果ての黎明

あずまなづ

第1話 その目に映るもの



 カランコロンカラン。

 下駄の音にお囃子の太鼓。雨のあがった夕暮れどき。神社の階段を登っていく沢山のあやかし。今日は月見酒だと、鼠、牛、狐に狸、壺に和傘に赤提灯が、手に大量の瓢箪と盃を持って跳ねていく。松浦かなめは、その光景を父の隣で見ていた。


 父の玄宗げんそうは寺の住職だ。

 田舎の山の麓にある寺で、人が亡くなれば経をあげて檀家の墓石の世話をする。寺なら町に幾つもあるのに、父ばかりが忙しい。それだけ死者が多いのか、父が人気者なのか。幼いかなめが心配すると、父は少し黙った後にこう続けた。


「誰にも言わないのなら教えてやる。俺のほんとうの仕事を。」


 幼いかなめの前で、りん、ぴょう、とう、しゃ、と、様々な形に手を組んだ。

 それからすぐに掌を広げてかなめの視界を遮った。大きく分厚い父の手につられて、かなめはその瞼をおろす。


 視界を閉ざすと、辺りは急に騒がしくなった。

 この喧騒が何を意味するか、かなめはよく知っている。


「今日は月見の祭りだよ。」


 かなめの、代赭色をした瞳が映すのは、意気揚々と頂上を目指す沢山の妖達。大きさも姿も様々だ。熊よりも大きなもの、蛍みたいに光って飛ぶもの、そしてかなめと同じ大きさの白兎。ふわふわの耳をピンと立てて、二足歩行で歩いている。一張羅と呼ぶにふさわしい菫色の道行を着て、若草色のぽっくりで、足音も立てずにゆっくりとかなめへ近づいた。真っ赤な瞳に見惚れるかなめは「邪魔になるぞ」と父に手を引かれた。


「ヤァ、玄宗どの。」


 紺の羽織を羽織った銀色の鼠が、にこやかにこちらへ近づいてくる。鼠はかなめと目が合うと、玄宗の肩へ乗って笑った。


「お前さんの子なら、私達が見えていても不思議じゃないねぇ。」

「うちの家系で、俺以外に見える奴なんざ居なかったよ。」

「ならお前さんが魁だ。」

「…いいや、蘭子のほうじゃねえかな。」

「そういえば嫁さんの姿を見ないねぇ。」

「調査に出た。」

「探し物かい?」

「ああ。」

「見つかるといいねぇ。」

 会話はかなめに聞こえない。不思議そうに自分を見上げるかなめに、鼠は羽織を翻してかなめの肩へと移って言った。


「玄宗どのが来てからこの町は平和になった。悪い奴らを追っ払ってくれたんだ。おかげでこうしてうまい酒が飲めるよ。…では、きみも楽しむといい。見える世界が増えるということは、選択肢が広がるということだからね。」


 通りかかった牛の背に乗り、鼠は石段をあがっていった。

 牛の後から続々と、大きな体躯の妖がやってきた。踏み潰されてしまわないように、玄宗はかなめを肩車した。

 石段を上へと進み、二人は大神宮の三ノ鳥居をくぐった。かなめが手を伸ばしても、石で出来たそれに触れられはしなかった。


 かなめは父の肩の上から、くるりと辺りを見渡した。

 境内には色とりどりの敷物が敷き詰められていて、酒瓶や盃も沢山並べられていら。

 不意に蛙が大きな盃へと飛び込んだ。うまいうまいと、しゃがれた声で、緑のぽよぽよが笑っていた。


「他の人には見えないの?」

「大抵の人間にはな。…ああ居た。あの小僧には見えてるよ。」


 玄宗が指差す先に、かなめと同じ年齢の少年がいる。水干と呼ばれる服装で、長い黒髪をひとつに結えていた。

 玄宗は少年の隣にかなめを降ろし、妖に呼ばれるまま酒の席へと赴いた。



「かなめって言うんでしょ?俺たちずっと昔に会ってるんだって。」


 かなめは少年の不躾な態度を気にも留めない。彼の衣装に釘付けだった。

「キレイだねぇ。」

「……着てみる?」

「いいの?」

 少年はかなめの両手に鬼灯をひとつ置いて、目を閉じるように言った。

 応じるかなめを見届けて、少年はかなめの掌で鬼灯を叩いて割る。するとふわっと、温かい光がかなめの全身を包みこんだ。


「もういいよ。」

 かなめの視界に飛び込むのは、少年と同じ真白の大袖だった。

「魔法使いなの?」

「呪術っていうんだって。専用の道具があって、霊力のあるひとしか使えないって、パパが言ってた。」


 少年は答えながら、手元で何かを編んでいる。かなめには、少年が何もないところから青白い糸を出しているように見えた。


「でも俺とかパパとか、道具がなくても出来る人がたまにいて、そういう人がすめらぎってところで仕事をするんだって。多分かなめのパパも皇のひとだと思う。バディって言ってたから。」


