第三章:Long Long Ago, Dear my Memories/02

「邪魔するよ」

 店の駐車場に古いコルベットが停まって少し経った後、外側から開かれた店のドアがカランコロン、と来客を告げるベルの音を鳴らし。そんな聞き慣れた音色とともに、白衣の裾を翻しながら店の中へと入ってきたのは……やはり篠宮有紀だった。

「いらっしゃいませ、有紀さん」

「やあ遥ちゃん。今日も君は綺麗だね」

「ふふっ、いやですよお世辞なんて」

「お世辞なんかじゃないさ。私からの素直な賛辞だよ」

「……まーたアンタか。毎日毎日、よく飽きないなホントに」

「戒斗くん、サボり魔という意味では君も私も大差ない。違うかね?」

「いんや、違わねえさ。全くアンタには敵わねえ」

「ふっ……戒斗くんも元気そうで何よりだ。早速で悪いんだけれど、珈琲といつものセットを頼むよ」

「りょーかい。珈琲は砂糖もミルクもなし。そんでもってサンドイッチが三つ、全部カツサンドな」

「ああ、頼むよ」

 笑顔で出迎える遥にはフッと笑んで返し、皮肉を言う戒斗にはニヒルな笑みとともに皮肉を返し。そうしながら有紀はがらんとした、昼飯時のラッシュを過ぎて客入りも落ち着いた『ノワール・エンフォーサー』の店内を歩いて、いつも座っているカウンター席に着く。

 カウンターの右端から二番目の場所は、半ば有紀の指定席のような場所だ。時間帯によってはたまに先客が居たりして、別の席に座る場合もあるが……大抵の場合、有紀はこの位置に座り。そしていつも決まったメニューを注文する。

 その決まったメニューというのが、今まさに戒斗が復唱した奴だ。

 珈琲にサンドイッチのセット。ブラック派の有紀だから、珈琲には最初から砂糖もミルクも付けず。そしてサンドイッチの方はカツサンドが三つ。別にセットメニューとして提供しているワケではないのだが、いつも有紀はこれをセットでと言って注文していた。

「ほいよ、サンドイッチお待ち」

「ふふ、待っていたよ……この店のカツサンドは美味しいからね。昼時にはこれを食べないと落ち着かないのさ」

「そりゃどうも」

 手早く仕上げたカツサンド三つの載った皿を出してやれば、有紀はフッと嬉しそうに笑み。そんな彼女の言葉に、戒斗はいつものようにぶっきらぼうな調子で返す。

「……有紀さん、もしかして今日は徹夜されたんですか?」

 そうして有紀が珈琲片手にカツサンドに手を着け始めた直後、さっきから彼女の顔を覗き込んでいた遥がボソリ、と有紀にそう言う。

 すると、有紀はカツサンドを咥えた格好のまま振り返り、うむと遥に頷き肯定する。

「最近はちょっと色々立て込んでいてね。生憎と睡眠時間をあまり取れていないんだ」

 頷いた後で、有紀は分厚いカツサンドを三分の一ぐらいの位置で噛み切り。それを咀嚼し終えた後で、珈琲で一服してから徹夜の理由をサラッと説明した。

「おいおい、睡眠不足で運転かよ。危ないからやめとけよな?」

「尤もな意見だ。とはいえ……別に寝ていないワケじゃない。単に寝不足というだけだよ戒斗くん」

「っつってもなあ、危ねえことには変わりねえって」

「問題ない。私は二、三日ぐらいは寝なくても平気な体質でね」

「なんつー体質してんだよ。全く羨ましい限りだ……」

「……戒斗さん、本当によく眠られますもんね」

 カツサンドを頬張りながら言う有紀の言葉に、やれやれと肩を竦める戒斗。そんな彼の方を向きながら、遥が苦笑い気味にそう言う。

 そうすれば、戒斗は「仕方ないだろ?」と、今度は遥の方に肩を竦めてみせた。些か大袈裟すぎるぐらいな仕草で、だ。

「俺は昔から、ヒトの何倍も眠らなきゃならない体質なんだ。昔なんか学校行っても、殆ど居眠りして過ごしてたからな。それぐらいロングスリーパーなんだよ、俺は」

「ええと……その、単に朝に弱いだけでは?」

「…………真理を突いてくれるなよ、遥」

 苦笑いをする遥に文字通り真理を突かれ、戒斗がガックリと肩を落とす。

 そんな彼を見て、有紀は「はっはっは」とおかしそうに乾いた笑いを上げていた。

「ったく……ところで先生、最近はアイツ・・・の調子、どうなんだ?」

「どうって訊かれてもね。どう答えて良いか分からない程度には快調だよ」

 肩を揺らした後、チラリと窓の外を……駐車場に停められた有紀のコルベットを見ながらの戒斗に話を振られ、有紀は珈琲を啜りながらそう返す。

「強いて言うならば……この間、ちょっと足回りをバラしたぐらいかな。といって、単にベアリングの交換ってだけだけれども」

「その程度で済むなら御の字じゃねーか。年式が年式だ、いつワケの分かんねえトラブルに見舞われるか分かんねえもんな」

「それは日々のメンテナンス次第だよ、戒斗くん。ちゃんとレストアした個体を、日々丁寧にメンテナンスしてやれば……車はちゃんと応えてくれるものだ」

 尤も、元が駄目ならば幾らメンテをしたところでどうしようもないがね――――。

 ズズッと珈琲を啜りながら、有紀は皮肉っぽくそう言い。近くにあった灰皿を手繰り寄せると、白衣の懐から取り出したアメリカン・スピリットの煙草を口に咥え、愛用のジッポーでシュッと火を付ける。

