それでもあなたの道を行け

エイドリアン モンク

それでもあなたの道を行け

 よく悪夢を見る。暗闇の中に沈んでいく夢だ。俺は、そこから抜け出そうともがく。すると、一筋の光が差し込んでくる。その光をつかもうと、夢の中の俺は必死で手を伸ばす。でも、その光は手が届く寸前で消える。そしてまた、俺は底なしの暗闇に沈んでいく。

 お前は一生そこから抜け出せない―闇が囁く。

 いやだ。

飛び起きた。窓の外はまだ暗い。この夢で、今まで何度起こされたことか……。でも、それも今日で終わる。ベッドの横に置かれた大きなリュックを見た。

 着替えを済ませ、念のためリュックの中身を確認した。両親の写真を入れるのを忘れていた。写真立てから写真を取り出して、リュックの小さなポケットに入れた。二人だけが、俺の事を分かってくれていた。

 

 俺の生まれた国は、周りを高い崖に囲まれている。人々は崖を登って他の国と行き来することもなく、この国なかで一生を終える。いや、そもそもこの国の他に別の国があると思っていない。この場所だけが、世界で唯一人間の住む場所だと信じている。

 小さい頃、地理の授業のときの話だ。黒板の横には、地図が掛けられていた。地図にはこの国と、その周りの崖がわずかに描かれているだけだ。先生の机に置かれた地球儀は、この国のある場所以外は、茶色で塗られていた。授業で先生は、教科書で書かれている通り、この国だけが唯一人間の住む場所だと説明した。

「先生」

俺は手を上げて質問した。

「本当に、この世界にはこの国しかないんですか」

「そうですよ」

先生は答えた。

「先生は、自分で確かめたんですか?」

「いいえ」

「じゃあなんでわかるんですか?」

「昔の人が、調べたんです」

「ふーん……」

 いま思うと、生意気な子どもだったと思う。先生はちょっと困った顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。

「確かに、何事にも疑問を持つことは大切ですね。でも、一足す一の答えをいくら考えても、三になることは無いでしょう?そうやって分かり切ったものの答えを考え続けるより、新しいことを学ぶことも大切ですよ」

先生はそう言うと次の話に移ってしまった。クラスメイトたちはうんざりした顔で俺を見ていた。

 俺のモヤモヤは膨らむばかりだった。いつか、自分の目で確かめてみたい。決意、なんて大げさなものじゃないけど、その時、何かが俺のなかで芽生えていた。

そして、それをすぐに実行に移した。家に帰ると、使っていないノートを開き、崖を登る計画を立てた。必要な道具、崖を登る体力をつけるためのトレーニング、思いつくことを次々とノートに書いた。

 そんな俺を、両親は笑わなかった。それどころか、俺が計画の話をすると、真剣に聞いてくれた。

「お前なら、いつかできるかもしれないな」

父親は言った。

 それから一年ぐらいたった。今度は国語の授業で、将来の夢を作文に書いて発表する時間があった。俺は、崖を登って違う世界を見つけることが夢だと発表した。そのための計画も話した。いたって真剣だった。でも、クラスメイトは大笑いした。

「人の夢を馬鹿にするものじゃない」

 先生はその場でみんなを叱った。でも、その後で俺を職員室に呼んで、「もうじき高学年になるんだから。くだらない夢の話しじゃなくて、もっと現実的なことを書きなさい」と注意して新しい原稿用紙を俺に渡した。大人からみれば、俺の夢は魔法使いになりないと言っているのと同じレベルの話なのだ。

 それから殴り書きで、心にもない言葉を並べて技術者になるのが夢だと作文を書いた。悔しかった。でも、幼い俺には言い返す言葉が思いつかなかった。

 居残りを終えて家に帰ると、あのノートを机の引き出しの奥に入れて忘れることにした。忘れようと努力しているうちに、いつの間にかその夢を本当に忘れていた。

 

