第五章:もしも、誰かの笑顔を守れるのなら/02
「くっ……!」
目の前に突然現れた異形、蜘蛛の形をした土色の怪人。
それを目の当たりにして恐怖するアンジェと戒斗を庇うように自分の背中へと回しながら、遥は独り歯噛みをしていた。
既に、遥たちの回りからヒトは居なくなっていた。居るとするのなら、今まさに蜘蛛の糸で首を絞められた状態でスパイダーに抱えられている、大学生らしき茶髪の青年だけ。その彼も、たった今背後から腹を貫手で貫かれ、生者から死者へと変貌を遂げていた。
「冗談だろ……!?」
「ひっ……!?」
――――目の前で、人間が殺された。
そんなショッキングなシーンを目の当たりにして、そしてそれを行ったのが異形の怪物であると同時に気が付けば、戒斗は冷や汗を流しながら言葉を失い。そして隣のアンジェはというと……声にならない声を上げながら、思わずその場に膝を折ってしまっていた。
「アンジェ、起きろ!」
「で、でも……腰が抜けちゃって……!!」
「なら俺に掴まれ! アンジェだけでも、どうにか逃がす! だから……!!」
足の力が抜けてしまい、膝を折ったアンジェを必死に引き起こしながら、戒斗は彼女を引きずって逃げようとする。
「早く、お二人とも!!」
それに続き、遥もどうにか二人を逃がそうと背中を押すのだが。しかし…………。
「シュルルル……」
今まさに貫手で殺した青年の死体を放り捨て、スパイダーは不敵に笑み。不気味な唸り声を上げながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。戒斗たちに狙いを定め、まるで舌舐めずりでもしているかのような、そんな悠々とした足取りで。
――――――絶望。
今まさに戒斗とアンジェが感じているのは、そんな感情だった。
「逃げてっ! 二人とも、早くっ!!」
迫り来るスパイダー・バンディットの前に立ち塞がりながら、遥は背後の二人に叫んだ。
二人には絶対に知られたくない。二人の前では変身できない。でも、このままじゃ――――。
そんな葛藤を胸に抱きながら、間宮遥は必死に叫んでいた。
「分かってる! 分かってるけど……でも、遥!!」
「私のことはいいです! だから、お二人は早く……!!」
「そんなこと言ったって! 第一、遥を見捨てて逃げられるかよ!?」
「いいから、早くっ!!」
アンジェの肩を担いで、彼女を引きずりながら必死に逃げようとする戒斗と、そして彼に引っ張られるアンジェ。
振り返った遥はそんな二人の姿を、その背中を目の当たりにして……どうやっても二人が逃げるのは間に合わないと悟ってしまう。
「しまっ――――!?」
そうして必死にアンジェを引っ張っていた戒斗だったが、しかしふとした拍子に
転びながら、一緒に転倒したアンジェを抱き留める形で、どうにか彼女を庇ったはいいが……こうなってしまっては、もう逃げられないと戒斗も察していた。
――――いいや、そのずっと前から逃げられないと分かっていたのだ。
分かっていても……それでも、抗うしかなかった。無抵抗のまま死を受け入れることなんて、戒斗には出来なかったのだ。せめて、アンジェだけでも逃がしてやりたかったから…………。
「畜生……ッ!!」
でも、それももう叶わない。
それを悟ってしまうと、もう戒斗にはただ呟くことしか出来なかった。悔しさを滲ませた言葉を、虚空に吐き捨てることしか出来なかった。
「っ…………!!」
そんな二人を、転倒した二人を目の当たりにして、もう絶対に逃げられないと遥は感じた。
(でも、それでも私は……!!)
