24.神の共犯者

 われの母である紅の姫がはかなくなり、皇帝は怒り狂った。


 日々、女官や侍女がひとりずつ後宮から引っ立てられては、あおい顔をして戻ってくる。個別に尋問されているようだ。

 どうやら、皇帝は後宮での母の暮らしぶりを徹底的に調べているらしい。


 最終的に、母をていた医師、後宮に残っていた女官と侍女の全員が姿を消した。

 吾を世話するために新たに用意された侍女たちの話では、全員が極刑に処されたらしい。


 母はこうなることを予見していたのだろう。

 亡くなる少し前に、母はな侍女たち全員に暇を出しており、彼女たちは難を逃れることになった。


 吾が手を下すまでもなく、復讐ふくしゅうの半分は達成された。


 残るは皇帝のみ。


 皇帝がいなくなれば、この国はほどなく瓦解がかいするだろう。

 王宮にはびこる『恐れを知らぬ者』たちが国を維持できるとは思えない。




「実の父に、なぜそのような目を向ける。我はお前の父だぞ」


「父は真紅の騎士だ。お前ではない」


 ある日、後宮を訪れた皇帝に吾は殴り飛ばされた。


 大した怪我ではない。吾の体は驚くほど頑丈だ。

 それは地母神の加護によるものだと母に教わった。


 吾は医師を脅し、大怪我をしたと偽った。

 前任者が極刑に処された事実を知ってか、医師は驚くほどたやすく吾に屈した。

 どうやらこの医師は『恐れに支配される者』のようだ。


 これでしばらくは、何事にもわずらわされることなく、考えを練ることができる。


 どうすれば皇帝を亡き者にできるか。

 そのことばかりを考えて日々を過ごした。




 ほどなくして冬が終わった。


 母が愛でていた可憐な花が中庭を埋め尽くすころ、吾は彼女と出会った。


 いや、吾が生まれた瞬間から、彼女はそこにいたのだ。ただ、見えなかっただけで。


【真紅の御髪おぐしまなこの女神】


 ひと目見ただけでそれとわかった。

 この世のものとは思えない鮮やかな紅と紫、そしてあふれ出る神気に疑いようがなかった。


「私が見えているのですね。あの娘はついぞ見ることができなかったのに」


 彼女の語る『娘』が母のことなのだと直感した。


「お母様を知っているの?」


「ええ。生まれたときから。彼女は私の加護を強く受けていた。ずっと彼女を見守ってきました。彼女は私にとって娘も同然。彼女に私が見えていたなら、きっと親友になってもらったことでしょう」


「なぜ、お母様を助けてくれなかったの?」


「この国が地母神様の加護を受けていなければ、私はたたり神となって、この国にあだをなしていたでしょう。結果的に私の加護は彼女を苦しめただけだった」


 女神が涙を流す。

 神様も泣くのだと驚き、同時に、女神が母のことを大切に思っていたことを理解した。


「お母様のかたきを討ちたい。皇帝を亡き者にする。そのためなら、死んでもいい」


 この女神ならば、吾の願いを聞き入れてくれると信じ、吾はそう懇願こんがんした。


 女神は驚き、そして、紫の眼を伏せた。


「最後に残った、たったひとりの私の氏子。地母神様の氏子でもある子。私と思いを共にする子。だからこそ、あなたには私が見えたのですね。ならば……私も覚悟を決めましょう」