 リュックを背負った。家の中をもう一度見回す。家具は全部売り払った。この家も、売りに出される予定だ。

「お世話になりました」

そう呟いてドアを閉めた。空を見上げると、東の空が明るくなってきた。もうじき夜明けだ。

 人影のない通りを歩き、少し道をそれるとすぐ崖にぶつかる。俺はリュックから道具を取り出すと、崖を登り始めた。崖はしっかりしていて、杭を打ち込んでも崩れることはない。

 真ん中あたりまで登ったところで、崖がくぼんでいて休める場所がある。登っている間は怖くて下を見なかったが、くぼんでいる場所から景色を見た。

 ここから全てが一望できるほど、この国は小さい。国の中心部には広場があり、その横に俺の通った学校がある。学校から南に少し行ったところに、俺の家がある。大きい家とは思っていなかったけど、改めてその小ささを思い知らされる。

家から少し西に行ったところ、高い煙突のある建物が俺の務めていた工場だ。今日も休まず機械が動き、煙突からは白い煙が立ち昇っている。

 高校を卒業した俺は、実家の近所にある工場で働き始めた。両親は俺が就職するとすぐに病気で相次いで亡くなった。

「人の一生なんてあっという間だ」

病床で父が言った。

「お前は正直に生きろよ」

それが最期の言葉だった。悪夢をみるようになったのは、それからだった。

 毎日同じ時間に工場に行き、同じ作業をして、同じ時間に終わって誰もいない家に帰る。

 同じことをずっと続けることの方が難しい。それができる人を尊敬する。真面目に働き、家庭を持って穏やかな老後を迎える。

 でも、それが耐えがたい苦痛になった。胸の奥がうずき、激しい後悔に襲われる。ここから抜け出したいと叫んでいる。机の奥の引き出しから、崖を登る計画を書いたノートを見つけたのはそんなときだった。


 下から見上げた時と大違いで、崖はかなり高い。いい加減、腕が疲れてきた。

工場を辞める時、工場長には正直に全てを話した。

「考え直す気はないか?」

工場長は俺を引き留めた。

「君は優秀な作業員だし、頑張れば、将来は工場の役員になるチャンスだってあるんだぞ。それに……君のやろうとしていることは正気の沙汰とは思えない」

「でも、どうしてもやりたいんです」

しばらく、工場長とのやり取りが続いたが、最終的には工場長が折れた。

 

 汗が目に入ってしみた。頂上はもう少しだ。誰に何と言われても構わない。俺は、自分の夢を実現させる。

 崖の頂上に手が届いた。体を持ち上げて、崖の上に登った。そこは、赤茶色の地面が果てしなく広がっていた。街が見えないどころか、地面には足跡や車の跡も一つもない。

 なにもない不毛の地だ……。いや、違う。これから先、知らないものに出会えるチャンスが無数に広がっている世界だ。誰も歩かないのなら、俺が道になる。俺の生まれた国がどんどん遠ざかっていく。

「やってやる」

俺は歩き出した。

 

 何日歩いただろうか、あれからずっと歩いていた。持ってきた食料や水も、尽きかけている。足取りが重い。こういう時には、嫌な事ばかりを思い出す。

 正気の沙汰とは思えない―工場長の声だ。

その通りだったのかもしれない。まだまだ続く赤茶色の地面を見て思った。豊かではないけど、困ることもなく生活していたのに、それをすべて捨てて子どもの頃の夢を叶えようとしている。

 いっそうのこと戻ろうか?いや、それにしては進みすぎた。

 その時だった。はるか先にかすかに建物が見えた。蜃気楼か?違う、確かに建物だ。足取りが軽くなる。いつの間にか走っていた。

 建物がはっきり見えた。丘の向こう側に、街が見えた。それは、俺の国とは比べものにならないような大きな大きな街だった。小さなポケットから、両親の写真を取り出した。

「俺……間違ってなかったよ」

写真に街を見せた。振り返ると、俺の歩いてきた道のりに、足跡がはっきりと残っていた。

 誰も歩かないなら俺が道になる。

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