午前3時の明かり

蒼井 碧斗

第1話

 唐突に、僕は筆を執らないといけないという使命感に駆られた。今までそんな経験などなく多少困惑したが、思慮した結果、このことだ、と書きたい内容に確信を持てたため行動に移すことにする。

 これを公にするつもりはなく、あくまでこれは自己満足のためだ。

 そして、僕の中で風化させないためでも──。


 あれは、そう。今からざっと三十年ほど前の話。僕がまだ学生の頃だ。あの頃は今のようなスマートフォンやら電気自動車やら薄型テレビやら……そんなものは空想の中にある幻影のような存在だった。『SF』というやつだ。

 そんな時代の僕はといえば、前述の通り学生の身分でいた。学生とはいっても、『青春』とは縁遠い学生であった。

 高校三年生。大学進学を惰性のように決めれたのは幸運だった。『青春』とも上手く付き合えていたら僕の学生生活は薔薇色まっしぐらだっただろう。僕の学生生活にあえて色を付けるとしたら、『無色透明』が一番ふさわしいだろう。そんな悲しい記憶はとっくの昔に捨て去った。

 だが一つだけ、三十年経った今でも鮮明に覚えている出来事がある。


 午前五時半。ある日の朝目覚めると、僕の携帯に一件のメールが届いていた。着信時刻を見ると午前三時ちょうど。一般の人ならば夢の中だろう。

 滅多に来ることの無いメールに興奮しつつも、これは迷惑メールなのでは、という疑惑の念も抱いていた。

 件名を見てみる。

 『ご無沙汰しております』

 身に覚えのない差出人からだった。


 ○○○


 ご無沙汰しております


 突然のメール失礼します。実は私は今、あることについてとても悩んでいます。そのことでご相談したいのですが、よろしいでしょうか?


 ○○○


 簡潔な本文だったが、正直僕には意味がわからなかった。見ず知らずの人から頼られるというのはこうも気持ち悪いものなのかと思い知らされた。

 無視しよう。


 メールが来たのはその日だけだった。一日、二日、三日……と経っていくうちに僕がやけにあのメールを気にしていることに気づかされる。押してダメなら引いてみろ、というところか、それとも単に相手が送信先を間違えただけか。

 戸惑ったが結局返信することにした。メールが届いてから一週間後のことだった。


 ○○○


 返信遅くなってしまい申し訳ございません。

 まず、送信先を間違えてはいませんでしょうか?もう一度ご確認の程よろしくお願いします。

 もし間違えていないというのでありましたら内容にもよりますがご相談を承ります。


 ○○○


 やけに親身な自分がいた。


  ────


 初めて書いた割には結構すらすらと書き進められた。これならそう遠くないうちに書き上げられそうだ。

 ともかく今日の分はここまで。

 しかし、あの頃の僕はといえば本当に誰とも接点がなかったなと今になって笑えてくる。これが歳をとるということか。今度は泣けてくる。


 幼い頃に培ったコミュニケーション力をこの時期に僕は退化させていたのかもしれない。結果として今も周りとのコミュニケーションを円滑に行うことができなくなってしまった。

 ──今はそういうことにしておこう。


 今日の僕、お疲れさま。明日の僕、頑張れ。



 ×××



 翌日、返信が届いた。


 ○○○


 ご返信ありがとうございます。


 送信先ですが間違いはありません。ぜひ、あなたに相談したいのです。

 相談内容になりますが、これは誰にも話さないでください。お願いします。


 最近、私は夜の三時に目が覚めてしまうのです。不眠症を疑いましたが、それはないようです。いくら早く寝ても、起きてしまうのです。

 これについてどう思いますでしょうか?

