21.魔獅子は復讐を望む

 二つの影が寄り添いながら魔の森を進んでいた。


 下草を踏み分ける足音はひとり分。なぜなら大柄なほうの影が宙に浮かんでいるからだ。


 淡い魔力光に包まれて浮かんでいるのは魔獅子。

 その後ろで魔獅子の体を押して歩くのはアルバである。


『魔術とは便利なものよ。我が巨体を楽々と運べるとは』


 こころなしか魔獅子の声は浮かれているように聞こえる。

 宙に浮かんだ状態が、よほど快適なのだろう。


「あんたが自分自身を魔力で包んでいるからできる芸当だ。俺だけならこの巨体を包む魔力をまかない切れん」


 アルバが魔獅子に負わせた傷はそれほど深くはなかった。魔獣特有の高い回復力によって、すでに出血は止まっている。

 しかし傷の位置が前脚に近かったため、歩くと再び傷口が開きかねない。


 そこで、魔獅子の体を【浮力】で浮かせて、安全な場所まで移動することにした。

 宙に浮いた状態なら、重量物をの上で転がすよりもたやすく移動させられる。


『ところで、さきほどからその言葉遣いは何だ? あるじに対しては敬語を使え』


「……こう、です? ございます、か?」


『ふざけているのか?』


「いや。いえ? あいにく、他人に仕えた経験がなくてな、ないです?」


『……もうよい。普通に話せ。聞き苦しくて敵わん。我も誰かにかしずいた経験はないが、それでも両親には敬語で接していたものだがな』


 あきれた様子の魔獅子に、苦い顔で沈黙するアルバ。


 位置的にアルバの顔は見えないはずだが、長い沈黙から魔獅子は何かを察したようだ。


『なんだ? 言いたいことがあるなら話せ。いや、思いついたことは忌憚きたんなく話せ。どうせ我の考えは魔法で筒抜けだ。お前もそうでなければ、不公平というものだ」


 何気ない会話であっても、魔獅子の魔法は効果を発揮する。

 アルバは魔獅子に対して思っていることを口にせざるを得なくなる。


「……あいにく俺に両親はいない。正直、自分の過去を話すのは苦痛なんだが」


『忌憚なく』の言葉に従い、アルバは不平不満も隠さずに告げた。


 しかし、魔獅子はアルバの言葉を意に介さず、無遠慮に問い返してくる。


『なんだ? お前は孤児か?』


「……少なくとも、物心ついたころには周りに人間はいなかった。言葉を覚えたのは、師匠に拾われてからだ。師匠から敬語を習った記憶はない。というか、師匠が誰かに敬語を使っているのを聞いた覚えもない」


『わからんな。どうやって物心つくまで生き延びた?』


「知らんよ。覚えていない」


 今のアルバはほとんど嘘がつけない。この言葉にも、はぐらかす意図はない。


『そうか……まあ、我も似たようなものだ。召使いに世話されていたのだろうが、記憶はない。誰かひとりでも長く接した人間がいれば違ったかも知れぬが、召使いは入れ替わり立ち替わりだったからな』


「貴族なら、決まった乳母や世話役がいるものじゃないのか?」


『おそらく、特定の人間が我に取り入るのを避けたかったのだろう。両親は我を恐れていたからな』


「恐れる? 幼子を? なぜだ?」


『呪いだ。加護という名の、な。我がティトロフ家の氏神は、主神の一角を成す地母神だ。その加護は、生きとし生けるもの力を増す、というあまりにも理不尽なものだ。歴代でも特に加護が強く出た我は、幼子にして怪力無双、大人顔負けの知力を持っていた。当時の人々は英雄の降臨とたたえたそうだ』


 直後、アルバの手のひらに魔獅子の毛が逆立ってゆく感触が広がった。

 まさしく『怒髪どはつ天をく』だ。


『ふざけるな! 何が英雄だ。そのような幼子など、化け物と変わらん。獣に落とされるまでもなく、我は神に造られた化け物だった。自らも加護を受け、力で他人をしいたげてきた我が父は、己を凌駕りょうがする力に恐怖した。よくもまあ赤子の内に殺されずに済んだものよ。さすがに跡取りを失うわけにはいかなんだか』


