ヨクの視る世界

風間エニシロウ

第1話ヨクの視る世界

「あー、早く迎えに来ねぇかなぁ」

 ヨクはガードレールにもたれかかりながら、手持無沙汰にスマートフォンをいじる。


 ある秋の日、親戚である叔父夫婦が引越しをすることになった。

 理由は不明。

 唐突に「私たちは引っ越すことにしたのだけど、実家はどうしようか」とヨクの両親に相談が来た。

 元々は祖父母と母とその弟である叔父が住んでいた家である。

 母方の祖父母はヨクが産まれる前、とっくの昔に死んだ。

 その時母は既に独り立ちをしていて、弟の叔父だけがヨクの祖父母である彼らの両親と住んでいた。

 そして叔父はそのままその家に住み、結婚しても残った。

 だが、それが突然理由もなく家を手放す選択肢を選んだ。

 そして話し合いの結果、家は売り払うことになった。

 その時ヨクは言った。

「待って。確か叔父さんの家、古い倉庫があったよね。その中の物、どうするわけ?」

「どうするって、業者に頼んで捨ててしまおうかと思っているけど―――」

「捨てるの?」

「ああ、物がいっぱいあって整理するのも大変だから、いっその事一気に処分してしまおうと思ってね。私達夫婦はもうとっくに使っていないし―――」

「その話待った!オレが行くよ。オレが整理する。だから時間をちょうだい!今度の休みそっちに向かうから!秋休みで数日泊まれるから!引っ越すまでに何とかするから!あ、駅まで迎えに来てもらっていい?」


 そうやってビデオ通話で捲くし立てて数日。

 ヨクは学校が終ると同時に叔父夫婦の家の最寄り駅に向かい、着いた。着いたは良いが、叔父がまだ来ない。

 複数のゲームでスタミナを使い切って完全に暇になった。暇になってSNS見ていたが、それにも飽きて手持無沙汰になったヨクは、もたれかかっていたガードレールに対してを使った。


 眼を閉じる。そうすると、ガードレールを中心にした半円形の風景が浮かび上がる。

 まばらに通り過ぎる車、ヨクと同じように待ち合わせをしていた男女。最初に女がこの駅前に着いた。そしてスマートフォンを片手に落ち着かなさそうに周りを見る。しばらくすると男が後からやって来た。「ごめん、待たせて。教授の話が長引いて―――」そういえば大学のキャンパスあったなぁ。「ううん、いいの私も―――」


