第19話 邂逅



 大変困ったことになった。


 ハルへいつ言おうか迷っていた黒服のバイトが、急遽決まった閉店に伴い無くなることに。


 キャストの方々はそれぞれ次のお店が決まって、誰も路頭に迷うことがなかった。本当に小さなお店だったのでキャスト自体が少なかったこともあって、私は不幸中の幸いだと思った。


 最終日、退勤と解散が同時にやってきた。予想外に涙を滲ませた先輩につられて、私も少しだけ泣いた。まいさん、あいさん、なぎささん。多分ずっと忘れないし、ずっと大好きだと思う。


 それはさておき、私の収入のウエイトは黒服が六割。どうやって穴埋めすんだよと、動揺と焦燥を両手に帰宅する途中、円さんとばったり会った。なんかあったの?と首を傾げる円さんに全てを打ち明けると、なんだそれならうちに来る?と軽い口調で聞かれた。ので、赤べこのように頷いて、体験入店という形で円さんの勤め先に行ってみた。


 円さんが、どうせあんた持ってないでしょうとレースがあしらわれた紺のドレスを渡してくれたところで、私はようやっと黒服でいられないことを悟る。慣れないドレスの着替えを手伝ってくれた円さんは、終始私を骸骨と呼んでいた。

 

 Club Utopia. くらぶうとぴあ。カウンターが四席、テーブルが七席の、これまた小さなお店だった。限界まで照明を下げた店内も、少人数精鋭だというキャストも皆煌びやかで艶かしい。私場違いじゃないですかと円さんに聞くと、後ろから「大丈夫だよ可愛いから」と低い声がした。


「店長の鮫島です。一日と言わず、ずっと居てくれても良いよ。」


 ニッと笑う店長は円さんと同学年だそう。黒髪で黒のシャツに黒のスラックスで、空間に溶け込みすぎている。店長は目を凝らさないと見つけられなくて、耳元に光る数多のピアスくらいしか目印がなかった。


 クラブは週末ということもあって盛況で、猫の手も借りたい店長はヘルプとして私をあちこち回し、裏へ控えている間は熟年の黒服・穂塚さんと共に洗い物をさせ、オーダーがたて込めば簡単なカクテルを作らせ、ついでに空いたテーブルをセットアップさせ、と最大限有効活用した。あっという間に通常の閉店時間を超え、延長した二組を残してキャストも客も帰っていった。片付けも一段落したところで、店長は私を待機席へ呼んだ。


 待機席はお客さん用のカウンター席の奥で、キッチンを囲む大きいテーブルに、すりガラス風の衝立が設置されている。端も端なので客席から見えることはない。


 待機席には座面の高い椅子が五つ並んでいて、店長は真隣の椅子へ腰掛けて、私に向かって恭しく頭を下げた。


「大変助かりました。」

「光栄です。」

「前の店の時給は?」


 答えると店長は目頭を掻きながら、いくらか上乗せすると言った。加えて細かい報酬制度を手短に話して、悪戯っぽい笑みを浮かべながら私を見る。


「俺としては逸材を見つけたんですけど。伊月ちゃんとしてはどうだろう。やっていけそう?」


 よろしくお願いしますと頭を下げると、店長は安堵したように笑って私の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「姐さん…っていうと怒るんだった。円ちゃんから事情は聞いてるよ。学生と両立できる範囲でやってくれれば良いし、その気があるならここ一本で食べていけるように…バイトの掛け持ちに関してね。平日もいてくれていいよ。穂塚さん、最近足腰がしんどいらしくてさ。」

「…考えておきます。」


 客席から店長を呼ぶ声がした。深夜も深夜、でもまだまだシャンパンを開ける気らしい。


「そのドレス似合ってるよ。さすが円ちゃんの見立てだね。」


 円ちゃんと帰るなら夜明けになるかもねと笑って店長は席を立つ。シャンパンを頼んだのは円さんだ。二度目に会った時、べろべろに酔っていた理由が分かった。というかこの日も、店を閉めた後の円さんはしばらくレザー調のソファに沈んでいた。やっぱり夢を持つひとはつよいな、と、私は円さんへお冷を運びながら思った。


 そんな経緯があって、Utopiaで働き始めてもう十日。お店は只今準備中。


「あのドレスが似合うってことはこれもイイと思うのよね!」

 ガサゴソと、出勤したての円さんが紙袋から取り出したのはホルダーネックのドレス。そしておそらく新品。二着も貰っては申し訳ないという私の抗議に、反論するのは円さんだけではなかった。


「待って円さんそのドレスに合うイヤリングがある。ピアス開いて…ないよねヨシ持ってくる。」

「靴こっちの方が可愛くない?誰も履いてないから店のでしょ?サイズ合うかな。」


 先に着替えの済んだ先輩達が、至極楽しそうに装飾品を持ち寄った。きゃっきゃと更衣室へと連れられて、あっという間に着飾られてしまった。


「最近新人居なかったからねぇ。いっぱい可愛がられておきなよいぶきちゃん。」


 気づけば更衣室のカーテンから店長が顔を出している。いぶきというのは源氏名。


 入ってくるなと店長を追っ払い、円さんが「形は良いけど色が気に食わなかったのよね。あんた大柄の方が似合うと思ったのよ!」と満足そうに笑う。ネック部分はマットな黒。スカート部分は光沢の入った鮮やかで大きな花柄。


「あとはそうね、作り笑いが上達すれば言うことなし。」

「むずかしい…。」


 一畳にも満たない更衣室には私と円さんだけ。円さんは閃いたような顔で言った。


「春彦が来たとでも思って笑いなさい。」

「……。」

「……なんで余計引き攣んのよ喧嘩でもしてんの?」

「ハルはどんな顔をするでしょうか…。」


 ハル相手に嘘をついたことは多分ない。でも言っていないというよりは、言えていないことがある。このバイトのこととか。


「…あいつのことはあんたの方が詳しいわ。」


 息を吐きながら、円さんは私の頭を優しく撫でて更衣室を出た。私も後を追うように厚いカーテンをよける。店内には既に有線の音楽が流れていて、キャストが二人、客席へと着いていた。


 カラン、と店の扉が開く。すぐに先輩が出迎えていった。あらやだ今日は連れがいるの?とか、珍しいわね可愛い子連れて、なんていう声が聞こえて、店長は私に目配せをした。準備しろ、という意味だ。


 席へ通した店長は恭しく私を呼ぶ。クラッチバックとハンカチを持って側へ行けば、店長はこそっと耳打ちをした。


「珍しく女性の、ていうか、いぶきちゃんと同じくらいの子が来てるよ。よろしくね。」


 女性の一見さんはお断りでも、常連客について来た人は入れるんだそう。そういえば前の店で女性客を見たこと無かったな、なんて思いながら薄暗い店内を歩いていく。ついでに円さんのもっと上手く笑えという言葉も思い出しつつ。

 そうして浮かべた私の笑みが、みるみるうちに引き攣っていく。


「いっちゃんさん、ですよね?」


 常連客に連れられていたのは、間違いなく此永さんだった。

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