ハロージャーニー

紅亜真探

ハロージャーニー

「ごめんなさいね、マルク。あなたとはもう暮らせないの」

 そう言われても、マルクは驚かなかった。

 叔母さんが、もうずいぶん前から自分を煙たがっていたことには気づいていたし、そのおなかの中には四人めの赤ちゃんがいるそうだ。いまいる三人のいとこたちだけでも、ひどい意地悪をしてくるというのに!

 だから、マルクは誰とも知れない迎えがくる前に、自分から出ていくことにしたのである。

 古式ゆかしい、というよりは、ガタがきているという意味で古い家を出て、崩れかけたステップを、いち、に、さん!

 季節は夏だ。

 春の終わりと、夏のはじまりの間だ。

 マルクはリュックサックをゆすり上げると、ぽおんと投げ上げた石の転がっていったほうへ、意気揚々と歩き出した。



    * * *


 

 天気はいいときもあれば悪いときもあった。

 いいときは一日に十キロも歩くことができたのに、悪いときは階段のかげや橋の下などで、一日を棒に振ってしまうこともあった。

 その日もそんな『悪いとき』で、

「あら、どうしたの坊や」

 などという優しい声もかからぬまま、マルクはしょんぼり、公園のあずまやのベンチで干しパンをかじっていた。

 マイナーランプに火を入れて、

 ……あれ?

 それを見つけた。


『ハロー、ジャーニー』


 ベンチに浮かぶ白い削り跡。

 たぶん釘かなにかで彫ったのだ。


『ハロー、ジャーニー。ここは世界一早いおはようが聞ける町』


 そしてその隣には、全然別の、たぶん女の子の筆跡で、

『おはよう!』

 と、落書きがしてあった。



    * * *



 マルクはそれから、しばしば『ハロージャーニー』の落書きを見つけることになった。

 しばしばというよりも、新しい町に入ると必ずどこかにそれが書いてあるので、マルクは宝探しのようにそれを探し歩いた。

 

『ハロー、ジャーニー。ここはセンコブラクダの町』

 その町の向こうにはデコボコとした山並みが見えて、たしかに千個のコブを持ったラクダが、のんびりと座っているようだった。

 

『ハロー、ジャーニー。ここは森人の町』

 その町の人々は、みんな軒先に、ひらひらとした緑色の下着を干していた。


『ハロー、ジャーニー。ここは……首を切っておしまい!』

 その町の人々はカード遊びに夢中で、道には何枚もトランプが落ちていた。


『ハロー、ジャーニー』

 マルクはそうやって、いくつもの町を通りすぎていった。


 あれ?

 と、足を止めたのは、夏の終わりと秋のはじまりの間だった。



    * * *



 どうしてだろう。

 マルクはぼんやりと考えた。

 小さな川と小さな公園と小さな鐘つき堂のある、ここはとてもとても小さな町。

 それなのに、『ハロージャーニー』は見つからない。

 橋の下。

 階段のかげ。

 木の幹。

 ゴミ箱の裏。

『ハロージャーニー』はどうしても見つからない。

 病気にでもなってしまったのだろうか。

 怪我でもしてしまったのだろうか。

 ああ、僕の道しるべ、ハロージャーニー!

『ここは君がいなくなってしまった町』だ。



    * * *



 マルクはチョークをポケットに押しこんで、自分がいま鐘つき堂の壁に書きつけた文字を見た。

 そしてリュックサックをゆすり上げて、次の町へと歩き出した。


『ハロー、ジャーニー。ここは僕の生まれた町』


 そうだ。

 急がないといけないのだ。

 もう『次の僕』が、すぐ手前の町まで来ているかもしれないじゃないか!

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