p3.妹王女 リスティナ


 一眠りして、次の日。


 ぱっちりとした空色の瞳を曇らせて、明るい金色のまっすぐな髪をハーフアップにした少女が部屋にやって来た。

 件の、リスティナである。お見舞いにやって来たと言って、ものすごく、申し訳なさそうな顔をして入ってくると、ベッド脇に来たとたん、頭を深々と下げられた。


「ごめんなさいっ」


 それに、顔をひきつらせる私。


 これ……あれだよね。婚約者の浮気相手が、謝罪しに来た、っていう解釈でいいのかしら?


「リスティナ。何に対して、謝ってくれているのか、分からないわ」


 私自身の立ち位置がわからなくて、微妙に意地悪な言い回しを使ってみる。

 リスティナは、青ざめた。


 けれども、決意を込めた目をして、私をまっすぐ見る。


「私が、お姉さまを、誤解させることをした、ことに対して、です」


 誤解?


「誤解なの?」

「誤解です」


 考える。誤解、というのは、私の婚約者と、恋仲だということ、よね?


 そのことに対する真偽は、この際、一度置いておくとして……。

 ジセリアーナにとって、一番ショックだったのは、何だったかしら。


 私はポツリと、問いかける。


「あのガゼボ、私の大切な思い出の場所なの。あそこで、私の婚約者と二人きりで、こっそり会っていたのが、誤解なの?」


 そう。ジセリアーナにとって、一番大切だったのは、あのガゼボでの思い出。それを、変な形で上書きされたような気がして、それが嫌だった。


「いえ……そこは、誤解ではありません」


「私、それが一番、ショックだったのだけれど」


 リスティナは、驚いたように一瞬固まった。


「それは……申し訳ありませんでした」


 また深々と、頭を下げるが、先程より憔悴して見える。

 まさか、場所が問題だったとは、思わなかったのかも知れないわね。


 私は、一息つくと、顎に手を置き、考え出した。


「まぁ、彼が、婚約者としての役割を軽視している、というのは問題よね」


 リスティナは沈んでいた顔を上げる。

 それは、とても不思議そうな顔だった。


「あの、私とヴァージル様が、お話ししていたこと自体は、お怒りではないのですか?」


「あなた達二人が、たとえ恋人同士でも、何の問題もないわ」


 何でもないように首を振ると、目を真ん丸にするリスティナ。

 私は構わず、本音を伝えていく。


「私にとって、ヴァージル様は、恋人ではなく『婚約者』という名の装飾品なの。好きな人が他にできたなら、その人を恋人にしてもいいし、相談してもらえば、婚約破棄も白紙化も考えるわよ」


 それを聞いて、リスティナは顔色を変えた。

 それは当然よね。自分の好きな人が、その婚約者にとっては、人間どころか装飾品だなんて。怒って当然。

 でも、これは言っておかないと。ジセリアーナにとって、彼は、恋愛の相手にはなり得ないのよ。

 奪うなら、発破をかけておかなきゃ。


 ああでも、握りしめた拳に力が入っているわ。爪の痕が付くんじゃないかしら。

 痛そうだから、少し緩めてあげないと。


「でも、こそこそ隠すにしても、報告は欲しかったわ。第一王女わたくしの婚約者の座が惜しかったのだとしても、私の癇癪が面倒だったにしてもね」


「お姉さま……」


 顔色が変わっていた、リスティナが驚いた顔をして、可哀想なものを見る目になった。


 うん。きっと、癇癪が嫌だったのが、本命よね。わかるわー。これから頻度は低くなるから。許して。


「お姉さまは、ヴァージル様を、男性としては考えていらっしゃらないのですね」


 憐れそうな顔で、リスティナはそんな風に言う。

 そうそう。残念ながら、そうなのよ。

 ついでに言えば、彼だけじゃないわ。


「私、今まで恋愛対象者が、現れたことはないの」


 そう言うと、リスティナは考え込むように俯く。


「ヴァージル様が、私の恋人になっても、よろしいのですか?」


 それはもう、全く問題ありません。

 構わないわ、と躊躇なく頷いてみせる。


 ……あー……問題があるとすれば、あれかな。忠告はしておこう。


「けれども、お勧めもしないわね。私たち二人に、愛情というものは存在しないとしても、ヴァージル様側から見れば、浮気は浮気。浮気をする男性というのは、それを繰り返すそうよ。喩え、貴女のような、愛らしく賢く美しい女性が、側にいてもね」


 王女の婚約者に、浮気性の男というのは、問題だと思う。

 せめて、筋は通せ。


 そう思っていると、未だベッド脇に立ったままだったリスティナが、力が抜けたように椅子に座った。

 そして、そのまましばらく考え込むように俯いていると思ったら。


「……ご心配には、及びませんわ、お姉さま。彼と私は、そんな関係ではありません」


 などと、言い出した。


 え? 待って、そんな関係じゃない、って、前提が違うの?