 少年の手元に、水引で結ばれた花の髪飾りが完成していた。


「わたしもやりたい。」

「やったことあるの?」

「わかんない。」

「じゃあやめな。急にやると死んじゃうよ。」


 少年は、かなめの右耳へ髪飾りを掛けた。

「俺、野坂宗也のさかそうや。」

「じゃあ宗ちゃんって呼ぶね。」

「…あだ名で呼ばれたことないや。」

 

 神楽殿の猫又は、舞いながら猫じゃらしを稲穂へ変えている。木々に囲まれた境内では、蝉の大合唱が聞こえていた。それよりも賑やかに響くお囃子の音。


 黒の僧衣を纏った玄宗の隣には、浄衣じょうえと呼ばれる真白の狩衣を纏った男が立っていた。涼しい顔立ちの彼は玄宗とともに妖の酌に盃を傾けている。かなめへ「俺のパパだよ」と呟く宗也はどこか誇らしげだ。


「宗ちゃん、わたしのバディ?に、なってくれる?」

「……いいよ。でも、見えるの?」


 返事は無い。かなめは玄宗の元へ駆けていた。

 真白の大袖を振って花の飾りを揺らす娘に「なんだお前その格好」と驚く玄宗。お構いなしに、かなめは声を張り上げた。


「わたしぜったいに、パパとおんなじ仕事をするね!」

 


 頭にわんわんと響く自分の声。

 もう十年も前の記憶が、目覚ましがわりにかなめの頭を揺さぶっていた。


「おはようございます。太郎さん、次郎さん、三郎さん。」

「おや、いつにも増して早起きですね。」

「夢を見ていたら、自分の声で起きました。」

「はは、そうでしたか。…玄宗さんはもう出ておりまして、帰りは夜中になるそうです。」


 かなめは毎朝、自宅から目と鼻の先にある寺へ行く。三人の僧侶に混じって掃除と読経をし、父がいれば体術などの稽古をつけてもらっている。父と同じように、皇というところで妖相手に仕事をするためだ。

 しかし玄宗が不在であれば朝のつとめは掃除と読経だけ。正直それで終わってしまうことが多い。愚痴をこぼす相手もおらず、かなめはやる気を持て余しながら自室で制服へと着替えた。



「おはよう。」


 玄関を開けると、宗也が待っていた。

 巷で噂の美少年へと成長した彼は、涼しい顔で右手に持っていた弁当箱を差し出した。


「母さんから。」

「わぁ、後でお礼言わなくちゃ。」

「毎日のことだから良いのに、って言ってたよ。」

「私がお礼を言いたいの。」


 忙しい両親に変わってかなめの面倒を見ているのは、宗也の母・麻美だ。彼女は優しいながらもはつらつとした笑顔で迎え入れてくれる。


「母さんが夕飯も是非、って。今日は父さんいないから。」

「あれ、紀明のりあきさんも?パパも居ないの。てっきり住職の仕事かと思ってた。」

「皇のほうだね。羽織で出てったから。」

「宗ちゃんは合流しないの?」

「見習いは留守番だってさ。」


「夕飯なにかなぁ、麻美さんのご飯はなんでも美味しいからなぁ。」

 昼飯を受け取りながら夕飯に思いを馳せるかなめと共に、宗也は高校へ向かって歩きだした。


 丘陵地にあるこの町は朝晩の寒暖差が激しい。

 朝に羽織ったブレザーが、昼過ぎには椅子の背もたれを無意味に温め続け、帰る頃には立派な荷物になってしまう。それを面倒がる二人は毎朝肌寒さを堪えながら、長袖のシャツで登校している。