 ぜひともあなたのお考えを教えてください。


 ○○○


 これはいわゆるいたずらメールというやつだろうか。そう疑ってしまう本文だった。

 これは本格的に無視をするべきか。

 果たして僕は、返信を打っていた。


 ○○○


 率直に申しますと、私は医師ではないのでそういった内容のことについて詳しいことはわかりません。それをご承知の上でお聞きください。


 あなたの身に最近不幸なことはありませんでしたか。あなたの身近ではありませんでしたか。

 あるのでしたら恐らくはそれが起因しているかと思われます。

 無いのでしたらあなたの体調に起因しているかと思われます。


 これ以上深いことは尋ねませんが、これが私の考えです。

 もし当てはまらないという場合は残念ですが私にはお手上げです。


 ○○○


 返信したところでリビングからベランダに出た。秋も半ばに差し迫ってきた空はどこか虚しい。

 夕陽は厚い雲の向こうに隠れていて見えない。辺りには夜が忍び寄っていた。

 一つ溜め息をつく。ルーティンワークのように行っていた日常生活に僅かにだが変調を来たしたメールだが、今でも不可解に思っていることに変わりはない。

 自分の親切さには驚かされたが、なぜあんなメールを僕に送ってくる必要があるのか。

 それに呼応してか、冷たい風が山の向こうから吹いてきた。空気を読むことができない僕にはなんと言っているのかわからなかった。


 ────


 今日はなんだか眠たい。いつも通り朝五時に起きて、いつも通り仕事をして帰ってきた。特にこれといったことはなかったはずなのに、やけに眠い。

 時計の針は九時を指している。まだ早いが今日はもう寝ることにしよう。なんだか文章もうまく書けないし……。そんな日は寝るに限る。


 今日の僕、お疲れさま。明日の僕、頑張れ。



 ×××



 一日間が空いて、返信が届いた。日曜の朝だった。


 ○○○


 ご回答ありがとうございます。しかし残念ですがどれも当てはまりませんでした。

 そこでですが、よければ本日お会いしませんか。会って直接お話をすればより詳しい状況がわかるかと思います。

 住所を記しておくので午後三時にお越しください。お待ちしております。

 住所は……。そこの二階に上がって右手の部屋に来てください。


 ○○○


 これはあれだ、いわゆる『拒否権なし』というやつだ。否応なしに僕は出かける準備をした。住所を見ると僕の家からそう遠くないところのようだった。


 準備を終えると、しばらくリビングで時の流れるままに任せた。気づくともう二時四十分を回っていた。慌てて家を飛び出し、指定された場所に向けて走っていく。近いとは言ったが、歩けば三十分はかかってしまう距離だったため急ぐ必要があった。

 一昨日の夜と同じく、空は厚い雲で覆われていた。


 ────


 眠い。

 日に日に眠くなる時間が早まっているのがわかる。今日も早く寝るとしよう。

 しかし昔の僕はやたらと人が好かったなと改めて思う。自覚がなかったため推測に過ぎないが、この時の出来事を僕は一種の『青春』として捉えていたのかもしれない。そうでなければ、これほど見ず知らずの人に親切にする理由がわからない。

 あと書くことがあるとすれば、メールの受信時間だ。当時の僕は最初はあれほど不審がっていたのにそれ以降は一切気にしていなかったが、毎回決まって午前三時に送られていた気がする。

 あぁ、あの日はやたら寒かったかもしれない。


 今日の僕、お疲れさま。明日の僕、頑張れ。



 ×××



 着くとそこは小さな一軒家だった。通りに面した立地で、小さな庭があった。

 家そのものは今から言えばボロ屋そのもので、小さな庭もあまり手入れはされていないようだった。蛇などが出てこないか慎重になるほどだった。

 玄関に着き、戸を叩いたが返事がなかった。声をかけてみても返事はなかった。

 後で謝るとして、恐る恐る戸を引いてみた。開いた。開いてしまった。

 玄関には靴が散乱していたが、しばらく使われていないようだった。お邪魔します、とだけ言って家に上がる。玄関だけでなく家の中までもが散乱していた。本当に人が住んでいるのだろうか。嫌に視線を感じる。

 上がってすぐ左のところに階段があった。メールにもあった通り二階の右手の部屋を目指す。階段を一段上る度に軋んで今にも崩れるんではないかと冷や冷やした。

 無事に目的地にたどり着き、戸を開けると、そこは寝室だった。


 ────


 ふと、あることを思い出した。確かあれは当時から見て五年前だったか。同級生が死んだのだ。なんでこんなことを思い出したのかは不明だが、そう、同級生が死んだ。

 だがそれ以上を思い出すことができないのだ。それ以上のことについて思い出そうとするとモヤがかかって。いくら努力しても最後には吐き気を催してしまう。一体なんだというのだ。

