013.地獄へ出発
シュルシュルと包帯が解かれると葉っぱを体中に貼り付けた野生児のシニエが現れた。緑色の薬を塗られているので葉と葉の間も緑色。子供で背が小さいこともあってお燐は西洋にいた子鬼のゴブリンを思い出す。
葉っぱも剥がし終えるとメディアは次に体中に塗られた薬を取りにかかる。湯につけて固く絞った布でシニエの体を拭った。布を走らせるたびにあらわになる肌は色白で焼け爛れた痕は見あたらず。女の子のシニエに火傷の痕が残らなかったことにお燐はほっとした。この二日でシニエの火傷は無事治ったようだ。
しかしこの後地獄に連れて行くことを思い出して憂鬱になる。この二日間何度か説得を試みたものの受け入れては貰えなかった。ご機嫌取りや代案を口にしても五歳児のシニエに分別ある
はあ~とため息を漏らす。何とかなるというか何とかするしかない。幸い過去に生者が地獄に迷い込んだ例はある。本来そういう場合は、殺して死者となってもらうか、夢遊状態にしてすべては夢だったで済ませて地上に返すか、の二択になる。
ただ世の中には例外というものもある。例えば地獄で最も偉い十人の裁判官である十王の一人・秦広王様の第一補佐官がそうだ。たまたまある時とある寺の井戸が地獄とつながった。そこにある悩める貴族の男が来て井戸に落ちてしまったのだ。そうして生者の男は地獄に来てしまったのだが。地獄というところはとても忙しい。今も昔も業務が立て込んでいる状況だ。あまりの忙しさに使えるものなら猫の手でさえ借りたいというくらいに忙しい。お燐も含めて地獄で働く者を獄卒というのだが。落ちてきた男に多忙のあまりに頭の働きが鈍っていた当時の獄卒が誤って仕事を振ってしまったのだ。だがこの男が存外有能で仕事をあっさりとこなしてしまった上、変わり者で溶け込んでしまったものだから、誰も彼が生者だと気づかずに一緒に働いてしまい、気づいたときには男を失うのも惜しく、むしろ使える人間なら大歓迎と記憶あるままにこの世に戻してしまった。しかもその後も生きている間にアルバイトをちょくちょくお願いするようになり、男はこの世とあの世を行ったり来たり、死後には秦広王様の第一補佐官に正式採用されてしまった。
つまりは地獄の掟も絶対では無い。そう思うと少しだけ気が軽くなった。
不安な顔ばかりするお燐にやれやれとメディアが見かねて首を振る。
「顔に出すほど不安なら、いっそのことシニエに首輪でもつけてこれは自分のものだって主張すればいいさね。大妖火車お燐のものに手を出すバカはそうそういないさね」
「人が首輪なんてつけたらそれは奴隷さね」
ふん。と荒い鼻息を噴きだす。
まったく世話の焼ける猫さね。やさしい猫に呆れながら。
「シニエはこれを着るさね」
裸のシニエに服を着せてやる。着せる服は生者が着てはいけない服。白の死に装束だった。本当は着せたくないがしかたがない。地獄には亡者しかいない。人はみな死に装束姿の白装束。シニエを隠すカモフラージュぐらいにはなるだろう。
「子供に死に装束は気分が悪いさね。着るのはせめて爺婆くらいになってからでいいさね」
いまさら言ってもしょうがないのにねえと苦笑するメディア。メディアを見つめるシニエが不思議がる。死に装束を纏うことを疑問にさえ思わないシニエの無垢さが事情の分かるものにはあれこれ考えてしまい痛ましく、こんなことをさせるシニエが恨めしかった。
白三角巾を頭に巻いて着替えを終える。
準備のできたシニエの両肩に手を置いて目線を合わせる。メディアは再三何度も言い聞かせたことを尋ねた。
「シニエ。地獄でしちゃいけないことは?」
「お燐。離れない。食べ物、食べない。あ、水も」
「そうさね。お燐の側にいればお燐があんたを必ず守ってくれるさね。地獄のものを生者は食べちゃいけないさね。血肉になる食べ物は体を作り変えてしまうさね。体が亡者になってしまうさね。そうなったら地獄から出られなくなるさね」
五歳児のシニエでも分かって覚えられる内容を選び、この二日間二つのことだけ――お燐の側を離れるな。地獄の物を口にするな――噛み砕かせた。
それを忘れるんじゃないよとシニエを包み込むように抱きしめた。幼子のシニエは体温が高い。朝で寒い時間だというのに柔らかく温かかった。この二日間で少しでも肉付きがよくなったようで料理したメディアとしては満足だった。結局まだ三日程度の付き合いでしかない。それでも白髪に菖蒲色の片目とバカ弟子に似た容姿のシニエをなんやかんやでメディアももはや放って置けなくなっていた。
いよいよ出発するしかなくなった。
「さて準備もできたし行こうかね」
扉を開けてお燐が外に出る。シニエが小さな歩幅で懸命に後を追う。いびつに曲がった右足を引きずる後ろ姿が目に付く。足を治せなかったことが心残りだった。次ぎ来た時には治したいと思いながら見送りのためにメディアも外に出る。
荷車の前でお燐が四足になって身を屈める。白装束のシニエがお燐の背中に乗るのをメディアが手助けする。シニエが背に乗ると火の紐がシニエと荷車にからみついた。
心配するメディアの気など知らず。お燐の背に顔を埋めてしっかりとしがみつき、モフモフをシニエは楽しんでいた。シニエはあまり子供らしいところを見せない子だったが、こんな一面もあるのだなと気づいたメディアは毒気を抜かれて少し肩の力が抜ける。
お燐から出た火紐がシニエと荷車に結びつく。
「さあ行くよ」
「行ってらっしゃいさね」
出だしゆっくり走り出すお燐。荷車が後を追うようについていく。そのままふわりと空を蹴って空へ駆け上がる。旋回しながら徐々に高度を上げていった。
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