26.誰がために

 怪物の口のような岩の裂け目から、満月がのぞいている。

 洞窟に差し込む月光に照らされて、魔獅子は眠るように身を横たえていた。


 あたりからは虫の鳴き声と風にそよぐ枝葉のざわめきだけが聞こえてくる。

 動物の気配はない。

 この森をすみかとしていた魔獣は、そのほとんどが神罰によって土へと還ってしまった。


 いまや、ここはどこよりも安全な森といえるだろう。

 魔獅子の存在を除けばの話ではあるが。


 かすかに地面を踏みしめる音と、月光の陰りを感じて、魔獅子は顔を上げた。

 洞穴の入り口で満月を背に浮かび上がる人影はアルバである。


 獣の聴覚をもってしても身近に迫るまで気配を感じさせない青年の技量に、魔獅子はあらためて感心する。


『戻ったか。首尾はどうだ?』


「獲物はこれだけだ。が、知りたいことは全部知れた」


 アルバはそう言うと、ふところから小さな袋を取り出し、その場で手放す。

 地面に落ちた袋からわずかな金属音がした。


『そうか』


 地面に投げ出すからには、袋の方は取るに足らないものなのだろう。

 主な収穫が情報だけ、という点に魔獅子は少し違和感を感じた。


 だが、【支配】がいまだアルバに届いていることは間違いない。

 理屈はわからないが、この魔法を得たときから、その効果が相手におよんでいるかは判別できた。


『まあよい。傷が癒えたら、我が直々に街へとおもむこう。お前が露払いをしてくれるなら安心だ。出会った人間を片っ端から我が配下に加えるとしよう』


 この抜かりない青年が『知りたいことは全部知れた』と言うからには、次の行動に支障をきたす可能性を排除できるだけの自信があるということなのだろう。


 魔獅子とて情報を軽視するつもりはない。

 いや、なくなった、と言ったほうが正しい。


 今にして思えば、最初の出会いのあと、アルバに情報を持ち帰らせた時点で魔獅子の敗北は確定していた。

 アルバがあの時、自分を見逃そうとする魔獅子を不審げに見ていた理由をいまさらながらに理解する。

 自らの敗北を決定する一手を自信満々で打つ魔獅子は、さぞ滑稽に見えたことだろう。


「ひとつ聞いていいか?」


 アルバが魔獅子に歩み寄る。

 その表情は満月の逆光に沈んで、うかがい知れない。


「……もし、あんたの娘が生きているとしたら、あんたは神への復讐を止めるか?」


 アルバの質問に、魔獅子はしばし沈黙し、己の心へと問いかける。


『いや。神の存在自体が理不尽だと我は断じた。ゆえに、神への反逆を止める気はない』


 魔獅子の言葉にアルバは深く息を吐いた。


「そうだろうと思った。……ひとつ、あんたの勘違いを訂正したい」


『なんだ?』


「あんたが【支配】と呼ぶこの魔法の本質は、相手を支配することじゃあない」


『なに?』


「俺の仲間が最初に言い当てていた。『忠誠心が厚すぎて、融通が利かない人間と同じ』だとな。『我が意に沿え』『主の意をくんで行動すべき』と言われたとき、何の強制力も感じなかった。最初からそのつもりだったからだ」


 魔獅子の目の前でアルバが立ち止まる。


「俺自身、初めての感情なんで確信は持てないんだがな。おそらく、この魔法の本質は【忠誠】だ」


『【忠誠】だと?』


「魔法は、魔法使いの願望が具象化したものだ。相手に害意をぶつけたいと思うから【これでも喰らえ!】が発動する。身に迫る危機を排除したいと思うから【爆ぜろ!】が発動する」


『そうだ。そして、我は【支配】を望んだ』


「違うな。自ら死にゆく者が他者への支配を望むか? あんたの望みはおのれの死だ。最初に言ったな? 『次はちゃんと殺してみせろ』と。あれがあんたの本音だ。勝てるはずのない神への反逆。神にあらがって死ぬ、という形を取った、ていのいい自殺だ」