「……ひどい話だな」


 常に継承問題がつきまとう王族には、肉親間でのめ事も珍しくはない。

 それでも、命の危険に及ぶことはまれだと聞く。


 肉親殺しは神に嫌われる。

 神の加護を最大の後ろ盾とする王族にとって、神の機嫌を損なう行為は禁忌きんきだ。


『孤児であるお前に同情されとは、なるほど、まさしくいないよりもなお悪い両親というわけだ。その両親も我が手で葬ったがな』


 サラッと親殺しを暴露した魔獅子にアルバはあきれた。

 なるほど、神の加護によって怪物にされたと感じているなら、その加護を失うことへの恐れもないのだろう。


『驚くに値せんだろう? 我が子の幸福を願わぬ親など、もはや毒でしかない。……そう思えばこそ、我は国の父として、帝国の繁栄に心血を注いだ。……そのはずだったのだがな』


 魔獅子の毛からこわばりが失われ、意気消沈してゆくのが手に取るように伝わった。


「ケイティに言われたことを気にしているのか?」


『女神の言うことなど聞く耳は持たぬ、と言いたいところだがな。帝国が滅んだ、というのもまた事実。神罰という介入があったにせよ、我のまつりごとに至らぬ点があったことを否定はできまい。お前はどう思う?』


「知らんよ。俺に聞くな」


 反射的に回答を拒絶したアルバだったが、直後に、少しでも魔獅子の慰みになるような発言を行うべきだろうかと思い直す。

 そう思うのもまた、魔法の効果なのだろう。


「ケイティの知識も偏っているのは確かだ。集団戦の知見はあるのに、最初は斥候の重要性を理解していなかった。日時を決めて果たし合う貴族の戦争しか知らん証拠だ。政治にしても、貴族の教養として習ったものだろう。それが実際にどこまで通用するか、俺にはわからん」


『民草の暮らしぶりを知らずに政治を語るな、と言ったのは、我が教師として招かれた賢者だったか。もう少し、あの者の話を聞くべきであったか。……思えば、我が統治下で民がどのように暮らしていたか、思い出せんな』