…………だが、尚も遥は躊躇する。
「私は――――っ!?」
しかし、そうして躊躇した瞬間――――彼女の脳裏に、あの時の光景が過ぎっていた。
『…………お父さんが、死んじゃったんです』
『怪物に、殺されたんです。少し前に、倉庫街で働いていた時に』
『お姉さんは、どうして私みたいなのに声を掛けてくれたんですか?』
『…………お父さんが死んじゃったのは悲しいです。悲しすぎて、今にもどうにかなっちゃいそうなんです』
『私は、お父さんが大好きでした。お父さんが必死で働いている姿は格好良くて、家でだらけてる姿は……ちょっと情けなくも見えましたけれど。でもそんなお父さんが傍にいてくれることが、私は凄く幸せでした。沢山の幸せをくれるお父さんが、たった一人の素敵なお父さんが……私は、大好きだったんです』
『お父さんが死んじゃって、悲しい。悲しいけれど……でも、私は前に進まなきゃいけないんですよね』
『分かってる、分かってるけれど……でも、悲しくて仕方ないんです。悲しすぎて、足に力が入らなくて。私はもう……立ち上がれないんです』
間宮遥の脳裏に過ぎったのは、あの時、あの堤防沿いで出逢った女の子のことだった。
大好きだった父親を、ある日突然奪われた女の子。あの時の彼女が浮かべていた、どうしようもないほどに悲しそうな表情が。俯いて涙を流す、そんな彼女の横顔が……電撃のように彼女の脳裏を過ぎっていった。
――――――もうこれ以上、あんな悲しい顔は見たくない。
もう二度と、誰かにあんな悲しい思いをさせたくない。空っぽの自分が手に入れた、大切なものを……何よりも大切なヒトたちを、奪われたくない。
「……こんなの、簡単なことだったはずなのに」
そう思うと、遥は覚悟を決め。尻餅を突いて自分と、そして異形の怪人を見上げる戒斗とアンジェの二人に背を向け、舌舐めずりをして迫り来るスパイダー・バンディットに相対する。
「逃げて! 遥さんだけでも、逃げてぇっ!!」
アイオライトのように綺麗な蒼の瞳から微かに涙を流しつつ、アンジェが涙声で必死に叫ぶ。
「奴は俺が引き付ける! だから……遥! アンジェを連れて逃げてくれ!!」
傷付いた身体で起き上がろうとしながら、戒斗がせめてアンジェだけでも一緒に連れて行ってくれと激しく叫ぶ。
「いえ、奴の相手は私がします」
だが遥はそんな二人の前に立ち、背中を向けながら……迫り来るスパイダーの前に立ち塞がった。
「……!? 何をする気だ、遥ぁっ!!」
戒斗が叫ぶと、すると遥は二人の方に小さく振り返り、ニコリと柔に微笑みかける。
「…………お二人を守れるのなら。誰かの笑顔を、戒斗さんやアンジェさんの笑顔を守れるのなら……私は、戦います」
「遥さんっ!?」
「何を、何を馬鹿なことを……!!」
「だから、お二人は見ていてください。私の戦いを、私の本当の姿を――――」
叫ぶ二人に微笑みかけて、迫り来る異形を正面からじっと見据えて。そして、遥は右手をそっと胸の前に構えた。
「――――」
そうすれば、彼女の右手が目が眩むほどに激しく輝き出し。彼女の右手に、蒼と白のガントレットが出現する。
――――セイレーン・ブレス。
それは、選ばれた神姫である証。人々の自由と平和を脅かす異形の敵、バンディットを討ち滅ぼす為に目覚めた、大いなる力の証明。
「この光は……一体!?」
「遥さん……!?」
遥の右手から発せられる眩い輝きを目の当たりにして、戒斗とアンジェが眼を見開いて驚き、そして戸惑う。
「はぁ……っ」
輝く右手、ブレスの手の甲にある大きな丸い石……エナジーコアの輝きに身を委ね、その低い唸り声に耳を澄ませ。深呼吸とともに、遥はゆっくりと構えを取る。
両腕を左右斜めに広げ、そうした両の腕を時計回りに、ゆっくりと……精神統一をするかのように半周回し、じっと気を練る。
「――――チェンジ・セイレーン!!」
鼓動のように高鳴る、エナジーコアの唸り声。
そうすれば遥は叫び、握った左手は腰に下げ、そして右手は斜め前方に突き出して構えた。まるで、その右手にあるセイレーン・ブレスを見せつけるかのように。
瞬間――――高くなるエナジーコアの唸り声とともに、遥の身体が眩い光に包まれて。かと思えば、次の瞬間には――――間宮遥の姿はもう、神々しい蒼の戦士へと変わり果てていた。
(第五章『もしも、誰かの笑顔を守れるのなら』了)
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