第一章:平穏で幸せに満ち溢れた日々の中で/03

「カイト、着替え終わった?」

「見ての通りだ」

「忘れ物は?」

「あると思うか?」

「ありそうだから訊いてるんだよー。車の鍵は持ったの?」

「……すまん、忘れた」

「ほらね? 君はおっちょこちょいなんだから」

「悪かったよ……ちょっと取ってくる」

 自虐っぽく肩を竦めつつ、アンジェを廊下に待たせたまま戒斗は目の前の扉、自宅二階の自室の扉をもう一度開け、再び自分の部屋に戻っていく。

 部屋の窓際にあるデスク、その上に置いてあった車のキー……遠隔施錠のキーレスエントリー用のリモコンが内蔵された、日産のエンブレムが刻まれた少し古いキーをデスクの上から引ったくり、戒斗は履いていたジーンズのポケットにそれを収める。

「忘れ物は……これ以上あったら困るな」

 そうして無事に忘れ物のキーを確保した後で、戒斗は部屋の壁に立て掛けてあった縦長の鏡、要は姿見すがたみの鏡に映る自分の姿をチラリと横目に見つつ、何処か皮肉っぽい調子でひとりごちる。

 …………あの後朝食を終え、着替えた今の戒斗は既に外出の為の身支度を終えていた。

 今の格好は襟を開けた黒のカッターシャツ、その上から黒いカジュアルスーツジャケットを羽織り、下は履き古しのジーンズといった感じの組み合わせだ。戒斗は大抵、この組み合わせで外を出歩く。トレードマークではないが、着慣れた組み合わせの格好だ。左手首には細身なステンレス製の腕時計を巻いている。

「カイト、もう良いかな?」

 そうして姿見をチラリと眺めていると、ガチャリと扉を開けたアンジェが廊下側から呼び掛けてくる。

「流石にな。んじゃあそろそろ行くか」

 呼び掛けられた戒斗は姿見から外した視線をアンジェに向けつつ、そう言葉を返した。

「だねー。遅刻しちゃうのも嫌だし」

「分かったよ……出来るだけ急ぐ」

「あはは、そこまで急ぎすぎなくてもいいよ? 何事も、急ぎすぎたって仕方ないしさ」

 微笑む彼女と合流し、制服姿のアンジェと二人で階段を降り。そうして一階の玄関で戒斗は履き慣れたスニーカーを、アンジェの方は学園指定のローファー靴を履き、その後でアンジェが傍らに置いてあった重そうなスクールバッグを左肩に担ぐ。

「お二人とも、行ってらっしゃい。道中お気を付けて」

 そうして二人が靴を履き終えた頃、玄関の方まで歩いてきた遥がわざわざ見送ってくれる。

「おう、遥も後のことは頼んだぜ」

「ありがとっ。それじゃあ遥さん、行ってきまーすっ」

「はい、行ってらっしゃい」

 振り返った二人がそれぞれ挨拶を返し、そうすれば玄関扉を開けて二人が外界に歩み出す。

 そんな戒斗とアンジェ、二人の背中を……玄関に立つ遥が、柔らかな微笑みとともに見送っていた。

「それじゃあカイト、今日もよろしくね?」

「へいへい、分かってるよ」

 遥の優しげな視線に見送られながら、二人が家の外へと踏み出していく。

 そうして向かう先は――――ただひとつ。この戦部家に隣接した、少し大きなガレージだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る