「ヨク!」

 大きな声で名前を呼ばれてハッと顔を上げる。

「ああ、やっと気がついた!そんな所で寝るなんて器用だなぁ」

 あっはっはと叔父が豪快に笑った。

 ガードレールを挟んですぐ後ろ。そこに叔父は車を停車させ、助手席の窓を開けて運転席から声をかけていた。

「寝てなんていないよ」

 少し不機嫌になって答える。そもそもこんなガードレールに対して能力を使おうなんて思ったのは叔父の迎えが遅いからだ。

「そんなこと言ったって、俯いてて、声かけても反応なかったじゃないか」

「それは―――」

 ヨクは言葉に詰まる。叔父は知らないのだ。否、ヨクの両親だって知らないだろう。

 ヨクに特殊な能力が備わっていることを。

「まあ、とにかく乗りなさい。家まで行こう。学校から直行してきたんだろう。疲れているんだろうから、後ろで寝てていいよ」

 叔父は親指で後部座席を指して言った。


 ヨクは特殊な能力を持っている。

 それはサイコメトリー、物に宿る記憶を読み取る能力だ。

 正直これが役に立った試しは少ない。

 物や場所に宿った記憶を読み取れるが範囲が限定される。

 役に立つ場面と言えば、狭い自室で物を失くした時。

 部屋の記憶を読み取り、過去の自分の行動をさらって物を在処を見つけるのだ。

 だが、宿った記憶をつぶさにさらっていく行動はかなり疲れる。できれば使いたくない手だ。

 だが、それでもやらなくてはならない時がある。


 そう、例えば今回とか。

「よーし、着いたぞ。少しは眠れたか?」

 車で約20分程。叔父夫婦の家に着いた。

 元々眠くなかったんだから寝てねーよ。ヨクは口には出さなかったが少し不機嫌になった。無言で首を横に振る。

「そうか・・・まぁ、家は駅から近いからなぁ。仕方ないか」

 いや、駅から車で20分は近くはないだろう。

 ヨクの感覚では「近い」は歩いて5~10分程だ。

「じゃあ、まずは家でゆっくり―――」

「まず倉庫が見たいんだけど」

 ゆっくり休んでいきなさい、そう言おうとした叔父の言葉をヨクは遮った。

「もうかい?いやぁ、いやにやる気だねぇ」

 叔父は呆れているのか感心しているのかよく分からない声色で言った。

 それから「こっちだよ」と言って、家の裏手へと案内する。

 ヨクは「ありがとう」と返して追随した。

 途中、台所の窓から身を乗り出した叔母が「あら、お茶でも飲んでいけばいいのに、もう倉庫のお掃除をするの?」と訊いてきた。

「オレが先に見たいって言ったんです」

 だから、お気を使いなく。そう言って頭を下げると「あら、まぁ」と気の抜けた声が返ってきた。そして、叔母は「あとでお茶を持っていくわね」と言って頭を引っ込めた。

「さて、これだよ」

 やっと家の裏手にある倉庫の前に着いた。

 小さいながら白い壁にしっかりとした造りの倉庫だった。

 ヨクが「開けていい?」と一言断ると、叔父は鷹揚に頷いて鍵を取り出した。

 がちゃり。

 音を立てて鍵が開けられると、ヨクは扉をすぐさま開けた。

「さあて―――ごほっごほっ!うわ、埃くせぇ!」

「あっはっはっは。そりゃしばらく掃除して―――ごほっ、ごほっ!」

 二人して盛大にむせた。

 二人はむせながら、急いで倉庫前から退避した。

「―――はぁ。まずは埃掃除からだね」

「―――うっす」


 この日はヨクと叔父とで布巾とマスクをして埃掃除をして終わった。

 その後、夕食をいただいて、風呂にゆっくりと浸かって疲れを癒し、床に入った。

 ヨクは寝床で決意する。明日こそ、何か名品を見つけてやると。


 翌日、朝早くからヨクは倉庫に向かった。出された朝食もそこそこに済ませて一直線に倉庫まで行った。叔母には「あらあら、昨日に続いて精が出るわねぇ」と言われた。

 さて、まずはこれだ。昨日見つけた小ぶりの壺。いかにも高そうな箱に入った、高そうな壺。叔父もこれを見つけて「おや、こんなものがあったのか。意外と値打ち物が眠ってたりするのかなぁ」と言っていた。ヨクもこれは高そうだと目を付けていた。

 ヨクはわくわくとした気持ちで壺の記憶を読み取る。


 二人のおっさんが向かい合っていた。中心には綺麗な状態の壺。片方のおっさんが言う。「これは中国来歴の―――」もう一人しきりに感心したように頷いて、壺を舐めまわすように見る。「いやはや、やはり良い物は違いますな。見るからに気品あふれるというか―――」「あなた様は見る目がある―――」どうやら購入の様子だった。興味深そうに壺を見ているおっさんが祖父か。ヨクは記憶を遡る。

 さっきの記憶の片割れ、商人とこれまた知らないおっさんだった「なあに、大丈夫ですよ。テキトーに中国からの古い品だと言っておけば大体売れます」


「騙されてんじゃねーか!」

 独り倉庫の中で叫んだ。何しているんだ、じいちゃん簡単に騙されんなよ。ヨクは自分も昨日は高価な品だと思い込んでいた事実を棚上げして、心の中で祖父を責めた。

 いや待て、落ち着け。とヨクは自分に言い聞かせる。まだ他にも品はあったじゃないか。いくつかある骨董品に目をやる。これにきっと希望が―――!


 ダメだった。どれも偽物ぽかった。というより売り手側もよく分かっていないというのが多かった。残念ながらヨクの能力では来歴までは辿れない。そこまで遡れるほどできのいい能力ではないのだ。正直祖父の時代の記憶まで遡るにもだいぶ消耗をしている。なので、もうあと一品しか視ることができないだろう。ヨクは最後にある物を選んだ。手入れのされていない刀だ。手入れのされていない物にどれだけの価値が宿るか分からないが、骨董品の並ぶ中これだけが異質だった。なんたって刀だ。きっと古い物だろうと思い、本日最後のサイコメトリーを試みた。


 今やもう見慣れた祖父の姿と知らないおっさん。二人は深刻そうな顔で向かい合っている。「これは我が家に代々伝わる物なんだが、俺の手には負えない。たしか、お前は骨董品とか扱っていたよな。これを預かってくれないか」「そんな、大切な物なんだろう」「だから、扱いが分かる奴に預けたいんだ。頼まれてくれるか」「……わかった、オレでよければ預かろう」なんだか大変深刻そうな場面だった。来歴が詳しく分かるかどうかは分からないが、祖父の友らしき人物記憶ぐらいはたどれるかもしれない。最後の力を振り絞ってヨクは記憶を遡る。

