萌黄、珊瑚、縹色
浅葱いろ
鶴
ここで足を止めるのは、かれこれ三度目のことだ。
一度目は鍵をなくした時。
二度目はふと足が止まって。
そして今回は、意識的に留まりたくなって。
こじんまりとした一軒家だった。秋に染められた庭木が美しい。赤い紅葉が似合う家。真っさらな日本家屋ではなかった。古き良き日本の風情を残しながらも、どことなく西洋の情緒も漂う。和と洋が上手く調和している家だ。
門扉から、私はその家の庭を眺めていた。色付いた草木がたくさんに茂る。秋の草花、紅葉、柿、南天、露草、竜胆、秋桜。
「いらっしゃい」
穏やかな声がかかった。
決して広くはないが賑やかな庭に、張り出すようにしてあるウッドデッキ。いい具合に剥げた白いペンキが塗られたデッキの上は、温室造りになっていた。その温室と外界を区切る透明な扉から、彼女は顔を出している。
御年六十過ぎか。シルバーグレーの髪の毛を上品に流した女性だった。薄化粧ながらも身綺麗に整えられた顔も、服装も、非の打ち所がなくしゃんとしている。私も将来はこんなおばあちゃんになりたい、と思える人だった。
初めて会った時、彼女の手には見慣れたキーホルダーのついた鍵が掴まれていた。
毎日、通勤で通る道にこの家は在った。帰路の途中、何処かに落としてしまった家の鍵を探していたら、この家の前で落としてしまっていたらしく、親切にも彼女が拾ってくれたのだ。それが、この家の主人を知るキッカケだった。それから庭先で姿を認める度に、ささやかな挨拶を交わしている。
「あら? どうしたの? 少し元気がないようだけど?」
挨拶も返さずに呆然としていたことに気付き、私はああと息を飲んだ。
「……すみません」
咄嗟に愛想笑いを浮かべる。肩にかけたトートバッグを握る手に力を込めた。
「きっと疲れているのね。あなた、いつも頑張っているもの。お茶でも一緒にいかがかしら? 美味しい紅茶をいただいたのよ」
愛想笑いを浮かべたまま、私は固まった。〝頑張っている〟見ず知らずの人に言われたその言葉が、嫌に心に染み込んだ。
秋となり、日が陰るのが早くなった。寂然と沈んでいく夕陽が、長い影を垂れさせる。薄暮の真ん中で、一瞬、迷った。図々しいのではと遠慮する思いと、まだ帰りたくがないという気儘な思いが鬩ぎ合う。結果、後者が勝利を掴んだ。ほおに落ちていた髪を耳にかけて、私は慎重に頭を下げた。
温室に上げてもらい、ウッドデッキから家の中に入る。
居間らしき部屋には、六人掛けの大きめのダイニングテーブルがあった。すっかり人の肌に馴染んだ焦げ茶色のテーブルとチェアは、背もたれを引いた手の平に優しい感触を与えてくる。
彼女は台所があるのだろう、ビーズの暖簾で仕切られた奥側へと引っ込んだ。シャラ、シャラン。音が鳴る。続いて、食器が触れ合う音。湯が沸かされる音。
私は一人リビングに残され、落ち着かない心地で部屋を見渡す。
部屋の中も彩りが豊かだった。大小様々な観葉植物、天井から吊り下げられたプランターに色とりどりの花、壁に掛けられたドライフラワーやリース。部屋の中に満ちる空気も、どことなく甘く感じる。
寄木細工の施された棚の上に、折り紙が飾られていた。鶴だろう、蛙だろう、兜だろうそれらに、遠い幼い頃の記憶を辿ってあたりをつけていく。全て千代紙で折られていた。絵の具が散りばめられたパレットのような部屋で、そこは一際に極彩色だ。
唐紅、黄丹、浅葱に瑠璃。——年寄り臭い趣味だなとも思う。
「お待たせ。ゆっくりしていってね」
目の前に出されたのは、白い磁器のティーカップだった。ここにも小花が描かれている。金色で縁取りされた華奢な把手が、持った途端に折れてしまいそうだった。気を付けなくてはと喉を鳴らす。傍らに置かれたシュガーポットにも、小花が咲いていた。