 宗也はシャツをわざとらしく捲りながら、自分より頭ひとつ小さいかなめを見て言った。


「さあて今日は見えるかな。」

「宗ちゃん絶対応援してない。」

「してるよ。バディになるんでしょ?」

「なる……。」


 祭りの日以来、かなめは欠かさず修行をしてきた。しかし彼女の瞳が妖を映したのはあの日だけ。今日も今日とて、宗也のように妖の居場所を言い当てることは出来なかった。


「続きは帰ってからにしよっか。」

「…ごめんね宗ちゃん。」

「かなめは何も悪くない。」


 眉の下がったかなめの向こうに、宗也は女子生徒達を見つけた。彼女らはこちらを見ながら耳打ちし合っている。会話の内容を察した宗也は、かなめの肩を抱き寄せた。


「っなに、」

「…誰も話しに来ないくせに、嫌がらせだけはきっちりする。そういう陰湿なところ、俺すっごい嫌いなんだけど。」

 宗也が女子生徒へ冷ややかな視線を送ると、あっという間に退散していった。


 田舎に置いておくには勿体無い容姿を持つ野坂宗也は、皆の憧れである。周囲は誰にも独占させまいと、目を光らせ続けていた。幼馴染というアドバンテージを持つかなめは恰好の的である。


「ねえかなめ、いっそのこと恋人同士ってことにしない?」

「火に油……。」

「燃えるだけ燃えれば鎮まるんじゃない?」

「…小学生のとき、私を庇って滝に落ちたことあったでしょ。私のせいで宗ちゃんが傷付くの、嫌なの。」


 かなめは余計な波風を立てないために、学校で宗也と関わらない道を選んだ。時折こうして、現状を打破したい宗也と意見がぶつかるものの、最後はいつも宗也が折れていた。


「一番傷ついてるのはかなめでしょ。俺だって、俺のせいでかなめが傷付くのは嫌なんだよ。」


 肩を抱いていた力を強めた後に、宗也は離れていった。

 かなめはひとりで門をくぐり、下駄箱を開ける。

 上履きが汚されているのを見て、かなめは遂に膝を折った。

 

 ふと、涙に暮れるかなめの耳元で声がした。


「いい加減目を醒ましなさい。同じ世界を見たいのであれば。」


 柔和でいて鋭い声音。かなめのぼやけた視界に、藤色の双眸が光っている。


「…あなたは、」

「別に死神でも悪魔でもありませんよ。悪戯の犯人を呪い殺す提案をしにきたわけでもない。」

「…なんで考えてること分かるの?」

「読もうと思えば読めるので。」


 高校の制服を纏った少年は、しゃがみこんでかなめと目線を合わせた。


「お察しのとおり、僕は人間じゃない。貴女の中に眠る方を起こしにきました。」

「…私の中に?」

「貴女ととても縁の深い方です。」


 少年は麦色の髪を揺らして、左手をかなめの前へ突き出した。


「さて紅様べにさま。言いつけ通り、起こしにきましたよ。」


 そしてかなめの額を小突く。それはまさしくデコピンだった。


「いった…!!」


 かなめは痛みに仰け反って、背後の下駄箱へ後頭部を強打した。

 少年は近づいてくる足音に気付いて踵を返す。


「また来ます。紅様は寝起きが大変に悪いと聞きましたので。」


 瞬きの間に少年は姿を消してしまった。

 代わりに血相を変えて走ってきたのは宗也で、彼はしゃがみ込んで涙目のかなめと目線を合わせた。


「変な気配を感じたんだけど何があったの。」

「…妖にデコピンされた。」

「……は?」


 宗也が首を傾げると同時に、始業のチャイムが鳴り響いた。慌てるかなめを立ち上がらせた宗也の瞳に、悲惨な姿の上履きが映る。青筋を立てた宗也はかなめを姫抱きにして、そのまま授業のある理科室へ直行した。



 二人はクラス中の視線に晒されながら、理科室の空いている席へ座った。

 宗也は珍しく隣に陣取ったのをいいことに、まだ顔の赤いかなめへ筆談を持ちかけた。


“妖の目的は?”

