イキル。

seras

第1話

 真っ白で何もない無機質な空間。分厚いガラスの向こうには白衣を着た人間達。僕は何故こんな所にいるのだろう。どうしてこんな事になってしまったのだろう。繰り返される実験にいつしかそんな疑問も薄れ、手足も口も拘束された僕はただぼんやりと空を見つめていた。もう、何も考えたくなかった。「どうして」「なんで」といくら考えても辿り着く答えはひとつで、僕にはどうする事も出来ないから。苦しいなら感情なんて捨ててしまえばいい。僕は全ての感情を手放した。


「こんにちは。 初めまして」


 誰……?

 無気力に声の方へ視線をやる。優しく微笑みかける白衣を着た老人。


「今日から君の世話を担当する森本です」


 担当が変わる事は何度もあった。でもこうしてわざわざ挨拶をしてくる人間は初めてだ。


「そのままでは話し辛いだろう」


 そう言って彼は僕の手足と口の拘束を取った。ぽかんとする僕を見て彼は苦笑いを浮かべる。


「ああ、そうか。 口がきけないんだったね」


 僕の首には小さな装置が着けられていて言葉を発すると電流が流れるようになっている。これを実験以外では外す事は出来ない。


「いきなり話せと言うのもなんだから、自己紹介がてらに私の話でも聞いてくれるかな?」


 そう言うと彼は趣味や家族など様々な事を語り出した。彼は一体何がしたいのだろう。新しい実験なのだろうか。僕は訳の分からないまま彼の話を呆然と聞いていた。


 それからというもの、森本という人物は毎日僕の所へ訪れ、色んな話をした。初めはただ聞き流していただけだったが、いつしか僕は彼の話に興味を持ち、耳を傾けるようになっていた。僕は字が書けなかった。話をしたかった僕は彼に教えて貰い、間もなく字を書けるようになった。そして今はペンとメモを使って彼と話している。次第に僕は彼を信じるようになり、彼のおかげで僕の感情はだんだんと戻っていった。


「君の名前を聞いてもいいだろうか。 もし辛ければ答えなくてもいい」


 首を横に振る。『名前は覚えていない』


「……そうか。 なら私が君に名前を付けても構わないだろうか」


 僕は小さく頷いた。


『イキル』


 それが初めて僕に付けられた名前だった。

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