 魔獅子は大きく変わった。

 最初に出会ったときに感じた傲慢ごうまんさは鳴りを潜め、自らをかえりみる発言が多くなった。

 ケイティの説教が効いたのか、配下の魔獣を失ったことで自信を喪失したのか。

 はたまた、アルバと一対一で戦い、破れたことに起因するのか。


 それきり、魔獅子は沈黙する。

 アルバは言うべき言葉が思い当たらず、ただ黙々と歩を進めた。




 しばらくして、ふたりの前に岩だらけの小高い丘が現れた。

 その斜面に、怪物の口のような真っ暗な裂け目が開いている。


「ついたぞ。この洞穴なら、そうそう見つかるまい」


 アルバは魔獅子を洞穴の奥へと運び込むと、【浮力】を解除して適当な場所に横たえた。


『ふむ、悪くない』


 魔獅子の様子から問題なしと判断したアルバは、そのかたわらへと腰を下ろし、大きく息をついた。

 宙に浮いた状態とはいえ、筋力に乏しいアルバにとっては魔獅子の体を押すのも重労働だ。


「この洞穴はアーガスでも知らんはずだ。街の者には見つけられまい」


 ふと冒険者ギルドでのアーガスとの会話を思い出す。

 それがさきほどの魔獅子の言葉への回答になっている気がして、アルバは深く考えずに口を開く。


「そういえばアーガス……帝国の流民だった男だが、帝国民には笑顔がなかったとか、そんなことを言っていたな」


『笑顔? 娯楽が欠如していたか? 嗜好しこう品が足らなんだか?』


「違うだろ? 足りていても不満顔の奴はいる。足りなくても笑っていられる奴はいる」


 そう口にした直後、アルバの口元がわずかに緩んだ。

 それは皮肉めいたものではなく、人が安心したときに漏らす笑みだった。


『何がおかしい? 何を笑った?』


「笑った? 俺がか? いや、思い出していただけだ。パーティーメンバーの笑顔を、な」


『笑い』という言葉からアルバが真っ先に連想したのは、【鷹の目】の四人の笑顔だった。

 屈託くったくなく笑うラキア、聖母のような微笑みを浮かべるモナ、照れて苦笑いを漏らすケイティ、にかっと白い歯を見せるユリシャ。


『……笑顔か。両親の笑顔は覚えておらぬ。臣下どもの作り笑いは不愉快なだけだった。式典のおり、民の顔を見たはずだが、笑っていたろうか? いや、押し黙って我の言葉を聞いていたな。紅の姫は、花を愛でるときだけ笑っていた。娘の笑顔は……娘の笑顔を我は知らん……』


「……」


『なぜだ? なぜ皆、笑わぬ! あの、やせ細った北の大地で、ひとりでも多くの国民が飢えずに済むように、我はできうる限りのことをした! それが他国を蹂躙じゅうりんし、略奪することであったとしても、それ以外に手立てはなかった』


 悲嘆、不満、いらだち。

 獣である魔獅子に表情はないが、魔法の効果によって本人が意図する以上に、その心情が伝わってくる。


『紅の姫とて、あの愚かな民どもが姫にすがらなければ、あの騎士団長とふたりだけで逃げてくれたなら……見逃すことも、できたのだ。レウォトの残党に利用されることなく、姫を生き長らえさせるには、我が后とし、我が子を生んでもらう以外に……なかった』


 おそらく、この男が望んだものは,純粋に自国民の豊かさと姫の安全だったのだろう。


 しかし、そこには対象の心情をおもんぱかる視点が欠けている。

 帝国民は血にまみれた富を笑って享受きょうじゅできなかった。

 姫は祖国の民を捨てて自分だけの幸せを望まなかった。


「俺に政治はわからん。が、思うに、打つべきは最善手ではなく、より多くの者を納得させられる手段だったんじゃないか? 帝国が滅んだのも、あんたのほかに決断を下せる人間がいなかったせいだろう? あんたは、自分が死んだ後に誰に帝国を継がせる気でいたんだ?」


 おそらく、この男の失敗は、その明晰めいせきな頭脳で導き出した冷徹な最適解だけを信じ、他人の意見を聞かなかったことだ。

 そして、その最適解の内容を他人と共有していなかった。

 だから、この男がいなくなった後、誰も国を運営できなかったのだろう。


『ふっ。我の周りにいたのは、何ひとつ任せられぬ無能ばかりだ。死んだ後のことか。……それなら、ひとつだけ夢があった。我が娘、愛しきベルが、我を殺しに来る夢だ』


 自分が殺される、という内容にもかかわらず、魔獅子の言葉からは甘美な陶酔とうすいが感じられた。


「……娘に殺されたかったのか?」


『両親を手にかけた我にはふさわしい最後だろう? あの娘には、ティトロフの血と、そのティトロフに滅ぼされた古き伝統の国レウォトの血が流れていた。我を殺して帝国を継ぐのに、あれほどふさわしい者はいなかった。娘には恨まれていたしな』


「娘を愛していたのだろう? なぜ仲よくできなかった」


『愛していたさ。黄金の髪をもつ娘が生まれたとき、ひとり酒をあおって涙したものだ。人はうれしくても泣くのだと初めて信じられた。だが紅の姫が、我が娘に会うのを嫌った。理由もなく姫の嫌がることはしない。姫が娘を我から隠すなら、我は娘を見つけない』