「あー、これ親父が箔付けの為に買った刀か。邪魔だなぁ……そうだこういうの好きそうな奴いたな!」


「友達にも騙されてんのかよ!」

 仰向けになりながらヨクは叫んだ。声は倉庫に虚しく吸い込まれていく。


「どうだい、倉庫の方は捗っているかい?」

 疲労困憊で家に入っていったヨクを、叔父夫婦が夕食を用意して迎えてくれた。

「う、ん。一応は」

 正直、物の記憶を視るので忙しくて、倉庫の整理のことは主眼になかった。

 だが、骨董品の類だけはまとめて片づけて、埃を払ったりしたので進んではいる。

 ヨクは手早く夕食を終えると、シャワーだけ浴びて寝床に入った。

 目を付けていた物がことごとく外れだったので落胆が大きい。

 明日から本格的にただの倉庫掃除になるだろう。


 翌日、ヨクは少し遅めの朝食をとっていた。モチベーションが昨日より下がっている証拠だ。

 叔母は、

「あらあら、昨日はやっぱり疲れちゃったのね。今温め直してあげるわ」

 と笑顔で朝食を温め直してくれた。

 ヨクは気力のない顔で礼を言う。

「うっす。ありがとうございます」

 昨日と違い、朝食をゆっくりと摂って、倉庫に向かった。


 見つかるのは、アルバムやカセットらしきもの。それから教科書で見るような古いパソコン。さすがにこれらは売れないだろう。パソコンもこんな倉庫で放置され続けていたのだ。使える部分なんてないんじゃないか。ヨクはそう思いながら倉庫を整理する。難関は勉強机などの家具の類だ。さすがに、これを動かすのには叔父さんを呼んで手伝ってもらった。


 そして見つけたのが、古書の山だった。

 マンガなどの古本しか売ったことのないヨクにはどのくらいの値で売れるのかは分からない。見たところ、歴史の資料などのようだった。

 ヨクなんとなく能力を使ってみた。


 薄暗い部屋。手元の明かりを頼りに必死に書物を読み解く女。顔は暗くてよくわからない。十代ではなさそうだが、あまり年を取っていなさそうだった。これが祖母なのだろうか。女は書物を読み解いては紙にメモを取る。もう少し様子の分かる記憶はないか、時間を進めてみる。だが、やはり薄暗い部屋だった。ただ、違ったのは原稿用紙に書き込んでいることだった。原稿用紙。論文、それとも本だろうか。しばらくすると真面目な顔で書き込んでいた祖母らしき女性が天を仰ぎ、顔を歪める。「ああ、私にはこれ以上書けないわ!」そこへ男の「うるさいぞ」と言う声が飛んできた。


 サイコメトリーをやめ、現実に戻る。古書の周りを見渡す。あった。

 原稿用紙の束がいくつか、ひっそりと置いてあった。なんとはなしに手にとってみる。祖母が必死に書いていたのだろう、それをぱらぱらとめくってみる。


 ダメだった。何がダメってヨクにうってつけない物だった。中身は武田信玄×上杉謙信の、今で言うBL小説だった。そういえば姉が言ってたな、宿命のライバルは定番とか。姉を連れてくればこの小説の良し悪しがわかったかもしれないが、ヨクにはムリだった。というか、さすがは親族というべきか。ヨクの姉もBL作品を生みだしている同人活動家だ。もしかして母もそうだったりするのだろうか。ヨクは少し気になったが、頭を振って忘れることにする。余計な詮索はよそう。


 とりあえず原稿用紙の束を片づけていると、一つだけ表紙が和紙で閉じられている原稿用紙の束があった。題名は「おしどりの夫婦」綺麗な和紙に手書きで書かれている。一つだけ異色のそれに興味をそそられたヨクは能力を使ってみた。


 若い女だった。今度は明るいので顔がはっきりと見えるが、さっきの人物と顔が同じかはわからない。だが、恐らく同一人物だろう。女は箒を傍に置いた状態で慌てたように原稿用紙を引っ張り出す。「よしあった。これはきっといい考えだわ」そう言いながら女は原稿用紙に文字を書きだす。「私達夫婦の記録を本にしましょう。ふふ、きっといいものになるわ」楽しそうに笑って、嬉々として原稿用紙に文字をつづる様子はとても幸せそうだった。