 視線を上げた女神の顔には決意の表情が浮かんでいた。

 その直後、女神はふっと表情を和らげ、吾に微笑ほほえみかけた。


「でもその前に……私のお友達になってくれませんか? これは神命ではありませんよ」


『友達』という言葉に吾は戸惑う。

 そのときまで、吾には友と呼べる者は存在していなかったのだ。


「……友達? ベルの初めての友達になってくれるの!?」


 そう答えた吾に、女神は泣きそうな笑みを浮かべて、何度もうなずいたのだった。




 その日から、吾は女神とともに過ごした。

 吾が目覚めている間、女神は片時もそばを離れずにいてくれた。


 吾は女神に母との思い出を語った。

 吾が語れることなど、それくらいしかなかったのだ。


 女神は、幼い日の母のことを語ってくれた。

 そのときの女神の優しい表情から、女神が本当に母を愛していたのだとわかった。


 そして女神は、ほかの神々のこと、世界のこと、ありとあらゆることを吾に語って聞かせた。


「父神様には本当に困ったものです」


 そう言って笑う女神の笑顔からは、彼女がどれほど父神様を好いているのかがわかる。


「ベルはお父様には会ったことがないの。会ってみたいな」


「お父様……というのは、『紅の騎士』のことですか?」


「女神様は知っているの?」


「ええ。とても勇敢で、立派な人ですよ」


 父をめられたうれしさで、意識せずとも笑みがこぼれた。

 そんな吾を女神は少し悲しげに見ている。


「『紅の騎士』に会いたいですか?」


「会いたい!」


「……ベル。復讐など止めて、この城を出ていってもよいのですよ。そうすれば『紅の騎士』にも会えるでしょう。広い世界を見て回ることもできます」


「女神様もいっしょ?」


「ええ、もちろん。私の氏子はベルだけ。いつまでも、あなたと一緒にいます」


 吾は女神とともに世界を巡る旅を夢想した。

 それはとても魅力的で、この上なく幸せな夢だ。


 しかし、母を救えなかった吾が、そんな幸福を得てよいものだろうか?

 吾の知る母は、最後までこの後宮から出ることはなかった。ずっとここに縛り付けられていた。


「だめ。ベルはお母様の仇を討つと決めたの。心に誓ったことは成しとげなさいと、お母様も言っていたの」


「……それで、命を失うことになっても?」


 泣きそうな顔で尋ねる女神に、吾は力強くうなずく。


 女神は目を閉じ、少しの間、じっとしていた。

 やがて再び紫の眼で吾を見ると、微笑んだ。


「私はこれから、父神様のところへ相談に行きます。少し待っていてね、ベル。返ってきたら、ともにあの娘の仇を討ちましょう」


「はい!」


 吾の返事にうなずき返すと、女神の姿がすっと消えた。


 ずっと一緒にいた女神の姿が見えなくなると、途端に寂しさと不安が押し寄せてくる。

 ベッドへと潜り込み、吾は眠れぬ一夜を過ごした。




 翌朝、目をますと枕元に誰かの気配を感じた。

 視界の中に、ぼんやりと真紅の髪が映る。


「お母様?」


 そう問いかけてから、それはありえないことだと気づく。

 寝ぼけ眼を凝らすと、女神が吾の髪をでていた。


 中つ界において神は実体を持たない。髪を通して伝わるのは、女神の手の感触ではなく、神気だ。

 それは、吾にとっては、どこまでも優しい感触に感じられた。


「ベル。今からあなたを私の依代とします。よいですか?」


「依代?」


「神が中つ界で力を行使するために、人の器に入ること。その器となるのが依代です」


「女神様がベルの中に入るの?」


「ええ。しばらくの間、私とあなたは一心同体となります」


「ふうん。いいよ。女神様と一緒になる」


「ベル、あなたの体はそのままでは器として幼すぎます。私は父神様から力の一部を借り受けてきました。今から私があなたの中へと入り、同時にあなたを十年後の姿へと成長させます。よいですね?」


「? 十年後の私? ……それでお母様の仇が討てるなら、何だってするよ」


「では、いきます」


 ふわりと女神が吾の体を抱いた。


 全身が神気にひたされ、それが体内に染み込んでくるとともに、意識が恍惚こうこつとなる。

 得も言われぬ心地に我知らず目を閉じた。


 身中にピリピリとした感触が走るが、不快ではない。

 むしろ、神経が研ぎ澄まされてゆくような感覚だ。


(終わりましたよ)