「君のZだってそうだろう? 何だかんだと随分手を入れているじゃあないか」

「まあ、な。アンタのコルベットにゃ勝てねえが、それでも何だかんだと結構なご老体だ。純正部品もメーカー在庫がなくなり始めてきてるし、色々大変っちゃ大変だよ」

「でも、Z33はまだ恵まれている方じゃあないか。細々としたパーツはさておき……流石にチューニングベースとして流行っただけあって、大抵のパーツには社外品があって困らない」

「そうかもな」

 咥え煙草をしながらフッと笑む有紀に、戒斗もまた肩を揺らしながら小さな笑みを返す。

 ――――お察しの通り、戦部戒斗は重度のカーマニアだ。

 あんな化け物じみたチューンドカーで毎日アンジェを送り迎えしている辺り、分かりきった話ではある。ちなみに以前述べた通り、同時に映画マニアでもあり……今となってはアンジェの方がディープになってしまっているが、一応は特撮ファンでもあった。

 ――――そして、それは目の前で煙草を吹かす有紀も同様なのだ。

 彼女も戒斗と同じく、カーマニアで映画マニア。そして重度の特撮マニアでもある。

 だから、こうして戒斗と車の話題を対等に話しているというワケだ。カーマニア的な部分で有紀と戒斗は話が合うからか、彼女が店に来て、そして戒斗が店を手伝っている時には大抵、暇を見てはこうした話題に花を咲かせている。

 ちなみに、大の特撮マニアなアンジェとも話が合うようで。彼女が居るときは、アンジェと二人でよく楽しそうに話しているのを見かける。尤も、話題の方は戒斗ですら半分付いて行けないレベルの超絶ディープな特撮トークなのだが。

「たっだいまー♪」

 そうして戒斗が有紀と言葉を交わすこと数十分。ふとした折に店のドアが外から開かれたかと思えば、カランコロンという来客ベルの音色に混じって……開いた扉の向こうから、ご機嫌そうなアンジェの声が聞こえてきた。

「おう、おかえりアンジェ」

 制服姿のアンジェが店に入ってきたのを見て、戒斗は彼女を笑顔で出迎える。

 ――――実を言うと、今日の帰りは学園まで迎えに来なくていい、と前もって彼女に言われていたのだ。

 朝はいつも通りに送っていったものの、アンジェがこんなことを言い出すなんて珍しいなんてものじゃない。だから戒斗は今朝から不思議に思っていたのだが……しかしアンジェが一緒に店に連れて来た女の子を見て、戒斗は彼女の意図を全て察していた。

「ただいまって……ああ、そういうこと」

 アンジェに連れられて一緒に入ってきたのは、他でもないセラフィナ・マックスウェル――――セラだった。

 あの高身長に目立つ容姿だから、入ってきた瞬間に一発で分かった。

 二人ともブレザー制服姿な辺り、彼女と一緒に帰って、その流れでセラをこの店に連れて来たかった……というのが、アンジェが迎えに来なくていいと言った理由なのだろう。

 何せ戒斗のZは二シーター、つまり二人乗りの車なのだ。セラを一緒に乗せて連れて来ようにも、座席の数が足りなくて物理的に不可能。だからアンジェは敢えて戒斗が迎えに来るのを断り、こうしてセラを引き連れて帰ってきたというワケだ。

「えへへー、こっちだよセラっ!」

「分かったから、そう引っ張らないの」

「……おや、セラじゃないか。これは奇遇だね」

「…………げっ!? ちょっ、なんで有紀が此処に居んのよ!?」

「なんでって、私がこの店の常連だからに他ならないのだが」

 笑顔のアンジェに引っ張られて店に入ってきたセラだったが、しかし振り返った有紀にニヤリとした顔で話しかけられると、彼女の顔を見た途端にセラはゲッと嫌そうに顔をしかめる。

 そんな彼女にフッと皮肉っぽく笑む有紀に、戒斗は「セラと知り合いなのか?」と何気なしに問うてみた。

「ああ、前にちょっとね」

 しかし、有紀の答えはといえばそんな、はぐらかすようなもので。戒斗はどういうことだと更に深くまで訊こうとしたのだが――――。

「ええと、アンジェさん? この方は……アンジェさんのお友達ですか?」

 そうした矢先、遥がアンジェに困った顔でそう問うていた。

「えーっとね、ちょっと前に僕のクラスへ転入してきたんだ。お友達って部分は正しいけどねー」

「……セラフィナ・マックスウェル、セラでいいわ。アンタのことはアンジェからある程度は聞いてる。……記憶喪失、大変みたいね」

「セラさん、ですか。ふふっ……ありがとうございます。私は間宮遥、遥で構いませんよ?」

「じゃあ、遥?」

「はい、なんでしょう」

「早速で悪いんだけれど、珈琲頂けるかしら? この店の珈琲、特にアンタが淹れるのは美味しいってアンジェから聞いてるから」

「畏まりました。すぐにお作りしますね」

 ぺこりと軽くお辞儀をして、カウンターの裏側で珈琲を淹れ始める遥。

 そんな遥を眺めながら、セラは「立ち話もなんだ、君も座りなよ」と有紀に言われると、やれやれと肩を揺らしながら彼女の隣に……アンジェと一緒になって腰掛けた。

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