第2話 中編
少し経ってシロクマがやって来た。食事を渡されたけどネズミだったので遠慮した。せめて魚がいい。けど、そんなものあったらカワウソを餌になんてしないよね。
そもそも餌不足でカワウソ繁殖とか意味不明だろ。ネズミ食っとけよ、と思ったら――。
「ネズミは食いでがねぇけど、ちょろちょろしとるからオヤツになるっぺよ」
「んだ」
「仕方ないべ。よそのカワウソだ。口に合わねえんだっぺ」
「ま、まずは雌との顔合わせだっぺよ」
「んだんだ」
ネズミはオヤツかよ!
ていうか、お前らバカだろ!!
なんて、もちろん言えるはずがない。だって、彼等の口ぶりから、僕と雌との相性が悪ければ即刻餌にされそう。
僕はドキドキしながら繁殖場に連行された。
まるで動物園みたいな場所だ。金属柵で仕切られている。その隙間からカワウソたちが水場に逃げ込む姿が見えた。
怯えてるんだ。シロクマが捕食者だって分かってる。
「ほーれ、なかなか器量好しばかりだっぺ」
なんて言って、僕を金属柵に押しつける。僕は緊張のあまり震えた。
……そう言えば何故、雄のカワウソがいないんだ?
何故、僕を召喚したんだろう。
「ぼ、僕だけでこんなたくさんの相手をするの、かな?」
ドキドキしながら聞いてみると、シロクマが答えた。
「そうだっぺ。雄はおめさんしかいねえだ」
「んだんだ。だから雄を召喚したんだっぺ」
「古い魔術でもなんとかなったっぺ」
「魔力溜めるのが大変だったっぺがな」
「……な、なんで雄はいないんだろう?」
「餌を探しに行ったら刃向かってきただっぺ。仕方なく全部食っただ」
「あん時は腹一杯になったもんだっぺよ」
「お祭りだったっぺな」
シロクマたちが、ほわぁと幸せそうに語る。
餌である僕たちの前で。
「小さいのは、おらたちの子供の狩りの練習に使ったっぺよ」
「あれは楽しかったっぺな」
「んだんだ」
あ、アウトだ。もうダメだ。雌が怯えるはずだ。容赦ない。こいつら、本気で僕たちのことを餌としか認識してない。
僕のことも、言葉が通じるって分かってるのに、こんなことを言う。
逃げなきゃ。
でもどうやって?
僕はシロクマたちが美味しかった餌の話をしている間、あちこちに視線を飛ばした。金属柵には隙間がある。ふわふわだけど実際は細い僕なら逃げ出せそう。だけど雌たちは無理だ。
それに、建物内はシロクマサイズでドアノブの位置も高い。
そうなんだよ。シロクマたち、普通に人間っぽく暮らしてるんだ。「獣人族」だからなんだろう。でも言ってることは未開の土地の原住民みたい。
兎の獣人族までなら食べていいよね、なんて話をしてるんだ。人だろ、それ。獣「人」族って言ってるじゃん!
話が通じる生き物を食べるって発想が怖いよ。
そうこうしているうちに、シロクマの一人が涎を垂らして僕を見た。
僕は危険を冒して彼等の会話に参加する。
「あのっ! 僕、雌たちとお話してきます。いいですよね?」
「おー、早速交尾するだっぺ。よかよか。ここから入っていくだっぺ」
よし。とりあえず目の前の危機からは脱した。
あとは逃亡の相談だ。
*****
……相談できるって思ってたんだ。
だけど、カワウソたちとは会話ができなかった。きゅーきゅー鳴くだけで、こっちの言葉も分かっていないみたい。
彼女たちがシロクマに怯えたのは本能で捕食者だって分かったからだ。
どうしよう。話が通じないなんて。
もう一つ「どうしよう」がある。
一匹の大きな雌が僕を抱っこして離さないんだ。
ラブではない。ライクである。
何故なら、僕のことをたぶん子供だと思っているからだ。もしかして彼女には子供がいたのかもしれない。
それにしても困った。
シロクマたちが繁殖場から出て行ったのだけが幸いだけど、このままだと後がない。しかも何かあったのか、外の方でバタバタしてる様子もあって僕は気が気じゃなかった。
困った困ったと思案していたら、僕を抱っこして離さなかった雌が部屋の端へ向かった。
チラチラと辺りを見回して、それから換気孔のところに僕を持ち上げて入れようとする。
「えっ、もしかして……」
僕を逃がそうとしてくれてるんだろうか?
