017.地獄の通り道

 もうこんなやつに構ってられない。無視だ無視。と無視するつもりだったがブツブツと閻魔補佐官から気になる呟きが聞こえてくる。

雪童子ゆきわらし雪ん子ゆきんこみたいに文字って毒ん子どくんこ・・・なにか違いますね。毒。心臓がキュンと止まる?ああ・・・」

ポンッと手槌で手のひらを打つ。

キュン」

「あんた真顔で何言ってんだい?」

「いえ。実は私ごとで恐縮なのですが。人の名前と顔を覚えるの苦手でして。忘れないように印象にあわせたあだ名をつけてるんですよ。大丈夫。胸の内で使うだけです」

「おいいいぃ。それが地獄で二番目の地位に居る鬼のいうことさね!?」

「地獄に何人の獄卒がいると思っているんですか?それに裁判に来る死人のことも度把握しなければいけません。獄卒と死者を合わせてどれだけいると思っているんですか?」

「にゃあ・・・・」

 ぐうの音も出ない。今回ばかりは閻魔補佐官のほうが正しい気がした。

「ん?待つさね。そうなるとあたしにもあだ名あるのかい?」

「はい。お燐さんは『お燐燐』です」

「何でよりによってそれなのさね!」

 なんでこの閻魔補佐官はピンポイントで人の嫌なところを突いてくるのだろうか。それは、と理由を口にしようとする閻魔補佐官に嫌な予感がして手で制して止める。

「言わなくていいさね」

 やっぱり無視しよう。

 お燐はシニエを肩車したまま荷車を引く。

「シシ・・・シシシシ・・・・・」

 先ほどからお燐の後ろで後頭部に顔を埋めたシニエの笑いを堪える声が聞こえてくる。府に落ちないが悪いのは閻魔補佐官である。チッ。大きく舌打ちしてお燐は黙って放置した。


 やれやれ。厄介な閻魔補佐官に会ったときはどうなるものかと頭を抱えたけれど。思いのほか何とかなるものだ。勝手に勘違いして取り越し苦労に終わっちまったさね。しかも知らなかったことも知れて、地獄にシニエを連れて行く弁まで立ってしまった。閻魔補佐官に気に入られて後ろ盾もできた。まだまだ先の話だがシニエを獄卒に推薦するのもいいかもしれない。

「シニエ」

「なに?」

 落ち着きを取り戻したシニエが聞き返す。

「世の中ってのはね。勝手に事が起きて勝手に終わるものなのさね。世の中取り越し苦労ばっかりさ。でもね。だからって進まないわけにもいかないのさね。常に手遅れだから進むのさね。覚えときな」

「わかった」

 世の理を伝えて歩き出した。火の玉と閻魔補佐官が後を付いて来る。


 火の玉で照らしても洞窟の入り口から先は見えない。境界線の先でいくつもの別世界に光は分散されてこの世界の洞窟内に届く光は極わずかでしかないからだ。

 お燐は世界線が地獄へと繋がるように歌う。

「と~おりゃんせ、と~おりゃんせ。ここは地獄の通り道。地獄よいとこいいところ。極悪人を禊いてくれる・・・」

 洞窟の入り口を潜ると肩車されたシニエの表皮に何かが張り付いて消えた。一瞬のことだったが驚いたシニエは無意識にお燐の後頭部をわしづかんだ。気づいたお燐が微笑んでシニエに教えてやる。

「水の中に潜るような感じがしたさね。境界を越えたのさ」

「なんか。張り付いた」

 ペタペタと顔周りをシニエが触る。

「ここはもう別世界さね。ようこそ地獄へ」

 頭上のシニエを歓迎した。

「とはいってもここは地獄のある世界であって、まだ地獄という場所自体には着いていませんのであしからず」

 閻魔補佐官が会話に割って入ってきた。

「茶化すんじゃなよ。本当にあんたってやつは人の揚げ足ばっかり取って」

「いえいえ。子供のうちに間違ったことを覚えるとよくありませんからね。早いうちに治しておくべきです。とはいっても左利きを強制的に右利きに直すとか。根拠も無い古い風習に関しては私もどうかとは思いますが・・・」

「ああ。もういいさね。あんたと話してると疲れてしかたないさね」

 冗談も通じない。洒落たことも言えない。このまじめすぎる鬼に何を言っても無駄だろう。何千年経ってもこうなのだから。

「お燐。歌ってた」

 ぽんぽんと頭上を叩いてシニエがお燐に問いかける。足を止めてお燐は説明する。

「あれは道しるべさね」

「道しるべ?」

「そう。まっすぐ地獄へ行くためのね」

「複数の世界線が重なった場所を通るときに、ほかの世界へと迷い込まないように我々獄卒は道しるべを用意します。一つは地獄のもの。これは地獄のものであれば賽の河原の石でも閻魔帳でも何でも構いません」