『黙れ!』


 怒りに震えて腰を上げた瞬間、魔獅子は胸元に鋭い痛みが走るのを感じた。

 その直後、目の前のアルバの姿がかき消える。


 視線を下ろすと、懐に入り込んだアルバが、黒い刀身のダガーを魔獅子の胸元へと突き立てていた。


『貴様ぁ……裏切ったな!』


 魔獅子は顔の真下にあったアルバの肩口へとかみついた。

 鋭い牙がアルバの体へと食い込み、鎖骨を砕く感触が伝わってきた。


『!』


 魔獅子は瞠目どうもくし、アルバの体からゆっくりと牙を引き抜いた。

 アルバの体から力が抜け、魔獅子の胸にダガーを残したまま、その場に崩れ落ちる。


『なぜだ! なぜ避けぬ! なぜあらがわぬ!』


 魔獅子は地に伏すアルバを見下ろした。

 魔獅子の牙は致命的だった。すぐにでも治癒の恩寵を賜らなければ、死は確実だ。


「……死にゆく者へ……の忠誠だ。……殉死じゅんしだったか? ……魔獣たちと同じ、さ。あんたが……真に望んだことだ」


 アルバは息も絶え絶えに魔獅子を見上げる。


『ばかな……』


 魔獅子は狼狽した。


(殉死だと? 先腹さきばらだと? 我がそれを望んだというのか? ひとりで死ぬのが怖いと? そんな浅はかな願望を、我が抱いたというのか?)


「ひと思いにと思ったが……自分の非力さが……泣けてくるな。肋骨の間を狙ったのに……ぎりぎり……魔核に届いた」


 魔核が傷ついたためか、はたまた魔力を無害化するダガーの効果か、魔獅子の体内から急速に魔力が消えてゆく。

 それと同時に身体の力も抜け、魔獅子はたまらず、その場に身を横たえた。


 地面すれすれで、アルバと魔獅子の視線が交差する。


『そこまでして我を止めたかったか。それがお前の忠誠か。我に……あの紅の髪の娘を殺させぬように?』


 アルバは答えない。

 だが、その顔は笑っているように見える。


『あほうが。娘が生きていたら、などと聞くからだ。気づいてしまったではないか。……そうか、生きていたのか』


 魔獅子は自分の娘の顔を思い出そうとするが、面影は浮かんでこない。

 かわりに思い出したのは、紅の姫が好きだった花の前で会った女神、そして、その女神と同じ顔を持つ紅の髪の娘だった。


 あのとき、あの花の前で、女神を紅の姫と見間違いかけたのは、真紅の髪のせいだと思っていた。

 だが思い返してみれば、あの女神には、あの紅の髪の娘には、どことなく紅の姫の面影があった。


『……合点がいった。はっ、我はとんだ道化ではないか。二度も、いや三度も、自分の娘を殺しかけたのか。そうと悟ることなく死にゆくことが、我のためだと、お前は……』


 魔法にのせた自分の言葉が、すでにアルバに届いていないことを魔獅子は悟った。

 魔力が完全に尽きたわけではない。アルバのほうで、それを受け取れなくなっただけだ。


(ああ、たしかにお前を手に入れる直前、一瞬だが夢想したよ。アルバ、共に死ぬのがお前なら悪くない、とな)


