呪詛の正体
@wizard-T
第1話 俺だけはわかっていた?
「仕事行ってくる」
「早すぎない?」
確かに勤務開始時間より一時間以上早く、通勤時間を加味してもたっぷり五十分以上余裕がある。本来なら嫁さんやチビ2人たちともうちょいくっちゃっべってから家を出るところだけど、今日はそんな気になれない。
そして、嫁もその事をわかってた。チビたちの見たい番組に合わせられていたテレビも、今はスイッチを切られてただの箱になってる。
いつもよりかなり早く、通勤電車に乗り込む。と言ってもたったの五駅、ほんの二十分足らずだ。でも今日は時間帯を下手に早くしたせいでサラリーマンの皆さまとぶち当たっちまっていつものようにゆっくりと座る事は出来なかった。
まあたかだか二十分ほどの話とは言え、下手に体力を使うのはどうにも気に入らない。朝飯を喰ってからもうちい他にする事があったんじゃねえかなと軽く後悔しながら電車を降り、そして勤務先へと歩いた。
駅から徒歩十三分、どうって事のない道だ。駅の周りに立ち並んでいたでかい建物がだんだんと低くなり、やがて野原が増えて日が妙に近くなる微妙な上り坂。
家もあるが旧家っつー言葉がしっくり来るような貫禄のあるのばっかし。生まれてこの方3LDKより広い家に暮らした事のない身としては教科書を見ているような気分だ。まあもう十年以上見続けてるので気分だった、ってのが正解かもしれねえけど。
中学を出て三年間、女っ気ほとんどなしの工業高校で過ごして来て身に付けたもんと言えば飯を喰えるだけの技と体と、振り返ったら負けって事。
しかし今日はふと後ろを振り返ってみたくなる。本当なら自販機とちっぽけなコンビニ以外何もないような静かな道だってのに、今日はいやに物々しく感じた。
思えば俺んちの最寄り駅に着いた時からそんな感じだったし、職場の最寄り駅に着いた時もどっか重たい空気が漂ってた。頑丈なガードレールの外側を歩く俺も、つい立ち止まって車道の方を見ちまう。なるべく気にしないようにしていても、どうにも今日は駄目だ。
昨晩の事は、正直なかった事にしたい。あいつが悪いとかはみじんも思っちゃいねえ、そして俺もたぶん何も悪くない。でも、実際あんな事を口走っちまったのは軽率だったかもしれねえ。後ろを振り返らねえ生き方をして、今までああ俺やっちまったなと思った事は少なくねえ。それでもまあしゃあねえやなと割り切って、はいはい次々と終わらす事もできていた。でも今回ばっかしはそうも行かねえ。浅野のやつは気に病んでねえようだけど、それでもあいつに変な気を起こさせたのは悪かった。
十二年も通ってる職場の連中には、昨晩の事は黙っておかなきゃならねえだろう。よく取ってもらえたとして自慢にしかならねえし、俺自身止められるもんならば止めたかった。でも今日顔を合わせればこの話が絶対に出て来る、出て来ねえほうがむしろおかしい。今日はなあなあで過ごし、ほとぼりが覚めるまで淡々と過ごそう。
にしてもこんな時に限って、芸能人のスキャンダルがないのには参る。スポーツの話でもと思ったが、十年前に先輩同士が野球チームの応援同士で喧嘩して以来職場でするのは御法度に近い。
とにかく、普段使わねえ頭で余計なことばっかり考えて、かつ車道の方をちらちら見ながら歩いたもんだから俺は徒歩十三分の通勤に三十分もかけた。まあそれでもいつもよりかなり早かったが、一番乗りにはならなかった。
「よう津野か、今日は早いな」
「まあ、たまにはと思いまして」
半年前には春物って呼ばれてた私服を身にまといながら、俺と一番乗りした先輩は工場へと入り込み、ガチャリとタイムカードを押した。そしていつも通りの作業着、ちっとずつだけど黒いシミがあるモスグリーンの作業着を着た。
これから帰社時間まで、ずっとこの中で缶詰になる。そしてあっちこっちに運ばれて腹を満たす缶詰、果物が入ってる缶詰を作る事になると思うと、少しだけ笑えて来る。今の俺にはそんなくだらねえジョークがありがたかった。
昨日の晩、いつも通りに仕事を終えて帰ろうとした俺らが知ったニュース。数年前にあったのと同じような、警戒していたはずの場所で起きた自動車事件。
自動車事故じゃなくて、自動車事件。俺らの職場にあるような奴とは全然違う、洒落たデザインの車が突如小さな商店街に突っ込んで来た。
暴走車は次々に人間たちをはね、街を壊し、結果4人が死に2人が重体、7人が重傷を負い逃げようとしての転倒などの軽傷者も含めると70人近い死傷者を生み出す大惨事になった。
「容疑者は、外務省……」
いったいどこの誰だよと思っていた俺ら世間の皆さまに突き付けられた外務省の三文字は、俺らの顔を凍り付かせた。外務省と言う場所に身を置くお役人様がこんな事をするとは日本はどうなっているのか、キャスターの皆さまは大げさなぐらい嘆いていた。
でも俺には、あいつはこういう事をやる気がなんとなくしていた。
容疑者として映し出されたあいつの顔は、最後に顔を合わせてから十数年も経つってのに全然イメージを裏切らなかった。そういう事をやった以上そういう写真を選んだのか面相は少し悪くなっているがそれでもあいつ――小野川勝が年を喰ったらこうなるんだろうなっていう俺の想像から、まるで動いていなかった。
そして俺は一つの衝動を感じ、その衝動を誰かにぶちまけたくてたまらなくなった。
あいつならばやるかもしれないと思っていた――――俺はその衝動を浅野にぶつけた事を後悔していた。浅野が笑うでも怒るでもなく、しばらく無言になってからどうしてと聞いて来た時には、スマホ越しに土下座したくて仕方がなかった。
あるいは浅野も同じ予感を抱いていたのかもしれない。その疑問に対する返答を、俺はまだ聞いていない。
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