては。
封蝋を施した手紙は女官が恭しく持っていった。
さて、私は書類を纏めると、文官にそれぞれを渡し、不足のある書類は指示を出す。彼らはバタバタと部屋を出ていった。
ここは私の私室ではなく、王太子の執務室。
うん。『王太子の』執務室。
そうなの。一応ジセってば、形式上は王太子なのよね。これまでジセリアーナは、『王位継承第一位』と言いながら、執務は行っていなかった。何故って? ジセはそんな面倒なことはしないのだ。
全部、今私の斜め前の机に座ってペンを走らせている眼鏡の文官に丸投げしている。
彼の名前は、トゥール・ヴェーレ。20代半ばとまだ若い男だが、非常に優秀でこれまで一人で王太子の執務室に来た仕事をこなしていた。
……押し付けられていたとも言う。
さらには近頃、執務に見向きもしなかった第一王女が、執務を教えろとやって来るわけだ。滅茶滅茶大変なお仕事だ……ウチのジセリアーナが申し訳ない。
今のとこ名前書くだけのと、明らかに間違ってる書類だけを回してくれる。まぁ、つまり簡単なものを少しずつ与えてくれるのだけれども、午前中ずっといるのに会話らしい会話をしたことがない。
指示も「ここ名前」とか「ここと、ここ、見て」ぐらいだし。
初めは出来上がったのをチェックしてもらってたけど、なにも言わずに頷いて、各庁に届けてもらう指示を出すものだから、指示を出すのもさせてほしいと、強引に役目を奪った。そしたらあと何回かのチェックのあと、そのまま送って構わないと言われて、さらに格段に会話の糸口がなくなった。
無愛想というより、びくびくしてる感じ。気が弱いのかな? だから押し付けられたのかな。しかし、苛烈と有名な第一王女の補佐にこの気の弱さじゃ、早々倒れるんじゃない? ああ、だからこその「びくびく」? ふぅん?
ジィーッと私がみているのがわかるんだろう。彼の震えが大きくなっている気がする。大丈夫? それって文字書ける?
「あ……あの……」
「はい」
トゥール・ヴェーレからの初めての会話が仕掛けられたので、折り目正しい返答をする。
「お……お渡しした書類は……」
「読んで名前を書いたわ。明らかに間違っているものは、いつも通り総務に送って、あとは各庁に届けてもらったわよ」
「そ……そうですか……」
経過を伝えると、そこで会話が終わってしまう。……んーまだ震えてるなぁ。どうしようかなぁ?
「あ……あの……」
「はい」
あ、さっきと同じ会話の始まりだわ。はいはい。
「王女殿下のお手を煩わせるほどのものはなくなったようです。今日は、もう、お戻り、いただいても……」
声がどんどん小さく、顔が青くなっていく。ああ、うん。……とても勇気を出したんだろうな。
さて、どうしようかしら。
「なら、ちょうどいいわ。お茶にしましょう」
私はにっこり笑うと、ベルを鳴らして侍女を呼んだ。
お茶を二人分と軽いお茶請けを応接テーブルに持ってきてもらい、自分の前のソファに座るよう、トゥール・ヴェーレに命じた。
彼はびくびくしながら、向かいの二人掛けソファの端に座った。お茶には手を出さない。
ふぅむ。怖がられてるわぁ。
……でも、気になるから言っちゃう。
「私がいうのはどうかとも思うけれど、とおる君も少し休まないといけないわよ。午後もここで執務をしているんでしょう? 貴方が優秀だから、どこの庁も頼るのだろうけれど、今は名義上ではなく実際に『執務に慣れない王太子』がいるのよ。無理な量は突き返しなさいな」
トゥール・ヴェーレ……とおる君は、目を真ん丸にした。
いや、だって、私の執務机は綺麗なものなのに、とおる君の机の上は山になっている。本当に山。時々机の横にも置かれていたりする。これでどうやって書類仕事ができるのかとか、そのうち埋もれて遭難するんじゃないかとか、思っていたけれど、一応午前中には半分まで減るのだ。だけど翌日には元通り。