 目を開けていることが辛くなり、魔獅子は眠るようにまぶたを閉じた。




 真っ暗な森の中を光が移動していた。

 ひときわ明るい光が進行方向を広く照らし出し、その後ろをふたつの小さな光が追いかけている。


 光の正体は【鷹の目】の女性陣である。


 先頭を足早に歩くのはケイティだ。その胸にはラキアを抱きかかえている。


 ひときわ明るい光はラキアが持つつえから発している。杖の先端の片面を【照明】の魔術で発光させているのだ。

 発光体に変化することでもろくなった表層がときどき剥離しては、光の粉となって後方へと舞い散っている。


 先頭の光を追うふたつの光は、モナとユリシャの腰につるされた魔術カンテラである。


「右へ。すぐそこです」


 モナがケイティに声をかけた。

 その頭上には恩寵を授かっていることを示す光輪が輝いている。


「了解だ。【失せ物探し】は距離もわかるのか?」


「いいえ。【マーカー】が右にそれてゆく速さで、近いとわかります」


「? そうなのか?」


 失せ物の位置を示す【マーカー】がモナにどう見えているのか、ケイティにはわからない。

 そのため、ケイティはモナの言葉を完全には理解できなかった。


「急ごう。アルバ殿が心配だ」


 ケイティが出自を告白し、十年前の神罰の真相を語った後、アルバはその場から姿を消した。

 正面から戦えば余裕で勝てると豪語していたユリシャだったが、一方的に逃げるアルバを捕らえることはできなかったのだ。


 その際、アルバは『けりは俺がつける』『モナに失せ物を探させろ』とだけ言い残した。


 借家に戻ったモナは私物がひとつだけ消えていることに気づいた。

 その私物を【失せ物探し】の恩寵で探して、四人はここまで来た。


 四人だけで森に入るのは、一見すると無謀とも思える。

 だが、魔獅子の配下にされる可能性を考慮すると、大人数でいどむのは下策。

 むしろ必要最小限の人数が望ましい。


 検討の結果──

 夜の森を走破するのに必要な強力な照明を提供できるラキア。

 そのラキアを高速で運べるケイティ。

 アルバの奇襲に対処できるユリシャ。

 そして、魔獅子に対抗できるモナ。

 結局、【鷹の目】の女性陣四人による編成が最善であるとの結論に至った。


 ほどなくして、四人の前に化け物の口のように裂けた岩肌が立ちふさがった。


「ここです」


 目の前の裂け目を見つめて、モナが断言した。


「いいタイミング。ちょうど【照明】で消費した魔力も回復したわ」


 ケイティの腕から下ろしてもらいながら、ラキアが声を潜めて言った。


「よし、入ろう」


 ユリシャが先頭に立ち、それに続いてケイティが裂け目をくぐる。

 洞穴のなかは一部に月光が差し込むだけで、ほとんど真っ暗だ。


「モナ殿」


 ケイティの呼びかけにモナがうなずく。


「【光あれ】」


 天井近くの中空に光球が出現し、洞穴の内部がすみずみまで照らし出された。


 そこには、身を横たえた魔獅子の姿があった。

 体の下に広がる出血からして、致命傷を受けているのは明白だ。

 だが、この距離からでは生きているのか死んでいるのか判然としない。


 ケイティは用心深く魔獅子に近づいた。


 魔獅子の胸がわずかに上下している。

 同時に、その胸に刺さっている黒いダガーを確認して、ケイティはなにが起こったのかを悟った。


 ケイティの気配を感じたのか、魔獅子がうっすらとまぶたを開ける。


『お前か……』


 魔法によって伝わる言葉はあまりにも弱々しく、ケイティにもぎりぎりで届いている感じだ。おそらくほかの三人には聞こえていないだろう。


 いくら弱々しくとも、【支配】の魔法が発動しない保証はない。

 しかし、いまのところ、その言葉には特別な力は感じられない。


 一瞬だけ躊躇ちゅうちょした後、ケイティはあえて魔獅子の言葉を聞くことを選んだ。


「……言い残すことはあるか?」


『……ない』


「……まだ、女神様を許すことはできないか」


『…紅の姫が……お前の母が……我に遺した最期の言葉だ。あの人への永遠の愛を女神様に誓っていなければ、あなたを愛せたかもしれない、とな。……神は……我から……すべてを奪った。許せるはずが……なかろうよ』


 ケイティは魔獅子が神に復讐しようとしていた本当の理由に気づいた。

 そして、自分が娘であると知られたことを悟る。


「そうか……いまさらだな」


 ケイティの頬に一筋の涙が流れた。


『なにを泣く。我を父と思ったことなど断じてない、のだろう?』


「……これは、母を哀れんでの涙だ!」


 女神の加護が母を、この男を苦しめたのは事実だろう。だが、それでも女神は母を愛していた。

 この男が母を苦しめたのも確かだ。だが、この男も母を愛していた。


(ならば、吾は、この男を許すことができるのか。いつか許せる日が来るのか)