ムズムズとした。くしゃみが出そうだ。ひゃっくりかも知れない。普段、私が暮らすゴミ溜めのような世界とは、まるで別世界のようだった。
「お庭いじりの次にね、趣味なの」
恥ずかしそうな笑いと共に、彼女が折り紙を手にとった。皺くちゃだけど柔らかくて温かそうな手の平の上に、ちょこんと藤色の鶴が乗る。眺めていたことを気付かれてしまったか。まんじりとせずにいると「疲れてる時は甘いものよ。角砂糖を入れてみるといいわ」と促され、言われるままにシュガーポットを開けた。小さなトングで角砂糖を一つ、二つ。美しく紅い、水面に沈めていく。とぷんと音が鳴った。スプーンで掻き混ぜ、折れてしまいそうな把手に気を遣って両手でカップを包み、口を付ける。口から鼻腔に芳しい香りが抜ける。ほうと息を吐いた。
「温かい飲み物にはね、人を落ち着ける魔法があるのよ」
私は目を瞬いた。今年、三十になった。幼稚園児に言い聞かせるかのような言の葉は、三十路の女に言うにはいささか滑稽だ。
「あなたも折ってみる?」
棚の引き出しから、一枚の千代紙を取り出した彼女に差し出されたのは、萌黄だった。躊躇い、受け取る。心配をよそに、私の手は鶴の折り方を覚えていた。
「仕事で何かあったのかしら?」
「……いえ、ちょっと母と揉めまして」
言ってから、何を素直に話しているのだろうと思った。その場限り、職場で嫌なことがあってと、笑ってやり過ごせばよかった。
彼女が鶴を折るのは早かった。私が一羽を折り終わる頃には、二羽が出来上がっている。萌黄、珊瑚、縹色。三羽の鶴がテーブルに並ぶ。
「まあ、お母さんと」
「二人暮らしなんです、だから帰りにくくなっちゃって」
「そうなの。私も息子と娘がいるんだけどね、娘には本当に苦労をかけたわ。男の子だと笑って許せることも、娘だと同じ女だからかしらねえ……言わなくても分かるでしょって思っちゃって。今は遠くに嫁いじゃって中々会えもしないけど、昔はたくさんケンカをしたのよ。だからね、あなたもすぐに仲直りできるわ。それに、こんなステキな娘さんと暮らせるだなんて、お母さんは幸せね」
そうなのだろうか。チクリと胸が痛む。胸中の軋みを紛らわすように、私は紅茶を啜った。砂糖が喉の奥に優しく染み渡る。
「幸せだなんて……そんな。厄介者扱いですよ」
「違うわ、きっと、幸せよ」
穏やかな笑みだった。
娘さんは遠方に嫁いでいるといっていたが、彼女はこの家に一人なのだろうか。旦那は。息子は。夕食時だと言うのに、家の中には人の気配がない。プライベートに踏み込む勇気はなかった。一人だとしても、寂しくはないのかも知れないと思ったからだ。この家は生気に満ちている。緑さす草木が、色とりどりの花が、生きるという活力が、部屋の隅々から漲っている。
「お母さんと早く仲直りをして、悩みが飛んで行けばいいわね」
にっこりと、彼女が笑う。目尻に集まる笑い皺。皺と間違えてしまいそうな深いえくぼ。幸せな生き様が表れている。ああ、こんな人がお母さんだったらいいのになあ——ぼんやりと思い浮かべて、考えてもどうにもならないことに、失望を感じた。
「飛んで行け、ですか」
「そうよ。ふわふわと、遠くへ」
*
お土産にと貰った三羽の鶴を鞄に忍ばせて、私は帰路を歩いていた。手にはコンビニの袋が一つ。中には冷たい弁当が二つ入っている。
私の家は戸建ではない。二階建てのアパートの一階、隅っこの部屋に、母と二人で暮らしている。
すっかり暗くなってしまった。朧雲に体を隠しているが、三日月は確かな存在感を夜空にたたえている。そんな夜半だと言うのに、玄関戸を開けても中に明かりは灯されていなかった。視界をさす光源に代わり、つんと異臭が鼻をつく。彼女の家で包まれた、甘く、素敵な香りが霧散していった。
手探りで電気のスイッチを探す。瞬きの後に、蛍光灯が白々しい光を放った。
