014.閻魔王第一補佐官

 風の抵抗が変わった。

 体に吹き付ける風が弱くなった。目的地に付いたのだろうか?シニエはお燐の背から面を上げた。お燐の広い背中から顔をそらして眼下を眺める。大地を二分するとても大きな谷が目に付いた。谷の中は暗闇だけの黒一色で底が見えず、谷がとても深いことを教えてくれた。谷は長く、上から眺めているというのに視線の先で追えども谷の端――つまりは終わりが見えないほどで、その先は地平線の先まで続いて消える。シニエの目には大地を割るように広がる谷が大地の顔にある口のように思えた。谷の中に獲物が引きずり込まれて咀嚼そしゃくされるさまを思い描きちょっとぞっとする。そんな谷の中へとお燐は降下し始める。

 お燐と一緒に行く場所なのだから問題はない。そう自分に言い聞かせてシニエはお燐の背に再び顔を埋めた。


 ヒューヒューと谷底を走る風音かぜおとの笛を耳にする。音が強くなるとお燐がシニエに呼びかけた。

「ついたさね」

 お燐の背に手をついてシニエは上半身を起こす。辺り一面暗闇でなにも見えなかった。お燐から出た火紐の照らす周りだけは見えていたが、それもシニエの体から解けて消えてしまった。

 お燐の背から降りようにも足場が見えない。先が見えない暗闇の中にさすがに落ちるのは怖かった。困っていると周囲に火の玉が灯る。お燐が火の玉で辺りを照らしてくれたのだ。見えた足元に安心してお燐の背から降りようとしたら、以前シニエの歩行を補助してくれた火の輪が飛んできてシニエの足の裏に引っ付いた。心配のなくなったシニエは躊躇無くお燐の背から降りる。火の輪が足にある限り、足元が凸凹でこぼこしていても心配ない。ふわりと浮く感覚がして地面に足が付いたことを知った。

 シニエが降りたのを確認するとお燐も起き上がり二本足立になる。

 すっと右前足を肩の高さまで上げて指し示す先に火の玉が灯ると洞窟の入り口が姿を現した。


 地獄へ行くにはあの世に通じる境界越えの洞窟を使う。入り口という境目を越える行為を利用して世界の境界線を越えるのだ。ただ境界越えの洞窟は数多の世界へと通じている。道しるべ無しではどこへ行くのかもわかりゃあしない。何も知らずに潜ったならばその行き先は誰も知らずの神隠し。たった一歩で別世界とは怖いものだ。

 天国も地獄もあの世。あたしたちの目的地であるあの世もひとえに言っても複数の世界を指す。そして宗教ごとに天国があれば地獄がある。天国一つとっても天界、仏界。神様が住む国だと高天原のような神界もある。あたしが行くあの世はこの国の地獄。死者が輪廻転生のために生きていたころの罪を償う場所であり、その刑期を決める十王の裁判が行われる場所だ。

「ここが地獄への入り口?」

「ああそうさね」

 洞窟を見ていたお燐はシニエの質問に答えて振り返る。

「あたしから離れるんじゃな・・・いよ・・・・・・」

 分かったと手を上げて意思表示するシニエの横を見てお燐は言葉を失った。

切れ長の目に仏頂面。額に小さなこぶのような角のある黒に赤い淵の着流しを着た鬼。何でここにやつがいる!?心の中で驚きの声を上げる。鬼はお燐の仕事仲間だった。それもとても厄介な。

「お燐さん現世の憑きもの回収ご苦労様です」

 まさに開いた口がふさがらないお燐のことなど気にせず鬼は気軽に話しかけてくる。

「おや、どうしましたか?まるで臭いものに反応した猫のような顔をして。近くにフレーメン反応を起こすほどに臭いものでもありましたか?もしや谷底ですしどこかから硫黄ガスでも漏れてますかね?」

 キョロキョロと辺りを鬼は見回す。

 いやいや。匂いのしない臭いものというか。居ちゃまずい者はお前だよ。という言葉をお燐は飲み込む。しかし言葉を返さないのも一物抱えているようで体裁が悪いと気づいて平静を装って声を出す。

「・・・ああ。久しぶりだね」

 そして何事も無いかのようにシニエの手を取り、

「さあシニエ行くよ」

 荷車を引いて通り過ぎようとした。

「そちらのかたは生者ですよね」

 鬼の言葉にピタッと足が止まった。ギギギギと軋んだ歯車の噛み合わせ音が聞こえそうな動きでお燐が振り返る。地獄へ生者を連れ込んではいけない。それを分かっていて連れ込もうとしたお燐は連れ込む前にばれてしまった。

 だからこいつ厄介なんだよ。勘がいいし頭もいい。役職、性格、いろいろと厄介なところがありすぎて言い切れない。

 冷や汗をかくお燐の気など知らず、何も知らないシニエがクイクイとつないだ手を引いて誰?とお燐に問いかける。いまはその純粋無垢な様子が愛おしくもあり恨めしかった。もはやスルーもできまいと腹をくくる。

「あ~こいつは閻魔王の第一補佐官でね。地獄でも上位の鬼さね」

 地獄で一番上は裁判を取り仕切る十人の裁判官十王である。その第一補佐官とくれば地獄で二番目といってもいい。

「お燐の上司?」

 白い人にも上下関係があって上司には弱かったのをシニエは知っている。

「ああ、失礼しました。私は地獄の裁判を取り仕切る十王の一人。閻魔王の第一補佐官で名前を「こいつのことは閻魔補佐官と呼べばいいさね」」

 名乗りをさえぎられた閻魔補佐官は怒ることも無く一度考えるそぶりを見せると、

「分かりましたそれでかまいません」

「いいのかい!?」

「それだけで私自身の区別は十分つきますからね」

 お燐の横暴を受け入れてしまった。

 それよりもと閻魔補佐官はシニエの前に行くと屈んで目線を合わせたシニエの顔をじ~と見つめる。完全にシニエに興味をもたれてしまった。

「お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「シニエ」

 バカ正直に答えるシニエと厄介な閻魔補佐官を前にして。ここからどうやってごまかそうか?地獄に入る前にすでに前途多難なこの状況にお燐は遠い目をしてため息を吐いた。

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