 神がいなければ、加護などなければ、何かが変わっていただろうか。

 だが、過酷な太古の時代を人が生き延びたのは神の加護あってこそだ。

 そして今も、加護と恩寵が人々を救っている。


『最期にひとつだけ、我の願いを聞いてくれぬか。この短剣を抜いてくれ』


「……わかった」


 ケイティは魔獅子に近づくとダガーの柄を握った。ゆっくりと魔獅子の胸からダガーを引き抜く。

 傷口から鮮血が溢れ出した。それがとどめだった。


『ああ……夢がかなった……』


 それきり、魔獅子の思考は伝わってこなくなる。


「……終わったな」


 魔獅子の体が微動だにしなくなるのを見届けると、ケイティは目を閉じて、しばし物思いにふけった。


「……いや、とうの昔に終わっていたことだ。すでに吾はケイティなのだから」


 魔獅子が現れてから、ケイティは過去に引きずられていた。


 アルバに破れ、弱い自分を突きつけられたとき、母を守れなかった無力な自分を思い出してしまった。

 自分を許せなかったころの思いがよみがえり、不覚にも涙してしまった。


 だが、ユリシャに泣かれ、アルバに過去を語ったことで、ケイティはユリシャに出会ったころの自分を思い出した。


 もう、自分を許すとか許さないとか、そんなものは関係ない。


 決めたのだ。

 人を助け、人の役に立って生きてゆくと。


 贖罪しょくざいではない。

 自分がただ、そうしたいだけ。

 心に誓ったことは成し遂げると、母と約束したのだから。


 そうやって、ここまでユリシャとふたりで生きてきた。

 そしてこれからは、四人の仲間とともに生きてゆく。


 再び目を開けたケイティの顔は晴れ晴れとしていた。


 ケイティがダガーを手に仲間のもとへ戻ろうとした瞬間、その場の空気が一変した。


「神気? これほどまでの?」「え? なにこれ?」「げろんちょ! やっば!」


 モナ、ラキア、ユリシャの口から思わず言葉が漏れた。


 魔獅子の遺体に神気が集まり、その場に人影を形作る。

 そこに現れたのは、少女のように無垢むくで、老女のように威厳に満ちた、美しい女性の姿であった。


「! 地母神様!」


 モナがその場にひざをつく。


「え? なに?」「だれだ?」「うっそーん」


 地母神はかしこまるモナと棒立ちの三人を見て、にっこりと微笑む。


「わたくしの姿が見える娘が三人もそろうとは。いえ、四人目にも見えていますね。なるほど、あなたの氏子もいるようですよ。出ていらっしゃい、【さきがけたる光の神】よ」


「ここに」


 地母神の脇に姿を表したのは、中性的で艶やかな美貌をそなえた男神であった。


「げえっ」


 カエルが潰されたような声を上げて、ラキアがひざをついた。


「まじ? うそでしょ? 本物初めて見た」


 顔を伏せたまま、ラキアがブツブツとつぶやいている。

 そんなラキアに、男神は幼子に向ける父親のような優しげな目を向けている。


「さて、長居は無用。始めましょう」


 地母神は微笑みを消すと、魔獅子の遺体へと向き直った。


「わたくしの加護により、すべてを狂わされた哀れな子よ。せめて、その魂に報いましょう。【魁たる光の神】よ。天にまたたく星々を統べる神として、この者の魂を天へ。そして、その眷属けんぞくに加護を」