「……お母さん? また飲んでたの?」
床に捨てられていた適当なビニール袋を手に取って、転がっている空き缶を拾っていく。ビール、酎ハイ、韓国焼酎の瓶。鼻をついて離れないのは、部屋の中に篭ったアルコールの臭いだった。
台所の先の居間に、母の姿はあった。万年布団がかけられている炬燵、兼、寝床に、真っ赤な顔をして突っ伏している。
わざと大きな音を立てて、弁当の入った袋をテーブルに置く。母の肩が揺れた。されど、酔いが回った眠りは深いらしい。目覚めることはない。
「お母さん、お酒控えないとダメだって言ってるよね」
窓を開けると、涼やかな夜の秋風が部屋に入り込んでくる。だけど、壁や布に染み付いている深いアルコール臭が、一掃されるわけではなかった。何より、くさいにおいの原因が、部屋の中央に蹲っている。母だ。母の吐く呼気は臭い。アルコールによって、内臓が腐ってしまっているのではなかろうか。毎晩毎晩、浴びるように酒を飲む。どこかにガタがきていてもおかしくはない。だけど、どんなにせっついても、母は病院に行こうとはしなかった。
風流な秋の虫たちの鳴き声が、皮肉なほどに不似合いだ。
「うるさいわねえ……こっちだって、好きで飲んでるんじゃないわよ。飲まなきゃやってらんないのよお」
ようやっと起きたらしい。炬燵に突っ伏したまま、蝿を振り払うかのように乱雑に母の手が振られる。
ああ、私は蝿だ。「お酒をやめてほしい、もっと健康的な生活をしてほしい」そう口を酸っぱくして繰り返す私は、母にとっては耳障りな蝿と同義だろう。
ガシガシと頭をかいた母は、おもむろに煙草へと火を点けた。舞い上がる紫煙と、母の頭からパラパラとテーブルに落下する、細かなフケを見やった。
アルコール臭さに、ヤニ臭さが混じる。最悪だ。本当に掃き溜めのようだと思った。母という廃棄不能な粗大ゴミと、空き缶と空き瓶の山に埋もれて、2DKの古い木造アパートに、暮らす。
あの家に住む彼女は、とっても素敵な老婦人だったと言うのに、さして年齢の違わないうちの母は本当に醜く、手に負えない。
「文句があるなら、あんたも出てっていいのよ」
私は唇を結んだ。歯と歯を噛み合わせて、じっと堪える。いつものことだ。
事あるごとに、母は家を出て行けと私に罵った。しかしながら、このアパートは私が敷金礼金その他諸々を払い契約し、家賃も払っている、私の家である。出て行けと言いたいのは私の方であるし、後先を考えなくてもいいのであれば出て行きたい。本音が口を突いて出そうになる。しかし、いけない。火に油を注ぐことになるからだ。
そうして、堪える。じっと我慢をする。喧嘩腰で「出て行け!」「私に構うな!」と、一通り詰られた後は、一転して泣き落としが始まるのもいつものことだった。
「どうせあんたも、私を捨てていくんだろ」
お酒を飲んだ時の母とは、対話が出来ないと学んでいる。臭い空気を肺いっぱいに吸い込み、深く深く吐き出す。深呼吸を落とすと「早めに寝なね」と言い残して、隣の部屋に続く襖を開けた。弁当を食べる気は、とうに失せていた。
敷布団が一式。その他には何もない。少ない衣服は押入れ一つの収納で十分であり、私の部屋は奇妙に殺風景であった。
掠れた畳。煙草のヤニで焼けた壁。
私は鞄の中から鶴を取り出した。窓枠の僅かな出っ張りに三羽を並べると、そこだけでも華やいだような気がする。萌黄、珊瑚、縹色。鮮やかだ。
どうしてこうなってしまったのだろう。
何を間違えてしまったのだろう。
どんなに考えてみても、過去の私が選択や行動を変えたところで、何も変わることはなく、現状に至ったのは不可抗力だった。
転機はどこだろう。直近と言えば、五年前だと思えた。