 ヨクは現実に戻る。そしてページをめくる。。祖父母は早死にしたのだ。きっと老後に本の形にして読むつもりだったのだろう。だが、その前に彼らは死んでしまった。文章は読点で終わっている。後で続きを書くつもりだったのだろう。だが、不慮の事故で彼らは死んでしまった。

 ヨクはなんとも言えない気持ちが込み上げてきた。

 他に何か見えないだろうか、ヨクは能力を再び使った。


「おい、まあたそんな物書いているのか」祖父だった。原稿用紙に文字を躍らせる祖母の手元を覗き込んで呆れた顔をしている。「そんな物とはなんですか。これは―――」祖母が手を止めて、目を吊り上げて抗議をしようとする。「あのな、そんな物書いている暇があるならやるべきことをやれよ」ため息をつく祖父に祖母はもっとまなじりを上げる。「なんですか、ちゃんとお風呂は沸かしました。ご飯だって作って片づけました。やるべきことはやってます!」祖母の反論に祖父は顔をムッとさせる。そこからは激しい口論になった。最後には祖母が「もういいです知りません!」と言って原稿用紙を抱えて部屋を飛び出す。向かった先は倉庫だ。「……こんなもの!」そして、倉庫の奥に向かって投げられた。


 現実戻ったヨクは自分が悲しくなっているのがわかった。あんなに幸せそうにしていたのに、二人はいがみ合って、あの口論の末この原稿用紙は日の目を見ることはなくなったのだろうか。そして、二人は事故を迎える。

 ヨクは縋るように、もっと先の記憶を読むことにした。


 どんどん記憶は進む。原稿用紙は暗い倉庫の中のままだ。やはり、あれから日の目をみることはなかったのだろうか。ふと原稿用紙が持ち上げられた。「あらまぁ、懐かしい」それは先程の記憶より少し老けた祖母だった。「そういえば、こんなものも書いてましたねぇ」ぱらぱらと原稿用紙をめくる祖母。ヨクには安堵が広がる。そして祖母は言った。「でもま、もう書く気にはなれないわね」さらっと言った。「でもこのままも寂しいですよねぇ。何か表紙でもつけようかしら。ええと、あった。こんな綺麗な和紙なんてここにあったのね。いつのかしら?まあ、いいでしょう。ええと、題名は―――おしどりの夫婦。いやだ、単純過ぎるし、なんて恥ずかしい題名つけてたのかしら。きっと若気の至りですね。わたし」祖母はそう言って立ち上がると、倉庫の外に出ていった。


 ……日の目には出たんだな。ヨクは、最初にこの原稿用紙を見つけた時とは違った、なんとも言えない気持ちに襲われていた。一つ深呼吸をする。うん、まあ、そういうこともあるのだろう。

 そして、ヨクは原稿用紙と一緒に古書の整理をすることにした。


 それから数日、ヨクは特に興味の惹かれるものもなく、淡々と倉庫の整理をした。

 そして最終日。

「本当にこの古書だけ売るのかい?他は?ほら、この壺なんか値打ち物そうじゃないか―――」

 惜しそうに言う叔父に対してヨクは曖昧に笑う。

「でも、よくここまで綺麗にしてくれたわぁ。ありがとうねヨクちゃん」

 叔母はニコニコと「これはお駄賃ね」と千円札を数枚握らせてくれた。労働力に見合った対価かどうかは分からないが、アルバイト禁止の高校に通うヨクにとっては嬉しい臨時収入だった。

「じゃあ、買い手がついたら、連絡するよ。お金は今回の功労者、ヨクに全部あげよう」

 叔父は人のいい顔で笑う。ヨクはいい叔父を持ったなと現金な評価をする。

「じゃあ、そろそろ秋休みも終わるだろう。貴重な休みを使わせて申し訳なかったね」

「いや、オレが言い出したことだから」

 叔父は「そういえば、そうだったね」と言って「それでもありがとう」と頭を下げた。

「おかげでね、色々思い出の品も見つかったよ。あのまま廃棄しないでよかった」

 叔父は倉庫から運び出したものを見渡して、眩しいものを見るように目を細める。


「それじゃ、駅まで送るよ」

「ありがとう」

 手早く荷物纏めたヨクは車の後部座席に乗り込む。

 叔父はヨクがシートベルトを締めるのを確認すると、車を発進させた。

 流れていく景色。ヨクには一抹の寂しさと色々な思いが沸いてきた。

 今回の倉庫掃除では大した収穫はなかったが、顔も知らない祖父母の一面を知れたようで少し楽しかった。


 そして、ヨクは心に誓った。


 骨董品だけには手を出すまい、と。

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