「仰せのままに。今より、この者の魂は星となる。見届けよ、四人の乙女よ。かの星は【獅子の瞳】と呼ばれるであろう」


 男神の言葉に呼応するかのように、魔獅子の遺体からあお白い光が湧き立つ。

 その光が集まって光球を形作り、最初はゆっくりと、次第に速度を増しながら上昇してゆく。


 その様子を目で追った四人は、いつの間にか洞穴の天井が消失し、頭上に満天の星が広がっていることに気づいた。


 みるみる速度を増した光球は、天空へとさかのぼる流星となり、やがて一箇所にその位置を定めた。


 星の誕生を目の当たりにした四人は、しばし呆然と夜空を見つめていた。


 やがて我に返った四人は視線を地上へと戻す。

 そこにはすでに神々の姿はなく、魔獅子の遺体が横たわるだけだった。


 ふたたび天を振り仰げは、岩の天井が視野をふさぐばかり。


 四人は互いに顔を見合わせる。


「夢じゃないわよね?」「ええ。新たな星の誕生です」「正直、理解が追いつかん」「右に同じ? イミフ?」


「……っていうか、うちの氏神様が星々を統べる神だとか、聞いてないんですけど?」


 ラキアが不機嫌そうに虚空をにらみつけている。怒りをぶつけるべき相手は、この場にはいないらしい。


「? 氏神が偉くて、何が問題?」


 ユリシャが首をひねった。


「私、その姓を捨ててるんですけど! めちゃめちゃ不敬じゃない?」


 ラキアの発言にケイティが苦笑いする。ケイティは氏子としての姓をふたつも捨てた身だ。


「ですが、まだラキアさんを氏子として認識しておられましたよ?」


「……ってことは、まだ貴族籍が残っているってこと? 勘弁してよ」


 ラキアは頭を抱えた。


「ところで、このダガーを残して、アルバ殿はどこへ行ったのだ?」


 手にしたダガーを見ながら、ケイティが言った。


「たしかに……どこへ行ったのでしょう」


 モナは地面に転がっている袋を拾い上げ、中身を確認した。

 袋の中にはアルバに持ち出され、【失せ物探し】によって四人をこの場へと導いたモナの私物が入っている。


「……これ」


 ユリシャが魔獅子の遺体の脇を指さした。

 よくよく見れば、ひとかたまりだと思われた血溜まりは、ふたつが重なったものだとわかる。


「……この量は……致命傷だろうな」


 沈鬱ちんうつな表情でケイティが言った。


「ってことは……」


 ラキアが顔をしかめた。

 モナは手で口を覆っている。


「おそらく……アルバ殿は死んだのだろう」


 黒いダガーを見つめながら、ケイティは口惜しそうにそう告げた。




 夜風に若木がそよぐ音が、いくえにも重なって、音楽のように聞こえる。

 その曲に誘われるように、アルバの意識は漆黒の闇の底から浮上した。


(……ここは? 死の国か?)


 なぜそう感じたのか、自分でもわからない。なぜか、目覚める直前まで鎮魂歌が聞こえていた気がする。


 完全に覚醒したアルバは、自分が若木の間に寝そべっているのだと気づいた。


 身を起こすと、そこには月光に照らされた一面の若木の野原が広がっていた。


 視線の先には、見慣れたスタークの街の照明が夜空の下で浮かび上がっている。

 どうやら、ここはスタークの街の西側の平地らしい。


(いつの間に、こんなに木が生い茂った?)


 昼過ぎに街を襲撃した魔狼まろうを撃退した時点では、ここには雑草しか生えていなかったはずだ。


(いや、違うか?)


 記憶が混乱している。アルバはゆっくりと自らの記憶をたどる。


(おそらく……俺は死んだのだな。それで一日前にいた場所に巻き戻されたんだ)


 それは、アルバにとって最後の切り札、強力すぎる一枚であった。


『このマーキナーを救った代償が、玄室へと戻るだけでは割に合うまい?』


 先の【眠り姫の迷宮】での出来事のあと、そう言ってマーキナーがアルバに授けた、一生に一回だけの使い切りの加護。

 それは『死後、一日前にいた場所に、一日前の状態で巻き戻る』というものだ。


 当初は『死後、その場で生前の状態に巻き戻る』という単純なものになるはずだった。

 しかし、その場に立ち会っていたサーバレンに強行に反対された。


『それじゃあ、リスポーンと同時にまた死んじゃうじゃん。毒とかの状態異常にも対処できないし。それなんてクソゲー?』


 最初はなにを言っているのかわからなかったが、よくよく話を聞いてみて、サーバレンの杞憂きゆうももっともだということになった。

 それで、一日前の場所と状態に巻き戻るように変更したのだ。


(一生ものの切り札だったんだが、そうそうに使っちまったか。またマーキナーに恩を売る機会があればいいんだがな)


 クルスターク領の領民ではないアルバは、時氏神の加護どころか、マーキナーの恩寵すら無条件に授かることはできない。

 仮にマーキナーによみがえらせてもらえるとしたら、この領のために死んだときだけだろう。


「やれやれだな。帰るとするか」


 アルバは肩をすくめると、スタークの街へと歩きだすのだった。

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