母と私、七歳下の妹の三人暮らしが終わりを告げた、五年前。高校を卒業すると共に、妹は、私たち家族から逃げ出したのだ。ここまで育ててやったのに! 親不孝者! 恩知らず! そう言って、今や居ない面影を浮かべては罵り倒す母を見て、私は妹の気持ちが分かると同時に、羨ましく、憎しみにも似た感情を抱いていた。
病院の診断は受けていないが、アルコール依存症であろう母の介護をする日常に、利口な妹は見切りを付けたのだ。
ここに居ては幸せにはなれないと。
母が死ぬまで、この酒に溺れる亡霊がついて回ると。
子どもに親は選べない。
美容師の資格をとれる専門学校に奨学金制度を使い進学し、高校時代のアルバイトの給金を貯めて始めた一人暮らしの末、音信不通の妹が何処かで幸せに過ごしていることを願う。けれど、同時に、どうしても憎たらしい。そう思うことをやめられなかった。
私も逃げ出したい。何もかもを放り出して、真っさらな世界に飛び立ちたい。私は高校を卒業後、就職し、年の離れた妹と母の面倒に追われて、遊ぶことも何もせずに生きてきたと言うのに。
〝お姉ちゃんが勝手に義務感を感じて、やってきたことでしょ。嫌なら逃げればいいじゃない〟
妹は、そう言うだろうが。
朝五時。カーテンを開け放したまま、寝てしまったようだった。夜明けが始まる。薄ぼんやりとした朝日が、窓辺を照らしていた。漫然とした頭を抱えて起き上がると、朝光の中で鶴の姿をぼうとしたままに眺める。
萌黄、縹色——妹は珊瑚だろう。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
そう私を呼んで後ろを着いて歩いていた時の幼い妹は、幸せな温もりと、快活な笑顔をしていた。あの頃、おもちゃを買う余裕はなくて、よく折り紙をして遊んだ。たくさんの鶴を折ったものだった。
窓辺には三羽、並べて飾ったはずなのに、珊瑚の鶴がなくなっていた。
ああ、そうか、やっぱり、あの子は逃げ出してしまったか。
*
寝ている母を起こさないように身支度を整え、私は家を出た。今日は瓶缶のゴミの日だ。大きなビニール袋二つ分を両手に、朝の喧騒の中に飛び込んでいく。ゴミ集積所に袋を置くと、向かいの一軒家から元気な声が聞こえてきた。
「いってきます」
赤いランドセルを背負った女の子だ。私は肩にかけていたトートバッグを、思わず握りしめた。緊張をした時の癖だ。拳が震える。幸せそうな母親の姿が、玄関扉の向こうに見えたような気がした。
結婚。出産。子育て。マイホーム。
何もそれが幸せの定石とは限らないけれど、私にとってはどれも程遠い物事で、〝幸せそう〟なものだった。年を追い、若さを脱ぎ捨てていく内に、そんな幸せの形を見かけることが辛くなってくる。この世界は、幸せのカケラに溢れていた。幸せからあぶれている人間には生きにくい。
安い月給で働く町工場を出ると、またしても私はあの家の前に足を止めた。
「あらあら、まだ悩みは飛んで行ってないようね」
タイミングが合っていたようで、温室から顔を出した彼女が、私の顔を認めて優しげに目を細める。小さく、会釈をした。
当然のように家に通されると、今日は温かな夕食もご馳走になることになった。煮卵つきの豚の角煮、南瓜のサラダ、卯の花、ふろふき大根。インスタント食品に慣れ親しんだ私には、あまり馴染みのない料理が並ぶ。「デザートにスイートポテトもあるのよ。なんだか、またあなたが来てくれるような気がして張り切っちゃった」と、彼女は恥ずかしそうにはにかんだ。
食事も半ばに差し掛かった頃、思い出したように千代紙が一枚差し出される。箸を置いて、私は彼女に目をやった。
「この前は鶴だったけど、今日はもうちょっと実用性があるものはどうかなと思って」
彼女の手にも千代紙が待たれていた。
「箸置きよ」
手の動きを真似て、私は千代紙を織り込んでいく。畳んで、曲げて、折って、畳んで。そうして出来上がったのは、リボンのような箸置きだった。やはり私が一つを折り終える頃には、彼女の手によって二つが出来上がっている。