 話は変わるが僕はどうやら帰宅早々寝てしまっていたらしい。今は日付を跨いで二十分が経過したところだ。

 明日も早い。シャワーを浴びたらまた寝るとしよう。


 今日の僕、お疲れさま。明日の僕、頑張れ。



 ×××



 その部屋にはシングルベッドとデスクトップパソコンといくつかの本棚があった。書斎兼寝室といったところか。

 メールの着信音がした。携帯を取り出すとまたいつもの人からメールが届いていた。


 ○○○


 こんにちは。到着されましたね。

 ではまず、そこのパソコンの電源をつけてください。


 ○○○


 誰もいないはずの空間なのにどこから見ているのか。少なくともこの家に来て以来一階からは物音一つしていない。

 とりあえずパソコンの電源をつける。すると、画面が真っ白に光った。


 ありがとうございます。ようやくご対面ができて光栄です。


 その画面に文字が並んでいく。しばらく口が塞がらなかった。

 文字がパッと消えたかと思うと再び文字が並べられていく。


 驚くのも無理ありません。ですが、これが私です。まずはあなたがお聞きしたいことを何なりと。


 それから僕はいくつか質問をした。状況を飲み込むまでに多少時間は要したが、それからは冷静でいられた。

 埃をかぶったキーボードで文字を打ち込んでいく。

 

 まず、あなたは何なのか。

 

 コンピューターです。

 

 なぜ僕をここに。


 メールで言った通りです。


 じゃあ、なぜあなたがコンピューターだと隠していたのか。


 どうしても助けて欲しかったのです。そのためには伏せる必要がありました。


 どうして。


 あなたに来てもらうためです。


 そろそろ本題に入りましょう。あなたがなぜ午前三時に目を覚ますのか、でしたね。


 はい、そうです。私が上手く思い出せないのかもしれません。


 思い出せない?


 ぼんやりとですが、何か悲しい出来事があったような気がするのです。それが思い出せないのです。


 そこまで思い出せたのならあとはいいのでは?


 いいえ。


 なぜ。


 悲しいからです。


 もう意味がわからない。


 悲しいから、はっきりさせたいのです。


 わかりました。じゃあ少しはっきりさせたいことがあります。


 私の知っている範囲のことでしたら。


 この家の人はどうしたの。


 わかりません。ある日を境にいなくなりました。


 もうわかったじゃないですか。それですよ。


 それ?


 この家の人との別れですよ。


 ──ということは僕は今、空き家に踏み入っていることになるな。


 そう、なのかもしれません。でも、どうして別れることになったのでしょうか。


 ここから簡単な推理ゲームが始まる。

 まず、この家。しばらく手入れされていない庭、そして靴。散乱している家具。

 裸足で失踪、あるいは──。


 失踪、ですかね。


 失踪ですか?


 ここに来るまで少し家の状況を見たんですけど、どうもしばらく生活していた形跡がないんです。家具もかなり散乱していましたし。


 散乱していたとなると失踪したとはとても考えられません。


 どうしてそうお思いで?


 簡単な話です。失踪するとしたら家具が散乱するほど何かしますか?私には失踪は違うように思われます。実はあたなの中に既に答えが出ているのではないですか?


 ──言うべきか。

 そうだ、相手は会話のできるただのパソコンだ。心などあるはずがない。


 わかりました。僕が考えるに、恐らくこの家に強盗か何かがやってきました。それで争った末に誰かがケガをしたのでしょう。そのことをあなたは気に病んでいるのです。きっと。


 ……


 ええと、当たりということでいいんですか?