「石と閻魔帳じゃ例えるものがかけ離れ過ぎさね・・・」

 突然説明に割って入ってきた閻魔補佐官の例えの壮大さに口の端が引きつる。閻魔帳とは十王である閻魔大王が死者の生前の行いを書き溜めておく重要なものだ。賽の河原の石は文字通り、地獄の賽の河原に落ちている何の変哲も無い石である。価値に差がありすぎて比べられるものではない。まあ、何でもいいという点では間違いではないが。

「もう一つ。二つ目に合言葉を使います。お燐さんの場合は地獄のものに荷車を、合言葉に歌を道しるべに使いました。ちなみに歌すべてが合言葉ではありません。歌の中にあるいずれかの節が合言葉になっています。我々獄卒にも合言葉がどれなのかは明かされていないため、合言葉のみを覚えることもできません」

「そのため過去にうっかり歌を間違えて他世界に飛んだ獄卒も多くいます。中にはそういった獄卒を私が回収しに行ったこともあります。しかしこれが困りものでして。この世へ行ける仕事を振られるのは優秀な獄卒だけです。結果他世界でうっかりのし上がってオーガキングやゴブリンキング、所謂魔王と勘違いされてしまった挙句。現世で讃えられて調子に乗ったバカが帰還拒否。私がお灸をすえて回収なんてことが度々ありました。おかげで他世界で勇者と讃えられたり、逆に勇者からお前が新の魔王かと剣を向けられたこともありました」

 はあ。聞こえるくらいの大きなため息を閻魔補佐官が吐く。だいぶ苦労しているようだ。お燐の頭の中で金棒を振り回して勇者を吹き飛ばす閻魔補佐官の姿が頭に浮かぶ。微塵も負ける姿が思い浮かばないのが閻魔補佐官のすごいところだ。実はお燐も三回ほど間違って別世界に行ったことがある。閻魔補佐官には内緒だが。

「お燐さんも三回ほど他世界に迷い込んでいますが、この世とあの世を行き来する仕事をしているだけに無事帰還していただけて助かりました。私もさすがにお燐さんが相手では分が悪いですから」

 ば、ばれてた!?驚いて少しだけ毛が逆立った。お燐としては隠していたつもりだったがばれていたらしい。


「さて。ではそろそろ地獄へ向かいましょうか。できればここは暗いのでもう少し先まで明かりを灯していただけると助かります」

 地獄は名前のとおり地面のはるか下。地の底にある獄である。空はなく、頭上には岩天井が広がっている。光を灯さなければ真っ暗闇だ。お燐は先を照らす火の玉の数を増やした。

「地獄。真っ暗?」

「いいや。地獄は明るいさね」

首を傾げるシニエにお燐が答えるとこれまた閻魔補佐官が説明し始める。知識豊富なこの閻魔補佐官は勝手に説明してくれるのである意味便利だ。

「地獄は広い空間の場所にあります。岩天井もはるか上空で地上から目で見えません。空があるのと変わりないです。太陽の化身である十人兄弟の八咫鳥やたがらすさんたちが交代しながら空を飛んで地獄を照らす仕事をしてくれているので地獄が暗闇に苛まれることもありません。ちなみに八咫鳥さんたち十人兄弟は神代のころ十羽で空を飛んだがために太陽が十個もあることを迷惑がられて生前九羽が矢で打ち落とされています。この世の太陽が一つなのもそのせいですね。死んだ理由から先の尖った鋭利なものに敏感です。尖った物を空に向けないようにしてください。パニック障害を引き起こします。太陽の化身にパニック障害起こされると辺り一面焼け野原になります。まあ、焦熱地獄が増えるだけなのですが。獄卒への被害と消火作業が大変な上、一番厄介なのが八咫鳥本人のメンタルヘルスケアと結構しゃれになりません」

 十羽中九羽ってほぼ全羽じゃないか!?知らない地獄事情にお燐が口元を引くつかせる。

「我々が通るここは裏道。いうならば従業員玄関になります。しかも滅多に使われない玄関です。暗いのは経費削減からになります。また、本来死者は別の道を通って地獄へ着ますが、そちらはお客様用常用口なので常に別に用意された明かりが灯いています」

 地獄でも経費削減。世の中の世知辛さにお燐の目が遠くなる。従業員玄関という例えもしっくりき過ぎて言いえて妙だから困る。

「あまりここで留まるのもよくありません。行きましょう」

 お燐も再び歩き始めた。

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