 そのせいで、本来リスティナ死んじゃってるんだけど?

 焦った私は身を乗り出して聞く。


「そうなの?」


「戦友のようなものですわ。最低限、私にとっても、ヴァージル様は恋愛対象外です」


 リスティナは、肩の荷が下りたように、打ち明けてくれた。

 嘘やごまかしをしている様子はない。


「……そうなの」


 なんだか、気が抜けてしまった。

 昼ドラ張りの、ドロドロの修羅場がくるんじゃないかと、気を張っていたのに。


「……何だか、ガッカリされているように見えますが」


 おかしそうに、眉を潜めて苦笑いするリスティナに、私は軽く俯いた。


「そうね。てっきり、相思相愛なのだと思っていたわ」


 そう。私としては、そこは前提だった。

 二人が好きあっていて、私は邪魔物なんだと。

 だから、邪魔はしませんよ、アピールをしようと思っていたのに、勘違いと言われるなんて。


「とりあえず、迫られるようなことがあれば、全力でお断りした上で、お姉さまにご報告いたします」


 すんなりと、自然な笑顔で言われて、本当にないんだ、と息をついた。


「わかったわ。二人が、恋人として会っていた訳ではないのね?」

「はい。ぶっちゃけ、お姉さまに機嫌良く過ごしていただくための、会議をしておりました」


 リスティナ、ぶっちゃけすぎ。


 でも、まぁ、なるほど。それなら、私に隠れて会うわなぁ。


「……今までそういったことはなかったの?」

「ありま……いえ、ちょっと待ってください」


 念のために言った言葉に、リスティナが止まった。

 え? まさか。


「そんな風に、受け取れるようなことを、言われたことがあります」


 なんだと。まさか、まさかしちゃうの?


「例えば?」


「「側にいるなら、君みたいなタイプの方がいい」とか「君のそばは落ち着く」とか「もし、君が婚約者だったら」とか」


 ちょ!?

 まさかの、浮気の方は、勘違いではなかった説。

 しかし、リスティナの様子を見れば、脈はなさそう。


「それは……口説かれているのではなくて?」

「冗談としか、思っていませんでした……」


 微妙に鈍感さを発揮して、回避というか、こじれていた様子。天然タラシか、リスティナは。あわれヴァージル。

 だけどこれ、もしかして、その辺がジセリアーナにとっては嫌だったのかもね。


 しかし……そうか……。


「う~ん……」


 今後のことを考えると、その辺りは、確かめておいた方がいいよね。

 どういう手を使うのがいいか……。



「一応、『もし、ジセリアーナとの婚約が白紙になったら、リスティナとの婚約を考えるか』聞いてみてくれない? 私の案とは言わないで」


「それは……」


 うん。いっそのこと、直接聞いちゃえ作戦。

 ぶっちゃけ、作戦でもなんでもない。


 ただ、小細工も何もなしだから、シンプルな反応がわかるはず。


「『公爵家と、王家の絆の為に』とかなら、セーフかしら。『嬉しい』とか『願ってもない』とか言ってきたら、逃げなさい」


「なるほど、分かりました」


「『ジセリアーナがすんなり婚約を破棄するなんて、そんなことはあり得ない』とか、誤魔化してきそうだけど、まぁ、貴女を恋愛対象にしているかどうかは探れるでしょう」

「はい」


 うん。完全に、リスティナ頼りのお話だけどね。

 これで、最初で最大のフラグが折れるといいな。




「お姉さま」


「なぁに」


 いろいろと、遠い目をして考えていると、今度はリスティナが、ふんわり笑いかけてくれる。


「私、嬉しいです」


「?」


「お姉さまと、こうして普通に話せるのが」


「……」


 あ。うん……。


 ですよね!



 思えば、ジセリアーナがリスティナと、ゆっくり話すのって、生まれて初めてだったわ。


 歴史的な会合は、こうして、笑顔で終わった。





 

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