単発集

Inertia

柔い身体

 空に手をかざす。太陽を包むように。

 絶え間なく流れ続ける血潮が、生を実感させる。

 狭く薄暗い場所から出てきた身からすればこの晴れ渡る空は、ひどく空虚で眩しくてたまらない。

 人は私のことを陰者、ひねくれものなどという。確かに、そういう点もなくはない。むしろよく言ったものだ、というところだ。一方で慈愛に満ちた奴だ、などという人も中にはいる。私自身は、至って普通のことをしている気なのだが。今日俺が珍しく日の当たる場所にいるのは他でもない。生き物である以上、空腹からは逃れられない。ましてや動けない奴をかくまっている身からすればなおさらである。こういう面を、「慈愛」などと表現するのだ、おせっかいな奴は。

 それにしても、世の中はめまぐるしく変わっていくものだ。穏やかだったこのあたりの風景も、すっかり賑やかになり、往来の波に揉まれる。

 世間体から浮いた私の存在など、風に吹かれて飛んでいくあしのようなものだ。私が目の前を通り過ぎる鋭い眼光の持ち主を認めた瞬間、貧弱な私の肉体は委縮してしまう。相手に敵意はないのだとは意識の表層では分かっていながらも、本能はそれを真っ向から否定してくる。今私の横を通った彼もまた、例外ではないだろう。しかし、毎度毎度、萎縮しっぱなしでは俺の体ももたない。なんだか体の中からどす黒いものが湧き上がってくるようだ。果たしてこの調子で後どれほど生きれるだろうか。いっそのこと死んだ方がマシではないかと思ったりもするのだが、ついあの暗闇でうずくまっているあの姿が脳裏に浮かび、すぐにその考えを押し殺してしまう。こういうときに、そういう奴になりふり構わず利己的に生きてくようなやからもいるのだが、私にはそれをする勇気がない。なにせ「陰者」なのだから。死して尚もに外道だ、鬼畜だのと罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられる。私のことなぞにムキになってほしくない、何より取り残された奴らがそんな風に見られちまうようじゃあたまったもんじゃない。そういう、こまごまとしたことに気を取られるから、私は一人でこの世を旅立つことができない。ただでさえ、既にいくつかは私より先に旅立ってしまった。少しでも多くの命を、私が光らせてやらなきゃいけない。そのために生きるんだ。

 手を翳す。相も変わらず私の血は流れ続ける。










 ___青い、私の血が。












 ___8本の腕の、根から先まで、吸盤まで満遍なく行きわたる。










 ___どす黒い感情を、スミとともに、真っ青な海へ。







 ___私は動物界、軟体動物門、頭足網、鞘形亜目、八腕形上目…







 タコ目の、タコだ。

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