こっそり見てみれば、所々に「これ、王太子の執務室に送っていい書類?」って感じのも混じっていた。
あ、とおる君っていうのは私がこっそり心で読んでいたトゥール・ヴェーレのあだ名。艶のないもさっとした黒髪と、真面目な雰囲気が日本人っぽいと思ったら、名前も日本人っぽくもじれるなーと気がついて、こうなった。悪意はない。
とおる君は気が弱いので、突き返せないのだろう。それに味をしめて送るヤツがいるんだわ。特に財務部がひどい。さらにその会計課が。あと総務。お花見慰労会のお知らせ書類の清書ってなんだ。面白そうだから、とおる君の目を盗んでやってやったわよ。ジセはムダに字が綺麗だからね。
「え? あ、ぅ、でも」
「どうしても断りにくいなら、私の名を出してもいいわよ。「我儘王女が押し掛けてきていて、書類を破損する恐れがある」だの何だの。仕事のしすぎで貴方に倒れられたら困るわ。私の補佐ができそうな人がいなくなるじゃない」
「ひぇ、いや、そんな」
とおる君は大慌てで手を振っている。うーん、それも難しいか? まぁ、我儘王女の威光なんか、地の底だものね。
「なんなら幾つか未処理の書類持って、各部署に質問回りにいきましょうか。それでもダメなら、清書とか簡単な計算のぐらいならできるから、寄越しなさい」
「ぇひゃ!? いやいやいや、王女殿下にそんなに手を煩わせるわけには」
とおる君はついに立ち上がって拒否し始めた。
顔は青白くて今にも倒れそう! 座りなさい!
「だって、私の執務力が上がってるかどうか分からないわ。せめて気軽に聞ける環境になってほしいのよ」
――この一連の言い方が、近頃の私の主流。
必殺『わたくしは今まで通り我儘をいっているだけですわ! を装った強制的親切攻撃』!!
ジセの世話をする侍女たちには結構効く。最初戸惑っていた彼女たちは、これを『我儘の方向が変わっただけ』と理解してくれた。
これまでと違って、いうことを聞いても、身体的精神的被害が少ないので、以前より「かしこまりました、殿下」と言うまでの時間が縮まったのだ。
だから是非、彼にも効いてほしい。 むしろ効け! 何連勤中なんだお前は!!
とおる君はやがてため息をついて肩を落とした。
「かしこまりました、殿下。仰せのままに」
よっし効いたぁ!
これは畳み掛けよう!
「よし、じゃあとおる君、今日の午後から明日丸々休みね! 第一王女命令だからねっ」
「えっ」
「だから今から、他の部署に回せるものを仕分けましょう。文官呼ぶのは面倒だから、出来たら二人で持っていくわよ」
唖然とするとおる君だけど、ちょうどそこに新しい書類を持ってきた文官がやってきた。またすごい束ね。
「ねぇ、そこの貴方。どこの部署の方かしら?」
我儘王女に話しかけられるとは思わなかったらしい文官は、びくりとして礼をとった。
「はっ、財務部会計課にございます」
まぁ、ちょうどいいわ。
「そう。ちょうどいいわ、手伝いなさい。第一王女命令です」
は? と間抜け面をしている間に、執務室の番をしている衛兵に、私の命令がない限り文官を執務室の外に出さないように命じる。来る分は入れていいと。
「さぁ、とおる君、仕分けするわよ!」
そのあと、とおる君と訳のわからないまま手伝わされる会計課の文官、追加でやって来た総務部の文官と一緒に、課ごとに書類を分け、王太子の裁可が必要と思われる書類を残して、他は全部それぞれの課に持っていくことにした。
ついでに分けている間に、王太子用の書類はすべてサインをし、またついでに、幾つかの清書しろという書類を書いた。
文官三名は、青い顔をしていたが、王女の強制的な命令には逆らえなかった。
「さて行きましょうか!」
私一人が、ウキウキでご機嫌だった。
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