「……それでいいのか?」


 理解が追いつかず、アルバは曖昧あいまいな疑問を口にした。


 紅の姫の意思を無視し、無理矢理に后としたのは、姫の命を救うという理由があったから。

 一方で、自分が娘に会いたいという願望は、姫の意思を無視する理由にはならない、ということか。


『お前は、人を愛したことはないのか?』


「それは……男女の話か? それとも家族愛か? どっちにしろ、俺にはわからん」


『やはり、お前は我に似ている。お前にもそのうち知るだろう。己よりも他者を優先することが重要と思える。我にとってはそれが紅の姫だった』


「わからんな。己より他者を優先するのは当たり前だ。仲間より自分を優先する奴は、仲間から見捨てられる。そうなれば、後はひとりで死ぬだけだ」


 常に命がけの冒険者にとって信頼は死活問題だ。

 自分勝手に行動する人間だと評価を下されたら最後、どのパーティーにも入れてもらえず、冒険者は廃業だ。


『お前という男は……自分ひとりで生きて行けるとは考えぬのか?』


「はっ、バカバカしい。斥候だからな、俺は。仲間のために情報を得るのが生業だ。俺の師匠は一匹狼の盗掘を気取っていたが、俺が何度も命を助けた。俺のほうがその数倍も救われたがな。結局、師匠は盗掘をやめて冒険者になった。パーティーに斥候がふたりいても意味がないから別れたがな」


 アルバは当時を思い出す。

 アルバが生きるための手本としていた師匠が、しみじみと言ったものだ。『結局、人はひとりでは人として生きてゆけない』と。


『お前ほどの強者が、仲間のために生きることを選ぶか?』


「弱者さ、俺は。自分では投剣ひとつ造れない。よろいつくろえない。半端者は身ひとつでは、魔術師にも戦士にも、絶対に勝てない」


 魔獅子が品定めをするように、じっとアルバを見つめている。


『お前は我と似ている。お前は我とは正反対だ。我は強者だ。我は我の力を憎む。我の力を恐れる。我の力は娘を殺しかけた。頬を軽くたたいたつもりが、加護で強化された力によって娘は死にかけた。あの日、娘に二度と近づかぬと決めた』


 アルバはようやく理解した。この男は自分が嫌いなのだ。


 親に愛されず、並外れた才覚によって周囲への共感を失い、己の力を恐れて他者を遠ざけ、より孤独に、より頑固に、より独りよがりに、どこまでも転がり落ちていった哀れな男を、この男自身が嫌っているのだ。


『愛する娘に否定され、心がえぐられる思いだった。ならばいっそ、愛する娘に殺されようと思った。しかし、我を殺すはずだった娘は、もういない。レウォトの女神は娘を見殺しにした。ならば我は、この命を何に使えばよい? すべてを奪った神への復讐以外に!』


「……神への復讐をやめるつもりはないのか?」


 それは問いかけではなく、ただの念押しだ。聞かずとも答えはわかっている。


『帝国が滅んだのは、我の落ち度であったかも知れぬ。だが、我を化け物にした神を、我が娘、愛しきベルを奪った神を、どうしても許せぬ。神を葬るなど、叶わぬ夢だと承知もしよう。それでも一矢報いねば、死にきれぬ』


 勝てない戦いは徹底して避けるのがアルバの信条だ。

 無謀な戦いに挑むとき、それは味方が生き延びる手段がほかにない場合だけだ。


 だが、主である魔獅子が生き延びること、幸せになることを望んでいない。

 これでは、無謀な復讐を止める理由がない。


「で、俺は何をすればいい?」


『そうだな、さしあたって……いや、よそう。あの街についてはお前のほうが詳しい。それに、我が見込んだ男がどう行動するか、興味がある。すべてをお前に委ねよう。そうだな、我が意に沿え、というのはどうだ? 獣ならざる身なれば、主の意を汲んで行動すべきであろう?』


 アルバを大きなため息をついた。

 主が破滅を望むなら、それに従うほかはない。


「了解だ。あんたはここで傷を癒せ。俺は街へ行ってくる」


 アルバは立ち上がり、自分の装備を確認し始めた。


『どうする気だ?』


「街の様子を探るだけさ。それによって行動は変える。あんたのために魔法薬をかっぱらって来てもいい。神官の恩寵が切れているなら、相手の戦力を削ぐ好機だしな」


『ゆくがいい。行ってお前の真価を見せてみろ』


「ああ了解だ」


 そう言って歩き出したアルバだったが、洞窟の入り口近くでおもむろに振り返った。


「ひとつ思い出した。こういうときは、こうするのだろう?」


 アルバは胸に手を当て、軽く頭を下げる。


「仰せのままに、我が主よ」


 魔力光に包まれたアルバの姿が、入り口から差し込む光の中へと消えていった。

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