テーブルに並んだ、三つの箸置き。
萌黄、珊瑚、縹色。可笑しいかな、千代紙の種類はもっと沢山あるはずなのに、並んだのは鶴と同じ色だ。
もう二度と、この三つの箸置きを使うような、温かな食卓は私に訪れないと言うのに。
喉が詰まった。鼻の奥がつんと痛む。ぽたり。ダイニングテーブルに丸い染みが出来る。それを私は、訳も分からずに眺めていた。一粒、涙がほおを滑り落ちてしまってからは、容易い。堰を切ったように瞳から涙が溢れてくる。滂沱だった。
突如の流涕に、彼女は驚き、戸惑っていた。どうしちゃったの、私、何か気に触るようなこと言っちゃったかしら? 動揺している彼女の言葉は全て聞こえてきたが、一枚の膜越しに聞いているようで、私には遠くの出来事のように感じられた。自分自身の嗚咽だけが、一等身近に感じられる。
何が間違っていたのだろう。
どこからおかしくなってしまったのだろう。
長い間、答えは出ないと分かっていても、滔々と疑問に思い、積もらせ続けてきたことだった。
母が酒の味を覚えなければ、父が浮気をしなければ、養育費をちゃんと払ってくれていれば、妹が出ていかなければ、母にこれといった職があれば——。
様々なことが去来していったが、やはりそれは私の一存ではどうにも出来ないことだった。
私は母ではないから酒に手を出さないという選択肢は出来ないし、父ではないから母に貞操を尽くすことも出来ず、妹でもないから家に留まることも出来ない。
どうにも出来ないことを私はずっと悩み、悔やんでいる。
もっと心の奥底には、更に捨てきれない気持ちも埋まっていた。
残された後の母が心配だと言う気持ち、こんな家でも妹が帰ってくる場所がなくなってしまうという気持ち。
私は〝家族〟に執着していた。それが最悪の家族であるとしても、私は大切に思っていたのだった。
だからこそ、逃げ出したいと思うことはあっても、いっそのこと母に早く死んでほしいとは願わず、少しの羨ましさはあれど家族を捨てていった妹の不幸を願わず、少しでもより良い未来を共に生きていけたらと願った。
その為に、母にお酒をやめてほしい。健康的な生活を送ってほしい。妹に戻ってきてほしい。なんて、どんなに願ったところで、私は母ではないし妹でもないから、叶えることが出来ないのだけど。
他人に変わってほしいと、願い、期待を続けていたのだ。
ずっとずっとずっと。
そうして変わってくれない家族に失望し、イライラを積もらせていた。
妹はきっと、私たち家族に最初から期待をしていなかったのだろう。
*
その日は日曜日だった。
朝九時。居間のカーテンを開け、窓も開け放つと、澄んだ午前の陽光が差し込んでくる。雀の鳴き声から一拍遅れて、清々しい空気も部屋の中に雪崩れ込んできた。
一晩の内に籠り、醸造されていたかのような臭気が薄まる。気をつけて鼻を利かせなくては、アルコールと煙草のヤニ臭さに気付かない錯覚を得る程。
明るんだ室内に、母が身動ぎをした。まるで炬燵に根を生やした芋虫のように、うぞうぞと布団から暗がりを掬っている。私は深呼吸を落とすと、母から布団を引き剥がすように引っ張った。
白髪の割合が高いぼさぼさの髪。シミの目立つ、ハリのない肌。落ち窪んだ目。壁に付いたヤニと同じように黄ばんだ歯と白目。その目に宿るのは絶望か。しっかりと現実の母を認めてから、出来る限りの笑顔を模った。
「ちょっと歩いて、紅葉狩りにでも行こうか? 化粧して、うんとオシャレもして、綺麗な景色を見て、綺麗な空気を吸ってさ、美味しいご飯を食べて……そういうの、楽しいかも知れないよ」
萌黄、珊瑚、縹色 浅葱いろ @_tsviet
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