“私に憑き物があって、それを起こしに来たって“


 宗也はかなめを凝視する。


「じゃあここを野坂。…野坂?おい聞いてるか。」

「聞いてないんですけど。」

「宗ちゃん私じゃなくて黒板見て!」


 かなめは授業の終わりまで居心地の悪さを感じていた。女子生徒の冷たい視線もさることながら、隣の宗也がこちらを見つめ続けるせいだった。



「二人って付き合ってるの?」


 終業のチャイムと同時に、かなめと宗也は女子生徒らに囲まれた。

 困惑するかなめを、宗也はまだ見つめている。皆は無言の見つめ合いを肯定と捉えた。


「いつから?」

「こっちが聞きたいんですけど。」

「宗ちゃん、ずっと噛み合ってないよ…。」


 宗也はようやく状況を把握する。

 即座に笑顔を作るが、その瞳は笑っていない。


「そうだよ。だからもう嫌がらせするのやめてもらえる?分かってるんだよお前らが犯人だって。かなめが黙ってるからって、何しても良いと思ってるだろ。…次やったら俺が許さないから。」


 主犯の生徒も、傍観していた生徒も、皆が理科室から逃げ出した。

 宗也は強行突破の負い目から、恐る恐るかなめを見る。


「…泣くほど嫌だった?」


 かなめは代赭の瞳いっぱいに涙を溜めて宗也を見あげていた。

 涙を拭おうと伸ばした宗也の手を引いて、かなめは懐へと飛び込んだ。


「宗ちゃんを盾にしちゃった。」

「…別に苦肉の策じゃないから、泣かないでよ。」


 抱きしめ返そうとする宗也の背中に悪寒が走る。それと同時にかなめが宗也ごと後退った。


「宗ちゃんの後ろに何かいる。」

「やっぱり見えるようになった?」

「やっぱり?」

「さっきからかなめに霊力を感じるんだよ。今までずっと、憑き物に霊力を食われてたんだと思う。」

「だからずっと見てたんだね。」

「顔赤くしてるかなめが可愛かったのもあるよ。」

「こんな時にふざけないで宗ちゃん。」

「……。」


 宗也は真剣な面持ちのかなめを担いで、黒板の方へと走った。振り返った二人が見たのは、酷く暗い影の塊だ。


「あれって?」

「生霊。でも力を持ちすぎてる。」


 宗也はかなめを担いだまま、呪符と呼ばれる細長の和紙を制服のポケットから取り出した。


「訳わかんない妖と接触させるわ、憑き物には気付けないわ、生霊作るほどの敵意がかなめに向いてるわ…こんなんでバディがどうのって、よく言えたよね。」


 宗也は自責と共に、呪符を錫杖へと変える。錫杖は青白い光を帯びていた。


「あの生霊はかなめへの嫉妬と、俺への反感が合わさってる。…ごめんね。かなめに霊力があるって分かって、これから俺と同じ景色を見るんだろうなって思ったら、我慢出来なくなっちゃった。」


 陰は人のような形をとって、ズルズルと足を引き摺りながら進んでいる。速度こそ遅いが、確実に二人を狙っていた。


「…謝るのは私のほうだよ。生霊が生まれるほど、人の気持ちから逃げ続けちゃった。宗ちゃんのバディになるなら、向き合わなきゃいけないんだ。」


 かなめは両手で涙を拭う。

 宗也はかなめを降ろし、雫で濡れた彼女の手に錫杖を置いた。


「今なら出来るよ。…頑張れ、相棒。」


 宗也は知っている。かなめが霊力に目覚めずとも決して諦めず、血の滲むような努力を重ねていること。相手の、敵意の奥にある苦悶に手を差し伸べられるような、温い心を持っていること。


「どうかあなたが、清かな心に満ちますように。」


 両手で握りしめた錫杖から、眩い光が放たれる。

 光は風を纏い、暗い影を祓っていった。


「上出来。」

 ふらついたかなめを、宗也が抱き止める。

「完全に消えたわけじゃないと思う。」

「…やっぱり術者の素質があるね。」

「なんで?」

「消えてないって分かるあたりが。」


 宗也はかなめを支えながら、錫杖を受け取りその形を解いた。効力を失った呪符は散り散りとなって空中を舞った。


「初めてだからどっと疲れたよね。」


 返事はない。脱力どころか気を失ってしまったのかと、宗也はかなめの顔を覗き込んだ。そして、かなめの中から沸々と湧き上がる妖気を感じ取る。


 憑き物を起こしに来たという妖に、突如現れたかなめの霊力。

 かなめの霊力を養分としていた憑き物が妖によって目を覚まし、憑き物に食われなくなった霊力が出現しているのだ。


「誰だお前は。」


 普段のかなめからは想像がつかないほど鋭い視線と、圧倒的な妖気。

 紅く染まった髪から覗く黄金の双眸に、宗也は言葉を失った。

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