第六章:遠く愛おしい日々の記憶/01

 第六章:遠く愛おしい日々の記憶



 暫くした後、アンジェは戒斗の差すビニール傘の中に入りながら、彼に寄り添うようにして雨に濡れた昼下がりの道を二人で歩いていた。

 嵩張る荷物の類は、立体駐車場に停めてあったZに放り込んでからショッピングモールの外に出ている。だから今の二人は傘とハンドバッグ以外、何も持っていない手ぶらの状態だった。尤も、その傘も戒斗が差す一本きりなのだが。

 実は戒斗、普段からZのラゲッジスペースにビニール傘を二本常備してあったりする。

 勿論、片方はアンジェ用だ。実を言うと最初はそれを二本とも使うつもりだったのだが……しかしアンジェは戒斗と一緒に歩きたいと言って、結局こうして朝のように二人で一本の傘の中に入って歩くことになっていた。まあ、いわゆる相合い傘という奴だ。

「なんだか雨の日って、空気が気持ちいいよね」

「分からんでもない」

 そうして二人で一本の傘の中に入りつつ、身を寄せ合うようにして歩きながら……戒斗とアンジェは小さな雨音を聴きながら、そんな他愛のない会話を交わす。

「落ち着くな……やっぱり雨の日は好きだよ、僕は」

「そうか……」

 街を、傘を叩く細い雨音。頭上を覆う曇天の下、聞こえる音はそれだけで。後は互いの声しか聞こえない。

 ――――静寂。

 雨の降りしきる街は、ただただ静かだった。

 そんな街の中を、二人で一本の傘に入り、寄り添いながら歩く。

「ねえカイト、ちょっとあの公園に寄っていかない?」

 そうして歩いていると、アンジェはある公園の方を指差しながら、すぐ傍の戒斗にそんな提案をしてみる。

 住宅街の真ん中にポツンとある、少し広めの公園だ。晴れた日には遊びに来た子供たちで賑わいそうな、そんな公園。アンジェはそこに寄ろうと提案したのだ。

「ふぅーっ……落ち着くね、こういう場所って」

 提案した彼女に連れられるがまま、戒斗はアンジェと一緒にその公園の中に入り。そこにあるベンチ……ついこの間に遥を説得した、家の近所にある公園にあったのと同じような感じの、上に屋根が付いた格好のベンチ。いわゆる東屋あずまやになっているそこに、アンジェと二人で腰掛けて小休止。

 そうして二人で横並びになってベンチに腰掛けながら……少しの間、戒斗もアンジェも何も話さぬまま、ただ景色を眺めてぼうっとしていた。

 こんな雨だからか、公園の中にヒトの気配は全く無い。普段なら子供たちの楽しそうな声でで賑わうだろうこの公園も……今は、ただただ静寂のみが支配していた。

「…………まるで、世界に僕ら二人だけみたいだね」

 自分たち以外に誰も居ない、静かな公園の様子を眺めながら、アンジェがクスッと微笑む。

 そんな風に微笑む彼女の顔を、戒斗は何気なくチラリと横目に見てみる。

 すると、右肩と髪を少しだけ雨に濡らした彼女の横顔は……普段の何割増しも綺麗な横顔で。そんなアンジェを目の当たりにすると、戒斗は思わずドキリとしてしまう。

 ギリギリのところでポーカー・フェイスを貫いていたから、なんとか顔に出さずには済んだが。それでも雨に濡れたアンジェの横顔を目の当たりにしてしまえば、戒斗は心臓の高鳴りを覚えずにはいられなかった。

 それぐらいに、今のアンジェは綺麗だった。静かな雨と彼女は……びっくりするぐらいに、よく似合っていた。

「…………」

(もう少しだけ……いいよね)

 そんな風に戒斗が澄まし顔の下で胸を高鳴らせているとは知らぬまま、アンジェは少しだけ勇気を出して。さりげない調子で、もう少しだけ隣に座る彼の傍へと身体を近づける。

 身体と身体が、お互いの太腿同士が。彼の右肩と自分の左肩が密着するぐらいの至近距離で、アンジェは戒斗にくっつく。知らぬ間に高鳴っていた互いの鼓動が自然と伝わってきそうな、そんな零距離で。寄り添ったアンジェと寄り添われた戒斗、二人は少しの間……何も言葉を発さず、無言のままだった。

「……カイトは、あの時のこと覚えてる?」

 そうしてお互いにくっついたまま、十分ぐらいは無言のままだっただろうか。

 アンジェはふとした折に、ボソリと何気なく隣の彼にそう囁きかけていた。

「あの時……?」

 首を傾げる戒斗に、アンジェは「うん」と静かに頷き返す。

「まだ僕が幼稚園の頃、僕が男の子たちに虐められていた時に……君が、カイトが僕を守ってくれた時のこと」

「……ああ、そんなこともあったっけか」

 言われてみれば、そんなこともあった気がする。

 少しだけ俯き気味に、遠い目をして……優しい横顔で呟いたアンジェの言葉を耳にして、戒斗も思い出していた。ずっと昔、まだ二人が小さかった頃の思い出を――――。

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