微妙に高さが足りないそこへ、なんとか入れようとする。
すると、他の雌もやって来て手伝い始めた。
「みんな……」
きゅいきゅいと鳴きながら、必死に僕を換気孔へ入れてくれた。
僕が穴から見下ろすと、大きな雌はきゅいきゅいと怒鳴るように鳴いた。早く逃げろってことだ。
僕は迷った。
けど、逃げなきゃならないんだ。
僕は後ろ髪を引かれる思いで換気孔を進む。
助けを呼べないか、いろいろ考えた。でもどうやって?
召喚された僕はただの小さなカワウソで、ここはシロクマたちの住処だ。
外の明かりが見えても僕はまだ葛藤していた。
すると、突然大きな音が聞こえてきた。
まるでサイレンだ。
「あっ、バレたんだ」
逃げたことが分かったに違いない。
どうしよう。すぐに見付かってしまう。
明かりの先をそっと覗くと予想通り建物の外だった。辺り一面岩場ばかりだ。草も生えてない。食糧難って、こういうことなのか。
ずっと向こうに海らしきものが見える。ここは島なのかな。
僕は周囲を何度も確認するけど、隠れられるような場所がどこにもない。
これ完全に詰んだ。
だけど逃げるしかない。海まで。せめて海に出たらワンチャンあるかも!
それに異世界召喚だよ。言葉だって喋られるようになってた。奴等が言語スキルがどうのと言っていた。ということは、チートスキルがあるかもしれないんだ。
これから無双する可能性だって!!
ただ、うん、現状なんにも感じられない。
そんな状態で海に出るというのは、割と無謀な気がしてきた。
……カワウソがシロクマの住む海域で生きられるのか、という現実的な問題も頭をよぎるけど。
今考えることじゃない。
僕は必死になって飛び下りた。そしてよたよたと歩き出したのである。
*****
結果的に、僕はシロクマに見付かったけど助かった。
何を言っているのか分からないだろうけど、ってそれはもういい。
とにかく、僕は一応助かってる。
実は、あの後すぐに追っ手が来てたんだ。当然、捕まれば速攻で餌コース一直線だったと思う。
そうならなかったのは、実はサイレンが鳴った大元の原因が助けてくれたからだ。あのサイレンは僕が脱走したから鳴ったんじゃない。
「侵入者のせいで雄が逃げ出してしまったっぺよ!」
「わたしのカワ子を誘拐したのは貴様らか!」
「只人族が何故ここにいるだっぺ」
「カワ子はどこだ!」
「ここはシロクマ領域だっぺ!」
話も噛み合ってないなら、存在同士も噛み合ってない。
何故二足歩行のシロクマと人間の男がマジ喧嘩してるんだ。意味が分からない。
ツッコミどころが多すぎて困る。
一応、変な格好の人間は僕を助けてくれたんだと思う。
最初に「カワ子!?」って僕を抱き上げたから。でもすぐに「こんなに小さくなかったか」って「ぺっ」と落とされた。
いやいや、それはないよね。
でも追っ手に対して、前に出てくれたから……。
たぶん。
助けてくれたんだと、思う。
思いたい。
思わせて!
僕は必死で人間を応援した。
「そこの人間さん、そいつら悪です、悪ですよ! カワウソの雌を集めて繁殖させようとしてるんです! 餌にするために!」
「なんだとっ!?」
魔法使いみたいな黒いローブ、怪しげな杖を持った人間は、シロクマに詰め寄った。
「カワ子は俺がなくした荷物を探して持ってきてくれた優しい子だぞ。それなのに、餌にするとは!」
「そのカワウソはおめさんのペットだっぺか? だったら返すだよ」
「ペットではない!」
「あー、家族だっぺか。只人族はおかしなこと言うだっぺからな。仕方ないっぺ。只人族と揉め事になると獣人族会議で叱られる。カワ子は返すだっぺ」
「家族でもないが、返せ」
「……家族でもないのに取り返しにきただっぺか?」
「つい先日、エルマの森で出会ったばかりだ」
うん?
「荷物を見付けてくれるし、手触りが良かったからな。カワ子と名付けただけだ」
「そ、それだけだっぺか?」
「そうだ。そろそろ研究採取も終わるので帰りの挨拶をと思ったら、住処が破壊されているではないか。魔法で跡を辿ったら、ここに行き着いたというわけだ。お前たち、よその領土を侵略しただろう?」
「うっ、そ、それは……」
「獣人族会議に報告するぞ?」
「待つだっぺ。すぐ、すぐにカワ子を返すだっぺよ」
「ふん!」
な、なんかいろいろ複雑そう。
だけど、とりあえずセーフ? 僕は助かったのだろうか。
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