七年前にまた会いましょう

白川嘘一郎

七年前にまた会いましょう

『秋の気配』

秋の気配(1)

「あの時、こうしていたら」「あんなこと言ったりしなければ」

 過去に戻ってやり直したいと願う場面のひとつやふたつ、誰にだってあると思う。


 恋や愛だなんてとても呼べない、ひどく身勝手な、これはそんな償いの物語だ。



    *    *    *



 映画やドラマで恋人を待つシーンを考えてみよう。たいていは、すでに店内の席に通された男あるいは女がひとり、時間を持て余しているところから始まる。物憂げにため息なんかついたりしてね。

 でも考えてみれば僕は、そんな待ち合わせの仕方をしたことがない。一流の店を選んで何日も前からちゃんと予約を入れていて、にも関わらずその時間に遅れてくるような恋人がいれば、そういった体験もできるんだろうか。


 駅前通りから路地を少し入った店の前で、冷え込み始めた秋の夜風に身をすくめながら、スマホ片手にみっともなく突っ立って、僕は相沢芹奈せりなを待っていた。

 彼女の仕事が時間通りに終わるとは限らないので、予約をしなかったのが失敗だったかもしれない。

 一軒家を改装した和風ダイニングだったはずのその店は、ほんの数年の間にスペイン系のラテンなバルに様変わりしていた。


『景気が良かった時代にそういうシャレた店に通ってた世代が憧れて商売を始めてたのがひと昔前まで。今の若い社会人は、仕事帰りにそんなところに寄る金も余裕もないんだよ』


 飲食業界に入った友人のケイゴがそう言っていた。確かにここ最近、新しく見かける店と言えば焼肉とカレーとラーメン屋ばっかりだし、デートでなければ僕もそのほうがありがたい。

 街並みでさえ、少し遠ざかっていただけでこんなに変わってしまう。たぶん、人の心だってそうだ。

 そんなことを考えていると、角を曲がってくる芹奈の姿が見えた。


「……ごめん、引継ぎが長引いちゃって」


 ヒールを鳴らして小走りに駆け寄ってくる芹奈の姿は、ポニーテールを揺らしていた高校時代の彼女とは、シルエットや歩き方からして違う。自分ではわからないけれど、きっと僕も彼女から見ればそうなんだろう。


「目印のジンギスカン屋さん、閉店しちゃってたんだね」

「うん。店主が病気らしい」


 下りたシャッターに貼紙だけがしてあった。以前はいつも行列ができるほどの人気店だった。


「ごめんね、草司そうじ。いつも待たせちゃって」


 店内に入って適当に注文をすませると、芹奈はあらためて僕にそう謝った。そしてそのままいつも通りの軽い口調で職場の愚痴をこぼしはじめた。

 遅刻なんてべつに気にしちゃいない。看護師という仕事の大変さはいつも聞かされてよく知っている。

 芹奈は、高校のころつるんでたグループの中のひとりだった。卒業から半年ほどたってから、ここにあった店で仲間内で集まった帰り道で告白されて、正式に付き合うことになった。

 卒業したら彼氏ぐらいできると甘く考えていたら、看護学校では予想以上に出会いがなく、焦って手近な僕で妥協したというところなんだろう。それからもう五年近くになる。


 ここは彼女と僕にとって思い出の場所、のはずだった。それは彼女もわかっているはずだし、そこに誘った意図もたぶん気づいているだろう。にも関わらずそこに全く触れようとしないのは……まぁ、そういうことなんだろうね。


 お互い気心は知れていたし、友達の延長のような感覚で深刻な喧嘩もなく、最初の数年はうまくやっていたと思う。ところが去年あたりから何だか風向きが変わりはじめ、ここ最近の彼女の態度は特におかしくなっていた。

 いつもどこか上の空な感じで、ふとした拍子に黙り込む。話しかければ形ばかりの笑顔を向けてはくれるけど、以前なら何もなくても彼女のほうから笑いかけてくれていた。それがなくなったことを、芹奈自身もたぶん自覚していないんだろう。

 よくわからない名前の魚料理をつつきながら、僕は言ってみた。


「高校のころは、こんなふうに付き合うなんて思いもしなかったな」


 彼女のフォークが一瞬だけ止まり、それから返ってきたのは実に熱のない一言だった。


「……そうだね」


 僕が特別に嫌われるようなことをしたわけじゃないと思う。たぶん。

 僕より一年早く社会に出た芹奈とは、生活もどんどんズレてきていたし、環境が変われば気持ちだって変わるだろう。


 芹奈ももう24歳。表には出さないが自分の中ではしっかりと計画を固めてから行動する彼女の性格からすれば、そろそろ結婚を考えはじめていても不思議じゃない。小さなwebデザイン事務所に勤めて、地元の個人商店のホームページを制作したりしているだけの僕では、そのへん頼りにならないと判断されたのかもしれない。


 ――僕も、覚悟しなきゃな。

 そう決意して、僕はグラスをあおった。

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