 心の中に女神の声が響いた。


 目を開けて、自分の体に視線を落とす。

 手足が長い。胸に大きなふくらみがある。そして、視界の隅に入るのは、真紅の髪だ。


「紅い髪……」


 自分の声なのに、いつもと違って聞こえる。低く澄んだ声色だ。


(私の色が髪に現れたようですね。聖痕せいこんの一種でしょう)


「聖痕?」


(神が人の体に残すあと。癒えぬ傷、奇跡の印)


「うれしいっ。お母様と一緒!」


 吾は自分の真紅の髪に頬ずりした。夢にまで見た、憧れの色だ。


「では、エデュに神罰を与えに向かいましょう」


 吾の口から出たのは女神の言葉だった。


 体が勝手に動く。

 ベッドから立ち上がった吾は、シーツで体を包む。するとそれは、あっという間に白い衣と化した。


 吾は寝室を出て、後宮の廊下を歩いてゆく。


 母の死後、後宮はめっきり人が減っていたが、それでも侍女はいる。

 吾の姿を目に止めた侍女たちは一様に瞠目どうもくするが、誰ひとりとして吾を呼び止める者はいない。


 中庭に出ると、母の好きだった花の前で、皇帝がひとりたたずんでいた。


 皇帝は吾に気づき、たじろいだ。

 あの皇帝が見せる初めての醜態だった。


「我は【真紅の御髪と紫の眼の女神】である。『氏子殺し』の罪で、お前を裁きに来た」


 女神が皇帝に告げた。

 吾には『氏子殺し』の意味はわからない。しかし、皇帝を裁けるなら、罪状などなんでもいい。


「お前が皇后の国の氏神だと? 『氏子殺し』? 馬鹿な。確かに我はお前の氏子を最も多く殺しただろう。しかし、皇后の血を引いた姫が残っているではないか。氏子を皆殺しにはしていない」


 吾の頬が引きつり、口角が上がり、ゆがんだ笑みを形作ったのがわかった。

 皇帝にはそれで何かが伝わったようだ。その顔が途端に青ざめた。


「姫が死んだのか? あの子をどうした! なぜ、神であるお前が、氏子であるあの子を守らなかった。お前が、あの子を殺したのか! 皇后の忘れ形見であるあの子を!」


 姫とは吾のことだろうか?

 仮に吾が死んだとして、なぜ皇帝が逆上するのだ?

 今まで、吾を気にかけたこともない男が、吾をいない者として扱ってきた男が、いまさら何に怒るというのだ!


 どす黒い感情が、吾の中で渦巻いた。


 いまさら、吾を愛していたとでも言うつもりか!?


 皇帝が剣を抜き放ち、吾に斬りつけた。

 刃が鎖骨を砕き、肺を破る。鮮血が周囲を真紅に染める。

 痛みはない。苦しくもない。ただ、怒りだけが身中を満たしていた。


 それ見たことか!

 この男は母を愛していた。そして母を死に至らしめた。

 今、吾はこの男に殺されようとしている。

 この男の愛は、どうせ、相手を殺すことしかできない。


(彼の本心を知っても、この子は彼を許すことができなかった。彼は、成長した娘の顔を見分けることができなかった。父神様、けは私の勝ちです)


 悲しみに満ち女神の思考が吾の中を通り過ぎた。


「地母神の加護を授かりし者よ。お前は私の最後の氏子をたった今、殺した。ゆえに神罰を下す。地母神の加護は裏返り、お前は獣へと落ちる。力だけを頼りとする、お前にふさわしい世界で生きよ!」


 すでに息が絶えたはずの吾の口が女神の言葉を発する。

 同時に、女神の思考が吾の中に流れ込む。


(これは私の罪。人をたばかり、神界を謀り、ただひとりの娘のために、あり得べからざる神罰を下した。もはや私は神ではいられない。私は神界を去る。父神様、ごめんなさい。ベル、いつかあなたと一緒に……)




 そして、吾は死んだ。

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