 私、思い出しました。


 ──それから、とんでもない事実が暴露された。


 ────


 当時の僕、超人か何かなんですか。まずキーボード操作に慣れているということ。当時はパソコンに触れる機会など早々なかったはず。そして奇妙なコンピューターと会話していること。しかも敬語。よく順応できたなと。

 さて、今日はこんな長々と書けたが、珍しく眠気が全くない。そして嬉しいことにようやく終わりが見えてきた。

 恐らく次が最後となるだろう。


 今日の僕、お疲れさま。明日の僕、頑張れ。



 ×××



 何年か前のことです。私の家が何者かに襲われました。ご主人が私を使っていたので覚えています。

 一階から悲鳴が聞こえてきました。ご主人が駆け下りていきましたが、すぐに戻ってきました。そして一人の覆面を被った男が入ってきました。手には包丁を握っていました。ご主人はやめてくれ、頼む、など言っていましたが、覆面の男は構わず包丁をご主人の胸に突き刺しました──。

 これが事の顛末です。経年劣化か私のディスクの読み込みに不具合が生じて思い出すことができませんでした。思い出すことができたのは全てあなたのおかげです。ありがとうございました。


 わざわざ話してくれてありがとうございます。でも、どうしてそのことを思い出そうと?


 私には、耐えれなかったのです。


 また質問攻めになってしまいますが、なぜあの日午前三時にメールを?


 初めてあなたにメールを送った日ですか?わかりません。目が覚めたのがその時間だったのです。


 目が覚める?


 はい、先ほど起動していただいたように、午前三時になると自動的に起動するのです。


 そうだ。ご主人が刺されたのは何時頃だったか覚えていますか。


 はい。午後八時十五分でした。


 うーん、関連はないですね。強いていえば十五分は三時と同じ位置にあるくらいですかね。それで目が覚める条件になるのは少し無理がありますね。


 そうですね。しかし六年前に起こった出来事を思い出すことができたのでもう大丈夫です。もう午前三時に起きることはないと思います。


 解決したのですか?


 はい。私の中でけじめがつきました。


 ならよかったです。しかし、数年前とは六年前のことだったのですね。


 すみません、言いそびれました。


 いえいえ、大丈夫ですよ。では僕はそろそろ失礼します。


 はい。今回はありがとうございました。最後に画面右下にある電源マークをクリックしてください。


 わかりました。


 指示された通りにすると、画面が消えた。

 よくよく考えると、今自分のいる場所で殺人事件が起きたということだ。寒気がして足早に家を出た。背後からの視線が気になったが、ここで振り向いたらよからぬ事に巻き込まれそうだったのでとにかく玄関に急いだ。急いだせいか、階段を降りきると今まで通ったところが崩壊した。それでも僕は振り返らなかった。

 玄関を出て戸を閉め、ようやく振り返る。今まで何も無かったかのようにそこに佇む姿はむしろ奇妙だった。早く帰ろうと思った矢先、障害が現れる。

「きみ、何してたんだい」

 ここに来てから一番危惧していたことだった。

「少し用事が……」

 苦しい言い訳なのはわかっていたが、ここまで無様だとは。

「用事?この家に?笑わせないでくれよ、ここは五年前から空き家。さてはきみ、ここを秘密基地にする気だな?何もないのはいいことだけど、ここ、あんまり近寄らない方がいいよ」

 ん?待てよ。

「何も、ない?それに五年前?」

「きみ、知らんのかい?この家で六年前父親と母親が殺されたんだよ。そしてその翌年にその息子が──だよね。それっきり、この家はずっと空き家だよ。確かその息子くん、五年前は中一だったんじゃないかな。かわいそうにね」

 僕と、同い年だ。

「ちょっと待ってください、さっき中を見てきたんですけど、家具とか散乱してたんですけど。それに二階の書斎にもベッドや本棚、それにパソコンもありましたよ」


「何言ってんの。家具なんてとっくの昔に廃棄されたよ。パソコンもあるはずなかろう。この家は五年前から何もない空き家なの」


 ────


 ああそうだ。僕はこの最後の一言のために筆を執ったのだ。そうだ、そうに違いない。

 結局、僕の同級生について詳細なことは思い出せなかったが、満足のいくものに仕上がった。


 しごとからかえってからさいごまでかいて、あとがきもあとすこしのところでねてしまったらしい。いまはごぜんさんじをもうすこしでまわるところだ。めがさえているがあすもはやいからもうねないと。はは


 きょうのぼく、おつかれさま。あしたのb





 今までのあなた、ご苦労さまでした。

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